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第五話——絶望と決意

Auteur: 桜庭結愛
last update Date de publication: 2025-11-21 18:42:59

 ――すみません。どなたですか?

 私は気づいたらロビーの椅子に座っていた。翠の言葉を聞いた瞬間感じた、全身が冷えるような感覚が今でも残っている。強い衝撃のせいか、涙すらも出てこなかった。代わりに全身が小刻みに震えている。

 待ち望んだ再会がこんなにも辛いとは想像もしていなかった。現実は残酷だな、とどこか他人事のように考えていると、隣から蓮の声が聞こえた。

「陽菜、大丈夫か?」

 現実に引き戻され、おぼつかない動きで蓮の方に顔を向ける。蓮は私の隣にゆっくりと腰を下ろし、右手をそっと包み込んでくれる。その一部始終を目で追っていると、遅れて来た涙がじわじわと溢れ出した。

 すぐに看護師がやってきて私たちに説明をしてくれる。どうやら翠は自分のこと以外の記憶を全て思い出せないようだ。事故の時に強く頭を打ったせいで、脳に後遺症が残ったのだろう。今日は検査をするから帰った方が良い、とだけ私たちに告げて病室の方に戻っていった。

 蓮が両親に電話で事情を伝えてから帰路につく。私はぼやけた視界の中、蓮の後ろをうつむきながら歩いていた。二人静かに歩いていると、突然蓮の足が止まり、それに反応できずにぶつかってしまう。

「いてっ、なんで止まるの」

「そこの公園入ろうぜ」

 私たちは帰り道の途中にある公園に入った。小さい頃からよくこの公園で遊び、泥だらけになってお母さんに怒られたのを昨日のことのように思い出せる。花見をした公園とは違い、ブランコが二つとベンチが一つだけの小さい場所だが家のような安心感があった。

 当然のようにブランコに二人で並んで座る。何か話したいことがあるのだと思い、蓮が話し出すのをじっと待った。私も話したいことはあるがすぐにはまとめられそうにないので会話の先手を譲る。

 しかし、私の考えとは違ったようで蓮は不思議なことを口にした。

「とりあえずブランコ漕ぐか」

 ――ブランコを漕ぐ?

「え、なんで……」

「そりゃブランコに座れば漕ぐだろ」

 何を当たり前な、と言いたげな表情でこちらを見る。高校生の私たちが並んでブランコを漕ぐ光景は、周りから見たら不思議に映るかもしれない。

 私の心配をよそに蓮はゆっくりとブランコを前後に揺らし始めた。

「ほら、楽しいから陽菜もやれよ」

「私たちもう高校生だよ?」

「年齢なんて関係ねーだろ」

 そう言われたので私も渋々ブランコを前後に動かす。

 時間も忘れ、二人で話しながらブランコに乗っていると、先程までの心が少し晴れていることに気づいた。蓮の笑顔から優しさが伝わり自然と表情が綻ぶ。

 ――蓮といると笑顔になれるな。

 太陽みたいな存在だな、と考えていると突然声をかけられる。

「翠のことだけどさ」

 蓮の一言で心に雲がかかった気がした。恐る恐る蓮の方をちらりと見る。先ほどの笑顔とは違い、苦しさと覚悟が混ざったような表情をしていた。ブランコを漕いでいる足の動きを止め、次に紡がれる言葉を待つ。

「今は何も覚えてないけど、何かきっかけがあれば思い出すかも、って言われただろ?」

「ごめん。あんまり覚えてないんだ」

「まぁだいぶ驚いてたからな、無理もない。つまり何が言いたいかって言うと……」

 そこで蓮は一度口を閉じ、喉を鳴らした。言葉を探しているように視線が揺れる。

 次に出てくる言葉は大体予想はついていた。答え合わせをするかのように、放たれるであろう言葉を頭に浮かべる。

 蓮は深く息を吸い込み、目を閉じ、覚悟を決めるようにこちらに視線を向けた。そして力強い声で言葉にする。

「今まで通りの接し方で翠と関わってくれないか?」

 予想通りの言葉だった。そうするのが正解だとも思っている。しかし、あくまで私は翠の幼馴染だ。今まで通りの距離感だと翠が困惑する可能性がある。あまり翠の刺激になりたくなかった。

「陽菜が辛い思いをしてしまうことも分かってる。それでも、記憶を思い出すのに、陽菜は重要なきっかけになるはずなんだ」

「うん……。私も、そうするのがベストだって思ってる。でも……」

 よくない想像が現実になりそうで、即座に言葉を飲み込む。蓮は少しだけ揺らしていた足を止め、ブランコから降りて私の目の前まで歩いてきた。私と目線を合わせるように床に膝をつく。上から見る蓮は、なぜかいつもより低い位置にいるはずなのに、ずっと大人に見えた。

「陽菜にこんなことお願いするのは申し訳ないと思ってる。それでも陽菜の力が必要なんだ。辛いことがあったら絶対にサポートする。俺がずっとそばにいる。だから――」

 蓮の言葉を遮り私は告げる。初めから答えは一つだったのだ。

「分かった。今まで通り接するよ」

「ほんとか……?」

 安心したような、けどどこか不安げな視線でこちらを見つめている。どこまでも優しいな、と胸の奥が温かくなった。

「ほんと。ていうか、初めからそうするつもりだったよ。まだ覚悟ができてなかっただけで」

 本当に最初から答えは決まっていたのだ。少しずつ受け入れて、覚悟を決めようと思っていた。しかし先ほどの蓮の言葉で一気に決心がついた。もう迷わない。

「私も、蓮と同じように翠のことが大切で大好きだから。私にできることならなんでもする」

「……ありがとう」

 その表情からは、肩の荷が降りたような、そんな感情が読み取れた。

「ていうか、翠も蓮も辛いでしょ?私だけ逃げるようなことはできないよ」

「ほんと、頼もしいな」

 ――そうだ、この気持ちを抱えているのは私だけじゃない。

 そう思うと前に進めるような気がした。

「そうと決まったらこの話はおしまい!ほら、笑って」

「ふっ、さっきまで泣いてたやつがよく言うよ」

 控えめに笑い合って空を見上げると、浮かんだ星が私たちを励ますように、キラキラと輝いていた。

 次の日、私たちはいつも通り翠のお見舞いに行くことにした。扉の前で目を閉じ、深く息を吸う。

 扉の開く音に気づいた翠が、戸惑いながら私たちを交互に見た。昨日と同じことを聞かれるだろう、と心の準備をする。ところが翠の口が開かれる前に、蓮が言葉をこぼした。

「久しぶりだな、翠。流石に双子の弟の顔は分かるだろ?」

「あぁ、君が蓮だね。似てるからすぐ分かったよ」

 記憶を失っていても分かるのは流石双子だな、と感心する。言葉を探し、視線を泳がせていると、翠の方から声をかけられた。

「もしかして、蓮の隣の子が陽菜……ちゃん、かな?」

 恐る恐ると言っていいほど途切れさせて言葉を紡ぐ翠に、少し新鮮さを感じた。私たちが今出会っていたらこんな会話をするのだな、とありえないはずの状況が私の胸に響く。平静を装って言葉を返した。

「うん、そうだよ。私たちは幼馴染なの」

「良かった。お母さんに聞いてたから、そうかもなって思って」

「正解っ!ていうか、陽菜でいいよ。ずっとそう呼んでたから」

「そっか、分かった。……陽菜」

「うんうん。私も今まで通り呼んでいい?」

「もちろん。聞いてると思うんだけど、自分のこと以外覚えてなくて……もし傷つけるようなこと言っちゃったらごめんね」

 申し訳なさそうに目線を下に向け、頭を掻いている。記憶をなくしていても変わらない翠に安堵した。

「大丈夫だよ。翠と話せるだけで嬉しいから」

「陽菜は優しいね。ありがとう」

 翠に笑顔を向けられ、思わず心が跳ねた。翠と話せていることに対する高揚感なのか、それとも翠の言葉に反応してしまったのか、自分でも分からない。ただ、確かに心の奥が温もりで満ちていくのを感じていた――

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