LOGIN瑛司は翔の部屋へと向かい、突然すねてしまった翔をなだめようとした。瑛司が部屋のドアを開けると、翔は素早く振り返ったが、すぐにまた本棚へ本を並べ始めた。「翔、さっきのはなんだい?パパもママも、年上の人に無礼な態度をとるようには教えていないはずだぞ……」瑛司は翔に近づいた。翔は小さく鼻を鳴らし、バスケットボールをカゴの中に投げ入れた。「僕はもう大きいんだよ、パパ!お世話なんてされたくない!それに……ママが忙しい時は、他の人に面倒を見てもらうより、自分で自分のことくらいできるもん。ママだって、琴音ちゃんの面倒だけ見ればいいんだ。僕のことなんて気にしなくていい!僕はもう大きいんだから!」翔は、怒っている時の瑛司にそっくりなこわばった顔で言い張った。瑛司はすぐに頷いた。「分かった、翔が嫌ならそれでもいい。ママは忙しいから、琴音ちゃんのお世話をするためにシッターが必要なんだ。もう怒らないでくれよ、な?」翔は答えなかったが、瑛司は、彼がまだ子供で感情が不安定なのだと理解しようと努めた。ただ、たとえ自分と妹のシッターであっても、家に新しい人間が入ってくることをまだ受け入れられないのかもしれない。一方、一階では、絵理奈と琴音が花子を離れへ案内していた。そこがシッターの住まいになる。絵理奈は目の前の白い木製のドアを開け、その広い空間を見渡した。「田村さん、ここを使ってちょうだい。寝室が一つと、奥にはキッチン、それからリビングもあるわ。ここの横の通路を通れば、母屋のキッチンに繋がっているから」絵理奈は彼女に言った。「はい、奥様。こんな立派な場所をご用意いただき、本当にありがとうございます」絵理奈は頷いた。「ええ、どういたしまして」その間、琴音はすでに離れへ入り込み、机の下に積み上げられた本を散らかして遊んでいた。「もう、琴音……いたずらしちゃだめよ。花子おばちゃんが来たばかりなのに、すぐにお掃除させるつもり?」絵理奈は小さな娘を見た。「さあ、戻るわよ。花子おばちゃんを少し休ませてあげて……」「やだ、琴音ここで遊ぶの!」琴音は遊びの手を止めずに答えた。絵理奈は目の前に立つ花子を見た。「田村さん、それじゃあ琴音を少しここにいさせてあげてね。私は美咲のところに戻るから」と絵理奈は言った。
「もしもし、明日香……ごめんなさい、まだブティックに行けそうにないわ。娘が今日から幼稚園に入ったんだけど、初日に友達を叩いて泣かせてしまったの。だから置いていくのが心配で……」今夜、絵理奈は友人から何度目かの連絡を受けていた。彼女はブティックの右腕である明日香に謝罪した。まだブティックに行けなかったのだ。「でも絵理奈、明日の朝、注文した生地を全部届けに宮村夫人がここに来るのよ!私は明日、来月のファッションショーについて話し合うために夫人と打ち合わせがあるの!」電話の向こうで明日香が叫んだ。「とりあえず生地の件は担当者に連絡して、任せておくわ。明日時間があればそっちに行くから」絵理奈はリビングのソファに座りながら言った。「デザインは今夜急いで送るわ。服のパターンを作るように指示しておいて。綿素材の生地で何が合うかは明日話し合いましょう。それでどう?」「はぁ……いつまでブティックに来られないの、絵理奈?私たちは毎日あなたに連絡を取ろうと走り回っているのよ、なんてこと!」電話の向こうから、疲れた明日香の愚痴が聞こえてきた。絵理奈はソファに座って頭を抱えた。忙しくなっているブティックの友人たちに申し訳なく思っていた。彼女自身も、滞っている仕事のことが気がかりだった。「明日はブティックに行けるように努力するわ、明日香。でも、琴音が幼稚園から帰ってきてからになるわ。それでもいい?」「ええ、それならいいわ」電話の向こうで明日香が答えた。絵理奈はすぐに電話を切り、黙って座り、鼻の付け根を揉みながら考え始めた。瑛司が書斎から出てきた。数分前、妻が電話で友人と話しているのを耳にしていたのだ。「どうしたんだい?」彼は彼女の隣に座って尋ねた。「ブティックが今すごく大変なの。スケジュールが過密でファッションショーのイベントと重なっているから、みんな私に早く来てほしいと言っているわ。でもあなたも知っての通り、うちの娘は幼稚園でとてもやんちゃでしょう。今日だってお友達を泣かせてしまったのよ、琴音は本当に言うことを聞かないわ、お友達を叩いたの!他の子供たちみたいに、あの子を置いていくなんてできないわ」絵理奈は頭を悩ませている不満を瑛司に打ち明けた。瑛司は、絵理奈が彼や子供たちのため、そして大きくなったキャリアのために一
琴音が初めて幼稚園に行く日は、絵理奈が想像していたほど簡単ではなかった。今朝、彼女は家で多くの騒動を起こした。琴音は絵理奈を悩ませ、朝からずっと文句を言い続けていた。癇癪を起こし、起きるのを嫌がり、幼稚園に行くのを拒否したからだ。「泣くのはもうやめて。ほら、お兄ちゃんはもう学校に行く準備ができてるわよ」絵理奈は娘に制服を着せながら言った。「琴音、幼稚園嫌い!琴音はもう賢いもん!ふん……ママ、どうしてこんなに朝早く起こすの!?琴音、お家でポニーのカートゥーンを見たい!幼稚園行かない!ママなんか嫌い!」琴音は腕を組み、唇を尖らせて叫んだ。「言い訳は聞かないわ!幼稚園に行かなきゃだめ。幼稚園に行かないなら、カートゥーンも見せないし、お出かけもなし、それから——」「行く行く行く!ひーっ……ママの意地悪!ママなんか嫌い!パパだけ好きでいるもん!」琴音は再び泣き出し、ベッドの上で足をドタバタさせた。泣き声が家中に響き渡った。会社に行く準備をしていた瑛司でさえ根負けし、絵理奈が娘をなだめるのを手伝うために少し時間を割かなければならなかった。「幼稚園に行かなくちゃいけないんだ。ほら、翔はもう準備できてるぞ。さあ、パパと一緒に準備しよう」瑛司はなだめながら言った。「ママの意地悪!早くママを怒ってよ、パパ!」琴音は聞こえないふりをしている絵理奈を指差して叫んだ。絵理奈は琴音に靴下と靴を履かせ、その後で瑛司が彼女を抱き上げ、部屋から連れ出した。一方、翔はリュックサックを手に取り、幼稚園に行くのを拒否して怒っている妹の様子を見て、くすくすと笑った。「琴音ちゃんは悪い子だね、ママ」翔はママを見つめて言った。「本当にね……一体誰に似たのかしら、すごく言うことを聞かないわ!」絵理奈は額をこすりながら歩き、翔の小さな肩を撫でた。「さあ、もう行きましょう」琴音に対する母親の愚痴を聞き、翔はただ頷いた。ついに彼らは、会社へ向かう瑛司と一緒に幼稚園へ向かった。今回、絵理奈は幼稚園で琴音に付き添うことになっていた。彼女が幼稚園に通うのは初めてだからだ。数分後、瑛司の車が子供たちの新しい学校の前に停まった。彼らは一緒に車から降りた。「先に翔を送ってくるよ。お前は琴音の幼稚園のところで待っていてくれ」瑛司は絵理
翌朝、瑛司は吾妻から電話を受けた。昨日、梨沙について調べるよう命じていたのだ。今朝は絵理奈も彼のそばにいた。彼女は吾妻から直接話を聞きたがっていた。「どうだった?彼女は本当に出たのか、それともまだ拘置所にいるのか?」瑛司は電話越しに尋ねた。「まだいます、社長。昨日、直接警察に確認させましたが、倉橋梨沙はまだ独房にいます」吾妻は説明した。瑛司は薄く微笑んだ。「それならよかった。絵理奈が昨日、O県へ旅行に行った時に梨沙に似た人物を見たんだ」と彼は明かした。「まさか……いいえ、社長、彼女はまだ拘置所におります。自由になるまでにはまだまだ時間がかかります」「分かった。仕事に戻ってくれ、吾妻」と瑛司は言った。「はい、社長」電話を切り、瑛司は後ろに立っている絵理奈を振り返った。瑛司は絵理奈に甘く微笑んだ。「吾妻が確認してくれたが、警察によれば梨沙はまだ刑務所にいるそうだ。だからもうパニックになる必要はない。分かったかい?」彼の手が絵理奈の頬を包み込み、優しく撫でた。「ええ。あの時私が見間違えていたのなら、本当によかった。きっと恐怖心が強すぎたせいね」と絵理奈は言った。瑛司は理解して頷いた。妻の表情が不安から解放され、みるみる明るくなるのを見て、彼はくすくす笑った。絵理奈はすぐに彼に抱きついた。「これで少し安心したわ」と彼女は言った。「当然だろう?」瑛司は返した。瑛司の口元に甘い笑みが浮かび、彼は頭を下げて彼女の唇に一度キスをした。絵理奈は彼の首に両腕を回したままだった。しかし、それはほんの数秒のことで、翔と琴音が家に入ってくる声が聞こえた。二人は城田と出かけて戻ってきたばかりだった。「ママ……!」琴音は叫びながら書斎に走り込んできた。絵理奈は瑛司を抱きしめたまま、娘がどんな反応をするのか見たがっていた。「ママ、どうして琴音のパパに抱きついてるの!」琴音はすぐに彼女に向かって走ってきた。「ママ……パパに抱きついちゃだめ!もう……パパは琴音のパパなんだから、ママは琴音のパパを取っちゃだめ!」琴音の叫び声に瑛司は笑った。絵理奈はすぐに彼から離れ、瑛司が不満そうな娘を抱き上げるのを見守った。琴音はすぐにパパの首にきつく抱きつき、敵意に満ちた目で絵理奈を睨みつけた。
帰りの道中、絵理奈は非常に不安そうで、まったく落ち着かない様子だった。やがて彼らはゲストハウスに到着した。絵理奈は眠ってしまった琴音を抱え、翔もひどく眠そうだった。翔は先にゲストハウスの中へ入っていった。「ママ、僕先に寝るね」と、目をこすりながら言った。「ええ。琴音ちゃんをお願いね……」絵理奈は琴音を翔のベッドに寝かせた。「うん、分かった!」子供たちを寝かせた後、絵理奈は部屋で暖かいコートを脱いでいる瑛司に近づいた。絵理奈の美しい顔に浮かぶ憂いの表情を見て、瑛司は彼女をじっと見つめた。「絵理奈……」瑛司は彼女に近づくよう手を差し出した。絵理奈は舌打ちをし、顔をこすった。「瑛司、私は絶対に嘘なんてついていないわ!」彼女は再度念を押した。「本当にそこで梨沙を見たの。白いジャケットにデニムを履いていた。絶対にあれは彼女だったわ!」絵理奈は顔を上げて夫を見た。瑛司は彼女の両肩を優しく掴んだ。「きっとお前の気のせいだよ……梨沙は刑務所の中にいる。今の俺たちの前に現れるなんてあり得ないだろう。ましてやO県だぞ?何のためにここに来るんだ?」それでも絵理奈の表情は変わらなかった。彼女は見間違えていないと確信していたのだ。「確かに、本当に彼女かどうか直接確かめたわけじゃないわ。でも、今すぐB市に帰りましょう」絵理奈は座りながら言った。「帰る!?」瑛司は目を見開いて妻を見た。「まさか……ここに来てまだ一日目だぞ。時間はたっぷりあるんだ。お前が恐れていた人物だとしても、どうして帰らなきゃいけないんだ?」瑛司は絵理奈に近づき、彼女の前にひざまずいた。「子供たちが可哀想だ、絵理……まだここで遊んで、バカンスを楽しみたいはずだ」「でも怖いんだもの、瑛司!B市に帰ってからでも遊びに連れて行くことはできるわ!本当に怖いの、分かって……」絵理奈は瑛司の手を握りしめた。瑛司は長いため息をついた。まだ迷っているようだった。彼にとって、これは些細なことであり、梨沙に似た顔の誰かを見間違えただけだと考えていたからだ。しかし、まだ六日も滞在する予定だったのに帰りたいと言い出したことに、彼は失望を隠せなかった。ここで数日間を過ごし、妻子とともに楽しむつもりだったが、絵理奈の恐怖のせいで帰ることを決
朝から夕方まで、絵理奈と瑛司はS市の街を散策した。そして今夜、二人は彼らのためだけに貸し切られたオープンエアのレストランを訪れていた。絵理奈は琴音を膝に乗せ、夕食後のひとときを楽しんでいた。もう少しここにとどまって、高台からS市の夜景を眺めていたかったのだ。「ねえママ、ここすごく綺麗」と、琴音が絵理奈の膝から降りて言った。「そうね。でも、あちこち走り回っちゃだめよ……迷子になったら、パパとママ、どこを探せばいいの?」絵理奈はアイスクリームで汚れた娘のふっくらとした頬を拭ってやった。「もし琴音ちゃんが言うこと聞かなかったら、置いていっちゃおうよ、ママ!」翔が笑いながら言った。「もう……お兄ちゃんのいじわる!たたくよ!」琴音は怒って兄に抗議した。二人の子供の様子を見て、瑛司と絵理奈はくすくすと笑った。琴音が庭を歩き始めると、翔が後をついていく。妹をしっかり見守る、とても優しいお兄ちゃんだ。絵理奈と瑛司は座ったまま、二人の姿を見守っていた。「時間が経つのって、本当にあっという間ね」「ああ。でも俺にとっては、お前と一緒にいる時間が一番長くて大切に感じるよ」その言葉に絵理奈はくすくす笑った。すると突然、瑛司が席から立ち上がり、座っている彼女の方へ近づいてきた。ピンク色のロングドレスに身を包んだ絵理奈は、顔を上げて瑛司を見つめた。「どこに行く——」瑛司が彼女の前にひざまずいたため、言葉が途切れた。彼は赤いベルベットの指輪のケースを開けて見せた。それを見て、絵理奈の顔に笑みが広がる。「お前がまだ俺を疑っているかどうかは分からないが……これで、俺の愛の大きさを感じてほしい」瑛司は彼女の手を取り、涙ぐんだ目で見上げる妻を見つめた。「もう一度、すべてをやり直したいんだ。完璧な夫婦として、子供たちと一緒に幸せな人生を歩んでいきたい」絵理奈は頷き、言葉が出なかった。瑛司は微笑んで、彼女の薬指に指輪をはめると、その白い手の甲に優しくキスをした。「ありがとう、愛しい人……」その瞬間、絵理奈は勢いよく立ち上がり、瑛司も立ち上がって彼女をきつく抱きしめた。今、俺は世界で一番幸せな男だ。「ありがとう、絵理……愛してるよ」と彼は囁いた。抱擁を解き、絵理奈は彼を見て微笑んだ。「もう一つの指輪は
帰宅後、絵理は自室に閉じこもったまま、息が詰まるような悲しみの中で何時間も過ごしていた。「私なんて、瑛司にとっては最初から無意味だったんだわ……結局、昔の恋には勝てないってことなのね」絵理は自嘲するように、悲痛な声で呟いた。溢れ出そうになる涙を、絵理は乱暴に手の甲で拭った。こんな惨めな状況にいると、自分を慈しみ育ててくれた祖母と叔母の顔が無性に恋しくなる。しかし、二人は今、遠く離れたW国で暮らしており、おいそれと会える距離ではない。その時、外から低く響く車のクラクションの音が聞こえた。「……帰ってきた」絵理はカーテンを少しだけ開け、窓から下を見下ろした。予想通り、そ
数日前に倒れて以来、絵理の体調は一向に優れなかった。鉛のように重い体を引きずりながら、彼女は戸惑っていた。今までこんなに具合が悪くなることなんてなかったのに。青ざめた顔で、絵理は洗面台の縁を両手で強く握りしめた。数分前にも強烈な吐き気に襲われたばかりだが、いくらえずいても胃液しか上がってこない。冷たい水で顔を洗い、ふらつく足取りでバスルームを出ると、すでに身支度を終えた夫の姿があった。絵理は、鏡の前で腕時計を締めている瑛司に歩み寄った。「瑛司、今日……少し時間ある?」絵理は縋るような目で見上げた。「ない。今日は予定が詰まってる」瑛司の声は、相変わらず冷ややかで事務的だっ
翌朝――「翔に新しい服を着せておけ。俺と梨沙であいつを連れ出す」今朝、翔の身支度を整えていた絵理の背中に、瑛司の低く威圧的な声が響いた。外泊して朝帰りしたかと思えば、一階には梨沙を待たせている。「……分かった。夕方には帰ってくるの?」絵理は夫に尋ねた。黒のジャケットに袖を通しながら、瑛司は答えた。「ああ。梨沙が一日中、翔と遊べるようにな」絵理は押し黙った。ここ最近、息が詰まるような日々が続いている。ただでさえ夫と過ごす時間は少ないというのに、これからは翔まで梨沙に取られ、孤独な時間が増えるのだろう。「ママ……翔、どこ行くの?なんで新しいお洋服なの?」その
「たとえ泣いてすがりつこうと、俺たちが離婚するなどあり得ないぞ、絵里!」結婚して三年、結城絵里(ゆうき えり)は夫から微塵の気遣いもされず、常に冷たくあしらわれてきた。若き敏腕CEOであり、一人息子を抱える神崎瑛司(かんざき えいじ)との結婚生活は、束縛と苦痛に満ちたものだった。特に、彼の元妻が姿を現し、義実家から「瑛司は元妻と復縁する」と告げられてからは、その苦しみはさらに深まった。夫が元妻と親密に過ごす様子を目の当たりにする日々は、絵里の心を容赦なくえぐっていく。病魔に蝕まれ弱っていく中で、絵里は自分がこの家で完全に居場所を失っていると悟った。不幸なことに、彼女はその頃、医師か







