LOGIN――すみません。どなたですか?
私は気づいたらロビーの椅子に座っていた。翠の言葉を聞いた瞬間感じた、全身が冷えるような感覚が今でも残っている。強い衝撃のせいか、涙すらも出てこなかった。代わりに全身が小刻みに震えている。 待ち望んだ再会がこんなにも辛いとは想像もしていなかった。現実は残酷だな、とどこか他人事のように考えていると、隣から蓮の声が聞こえた。 「陽菜、大丈夫か?」 現実に引き戻され、おぼつかない動きで蓮の方に顔を向ける。蓮は私の隣にゆっくりと腰を下ろし、右手をそっと包み込んでくれる。その一部始終を目で追っていると、遅れて来た涙がじわじわと溢れ出した。 すぐに看護師がやってきて私たちに説明をしてくれる。どうやら翠は自分のこと以外の記憶を全て思い出せないようだ。事故の時に強く頭を打ったせいで、脳に後遺症が残ったのだろう。今日は検査をするから帰った方が良い、とだけ私たちに告げて病室の方に戻っていった。 蓮が両親に電話で事情を伝えてから帰路につく。私はぼやけた視界の中、蓮の後ろをうつむきながら歩いていた。二人静かに歩いていると、突然蓮の足が止まり、それに反応できずにぶつかってしまう。 「いてっ、なんで止まるの」 「そこの公園入ろうぜ」 私たちは帰り道の途中にある公園に入った。小さい頃からよくこの公園で遊び、泥だらけになってお母さんに怒られたのを昨日のことのように思い出せる。花見をした公園とは違い、ブランコが二つとベンチが一つだけの小さい場所だが家のような安心感があった。 当然のようにブランコに二人で並んで座る。何か話したいことがあるのだと思い、蓮が話し出すのをじっと待った。私も話したいことはあるがすぐにはまとめられそうにないので会話の先手を譲る。 しかし、私の考えとは違ったようで蓮は不思議なことを口にした。 「とりあえずブランコ漕ぐか」 ――ブランコを漕ぐ? 「え、なんで……」 「そりゃブランコに座れば漕ぐだろ」 何を当たり前な、と言いたげな表情でこちらを見る。高校生の私たちが並んでブランコを漕ぐ光景は、周りから見たら不思議に映るかもしれない。 私の心配をよそに蓮はゆっくりとブランコを前後に揺らし始めた。 「ほら、楽しいから陽菜もやれよ」 「私たちもう高校生だよ?」 「年齢なんて関係ねーだろ」 そう言われたので私も渋々ブランコを前後に動かす。 時間も忘れ、二人で話しながらブランコに乗っていると、先程までの心が少し晴れていることに気づいた。蓮の笑顔から優しさが伝わり自然と表情が綻ぶ。 ――蓮といると笑顔になれるな。 太陽みたいな存在だな、と考えていると突然声をかけられる。 「翠のことだけどさ」 蓮の一言で心に雲がかかった気がした。恐る恐る蓮の方をちらりと見る。先ほどの笑顔とは違い、苦しさと覚悟が混ざったような表情をしていた。ブランコを漕いでいる足の動きを止め、次に紡がれる言葉を待つ。 「今は何も覚えてないけど、何かきっかけがあれば思い出すかも、って言われただろ?」 「ごめん。あんまり覚えてないんだ」 「まぁだいぶ驚いてたからな、無理もない。つまり何が言いたいかって言うと……」 そこで蓮は一度口を閉じ、喉を鳴らした。言葉を探しているように視線が揺れる。 次に出てくる言葉は大体予想はついていた。答え合わせをするかのように、放たれるであろう言葉を頭に浮かべる。 蓮は深く息を吸い込み、目を閉じ、覚悟を決めるようにこちらに視線を向けた。そして力強い声で言葉にする。 「今まで通りの接し方で翠と関わってくれないか?」 予想通りの言葉だった。そうするのが正解だとも思っている。しかし、あくまで私は翠の幼馴染だ。今まで通りの距離感だと翠が困惑する可能性がある。あまり翠の刺激になりたくなかった。 「陽菜が辛い思いをしてしまうことも分かってる。それでも、記憶を思い出すのに、陽菜は重要なきっかけになるはずなんだ」 「うん……。私も、そうするのがベストだって思ってる。でも……」 よくない想像が現実になりそうで、即座に言葉を飲み込む。蓮は少しだけ揺らしていた足を止め、ブランコから降りて私の目の前まで歩いてきた。私と目線を合わせるように床に膝をつく。上から見る蓮は、なぜかいつもより低い位置にいるはずなのに、ずっと大人に見えた。 「陽菜にこんなことお願いするのは申し訳ないと思ってる。それでも陽菜の力が必要なんだ。辛いことがあったら絶対にサポートする。俺がずっとそばにいる。だから――」 蓮の言葉を遮り私は告げる。初めから答えは一つだったのだ。 「分かった。今まで通り接するよ」 「ほんとか……?」 安心したような、けどどこか不安げな視線でこちらを見つめている。どこまでも優しいな、と胸の奥が温かくなった。 「ほんと。ていうか、初めからそうするつもりだったよ。まだ覚悟ができてなかっただけで」 本当に最初から答えは決まっていたのだ。少しずつ受け入れて、覚悟を決めようと思っていた。しかし先ほどの蓮の言葉で一気に決心がついた。もう迷わない。 「私も、蓮と同じように翠のことが大切で大好きだから。私にできることならなんでもする」 「……ありがとう」 その表情からは、肩の荷が降りたような、そんな感情が読み取れた。 「ていうか、翠も蓮も辛いでしょ?私だけ逃げるようなことはできないよ」 「ほんと、頼もしいな」 ――そうだ、この気持ちを抱えているのは私だけじゃない。 そう思うと前に進めるような気がした。 「そうと決まったらこの話はおしまい!ほら、笑って」 「ふっ、さっきまで泣いてたやつがよく言うよ」 控えめに笑い合って空を見上げると、浮かんだ星が私たちを励ますように、キラキラと輝いていた。 次の日、私たちはいつも通り翠のお見舞いに行くことにした。扉の前で目を閉じ、深く息を吸う。 扉の開く音に気づいた翠が、戸惑いながら私たちを交互に見た。昨日と同じことを聞かれるだろう、と心の準備をする。ところが翠の口が開かれる前に、蓮が言葉をこぼした。 「久しぶりだな、翠。流石に双子の弟の顔は分かるだろ?」 「あぁ、君が蓮だね。似てるからすぐ分かったよ」 記憶を失っていても分かるのは流石双子だな、と感心する。言葉を探し、視線を泳がせていると、翠の方から声をかけられた。 「もしかして、蓮の隣の子が陽菜……ちゃん、かな?」 恐る恐ると言っていいほど途切れさせて言葉を紡ぐ翠に、少し新鮮さを感じた。私たちが今出会っていたらこんな会話をするのだな、とありえないはずの状況が私の胸に響く。平静を装って言葉を返した。 「うん、そうだよ。私たちは幼馴染なの」 「良かった。お母さんに聞いてたから、そうかもなって思って」 「正解っ!ていうか、陽菜でいいよ。ずっとそう呼んでたから」 「そっか、分かった。……陽菜」 「うんうん。私も今まで通り呼んでいい?」 「もちろん。聞いてると思うんだけど、自分のこと以外覚えてなくて……もし傷つけるようなこと言っちゃったらごめんね」 申し訳なさそうに目線を下に向け、頭を掻いている。記憶をなくしていても変わらない翠に安堵した。 「大丈夫だよ。翠と話せるだけで嬉しいから」 「陽菜は優しいね。ありがとう」 翠に笑顔を向けられ、思わず心が跳ねた。翠と話せていることに対する高揚感なのか、それとも翠の言葉に反応してしまったのか、自分でも分からない。ただ、確かに心の奥が温もりで満ちていくのを感じていた――最後までご覧いただき、本当にありがとうございました。 当初は十万字ほどで終える予定だったこの物語ですが、気づけば想像以上に長い作品となっていました。ここまで読み進めてくださった皆さまには、感謝の気持ちでいっぱいです。 初めての執筆ということもあり、書き方に悩んだり、思うように筆が進まなくなったりした時期もありました。それでも、応援の言葉に何度も背中を押していただき、最後まで書き切ることができました。本当にありがとうございました。 少しだけ、この物語についてお話しさせてください。 私はこの作品を書き始めた時、結末を決めていませんでした。大まかな流れだけを考え、あとは登場人物たちの感情に寄り添いながら書き進めていこうと思っていたからです。 ですが、物語を書いていくうちに、私はどの登場人物のことも大好きになっていました。だからこそ、何度も結末に悩みました。考えるたびに違う答えに辿り着くこともありました。 今回の結末は、その中の一つです。 もしかすると、読んでくださった皆さまの中には「別の結末が見たかった」と感じた方もいるかもしれません。でも、それもまた一つの答えなのだと思っています。 もしこの物語の続きを、あるいは別の未来を、皆さまが心の中で思い描いてくださるなら、作者としてこれ以上嬉しいことはありません。 そして、この作品に登場したキャラクターたちを少しでも好きになっていただけていたら幸いです。私にとって彼らは、いつの間にか我が子のように愛おしい存在になっていました。 長くなってしまいましたが、改めて、ここまで読んでくださったすべての方へ心から感謝を申し上げます。 また別の物語でお会いできることを願っています。
「何で蓮もいるの?」 翠は不満そうに唇を尖らせた。 私たちは学校終わりに駅前のカフェに来ていた。二人ではなく、三人で。「二人で行かせるわけないだろ」「独占欲強いと嫌われるよ?」 翠は目を細めて蓮に視線を向ける。蓮は余裕そうな笑みを浮かべていた。「まぁまぁ」 私は笑って翠と蓮の間に入る。いつもは大人っぽい翠が、何だか子どもみたいで思わず笑ってしまった。「翠にも子どもっぽいところあるんだね」「もう、陽菜まで……」 揶揄うような笑みを浮かべて、翠の肩をつつく。翠は苦笑を浮かべてため息をついた。「もういいや。早く注文しよう」 翠は諦めたように肩を落とし、店員を呼んだ。「待って! まだ決まってない」 私は焦ってメニュー表に目を向ける。翠がその様子を微笑んで見守っていた。店員がこちらに近づいてくる。焦る気持ちでメニューが頭に入ってこなかった。「えっとー……」 店員が目の前に来て、翠が注文をする。そこで不思議なことに気づいた。「あれ?」「どうしたの?」 そう。翠がたくさん注文をしていたのだ。「全種類頼んでみんなでシェアすればいいよ。蓮もいることだし」「そっか!」 翠の優しさに心が温かくなる。そこで蓮がクスッと笑った。「なに、蓮」「いや、お前ら親子みたいだよな」「なっ!」 私は頬を膨らませて言う。「また子ども扱いしたでしょ!」「ちげーよ」 蓮は少し顔を逸らした。そして肩を揺らしながら笑っている。「もう!」「可愛いからつい、からかっちゃうんでしょ?」「え」 翠の言葉に私は目を見開く。蓮を見ると恥ずかしそうに頬をかいていた。「まぁな」 私は照れて顔が赤くなる。両手で頬を包んだ。「嫌だったらやめるよ」 そう言って蓮が申し訳なさそうにこちらを見る。そんな表情を見て胸がチクッとした。「大丈夫! 嫌じゃない」「ほんとか?」「ほんと!」 顔をぐいっと近づけて否定する。蓮は目を見開いたがす
「おはよう、陽菜」「おはよー」 私は、毎朝翠と登校することにした。初めは蓮も一緒に行くと言っていたのだが、いつまでも図書委員の仕事をサボるのは良くないため、頑張って説得した。「眠いね」「本当だ。目が眠そう」 目を擦っている私を見て、隣で翠がクスッと笑う。翠はというと、全然眠そうではなく、何なら元気だ。「運動部だから違うのかな……」「何が?」 ハッと翠の方を見る。全部口に出てしまっていた。「運動部だから体が丈夫なのかなって」「あぁ、そういうことね」 あはは、とさっきよりも大きな声で笑うと、翠は自分の体を見た。私は恥ずかしくて顔を逸らす。 すると、グイッと思いっきり体を引かれた。「わぁ!」 私の左横をものすごいスピードで車が通る。車の風で髪が靡いた。「危なかった……」 隣で翠が安心したように、息をつく。「ごめん。ありがとう」「いえいえ」 翠が守ってくれていなかったらと考えると身震いをしてしまう。「ほら、こっちおいで」 そう言って道路とは反対側に私を移動させる。さりげない配慮に心が温かくなった。「そうだ」 翠は思い出したように、手をパチンと鳴らす。私は首を傾げた。「駅前のカフェ行こうよ」 その言葉に私の心はざわついた。あの日、翠が事故にあった日に行こうとしてたところだからだ。考えていると、左から翠に覗き込まれる。「ダメ?」「ダメじゃない!」 翠の潤んだ瞳のせいで勢いよく答えてしまった。翠はクスッと笑って微笑む。「じゃあ放課後行こっか」 ざわついていたはずの心も翠の笑顔一つで落ち着いてしまう。私はいつまでもこの笑顔を大切にしたいと思った。
私は目をこすりながら走って蓮のところに向かっていた。蓮は先ほどと同じ花壇の前にいた。花の前に立っている蓮はいつもよりも大人びて見えた。「蓮!」「陽菜?」 私は肩を上下しながら膝に手をつく。蓮は目を見開いていた。「早くないか?」「蓮に言いたいことがあって……」 私は大きく深呼吸をして呼吸を整える。私が話そうとすると、先に蓮が口を開いた。「あ……」 蓮は頬をかきながら視線を逸らす。私は不思議に思い首を傾げた。「俺、邪魔だよな。悪い」「え?」 何に対して謝っているのか分からなくてさらに首を傾げる。蓮は下唇を噛んでいた。「帰った方がいいよな。待ってるとか言ってごめん」「……」 焦ったようにどんどん言葉にする蓮を見て、私は一つの可能性に辿り着いた。「あのさ……」「あーそうだった。俺用事があるから帰らないと」 話そうとすると私の言葉を遮って蓮がつぶやく。蓮は帰ろうと荷物を準備し始めた。 ――やっぱりそうだ。 私は確信に至ると蓮の肩を掴んで、言葉をこぼした。「蓮聞いて、あのね」「……」 蓮はついに下を向いてしまった。きっとこの先の言葉を聞きたくないのだろう。珍しく蓮が動揺している。安心させるように、優しい声音で言葉を紡いだ。「蓮……」 蓮の肩がビクッと震える。私は蓮の肩に触れている手に力を入れた。一度深呼吸をして告げる。「私、翠とは付き合わないよ」「……え?」 蓮は顔を上げる。目を丸くし、何度か瞬きを繰り返した。私は優しく微笑む。「私の話聞いてくれる?」「……分かった」 そして、私たちは花壇の近くにあるベンチに並んで座った。どうやって話を切り込もうか迷っていると、蓮が言葉をこぼす。「なんで、付き合わなかったんだ?」「まず、翠と話したこと話してもいい?」「……あぁ」♢♢♢ 私はひとしきり翠の病室で泣いた。ベッドの横でしゃがんで目を擦っていると、翠がハンカチを差し出してくれる。「ごめん、翠……」 私は涙
♢♢♢ 私たちは病室の扉の前で二人の会話を聞いていた。 ――陽菜に勝ちたかっただけなのに! 大きく音を立てて扉が開く。それと同時に美咲が出てきてぶつかりそうになった。「あ……」 美咲は私に鋭い視線を向ける。私はかける言葉が見つからず、下唇を噛んだ。震える手で拳を握る。美咲は私の肩にわざとぶつかって走り去っていった。「大丈夫か?」 よろめいた体を蓮が支えてくれる。私の体の力は完全に抜けていて、立っているのがやっとだった。蓮は走り去っていった美咲の後ろ姿を目で追っていた。「まぁそうなるよな」「うん……」 私たちの間に沈黙が流れる。私は蓮と視線を合わせずに言葉を探していた。静寂の中に足音が響いて、翠の病室の中に消えて行く。少しして、隣から大きく息を吸う音が聞こえた。視線をそちらに向けると、蓮が目を瞑って胸の辺りに手を当てている。私の心がざわざわする。すると蓮の目がゆっくりと開いて、瞳に私の心配そうな表情が映った。「なぁ陽菜。少し二人で話さねーか?」 その言葉に頷いて私たちは病院の中庭に来た。 「ここ初めてきたかも」「そうだな」 ベンチに囲まれた花壇には、赤と黄の花が咲いている。小さいけど確かな存在感に目を奪われた。花に背を向けてベンチに並んで座る。沈黙に心のざわめきが大きくなるが、爽やかな外の風がそれを和らげた。「病院来るの懐かしいな」 そうだ。今来ている病院は、翠が事故にあった時、長い間お世話になった病院だった。「覚えてるか?翠が目覚めたときのこと」「うん。覚えてる」 あの時の世界が真っ黒になった感覚は今でも忘れられない。思い出すだけで指先が震えて、息が詰まる。そっと触れられた蓮の手からも震えが伝わった。「あの時俺、絶対陽菜のそばから離れないって誓ったんだ」「……うん」 蓮の声がいつもよりも低くて、真剣な話だと察する。「出来ることなら俺が一番近くで陽菜を支えていたいって思った」 蓮に視線を向けると、どこか遠くを見つめているようだった。私は足元に視線を落とす。「陽菜、別れよう」「え」
♢♢♢ 俺は今どこにいるのだろう。俺の意識は暗い世界の中に閉じ込められてしまっていた。薄っすらと大切な人の声が聞こえてくる。でも、頭が痛くて目を開けることが出来ない。まるで、頭の中を直接鈍器で殴られているようだ。頭の痛みに耐えていると目の前に光が見えた。それに向かって歩く。光に触れたところで視界が暗転した。次の瞬間、ざわざわとした音が聞こえてくる。 ――なんだ? 「翠!早く行こ!」 ――これは、プール?「翠って案外ビビりだよな」 ――これは、三人でホラーを見てるのかな。「翠!これ食べてみて」 ――あ、陽菜があーんしてくれてる。「翠!ゲームしよ!」 ――これは、夢?「翠!大好き!」 ――っ。違う。これは…… 「翠!」「翠」 ――これは、俺の記憶だ。 事実に気づき、次から次へと映像が流れ込んできた。閉じた瞼の奥に涙が溜まる。温もりが頬を伝った感覚があったが、もう少し思い出に浸っていたかった。そこで、とある思い出が頭の中を流れて、思わず息を飲み込む。心が温かくなり、頬の筋肉が緩んだ。そして、小さい声が頭の中に響く。「私ね、おはようって言葉が一番大切なんだ」「そうなの?」 夜空を見上げた陽菜の横顔をじっと見つめる。どこか憂んだ表情の陽菜から目が離せなくなった。「どんなに憂鬱な朝でも、おはようって聞くだけで、やる気が出てくる気がするの」 少し微笑んだ陽菜の口元からは優しさが滲み出ていた。宝物を触るように大切に言葉を紡ぐ。「おはようって言われるだけで気持ちが晴れる気がするんだ。だからさ――」 そして、陽菜は大きく深呼吸をしてからゆっくりと俺の方を向いた。「これからも一番におはようって言ってくれる?」 そうだ。あの時俺は、これからも一番におはようを伝える存在になるって誓ったんだ。それなのに。それなのに……。 大きく息を吸えば、今度は川辺に腰掛けている陽菜の横顔が頭の中に流れてくる。「いつもありがとう。翠がおはようって言ってくれる
ある休みの日、眠っているとスマホの着信音が鳴った。私はスマホを手に取り、寝ぼけた頭で通話ボタンを押す。『陽菜、おはよう。今大丈夫か?』「おはよう。大丈夫だけど、どうしたの?」 声で蓮だと気づいた。電話越しだと蓮の声が低く聞こえて、不意にドキッとする。『今から家、来れないか?』「いいけど……」『じゃあ待ってるな』 それだけ告げると通話は切れてしまった。「あっ……」 私は暗くなった画面を見つめる。ゆっくりと体を起こし、あくびをした。「顔洗お……」 私は洗面所に行って顔を洗う。ひんや
短かった冬休みが明け、新学期になった。「陽菜ー」 教室に入って椅子に座ると、志織が駆け寄ってくる。「あけましておめでとう」「あけましておめでとう、志織」 ニコッとした笑顔でお互い挨拶を交わす。すると志織は私の前に座り、ぐでっと机にうなだれた。「もう後ちょっとで三年生じゃんー……」「一年、あっという間だったね」 志織は眉を寄せて唇を尖らせる。私はそんな志織を見て微笑みを浮かべた。「ほんとに。昨日まで一年生だった気分」「それは遅すぎかも」 私は志織の言葉にクスッと笑う。それに釣られ
「あけましておめでとう」 私たちはお正月、近くの神社で待ち合わせをしていた。「あけましておめでとう、陽菜」 蓮が優しく微笑む。私は手を振りながら蓮に近づいた。「お参りするか」「そうだね」 私たちは参拝客の列に並ぶ。私たちの前にはカップルらしき二人が並んでいて、腕を組んで仲睦まじそうに顔を寄せ合っていた。「屋台もいっぱい並んでるね」「結構豪華だよな」 私は周りを見渡す。参拝客だけでなく、屋台の前にも人がたくさん集まっていた。「お参りってどうやるんだっけ?」 私はふと思ったことを口に
カーテンの隙間から一筋の光が差した頃、私は目を覚ました。目をこすりながら体を起こす。「おはよう」「うん、おはよう……」 先に起きていた蓮はすでに着替えていて、優しい笑みで迎えてくれた。「眠そうだな」「んー……」 私はうとうとしながら、ベッドの上に座っていた。「顔洗ってきたら?」「……そうする」 私はふらふらした足取りで階段を降りる。うっすらとした視界でお風呂場の扉を開くと誰かにぶつかった。「あ、ごめん」 そこで少し意識がはっきりする。「陽菜、おはよう」「おは







