LOGINStellar事務所からの提案は、すぐに現実のものとなった。
翌週の月曜日、澪は上司から呼ばれた。
「澪、ちょっといいか」
編集長が、珍しく柔らかい表情で澪を見ていた。
「はい」
「Stellar事務所から、君を指名で映像編集の仕事を依頼したいという話が来ている」
「指名、ですか」
「ああ。通常の雑誌の仕事とは別に、彼らの公式YouTubeチャンネル用の映像編集をしてほしいらしい。もちろん、報酬も別途出る」
澪の心臓が高鳴った。
「柊蓮本人が君の編集を気に入ったそうだ。才能を認められたんだな、澪」
編集長の言葉に、澪は複雑な気持ちになった。嬉しい。でも同時に、罪悪感もあった。
自分は、ただのファンだ。プロとして蓮の仕事を評価されているのに、心の奥底では、彼に会いたいという個人的な感情が渦巻いている。
「受けてくれるか?」
「はい、喜んで」
答えは、既に決まっていた。
その日の午後、澪は事務所から送られてきた映像素材を確認した。Stellarの最新ライブ映像、リハーサル風景、メンバーたちの日常。膨大な量のデータ。
そして、その多くに蓮が映っていた。
澪は一つ一つの映像を丁寧に見ていった。編集者として、最も効果的なカットを選ぶ。でも同時に、ファンとして、蓮の表情を追ってしまう。
矛盾している。
でも、やめられない。
編集作業は深夜まで続いた。澪は自宅で、ヘッドフォンを耳に当てながら、タイムラインを調整していく。蓮の歌声が、直接脳に響き込んでくる。
そして、ある映像に気づいた。
リハーサルの合間、蓮が一人でスタジオの隅に座っている場面。カメラは彼を捉えていないはずだったが、たまたま広角レンズの端に映り込んでいた。
蓮は顔を両手で覆っていた。
肩が小さく震えている。
泣いている?
澪は映像を一時停止し、拡大した。確認できない。でも、明らかに彼は何かに耐えているように見えた。
その瞬間は、ほんの五秒ほど。すぐにメンバーの一人が声をかけ、蓮は顔を上げて笑顔を作った。
澪の胸が締め付けられた。
彼は、苦しんでいる。
誰にも見せない場所で、一人で。
この映像は、使えない。いや、使ってはいけない。彼のプライバシーを侵害することになる。
澪はその部分を完全にカットした。そして、蓮が最も輝いている瞬間だけを残した。
でも、心の中に、あの五秒間の映像が焼き付いていた。
翌日、澪は編集した映像を事務所に提出した。すぐに返信が来た。
「素晴らしい出来です。柊本人も大変満足しています。ぜひ、直接お礼を言いたいとのことです。明日、スタジオに来ていただけますか?」
澪は返信を何度も読み返した。
直接お礼。
また、会える。
翌日、澪は指定されたスタジオに向かった。今回は美咲も他のスタッフもいない。澪一人だけ。
スタジオに到着すると、マネージャーが出迎えた。
「お待ちしていました。柊は中にいます」
ドアを開けると、広いスタジオに蓮が一人で立っていた。
黒いシャツに細身のパンツ。シンプルな服装だが、彼が着ると全てが芸術作品のように見える。
「澪さん」
蓮が振り返り、微笑んだ。
「こんにちは」
澪は緊張しながら挨拶した。
「今日は、直接お礼が言いたくて。映像、本当に素晴らしかったです」
「いえ、当然のことをしただけです」
「いや、そうじゃないんです」
蓮は真剣な表情になった。
「澪さんの編集は、他の人と違う。僕たちを『商品』として見ていない。一人の人間として、尊重してくれている」
澪の胸が熱くなった。
「だから、もっと澪さんと仕事がしたい。いや、仕事だけじゃなくて……」
蓮が言葉を詰まらせた。彼の表情に、迷いが浮かんでいる。
「もっと、
澪の思考が停止した。
今、彼は何を言った?
「あの、それは……」
「変ですよね」
蓮が自嘲気味に笑った。
「僕、こんなこと言ったことないんです。でも、澪さんと話していると、不思議と……楽になるんです」
澪は言葉を失った。
「僕、
蓮の声が、少し震えていた。
「でも、澪さんの前だと、なぜか素の自分でいられる気がする。澪さんは、僕の『完璧じゃない部分』も見てくれている気がするから」
昨日見た映像が、澪の脳裏に蘇った。一人で苦しんでいた蓮の姿。
「柊さん……」
「蓮でいいです。蓮と呼んでください」
「蓮、さん」
その名前を口にした瞬間、澪の心が震えた。
蓮が一歩近づいた。
「澪さん、僕と……もっと話しませんか? 仕事抜きで」
澪の頭が真っ白になった。
これは、どういう意味?
「あの、私は……」
「嫌だったら、断ってください」
蓮の瞳が、まっすぐ澪を見つめている。
「でも、僕は澪さんともっと話したい。澪さんのことを、もっと知りたい」
沈黙。
スタジオに、二人の呼吸音だけが響いている。
澪の心の中で、様々な感情が渦巻いていた。
嬉しい。でも怖い。
彼は、自分が三年間のファンだということを知らない。知ったら、どう思うだろう。
「蓮さん、私は……」
「待って」
蓮が澪の言葉を遮った。
「もしかして、澪さん、僕のファンだったりしますか?」
澪の心臓が止まった。
「いや、違う意味で。悪い意味じゃなくて」
蓮が慌てて付け加えた。
「澪さんの編集を見て、思ったんです。この人は、僕たちのことを本当によく見ている。ファンでなければ、ここまで細かい部分に気づかないって」
澪は答えられなかった。
「もしそうなら、嬉しいです。澪さんみたいな人に応援してもらえているなら」
蓮が微笑んだ。
「でも、今の僕は、アイドルとしてじゃなくて、
その言葉に、澪の心が揺れた。
「正直に言います」
澪は覚悟を決めた。
「私は、三年前からStellarのファンでした。いえ、蓮さんのファンでした」
蓮の瞳が、少し驚いたように見開かれた。
「でも、隠れファンです。誰にも言ったことがなかった。握手会にも行ったことがない。ただ、画面越しに見ていただけ」
澪の声が震えていた。
「だから、取材であなたに会えたとき、信じられなかった。そして、こうして話している今も、夢みたいで」
「澪さん……」
「でも、こんな立場で仕事をするのは間違っています。ファンが編集をするなんて、倫理的に問題があります」
澪は深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
沈黙。
澪は頭を下げたまま、蓮の反応を待った。
そして――。
「顔を上げてください」
蓮の声が、優しく響いた。
澪がゆっくりと顔を上げると、蓮が微笑んでいた。
「ありがとうございます。正直に言ってくれて」
「え?」
「僕、嬉しいです。澪さんが僕のファンだったなんて」
蓮が一歩近づいた。
「でも、もう
澪の息が止まった。
「澪さん、僕はあなたのことが好きです」
時間が止まった。
蓮の言葉が、澪の心臓に直接響いた。
「初めて会った時から、気になっていました。取材の時、控室で目が合った瞬間、不思議な感覚があったんです」
蓮の瞳が、澪を真っ直ぐ見つめている。
「そして、澪さんの編集を見て確信しました。この人は、僕を本当に見てくれている。表面的な『アイドル柊蓮』じゃなくて、一人の人間としての僕を」
「待ってください」
澪が思わず声を上げた。
「それは……おかしいです。私はただのファンで、普通の編集アシスタントで……」
「澪さんは
蓮の声が、強くなった。
「僕、今まで何千人、何万人のファンと会ってきました。でも、誰一人として、澪さんみたいに僕を見てくれた人はいなかった」
「でも、私は特別じゃありません。ルックスも普通だし、才能もないし……」
「そんなことない」
蓮が澪の言葉を遮った。
「澪さんは、僕が今まで会った誰よりも特別です」
澪の目に、涙が滲んだ。
「蓮さん、私は……私なんかに、あなたは釣り合いません」
「釣り合う、釣り合わないなんて関係ない」
蓮が澪の手を取った。温かい。
「僕は、澪さんが好きです。その気持ちに、理由なんていらない」
澪の涙が、頬を伝った。
「でも……」
「澪さん、僕と付き合ってください」
告白。
明確な、告白。
澪の世界が、ぐらりと揺れた。
「そんな……無理です」
「なぜ?」
「だって、あなたはアイドルで、私はただのファンで……世界が違いすぎます」
「世界が違う? そんなの関係ない」
蓮の声が、切実に響いた。
「僕、ずっと一人だったんです。誰にも本当の自分を見せられなくて、いつも完璧を演じていて」
蓮の瞳に、涙が浮かんでいた。
「でも、澪さんと話していると、やっと息ができる気がする。やっと、自分でいられる気がする」
「蓮さん……」
「お願いです。拒絶しないでください」
澪は混乱していた。
三年間、画面越しに見ていた彼が、今、目の前で自分に告白している。
信じられない。
でも、彼の手の温もりは本物だ。彼の涙も本物だ。
「私、どうすれば……」
「ただ、受け入れてください」
蓮が澪の手を握りしめた。
「僕の気持ちを」
澪の心が、激しく揺れた。
受け入れる? この現実を?
でも、これは夢じゃないのか? 明日目が覚めたら、全部消えているんじゃないのか?
「時間をください」
澪はやっとの思いで言葉を絞り出した。
「考えさせてください。私には、まだ整理できていないことがたくさんあって」
蓮は少し寂しそうな顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「分かりました。待ちます。でも、逃げないでください」
「逃げません」
「約束ですよ」
蓮が澪の手を離した。その瞬間、澪は寒さを感じた。
「連絡先、交換してもいいですか?」
「はい」
二人はスマホを取り出し、連絡先を交換した。
柊蓮のLINE ID。
それが、澪のスマホに登録された。
スタジオを出る時、澪は何度も振り返った。蓮は入り口に立ち、手を振っていた。
その姿が、どんどん遠ざかっていく。
澪は駅まで歩きながら、起こったことを反芻した。
告白された。
柊蓮に。
現実なのか、夢なのか、もう分からなかった。
その夜、澪は一睡もできなかった。ベッドに横たわりながら、天井を見つめ続けた。
スマホが何度も振動した。蓮からのメッセージ。
「今日はありがとうございました」 「急なことを言ってごめんなさい」 「でも、気持ちは本気です」 「澪さんの答えを、待っています」
澪は返信できなかった。何を書けばいいのか分からなかった。
そして、自分の心に問いかけた。
本当に、この告白を受け入れていいのか?
ファンとアイドル。
普通の女性と、輝くスター。
その距離は、埋められるのか?
でも、心の奥底で、小さな声が囁いていた。
「受け入れたい」
澪は目を閉じた。
運命は、もう動き始めている。
止めることはできない。
交際三ヶ月目に入った頃、澪は異変に気づき始めた。 最初は小さな違和感だった。 編集部で、同僚たちがStellarの話をしている時。「柊蓮って、本当にかっこいいよね」「でも、近寄りがたい感じがする。完璧すぎて」「そうそう。でも、そのギャップがまたいいんだよね」 澪は黙って聞いていた。心の中で、違う、と叫びながら。 彼は完璧じゃない。夜、一人で泣くこともある。疲れて、弱音を吐くこともある。 でも、それは誰にも言えない。 二重生活の重さが、少しずつ澪の心に重くのしかかってきた。 そして、ある日のこと。 美咲が澪に声をかけてきた。「澪ちゃん、最近どう? なんか疲れてない?」「いえ、大丈夫です」「本当に? クマできてるわよ」 美咲が心配そうに澪の顔を覗き込んだ。「無理してない? 仕事、大変?」「少し、忙しいだけです」 嘘をついた。仕事が忙しいのは事実だが、本当の理由は別にあった。 蓮との時間を作るため、澪は睡眠時間を削っていた。夜遅くまで蓮の家にいて、帰宅は深夜二時過ぎ。朝は七時に起きなければならない。 慢性的な睡眠不足。 でも、蓮と過ごす時間は、何にも代えがたかった。「ちょっと休んだら?」「大丈夫です」 澪は笑顔を作った。美咲は納得していない様子だったが、それ以上は追求しなかった。 その夜、澪は蓮の家を訪れた。 ドアを開けると、蓮が心配そうな顔で澪を見た。「澪、やつれてない?」「そんなことないです」「嘘。顔色悪いよ」 蓮が澪の頬に手を当てた。「最近、ちゃんと寝てる?」「寝てます」「また嘘」 蓮が優しく言った。「僕のせいだね。無理させてる」「そんなことないです」「でも――」
秘密の交際が始まって一ヶ月が経った。 澪の生活は、表面上は何も変わっていなかった。朝早く起き、満員電車に揺られ、編集部で仕事をこなし、夜遅く帰宅する。 でも、その日常の合間に、蓮との時間が織り込まれていた。 週に三回、澪は蓮の家を訪れた。仕事の後、夜九時過ぎ。蓮のスケジュールが空いている日だけ。 マンションのエントランスで、澪はいつも周囲を確認してから中に入った。エレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。心臓が高鳴る。 ドアが開くと、蓮が待っていた。「おかえり」「ただいま」 この言葉の交換が、二人の儀式になっていた。 蓮の家では、二人は完全にプライベートな時間を過ごした。 ある夜、蓮は約束通り料理を作ってくれた。和食。鯖の味噌煮、小松菜のお浸し、豆腐とわかめの味噌汁。「すごい。本格的ですね」 澪が驚くと、蓮が照れくさそうに笑った。「母が料理上手で、小さい頃からよく一緒に作ってたんです」「お母様、素敵な方なんですね」「はい。でも、僕がアイドルになってから、あまり会えてなくて」 蓮の表情が、少し曇った。「実家は大阪なんです。年に数回しか帰れない」「寂しいですね」「まあ、これも仕事だから」 蓮はすぐに笑顔を作った。でも、澪には分かった。彼が、家族を恋しく思っていることが。 食事の後、二人はソファに座ってテレビを見た。深夜のバラエティ番組。Stellarも時々出演する番組だ。「あ、これ、先月収録したやつだ」 蓮が画面を指差した。そこには、Stellarのメンバーたちが笑いながらゲームをしている姿が映っていた。「蓮さん、楽しそうですね」「演技ですよ、半分は」 蓮が苦笑した。「バラエティって、求められるキャラを演じなきゃいけないんです。僕はリーダーだから、しっかり者で、真面目な役回り」「でも、実際もそうじゃないですか?」
三日間、澪は答えを出せなかった。 仕事中も、蓮のことばかり考えていた。彼の言葉、彼の表情、彼の手の温もり。全てが澪の心を占領していた。 スマホには、蓮からのメッセージが毎日届いていた。「おはようございます」 「今日も一日、頑張ってください」 「無理に返信しなくていいです。ただ、澪さんのことを考えています」 その優しさが、澪をさらに混乱させた。 そして、三日目の夜。 澪は決心した。 スマホを手に取り、蓮にメッセージを送った。「明日、お時間ありますか? お話ししたいことがあります」 すぐに返信が来た。「あります。どこでも行きます」 翌日の夕方、澪は新宿の静かなカフェで蓮を待っていた。個室のある店。人目を避けるため。 ドアが開き、蓮が入ってきた。黒いキャップに マスク、サングラス。完全な変装。でも、澪にはすぐに分かった。「お待たせしました」 蓮がマスクを外し、微笑んだ。「いえ、私も今来たところです」 二人は向かい合って座った。沈黙。 澪は深呼吸をした。「蓮さん、私……」「はい」「あなたの気持ち、受け取ります」 蓮の瞳が、大きく見開かれた。「でも、条件があります」「何でも聞きます」「まず、私はまだあなたのことをよく知りません。本当の、素のあなたを」 澪は蓮の目を見つめた。「だから、時間をください。ゆっくりと、お互いを知る時間を」「もちろんです」「そして、この関係は秘密にしてください。あなたの仕事に影響が出るのは避けたいから」「分かりました」 蓮が嬉しそうに微笑んだ。「じゃあ、これから僕たち……」「まだ恋人じゃありません」 澪が慌てて付け加えた。「まずは、友達として。そこから始め
Stellar事務所からの提案は、すぐに現実のものとなった。 翌週の月曜日、澪は上司から呼ばれた。「澪、ちょっといいか」 編集長が、珍しく柔らかい表情で澪を見ていた。「はい」「Stellar事務所から、君を指名で映像編集の仕事を依頼したいという話が来ている」「指名、ですか」「ああ。通常の雑誌の仕事とは別に、彼らの公式YouTubeチャンネル用の映像編集をしてほしいらしい。もちろん、報酬も別途出る」 澪の心臓が高鳴った。「柊蓮本人が君の編集を気に入ったそうだ。才能を認められたんだな、澪」 編集長の言葉に、澪は複雑な気持ちになった。嬉しい。でも同時に、罪悪感もあった。 自分は、ただのファンだ。プロとして蓮の仕事を評価されているのに、心の奥底では、彼に会いたいという個人的な感情が渦巻いている。「受けてくれるか?」「はい、喜んで」 答えは、既に決まっていた。 その日の午後、澪は事務所から送られてきた映像素材を確認した。Stellarの最新ライブ映像、リハーサル風景、メンバーたちの日常。膨大な量のデータ。 そして、その多くに蓮が映っていた。 澪は一つ一つの映像を丁寧に見ていった。編集者として、最も効果的なカットを選ぶ。でも同時に、ファンとして、蓮の表情を追ってしまう。 矛盾している。 でも、やめられない。 編集作業は深夜まで続いた。澪は自宅で、ヘッドフォンを耳に当てながら、タイムラインを調整していく。蓮の歌声が、直接脳に響き込んでくる。 そして、ある映像に気づいた。 リハーサルの合間、蓮が一人でスタジオの隅に座っている場面。カメラは彼を捉えていないはずだったが、たまたま広角レンズの端に映り込んでいた。 蓮は顔を両手で覆っていた。 肩が小さく震えている。 泣いている? 澪は映像を一時停止し、拡大した。確認できない。でも、明らかに彼は何かに耐えているように見えた。
取材から一週間が経った。 澪の日常は、いつも通りに戻っていた。朝の満員電車、デスクワーク、先輩の指示、夜遅くまでの残業。でも、何かが違った。 蓮に会ったという事実が、澪の心に小さな変化をもたらしていた。 以前は画面越しでしか見たことのなかった彼が、今は現実の人間として澪の記憶に存在している。彼の声の質感、彼の瞳の色、彼の笑顔の温度。全てが、リアルな記憶として澪の中に残っていた。「澪ちゃん、この記事のレイアウト、もう少し調整してくれる?」 美咲の声で、澪は現実に引き戻された。「あ、はい。すぐやります」 澪はパソコンの画面に集中した。今週号の特集記事――その中に、Stellarのインタビューも含まれている。澪が撮影現場で受け取ったライブ映像を編集し、記事に添える予定だ。 編集作業をしながら、澪は蓮の表情を何度も見返した。インタビュー中の彼、撮影中の彼、休憩中の彼。どの瞬間も完璧で、隙がない。 でも、やはり気になる部分があった。 インタビューの最後、カメラが別のメンバーに向いた瞬間。蓮が深く息を吐き、目を閉じる一瞬の映像。その表情には、深い疲労が滲んでいた。 澪はその部分を拡大し、じっくりと見つめた。「大丈夫かな」 また、同じ言葉を呟いていた。 その時、デスクの電話が鳴った。「はい、編集部です」「あ、すみません。田中美咲さんはいらっしゃいますか?」 男性の声だった。丁寧で、落ち着いた口調。「田中は今、外出中です。ご用件をお伺いできますか?」「実は、先日のStellarの取材の件で、追加の撮影をお願いしたいんです。事務所の者ですが」「追加の撮影、ですか」「はい。今回の記事、かなり好評だったらしくて。それで、もう少し詳しい特集を組みたいという話が出てまして」 澪の心臓が高鳴った。追加取材ということは、また蓮に会える可能性がある。「分かりました。田中が戻りましたら、折り返しご連絡させます」「お願いします」 電話を切った後、澪は深呼吸をした。落ち着け、と自分に言い聞かせる。でも、心は既に浮き足立っていた。 美咲が戻ってきたのは夕方だった。澪は早速、事務所からの電話を伝えた。「追加取材? 珍しいわね」 美咲は興味深そうに言った。「まあ、Stellarは今、勢いがあるからね。もっと深掘りした記事を作るのは悪くないわ」「で
相沢澪が初めて柊蓮を見たのは、三年前の夏だった。 雑誌『SPOTLIGHT』のアシスタント編集として働き始めて半年。先輩に言われるがまま徹夜で記事のレイアウトを調整していた深夜、休憩がてら開いたYouTubeで、偶然その映像に出会った。 新人アイドルグループ「Stellar」のデビューライブ。 画面の中央で歌う青年の瞳が、澪の心を射抜いた。柊蓮――当時二十三歳。黒髪に切れ長の瞳、端正な顔立ちに反して、どこか儚げな雰囲気を纏っていた。 だが澪の心を掴んだのは、彼の容姿ではなく、その歌声だった。 高音の美しさ。言葉の一つ一つに込められた感情の深さ。そして何より、曲の間奏で見せた、ほんの一瞬の――疲れた表情。 きっと誰も気づかなかっただろう。カメラはすぐに別のメンバーに切り替わり、蓮はまた完璧な笑顔を取り戻した。でも澪は見てしまった。その一瞬の、張り詰めた糸が今にも切れそうな顔を。「この人、無理してる」 澪は呟いた。画面を何度も巻き戻し、その瞬間を確認した。間違いない。彼は笑顔の裏で、何かを必死に押し殺している。 それから澪は、柊蓮の隠れファンになった。 隠れ、というのは文字通りの意味だ。職場でもプライベートでも、誰にも言わなかった。アイドルのファンであることが恥ずかしいわけではない。ただ、なんとなく、彼への想いを言葉にすることが憚られた。 自分の気持ちが、単なる「ファン」の域を超えていることに、薄々気づいていたからかもしれない。 仕事から帰ると、澪は小さなワンルームのデスクに向かい、イヤホンを耳に差し込む。Stellarの楽曲を流しながら、自分の編集作業を進める。蓮の声が耳に流れ込むと、不思議と集中力が増した。 週末には必ずStellarの映像をチェックした。YouTubeの公式チャンネル、音楽番組の録画、ファンが撮影した非公式の動画。あらゆる映像を見漁り、蓮の表情を観察した。 そしてあるパターンに気づいた。 蓮は、カメラが自分を捉えていないと思った瞬間、表情が変わる。ステージ上で仲間と談笑していても、ふと視線を落とす瞬間がある。その時の彼の顔には、深い疲労と、どこか諦めに似た影が浮かんでいた。「大丈夫かな、この人」 澪は画面越しに、会ったこともない青年を心配した。握手会やライブに行く勇気はなかった。いや、行きたくな