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133.悲劇への一歩

Author: 美桜
last update Last Updated: 2025-10-26 14:48:07

式が終わっても、父親は自分を訪ねて来なかった。

なによ、まさか拗ねてるの?

架純は、母親はまだしも、あれほど自分を可愛がってくれた父親までもがこうして知らん顔をしてきたことに、少なからず傷ついていた。

嫁いだ以上、自分はもう、あの家に頻繁に戻ることはないというのに…。

架純が控室でドレスを脱ぎ、簡素なワンピースと簡単にまとめた髪型になってリラックスしていると、トントン…とノックの音がした。

軽く応えると、ドアを開けて彼女の夫が入って来た。

「架純、準備はいいか?」

「準備?」

なんのことだろう?何も聞いてないから分からない。

彼女が首を傾げると、彼は当然のように言い放った。

「国に戻るぞ。支度しろ」

「国?国って、どこの?」

尋ねると、男はニヤリと笑った。

「I国だ。俺の拠点はそこにある」

「!」

架純の顔色がサーッと青褪めた。

I国ー。

それは、豊かな国でありながら、女性の地位が限りなく低い事で有名な国だった。

表向きの豊かさとは違って貧富の差が激しく、富める者は寝転がっていても金が懐に飛び込んでくるが、貧しい者はどんなに努力しても這い上がることが難しい。そして、女がそこに根付いてしまったら抜け出すことはほぼできない。そんな国だった。

それでも一部の富裕層がその権力で犯罪を抑え込んでいるからか、治安は悪くない。もちろん、表向きは、だが。

そこでは男が全ての権力を握り、女はそんな彼らを陰で支えることが美徳とされていた。

力のある女は力のある男に虐げられるだけだが、それ以外の女は全ての男から虐げられる。

だから女たちは男に媚び、自分をより高いところに引き上げてくれる相手を求めるのだ。

架純は震えた。

そんな所に行ってしまったら、自分はいったいどうなってしまうのだろう…。

「い、行きたくない…っ」

目を逸らし、思い切ってそう告げると、男の眉がピクリと上がった。

架純は、男が黙っていることに勇気をもらって、また言った。

「行きたくないわ、そんな国。ここにいたい」

「……」

「だって、聞いてないもの!急に言われたって困るわっ」

架純はそこで初めて夫と正面から視線を合わせ、ビクッと全ての動きを止めた。

「あ……」

一瞬にして冷や汗が浮かび、椅子に座っているのに後退ろうとした。

男はゆっくりと近づくと、化粧台に両手をついて架純をその腕の中に閉じ込めた。

「何か言ったか?」

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