「おはよう」って云いたい

「おはよう」って云いたい

last updateLast Updated : 2025-11-21
By:  桜庭結愛Updated just now
Language: Japanese
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『おはよう』 それは当たり前の言葉のはずなのに、私にとっては特別な想いが込められた合図だった。  高校2年生の朝倉陽菜は、幼馴染の瑞樹翠に長年恋心を抱いている。しかし、翠が交通事故で記憶を失い、陽菜の存在すら忘れてしまう。  さらに「翠の彼女」を名乗る少女が現れ、陽菜の心は揺れ動く。  支えてくれたのは、翠の双子の弟・蓮。彼と「お試し」で付き合い始めるが――。 すれ違う想い、叶えたい願い。 「おはよう」と笑い合える日々を取り戻すための、切なくて甘い青春恋愛ストーリー。

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Chapter 1

プロローグ

「おはよう」

この言葉で今日も一日が始まったと実感する。

私にとって習慣でもあり、おまじないでもあるこの言葉は、私を明るく、前向きにさせてくれる。

いつからだろうか。かつて私を照らしてくれたその言葉も、今では胸の奥に重く沈み、ただ痛みだけを残していく。

高校二年生の四月。陽菜ひなは、流れ作業のように学校に向かっていた。教室に入ると、ざわめきが耳の端をかすめる。窓側の一番後ろの席に腰を下ろし、クラスの喧騒から逃れるように窓の外を眺めた。校庭には、桜が生き生きと枝を伸ばしていた。まるで長い冬の間、この瞬間を待ち焦がれていたかのように、花びらは一斉に開き、風の流れに身を任せて揺れていた。

「陽菜、おはよう」

後ろから聞き慣れた声が響く。少しだけ目線をそちらに向けた。

「……おはよう」

以前は特別だと感じていたその言葉も、今ではただの飾りのように思えた。

もしかしたら、声の主が自分の求めている存在かもしれない――そんな淡い期待も、今は色あせてしまった。

視線を窓の外に戻す。校庭の桜は春の光に輝き、風に揺れているというのに、私の心の中はぽっかりと空いた穴のように、彩りを失っていた。それでも、私の世界は静かに時間が過ぎていく。騒がしい教室とは反対に、今日もひっそりと一日が始まろうとしていた。

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プロローグ
「おはよう」 この言葉で今日も一日が始まったと実感する。 私にとって習慣でもあり、おまじないでもあるこの言葉は、私を明るく、前向きにさせてくれる。 いつからだろうか。かつて私を照らしてくれたその言葉も、今では胸の奥に重く沈み、ただ痛みだけを残していく。 高校二年生の四月。陽菜は、流れ作業のように学校に向かっていた。教室に入ると、ざわめきが耳の端をかすめる。窓側の一番後ろの席に腰を下ろし、クラスの喧騒から逃れるように窓の外を眺めた。校庭には、桜が生き生きと枝を伸ばしていた。まるで長い冬の間、この瞬間を待ち焦がれていたかのように、花びらは一斉に開き、風の流れに身を任せて揺れていた。 「陽菜、おはよう」 後ろから聞き慣れた声が響く。少しだけ目線をそちらに向けた。 「……おはよう」 以前は特別だと感じていたその言葉も、今ではただの飾りのように思えた。 もしかしたら、声の主が自分の求めている存在かもしれない――そんな淡い期待も、今は色あせてしまった。 視線を窓の外に戻す。校庭の桜は春の光に輝き、風に揺れているというのに、私の心の中はぽっかりと空いた穴のように、彩りを失っていた。それでも、私の世界は静かに時間が過ぎていく。騒がしい教室とは反対に、今日もひっそりと一日が始まろうとしていた。
last updateLast Updated : 2025-11-01
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第一話——翠のお見舞い
教室の喧騒の中、いつものように窓の外を一人静かに眺める。かつて刺激が強かった日差しも今では日常の中に溶け込んでいた。 「陽菜」 考えすぎて幻聴が聞こえたのだろうか――ぼーっと校庭にいる人を観察していると、肩を叩かれ思わずそちらに顔を向ける。心配そうな顔をした蓮がすぐ近くに立っていた。 「……どうしたの?」 「ずっと呼んでたんだけど、大丈夫か?」 「ごめん。気づかなかった……」 「いや、別に。それより放課後どっか行かね?」 答えを待つようにじっと見つめられ、逃げるように視線を下に向ける。 「……また行くのか?」 先ほどよりも声が小さくなったことに驚き、思わず蓮の方へ視線を戻した。眉間に皺を寄せ目尻が下がっている。不安そうにこちらを見つめていた。今にも泣きそうな表情をしている蓮を見て、胸が締め付けられるかのように苦しくなる。それでも私の答えは変わらず、いつも通りの言葉を返した。 「行くよ。それが私にできることだから」 「そうか。あんまり考えすぎるなよ。」 「……ありがとう」 言葉を探したけれど見つからず、私はただ口を噤んだ。 重たい沈黙が胸の奥に沈んでいく。その静けさを破るように聞き慣れたもう一つの声が響いた。 「やっほー陽菜」 「あ、|志織《しおり》……」 中学からの親友である志織は、このようにクラスが違っていても毎日声をかけてくれる。塞ぎ込んでしまった私にとって志織は大切な存在だ。 「春休み挟んだからすごく久しぶりだね」 「そうだね」 この光景も見慣れてきたな、と思うたびに胸の奥に寂しさが広がる。 たった一つの色が消えただけで心に穴が空いたようだった。その色は私の世界の大半を占めていたのだ。 チャイムが一日の終わりを告げると肩の力が自然と抜けた。何かに引っ張られるかのように、私は校庭へ足を進める。ピンク色の絨毯を踏みしめて校門を出ると、家とは反対の方向へ歩き出した。 非日常だった生活も、いつの間にか日常へと変わってしまう——そう感じざるを得ない足取りで私は日常となった道を歩き進める。 しばらく歩いていると白い横長の建物が目に入った。自動ドアを通り、少し微笑んだ女性に名前を告げる。 「こんにちは、朝倉です。」 受付を済ませ、彼のいる病室へ向
last updateLast Updated : 2025-11-01
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第二話——事故の前の出来事
 あの日から一度も忘れたことのない記憶が、頭の中で次々と蘇った。真剣な目でこちらを見つめる蓮をそっと見返しながら、映像を一つずつ、慎重に言葉にして紡ぎ始めた。 事故が起きる前日、私は学校帰りに商店街に寄っていた。そこで翠のことを偶然目にしたのだ。 私は、翠を驚かせようとして、バレないようにゆっくりと近づく。ふと翠の隣を見ると女性がいることに気が付いた。腕にしがみつき、見上げるように翠を見ている。バレないようにそっと二人から距離を取った。 ――あの子、美咲? よく目を凝らすと同級生の美咲がいた。美咲は私と同じ美術部に所属していて、学校でもよく話す仲だった。翠と会話をしているところは見たことがない。 どうして…?と考えるより先にその場から逃げ出していた。 家に着いて力が抜け、玄関に崩れるように座り込んでしまった。冷静になった途端、なんで、という言葉だけが頭の中を反芻している。 ――二人はどういう関係なんだろう? 翠と美咲が二人で出掛けるほど仲が良いという情報は、私の記憶にない。おそらく蓮と志織も知らないはずだ。そもそも二人は同じクラスでもなければ、家も近くない。考えれば考えるほど様々な思考が流れ込んでくる。 考えても仕方がない――その日はモヤモヤしたまま眠りについた。 翌朝、インターホンが聞こえると同時に目が覚めた。今日は、翠と駅前のカフェに行く約束をしている。しかし陽菜の頭には、昨日の光景が焼き付いて離れない。思い出しては胸が締め付けられ苦しくなる。 ――どんな顔して翠と会えばいいの? 布団に潜ったままでいると、トン、トン、という一定のリズムが聞こえてきた。扉の前に誰かが立ったのだろう。ノックの後にいつも通りの声が聞こえた。 「陽菜、おはよう」 一瞬、時が止まったかのようだった。いつもは聞きたい声でも今は一番聞きたくなかった。一生懸命絞り出して出た声は自分でも驚くくらいに低かった。「……帰って」 翠も驚いたのだろう。扉の向こうから息を呑む気配が伝わってきた。「陽菜、?どうしたの?」「いいから!帰って!」 大きな声を出してすぐに後悔が襲ってきたが、様々な感情が蜘蛛の巣のように絡まっていて言葉を制御することができない。「早く帰ってよ!」「大丈夫?体調悪いの?扉開けていい?」 混乱しているのだろう。早口で翠が問いか
last updateLast Updated : 2025-11-01
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第三話——蓮とお出かけ
……ンポーン ピーンポーン 「はーい」 「ほら、学校行くぞ」 「うん。って、そんなにインターホン鳴らさなくても聞こえてるから」 「めざましだよ」 あれから私たちは二人で登校することが増えた。図書委員の仕事は中間テストの前で休みのようだった。志織ともよく喋るようになり以前の彩りを取り戻しつつある。 「なぁ、今日病院の後どっか行かねーか?」 そして、蓮と病院に行くことも習慣化していた。それ以外の誘いが蓮からあったことはないが―― 「ん?」 ――聞き間違えだろうか。 「もう一回言ってくれない?」 「だから、病院行った後どっか行かね?って」 目が点になるとはこのことだろう。突然のことで言葉を噛み砕くことができない。 「えっ、と……」 「なんか用事あるのか?」 「特にない、けど」 「けど?」 「いや……いいの?」 「何がだよ」 「だって、女の子と二人で出かけるの嫌だって」 以前女の子に誘われて、「女と二人は無理」とまっすぐ言い切るのを目撃した。言い方はどうかと思うが、一人に許可をすると次々と誘われるためお決まりの返しをするようになったのだろう。 「めんどい女が寄ってくるのは嫌なんだよ」 「あー……」 確かに蓮の周りに寄ってくる女の子は少しクセのある子が多い。 私なら学校に来るのも億劫になりそう――モテる人の悩みなのだろうか。 「そんなことはいいんだよ。空いてるか?」 「空いてるけど……私も女だよ?」 「知ってるわ」 「蓮がよく言ってる、女と二人、だよ?」 「あー……」 言いたいことが伝わったのだろう。少し呆れたようにため息をついて気怠そうに言葉をこぼす。 「お前はめんどくない」 「へ……?」 「お前はめんどくないから別にいいんだよ」 あまりにもさらっと言われたその言葉に思わず心臓が跳ねた。なんでだろう。別に大した意味なんてないはずなのに。 ――幼馴染として特別扱いしてもらえるのは嬉しいな。 ちらっと蓮を見ると、頬がほんのり赤い。思わずくすっと笑ってしまい蓮が唇を尖らせてこちらを見た。 「早く病院行くぞ」 「分かった分かった」 少し拗ねている蓮を見て心の真ん中から温もりが広がってくる。桜の枝がふわふわ揺れるたび、胸の奥も柔らかく揺れる気がした―― 病室を出た後、いつ
last updateLast Updated : 2025-11-01
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第四話——消えた温もり
 最寄りの駅に到着して、見慣れた近所の道を静かに歩く。手は繋いだままだった。 「もう手は繋がなくてもいいんじゃない?」 少し照れ臭くて蓮から顔を逸らして言う。 長い沈黙が二人の間に流れる。今の言葉、良くなかったのかな、と考えていると、突然充電が切れたかのように蓮の足が止まった。私に向けた顔からは、何かに怯えるような目が覗いていた。震えた声で蓮は言う。 「さっきの告白の件だけど、忘れてくれていいから」 「……え」 「いや、もちろん少しでも意識してくれたら嬉しいけど、陽菜のこと困らせたいわけじゃないし」 「……」 何も言えなかった。ただ、勇気を出して伝えてくれた言葉を無かったことにはしたくない。私が口を開くより先に、蓮が言葉を続けた。 「怖かったんだ。もう今までの関係じゃいられないと思うと……」 抱えきれなくなった不安を落とすように、次から次へと口にする。 「陽菜が遠くに行っちゃうような気がした。心も、物理的にも。俺は何よりも陽菜が大切なんだ。だから……っ」 そこで蓮は言葉を詰まらせる。やがて、蓮は開きかけていた口を閉じた。 蓮から会話のバトンを受け取り、一番伝えたいことを告げる。 「離れていかないよ」 決意に満ちた視線で蓮のことを見つめた。思っていたこと全てを取り逃さないように、途切れさせることなく言葉を紡ぐ。 「絶対、どこにも行かない。蓮の気持ちも忘れない。私は嬉しいよ、蓮に好きって言われたこと」 蓮は無言のままだった。言葉の意味を確かめるように、じっと私を見つめている。 「私にとって翠と蓮は同じくらい大切な存在だよ。だからさ、蓮も自分の気持ちを大事にしてよ。忘れてなんて言わないで。」 告白を断った私にそんなこと言う権利がないのは分かっている。でも、蓮がどれくらい勇気を持って気持ちを伝えてくれたかは理解しているつもりだ。乾いたはずの涙が、また頬を伝う。 涙を堪えるように視線を落とすと、繋がれたままの右手をそっと引かれた。その瞬間ふわっと全身に温もりが広がる。 蓮に抱きしめられたのだと理解するのに数秒かかった。上からは鼻を啜る音が聞こえてくる。顔は見えないがきっと泣いているのだろう。広がった温もりが少しずつ安心に変わっていくのを感じ、心の奥までじんわりと染み渡るようだった。 ――暗闇の中、しばらく二
last updateLast Updated : 2025-11-10
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第五話——絶望と決意
 ――すみません。どなたですか?  私は気づいたらロビーの椅子に座っていた。翠の言葉を聞いた瞬間感じた、全身が冷えるような感覚が今でも残っている。強い衝撃のせいか、涙すらも出てこなかった。代わりに全身が小刻みに震えている。 待ち望んだ再会がこんなにも辛いとは想像もしていなかった。現実は残酷だな、とどこか他人事のように考えていると、隣から蓮の声が聞こえた。「陽菜、大丈夫か?」 現実に引き戻され、おぼつかない動きで蓮の方に顔を向ける。蓮は私の隣にゆっくりと腰を下ろし、右手をそっと包み込んでくれる。その一部始終を目で追っていると、遅れて来た涙がじわじわと溢れ出した。 すぐに看護師がやってきて私たちに説明をしてくれる。どうやら翠は自分のこと以外の記憶を全て思い出せないようだ。事故の時に強く頭を打ったせいで、脳に後遺症が残ったのだろう。今日は検査をするから帰った方が良い、とだけ私たちに告げて病室の方に戻っていった。  蓮が両親に電話で事情を伝えてから帰路につく。私はぼやけた視界の中、蓮の後ろをうつむきながら歩いていた。二人静かに歩いていると、突然蓮の足が止まり、それに反応できずにぶつかってしまう。「いてっ、なんで止まるの」「そこの公園入ろうぜ」 私たちは帰り道の途中にある公園に入った。小さい頃からよくこの公園で遊び、泥だらけになってお母さんに怒られたのを昨日のことのように思い出せる。花見をした公園とは違い、ブランコが二つとベンチが一つだけの小さい場所だが家のような安心感があった。 当然のようにブランコに二人で並んで座る。何か話したいことがあるのだと思い、蓮が話し出すのをじっと待った。私も話したいことはあるがすぐにはまとめられそうにないので会話の先手を譲る。 しかし、私の考えとは違ったようで蓮は不思議なことを口にした。「とりあえずブランコ漕ぐか」 ――ブランコを漕ぐ?「え、なんで……」「そりゃブランコに座れば漕ぐだろ」 何を当たり前な、と言いたげな表情でこちらを見る。高校生の私たちが並んでブランコを漕ぐ光景は、周りから見たら不思議に映るかもしれない。 私の心配をよそに蓮はゆっくりとブランコを前後に揺らし始めた。「ほら、楽しいから陽菜もやれよ」「私たちもう高校生だよ?」「年齢なんて関係ねーだろ」 そう言われたので私も渋々ブランコを前
last updateLast Updated : 2025-11-21
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第六話——翠と再会
 あれから数日間、私は変わらず毎日翠の病室に顔を出している。二人で来ていたお見舞いも、いつの間にか一人になった。きっと二人で話せるように気を遣ってくれているのだろう。蓮の優しさに触れるたび、心に針が刺さったような、痛くて温かい感覚が胸に広がる。  病室の外では黒い雲が広がり、水滴が地面を打ち付ける音がしていた。外の景色を見ていると、私の心と重なり胸が締め付けられる。窓の隙間から、生ぬるい風と湿った土の匂いが入り込んできた。病室にいる翠に視線を移すと、眩しい笑顔で迎え入れられる。翠の笑顔を見ていると、天気も心も同じように晴れていくように思えた。 「陽菜、何かあったの?」「ん?どうして?」「ちょっと疲れた顔してる」「んー……まぁちょっと嫌なことがあったって感じかな」 ベッドのそばに膝を立てて、腕を枕のようにして顎を預ける。そんな体勢で翠の顔を見上げていると、揺れるような表情をこちらに向けられた。翠の曇った顔を見たくなくて、少し微笑んで咄嗟に言葉を濁してしまう。翠は眉を顰め、顎に手を当てて何かを考えていた。 「無理してない?」「え?」「雰囲気かな。いつもと違う気がするんだよね」「……」 確かに今日の私は良い気分ではなかった。隠しているつもりだったが、翠にはバレていたらしい。ちょっとした変化にも気づくほど私のことを見てくれている、という気がして、自然と口角が上がってしまう。翠がベッドの上で体勢を変えた拍子に軋んだ音で、現実に引き戻された。一度悩みを忘れよう、と改めて気を引き締め直し、翠に向き直る。翠との時間は明るい空気を保ちたかった。 「大丈夫だよ。確かに嫌なことはあったかもだけど、翠の顔を見たら全部忘れちゃった」 私の言葉を受け入れられなかったのか、不安そうな表情は変わらなかった。それでも穏やかな笑みを向けてくれる。その表情で私の口角も自然と緩んだ。  しばらく翠の顔を見つめていると、突然腕がこちらに伸びてきた。思わず体が跳ねてしまい、顔をシーツに向ける。すると頭にそっと温もりが伝わった。そのまま私の頭を撫でると、柔らかい声で言葉をこぼす。「なんか、陽菜って甘やかしたくなるんだよね」「……え?」 驚いた。翠が事故に遭う前も同じ会話をしたことがある。記憶が戻ったのかも、という期待は、翠の一言で消えていった。「事故の前も思ってた
last updateLast Updated : 2025-11-21
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第七話——嬉しい知らせ
 今日も蓮と二人、同じ道を歩いて学校に向かう。最近は学校に行くのが少しだけ憂鬱だった。しかし蓮に悟られないように、いつも通りを装う。 下駄箱は男女で分けられており、女子の下駄箱の裏側が男子になっている。私は自分の下駄箱を開けて思わずため息をついた。 ――まただ。 丸められたプリントの切れ端や、悪口の書かれた白い紙。ここ数日、ゴミが入れられていたり教科書が隠されたりと小さな嫌がらせが続いている。原因はきっと、蓮との距離が近くなったことだ。 元々蓮は顔も良くて勉強もできる。だから人一倍モテるけれど、彼は告白されても冷たく突き放す。そのせいで女子に恨まれることも少なくなかった。そしてその流れ弾は決まって私に飛んでくる。 ――悲しいというより、もう呆れるしかない。 今のところ直接的な被害はないため、誰にも相談はしていなかった。蓮や志織に相談すれば、二人が獲物も狙うような目つきになるのが容易に想像できた。 病室で翠にいつもと違う、と言われたのはきっとこれが原因だろう。 それでも笑顔を作りながらいつも通りの生活を続けていた。 今日は蓮と一緒に病院へ向かう。二人でお見舞いに行くのは久しぶりだった。 病室の扉を開けると、ベッドに座り、窓の外を眺めている翠がいた。ゆっくりとこちらに視線を向け、少し目を丸くしたがすぐに目尻を下げ、いつもと同じ穏やかな表情になる。 「ねぇ翠聞いて!」と、子どもみたいに翠にあれこれと話しかける。翠は満面の笑みを私に向けて、「そうなんだね」と頷いていた。花が咲いたような温かい笑顔の翠に対して、私も自然と柔らかい表情になる。 「お前ら親子かよ」 「んなっ、私が子どもだって言いたいの?」 「そりゃそうだろ」 「蓮にだけは言われたくないです〜」 私たちの会話に、「まぁまぁ」と翠が間に入る。 三人でいると家族のような、ほっこりとした空気感があった。 何気ない会話をしていると、突然翠が何かを思い出したかのように、目を見開いて私たちを交互に見た。嫌な予感がし、思わず身体が強張る。すぐに翠の頰が緩み、自然と肩の力が抜けた。目尻を下げ口角を上げた翠は、一度座り直し背筋を伸ばす。ベッドが軋む音がした。 窓の隙間から入り込む風に乗って、心地よい声が耳に伝わる。 「そういえば、明日退院なんだ」 い
last updateLast Updated : 2025-11-21
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第八話——戻ってきた日常
 次の日の朝、いつも通り準備を終わらせ、インターホンが鳴るのを待っていた。 ピーンポーン。 私を呼ぶ音が家中に響いた。「はーい」「よぉ、準備は終わってるな」「もちろん」 靴を履いてさらに扉を開けると、蓮の後ろに翠が立っていた。「あ!翠も来てくれたんだね!おはよう」「うん。おはよう、陽菜」 少し変わってしまった私たちの会話に少し寂しい思いをしたが、翠と朝から話せているという事実が何よりも嬉しかった。「三人で登校するのは久しぶりだねー」「そうだな」 歩きながらそう話して、事故の前までは翠と二人で登校していたこと、昨日までは蓮と一緒に登校していたことを簡単に伝えた。翠は終始頷きながら話を聞いていた。「そうだったんだね。だから、二人は仲良かったんだ」「仲良い感じあった?」「あったあった」 揶揄っているのではないかと疑問の目を一瞬向けたが、翠に限ってそれはないな、と一人で解決をする。細めた目のまま蓮の方に視線を向けた。蓮は悪い笑みを浮かべて私たちを交互に見ている。私は思わず身構えた。「まぁそれもあるけど、なぁ?」 相変わらず不敵な笑みを浮かべて私に言葉を投げる。何を言いたいのかはその表情で分かった。先手を取られる前に、誤魔化しの言葉を紡ごうとすると、道の内側を歩いている翠に遮られた。「なにかあったの?」「いや……」 無垢な瞳をこちらに向けてきて、思わず左に視線を逸らしてしまう。視線の先にいた蓮が、不自然に口角を上げて告げた。「こいつが泣いてたときに、二人で話したんだよ」「蓮も泣いてたでしょ!」「俺は泣いてねーよ」 きっと蓮は、翠が目を覚ましたあの日の話をしている。あの日泣いていたのは私だけだったが、恥ずかしいので蓮を巻き添えにした。言い合う私たちの隣で、翠は考え込んでいる様子だった。やがて、翠が口を開く。「それってもしかしなくても、俺のことだよね……」 翠の表情を見て、驚きと後悔が入り混じった感情が心に押し寄せた。咄嗟に蓮と目を合わせ、励ましの言葉を紡ぐ。「違……くは、ないけど、翠のせいじゃないよ」「……そう?」 嘘をつきたくなくて、中途半端な言い方をしてしまい、胸がチクリと痛む。蓮の方をそっと見ると、やれやれ、と言わんばかりに首を振っていたが、少し微笑んでいる表情を見て心が軽くなったように感じられた。 それから
last updateLast Updated : 2025-11-21
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第九話——志織との夏休み
 夏休みに入って数日間、私はひたすら白い天井を眺めていた。「暇だなー……」 誰もいない部屋に、私の声だけが響いた。立てられた予定も、全て八月に入ってからのため、七月は特になにもすることがないのだ。宿題はあるのだが、まだやる気は起きていない。きっと最後の方に慌てて終わらせるのだろう、と他人事のように考えていた。「……暇すぎる!」 誰に聞かせるわけでもない声が部屋中に響いた。換気のため窓を開けており、部屋中に生ぬるい空気が蔓延している。暑さもやる気のなさの原因だと思い、窓を閉め、部屋の空気を冷やした。冷静になった頭で今後のことを考える。  ――あ、そうだ! 誰かを遊びに誘おうと思い、電話帳を開く。やがて、その名前を見つけ、発信ボタンをタッチした。ワンコールもしないうちに相手が電話に出る。  ――もしもし?「あ、志織!今暇?」『暇だけど……陽菜から電話って珍しいね』「そうなんだよー暇すぎてそろそろ干からびそう」『それはわかる』 電話をかけた相手は親友の志織だった。最近一緒に出かけてないな、と思いつき、連絡をしたのである。「そっちの方に良いお店ない?」『あ、そういえば、陽菜に紹介しようと思ってたお店があったんだ』「ナイス!志織」『少し私の家から離れてるけど平気?』「全然平気!今から志織の家、向かうね」『りょ〜かい』 とんとん拍子で今日の約束を取り決め、準備をして志織の家まで向かう。最寄り駅から二駅のところにある、大きなスーパーの近くに志織は住んでいた。朝九時とは思えない暑さに耐えながら十分ほどの道のりを歩く。そこまで距離は変わらないのに、背景にある緑が少なくて、その違いに目を丸くした。建物に日差しが反射して、思わず目を細める。すると、視界の先にクリーム色の建物が浮かび上がった。 扉の前に立ち、インターホンを押す。少しして、家の中から物音が聞こえた。扉を少し開き、家の主が顔を覗かせる。「遥々お疲れ様〜」「急なのにありがとう」「良いの良いの。ちょうど私も陽菜に会いたかったから」「さぁどうぞ」と扉を押し開け、部屋まで案内してくれる。私とは違う、黒を基調とした部屋に胸が躍った。突然の訪問にも関わらず、整理整頓がされているところに、志織の性格を感じる。  私が部屋をキョロキョロ見ていると、志織が口を開いた。「暑かったでしょ?
last updateLast Updated : 2025-11-21
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