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第3話

Author: Te Anastasia
数日前に倒れて以来、絵理の体調は一向に優れなかった。鉛のように重い体を引きずりながら、彼女は戸惑っていた。今までこんなに具合が悪くなることなんてなかったのに。

青ざめた顔で、絵理は洗面台の縁を両手で強く握りしめた。数分前にも強烈な吐き気に襲われたばかりだが、いくらえずいても胃液しか上がってこない。

冷たい水で顔を洗い、ふらつく足取りでバスルームを出ると、すでに身支度を終えた夫の姿があった。

絵理は、鏡の前で腕時計を締めている瑛司に歩み寄った。

「瑛司、今日……少し時間ある?」

絵理は縋るような目で見上げた。

「ない。今日は予定が詰まってる」

瑛司の声は、相変わらず冷ややかで事務的だった。

絵理はベッドの端に置かれていた黒のジャケットを手に取り、せめてもの気遣いとして彼に差し出した。

「ほんの少しでいいの。付き合ってほしいところがあって——」

言い終わるよりも早く、瑛司の苛立ったような舌打ちした。彼は絵理を冷たく見下ろし、その手から乱暴にジャケットをひったくった。

「忙しいって言ってるだろ、絵理。自分で行くか、運転手に出させろ。いちいち甘えるな!」

突き放すような言葉に、絵理の肩がびくっと跳ねた。何のために時間を割いてほしいのか、理由すら聞いてもらえない。最初から拒絶するつもりだった。

「……分かった。また今度、あなたが忙しくない時にでもお願いするわ」

青いワンピースに身を包んだ絵理は、ただ俯いてそう呟くしかなかった。

「ふん」

瑛司は鼻で笑い、車のキーを手に取った。

「俺の息子は俺と一緒に出掛ける。今日はお前が幼稚園の送り迎えをする必要はない」

『俺の』息子。

その言い回しには、明確な線引きがあった。神崎瑛司の妻という戸籍上の立場があろうと、絵理が翔の『母親』になることは認めないという、冷酷なまでの意思表示。

結婚して三年が経っても、瑛司にとって絵理はずっと『部外者』のままなのだ。

絵理は喉の奥の苦しみを飲み込んだ。

「……分かったわ。気をつけてね」

精一杯の強がりだった。

だが瑛司は返事一つせず、足早に部屋を出て行ってしまう。

絵理は彼を追って一階へ降りた。玄関では、水色のスモックに白い通園帽子を被り、赤いリュックを背負った小さな翔が待っていた。

「ママ!いっしょに翔のお見送りして!」

翔は両腕をいっぱいに伸ばして甘えてくる。

「今日はごめんね、翔くん」

絵理は微笑み、自分が産んだ子のように愛おしいその小さな身体を抱きしめた。

しかし、瑛司が振り返り、絵理の腕の中から翔を奪い取るように抱き上げた。

「パパと行くぞ、翔!」

瑛司は、愛する息子にだけ向けられる、あの温かい笑顔を浮かべている。

翔は不満そうに唇を尖らせ、抗議するように絵理を見た。誰もが知っていることだ。翔が一番言うことを聞くのは、他でもない絵理なのだから。

絵理は多くを語らず、ただ優しく微笑んで翔をなだめた。

「幼稚園で、お友だちと仲良くね」

「うんっ、ママ!」

翔はパッと顔を輝かせ、小さな両手を伸ばして絵理の首にしがみつくと、その頬にチュッと愛らしいキスをした。

翔を抱いているため、瑛司は嫌でも絵理に近づかざるを得ない。彼はまるで汚いものにでも触れたかのように顔を背け、あからさまに不快感を露わにした。

「行くぞ」

絵理と視線すら合わせず、瑛司は足早に玄関のドアへ向かった。

「……ええ。気をつけていってらっしゃい」

瑛司は足早に高級車に乗り込んだ。普通の夫婦なら当たり前のように交わす、行ってきますのハグもキスもない。冷え切った日常が、絵理の心をさらに孤独に追い詰めていく。

黒い車が走り去った後も、絵理は数秒間その場に立ち尽くしていた。やがて重い足取りで家に戻り、病院へ行く準備を始めた。

……

それから数時間。絵理は病院の診察室にいた。付き添ってくれる人など誰もいない、たった一人の診察。

そして今、医師から告げられた絶望的な宣告を胸に、彼女は生気を失った顔で無機質な廊下を歩いていた。

【結城さん、検査の結果ですが……白血病、血液のがんです。すでにステージ2まで進行しています】

医師の言葉が脳内で反響するたび、無意識のうちに涙が溢れ出てくる。

「ステージ2って……」

検査結果の紙を握りしめた手は、小刻みに震えていた。

「どうして、私が……?」

絵理は乱暴に涙を拭うと、逃げるように病院を後にして車に乗り込んだ。

心が激しく波立っている。ただでさえ夫から疎まれているのに、こんな重い病気まで患ってしまった。これをどうやって瑛司に伝えればいいのだろう。

彼女の唇に、自嘲的な笑みが漏れた。

「……瑛司に打ち明けたところで、あの人が心配してくれるはずなんて、ないわよね……」

帰りの車中、絵理はずっと自分の残酷な運命について思い悩んでいた。しかし、ゆっくりと進む車の窓からふと外に目をやった瞬間、ある光景が彼女の視線を釘付けにした。

「運転手さん、少し車を停めてちょうだい!」

絵理は思わず声を上げた。

車が停車する。絵理は信じられないものを見るような目で、通りを挟んだ向かい側にある高級レストランのテラス席を見つめていた。

「瑛司……?」

絵理は息を呑んだ。

「忙しいから無理だって、そう言ったじゃない……どうして、梨沙さんが一緒にいるの……?」

絵理は震える手で口元を覆った。胸が張り裂けそうだった。自分がステージ2の白血病だという残酷な宣告に打ちのめされているその同じ時刻に、忙しいと冷たく妻を突き放した夫は、元妻と息子を連れて高級レストランで優雅なランチを楽しんでいるのだ。

ガラス越しに見える三人は、まるで絵に描いたような幸せな家族そのものだった。瑛司は心から楽しそうに笑い、温かい眼差しを二人に注いでいる。その笑顔は、絵理には一度たりとも向けられたことのないものだった。

「私のためには、ほんの少しの時間すら惜しむくせに……元妻のためなら、いくらでも時間を作れるのね……」

あまりにも残酷な現実を前に、絵理はもうそれ以上見ていられなかった。彼女は逃げるように顔を背けた。

「運転手さん、出して。お願い、少し急いで……頭が割れそうに痛いの」

「かしこまりました、奥様」

車が再びスピードを上げて走り出す。心を引き裂くような悲しみと、病に侵された身体の痛みが、容赦なく絵理を苛んだ。

絵理は必死に涙を堪えた。心が完全に離れてしまった夫に、そして崩壊寸前のこの結婚生活に、これからどう向き合えばいいのか……彼女にはもう、何も分からなかった。

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