LOGIN翌朝私は、期待で胸がざわめき、アラームよりも早く目覚めてしまった。足音を立てないように静かに歩き、窓の外を眺める。水平線から太陽が顔を覗かせ、煌めいた海が優しく波を立てていた。後ろから微かな物音が聞こえたが、目の前の景色から目を離すことができない。
「陽菜、おはよう」 当たり前の挨拶なのに私は翠からその言葉を言われるのが一番嬉しかった。昨日の可愛いという言葉よりも。 朝から明るい気持ちになり、笑顔で翠と挨拶を交わす。 「おはよう、翠。今日もいい天気で良かったね」 「そうだね。いい一日になりそう」 「今日は何するんだろうねー!」 「ふふっ、少し声落とそうか」 翠と話せていることに気分が高揚し、思わず声が大きくなってしまう。翠の人差し指が私の唇に当てられ、咄嗟に口を閉ざした。後ろから布団が擦れる音が聞こえる。起こさないように私たちは最後までご覧いただき、本当にありがとうございました。 当初は十万字ほどで終える予定だったこの物語ですが、気づけば想像以上に長い作品となっていました。ここまで読み進めてくださった皆さまには、感謝の気持ちでいっぱいです。 初めての執筆ということもあり、書き方に悩んだり、思うように筆が進まなくなったりした時期もありました。それでも、応援の言葉に何度も背中を押していただき、最後まで書き切ることができました。本当にありがとうございました。 少しだけ、この物語についてお話しさせてください。 私はこの作品を書き始めた時、結末を決めていませんでした。大まかな流れだけを考え、あとは登場人物たちの感情に寄り添いながら書き進めていこうと思っていたからです。 ですが、物語を書いていくうちに、私はどの登場人物のことも大好きになっていました。だからこそ、何度も結末に悩みました。考えるたびに違う答えに辿り着くこともありました。 今回の結末は、その中の一つです。 もしかすると、読んでくださった皆さまの中には「別の結末が見たかった」と感じた方もいるかもしれません。でも、それもまた一つの答えなのだと思っています。 もしこの物語の続きを、あるいは別の未来を、皆さまが心の中で思い描いてくださるなら、作者としてこれ以上嬉しいことはありません。 そして、この作品に登場したキャラクターたちを少しでも好きになっていただけていたら幸いです。私にとって彼らは、いつの間にか我が子のように愛おしい存在になっていました。 長くなってしまいましたが、改めて、ここまで読んでくださったすべての方へ心から感謝を申し上げます。 また別の物語でお会いできることを願っています。
「何で蓮もいるの?」 翠は不満そうに唇を尖らせた。 私たちは学校終わりに駅前のカフェに来ていた。二人ではなく、三人で。「二人で行かせるわけないだろ」「独占欲強いと嫌われるよ?」 翠は目を細めて蓮に視線を向ける。蓮は余裕そうな笑みを浮かべていた。「まぁまぁ」 私は笑って翠と蓮の間に入る。いつもは大人っぽい翠が、何だか子どもみたいで思わず笑ってしまった。「翠にも子どもっぽいところあるんだね」「もう、陽菜まで……」 揶揄うような笑みを浮かべて、翠の肩をつつく。翠は苦笑を浮かべてため息をついた。「もういいや。早く注文しよう」 翠は諦めたように肩を落とし、店員を呼んだ。「待って! まだ決まってない」 私は焦ってメニュー表に目を向ける。翠がその様子を微笑んで見守っていた。店員がこちらに近づいてくる。焦る気持ちでメニューが頭に入ってこなかった。「えっとー……」 店員が目の前に来て、翠が注文をする。そこで不思議なことに気づいた。「あれ?」「どうしたの?」 そう。翠がたくさん注文をしていたのだ。「全種類頼んでみんなでシェアすればいいよ。蓮もいることだし」「そっか!」 翠の優しさに心が温かくなる。そこで蓮がクスッと笑った。「なに、蓮」「いや、お前ら親子みたいだよな」「なっ!」 私は頬を膨らませて言う。「また子ども扱いしたでしょ!」「ちげーよ」 蓮は少し顔を逸らした。そして肩を揺らしながら笑っている。「もう!」「可愛いからつい、からかっちゃうんでしょ?」「え」 翠の言葉に私は目を見開く。蓮を見ると恥ずかしそうに頬をかいていた。「まぁな」 私は照れて顔が赤くなる。両手で頬を包んだ。「嫌だったらやめるよ」 そう言って蓮が申し訳なさそうにこちらを見る。そんな表情を見て胸がチクッとした。「大丈夫! 嫌じゃない」「ほんとか?」「ほんと!」 顔をぐいっと近づけて否定する。蓮は目を見開いたがす
「おはよう、陽菜」「おはよー」 私は、毎朝翠と登校することにした。初めは蓮も一緒に行くと言っていたのだが、いつまでも図書委員の仕事をサボるのは良くないため、頑張って説得した。「眠いね」「本当だ。目が眠そう」 目を擦っている私を見て、隣で翠がクスッと笑う。翠はというと、全然眠そうではなく、何なら元気だ。「運動部だから違うのかな……」「何が?」 ハッと翠の方を見る。全部口に出てしまっていた。「運動部だから体が丈夫なのかなって」「あぁ、そういうことね」 あはは、とさっきよりも大きな声で笑うと、翠は自分の体を見た。私は恥ずかしくて顔を逸らす。 すると、グイッと思いっきり体を引かれた。「わぁ!」 私の左横をものすごいスピードで車が通る。車の風で髪が靡いた。「危なかった……」 隣で翠が安心したように、息をつく。「ごめん。ありがとう」「いえいえ」 翠が守ってくれていなかったらと考えると身震いをしてしまう。「ほら、こっちおいで」 そう言って道路とは反対側に私を移動させる。さりげない配慮に心が温かくなった。「そうだ」 翠は思い出したように、手をパチンと鳴らす。私は首を傾げた。「駅前のカフェ行こうよ」 その言葉に私の心はざわついた。あの日、翠が事故にあった日に行こうとしてたところだからだ。考えていると、左から翠に覗き込まれる。「ダメ?」「ダメじゃない!」 翠の潤んだ瞳のせいで勢いよく答えてしまった。翠はクスッと笑って微笑む。「じゃあ放課後行こっか」 ざわついていたはずの心も翠の笑顔一つで落ち着いてしまう。私はいつまでもこの笑顔を大切にしたいと思った。
私は目をこすりながら走って蓮のところに向かっていた。蓮は先ほどと同じ花壇の前にいた。花の前に立っている蓮はいつもよりも大人びて見えた。「蓮!」「陽菜?」 私は肩を上下しながら膝に手をつく。蓮は目を見開いていた。「早くないか?」「蓮に言いたいことがあって……」 私は大きく深呼吸をして呼吸を整える。私が話そうとすると、先に蓮が口を開いた。「あ……」 蓮は頬をかきながら視線を逸らす。私は不思議に思い首を傾げた。「俺、邪魔だよな。悪い」「え?」 何に対して謝っているのか分からなくてさらに首を傾げる。蓮は下唇を噛んでいた。「帰った方がいいよな。待ってるとか言ってごめん」「……」 焦ったようにどんどん言葉にする蓮を見て、私は一つの可能性に辿り着いた。「あのさ……」「あーそうだった。俺用事があるから帰らないと」 話そうとすると私の言葉を遮って蓮がつぶやく。蓮は帰ろうと荷物を準備し始めた。 ――やっぱりそうだ。 私は確信に至ると蓮の肩を掴んで、言葉をこぼした。「蓮聞いて、あのね」「……」 蓮はついに下を向いてしまった。きっとこの先の言葉を聞きたくないのだろう。珍しく蓮が動揺している。安心させるように、優しい声音で言葉を紡いだ。「蓮……」 蓮の肩がビクッと震える。私は蓮の肩に触れている手に力を入れた。一度深呼吸をして告げる。「私、翠とは付き合わないよ」「……え?」 蓮は顔を上げる。目を丸くし、何度か瞬きを繰り返した。私は優しく微笑む。「私の話聞いてくれる?」「……分かった」 そして、私たちは花壇の近くにあるベンチに並んで座った。どうやって話を切り込もうか迷っていると、蓮が言葉をこぼす。「なんで、付き合わなかったんだ?」「まず、翠と話したこと話してもいい?」「……あぁ」♢♢♢ 私はひとしきり翠の病室で泣いた。ベッドの横でしゃがんで目を擦っていると、翠がハンカチを差し出してくれる。「ごめん、翠……」 私は涙
♢♢♢ 私たちは病室の扉の前で二人の会話を聞いていた。 ――陽菜に勝ちたかっただけなのに! 大きく音を立てて扉が開く。それと同時に美咲が出てきてぶつかりそうになった。「あ……」 美咲は私に鋭い視線を向ける。私はかける言葉が見つからず、下唇を噛んだ。震える手で拳を握る。美咲は私の肩にわざとぶつかって走り去っていった。「大丈夫か?」 よろめいた体を蓮が支えてくれる。私の体の力は完全に抜けていて、立っているのがやっとだった。蓮は走り去っていった美咲の後ろ姿を目で追っていた。「まぁそうなるよな」「うん……」 私たちの間に沈黙が流れる。私は蓮と視線を合わせずに言葉を探していた。静寂の中に足音が響いて、翠の病室の中に消えて行く。少しして、隣から大きく息を吸う音が聞こえた。視線をそちらに向けると、蓮が目を瞑って胸の辺りに手を当てている。私の心がざわざわする。すると蓮の目がゆっくりと開いて、瞳に私の心配そうな表情が映った。「なぁ陽菜。少し二人で話さねーか?」 その言葉に頷いて私たちは病院の中庭に来た。 「ここ初めてきたかも」「そうだな」 ベンチに囲まれた花壇には、赤と黄の花が咲いている。小さいけど確かな存在感に目を奪われた。花に背を向けてベンチに並んで座る。沈黙に心のざわめきが大きくなるが、爽やかな外の風がそれを和らげた。「病院来るの懐かしいな」 そうだ。今来ている病院は、翠が事故にあった時、長い間お世話になった病院だった。「覚えてるか?翠が目覚めたときのこと」「うん。覚えてる」 あの時の世界が真っ黒になった感覚は今でも忘れられない。思い出すだけで指先が震えて、息が詰まる。そっと触れられた蓮の手からも震えが伝わった。「あの時俺、絶対陽菜のそばから離れないって誓ったんだ」「……うん」 蓮の声がいつもよりも低くて、真剣な話だと察する。「出来ることなら俺が一番近くで陽菜を支えていたいって思った」 蓮に視線を向けると、どこか遠くを見つめているようだった。私は足元に視線を落とす。「陽菜、別れよう」「え」
♢♢♢ 俺は今どこにいるのだろう。俺の意識は暗い世界の中に閉じ込められてしまっていた。薄っすらと大切な人の声が聞こえてくる。でも、頭が痛くて目を開けることが出来ない。まるで、頭の中を直接鈍器で殴られているようだ。頭の痛みに耐えていると目の前に光が見えた。それに向かって歩く。光に触れたところで視界が暗転した。次の瞬間、ざわざわとした音が聞こえてくる。 ――なんだ? 「翠!早く行こ!」 ――これは、プール?「翠って案外ビビりだよな」 ――これは、三人でホラーを見てるのかな。「翠!これ食べてみて」 ――あ、陽菜があーんしてくれてる。「翠!ゲームしよ!」 ――これは、夢?「翠!大好き!」 ――っ。違う。これは…… 「翠!」「翠」 ――これは、俺の記憶だ。 事実に気づき、次から次へと映像が流れ込んできた。閉じた瞼の奥に涙が溜まる。温もりが頬を伝った感覚があったが、もう少し思い出に浸っていたかった。そこで、とある思い出が頭の中を流れて、思わず息を飲み込む。心が温かくなり、頬の筋肉が緩んだ。そして、小さい声が頭の中に響く。「私ね、おはようって言葉が一番大切なんだ」「そうなの?」 夜空を見上げた陽菜の横顔をじっと見つめる。どこか憂んだ表情の陽菜から目が離せなくなった。「どんなに憂鬱な朝でも、おはようって聞くだけで、やる気が出てくる気がするの」 少し微笑んだ陽菜の口元からは優しさが滲み出ていた。宝物を触るように大切に言葉を紡ぐ。「おはようって言われるだけで気持ちが晴れる気がするんだ。だからさ――」 そして、陽菜は大きく深呼吸をしてからゆっくりと俺の方を向いた。「これからも一番におはようって言ってくれる?」 そうだ。あの時俺は、これからも一番におはようを伝える存在になるって誓ったんだ。それなのに。それなのに……。 大きく息を吸えば、今度は川辺に腰掛けている陽菜の横顔が頭の中に流れてくる。「いつもありがとう。翠がおはようって言ってくれる
そして、私たちは園内にあるレストランに来た。 「美味しそうなのいっぱい!」 食品サンプルを見て気分が高揚する。ガラスに張り付くように、食品サンプルに見入ってしまった。 「決まったか?」 「……」 集中していると蓮から声をかけられる。私は蓮の言葉に反応することなく、ジーッとメニューを眺めていた。隣からクスッとした笑い声が聞こえて顔を上げる。蓮は優しく微笑んで私の頭に軽く手を置いた。 「ゆっくり決めろ」 「……うん!」 そう返
体育祭の翌々日、私たちは動物園に向かうため、駅までの道を並んで歩いていた。駅に近づくにつれて人の数が増えていく。私は首を傾げて言葉をこぼした。 「結構人多いね」 「平日の朝だからな」 「あ、そっか!」 振替休日だということを忘れていたため、ハッとして目を見開く。それを見てか、蓮は肩を揺らして笑っていた。 改札を抜けてホームに出ると、人で溢れかえっていて、前が見えないほどだった。 「すごい混んでる……」 「次の待つか?」
体育祭当日、いつもよりも早く起きて、身支度を整える。グラウンドと応援席の準備があるため、三十分登校時間が早いのだ。 カバンを手に取り、扉を開ける。「陽菜、おはよう」 階段の下から蓮の声が聞こえて、思わず体が跳ねた。「びっくりした……蓮、待ってたの?」「俺もいるよ」 蓮の後ろからヒョコッと翠が顔を出す。私は階段の途中で止まり、目を丸くした。穏やかな笑みを浮かべた翠を見て頬が緩む。階段を降り、蓮と視線を合わせる。蓮は優しく微笑んで言葉をこぼした。「一緒に行こうぜ」「うん」 私が頷くと蓮は歩き出す。その
今日から体育祭に向けてリレーの練習が始まったようだ。遅くなるから先に帰って良いと言われて、帰ろうと一人で下駄箱に向かう。 靴箱を開けると、久しぶりに丸められた紙が出てきた。大きなため息をついて無造作にそれを開く。目に入った文字に私は思わず声を出してしまった。 「え……」 以前は暴言だけだった紙にはっきりと「男たらし」と書かれている。 ――どういうことだろう? 私が話す男の人といえば







