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②失望

Auteur: 美桜
last update Date de publication: 2025-06-14 08:47:12

前世ー

「佐倉美月。お前には本当に失望したよ。こうまで奈月に嫉妬して、卑劣な真似をよくもしてくれたな!お前に俺の妻でいる資格なんてない!離婚だ!!」

「希純…」

美月は血に濡れた両手を震わせて、涙を拭うこともできずに自分を憎々しげに睨みつける夫を見た。

「大丈夫、お姉ちゃん?指、折れちゃったんじゃない?」

そう言いながらくすくすと嘲笑い、奈月はピアノの蓋をわざと音をたてて閉めた。

バタンーッ!!

その瞬間、美月の身体はビクリと大きく反応し、恐ろしげに血濡れた手で耳を塞いだ。

「あら、ごめんなさい?わざとじゃなかったの」

奈月の目は弓形に笑いを刻み、ただ蹲ってふるふると頭を振る姉の不様な姿を見下ろしていた。

「奈月、なにしてる。そんなのに構うな。時間の無駄だ!」

「でも希純兄さん、お姉ちゃん、怪我してるし…」

途端に弱々しく眉を下げた顔を彼に向けて、奈月はさも同情的に美月の手に触れた。

「あっ…!」

彼女は鋭い痛みに思わず奈月の手を振り払った。

「キャア…!」

奈月は2、3歩蹈鞴を踏んで、大袈裟に悲鳴を上げながら倒れ込んだ。

「奈月!!」

離れた所で2人のやり取りを見ていた希純はそれを見て、慌てて戻って来た。

そうして美月の身体をドンッと突き倒し、急いで奈月を助け起こした。

「大丈夫か?」

その声音はとても心配げで、普段の彼を知る美月に衝撃を与えた。

彼と結婚していた5年間、彼女は彼からこんな風に声をかけられたことがなかった。

彼女がピアノの弾き過ぎで手首を痛めようが、貧血で倒れた時にテーブルの角で腰を打ちつけようが、彼の冷たい態度は変わらなかった。

だから彼女は、彼は元々こういう冷血漢な人間なのだと思っていた。

でも、違った。

彼は優しい態度も言葉も持っていた。気遣いをすることもできた。

ただそれを、妻である自分に向けなかっただけだった。

今だって、自分は奈月がわざと強く閉めたピアノの蓋に手を挟まれて血を流している。

両手とも赤紫色に変色して、ひどく腫れ上がっていた。

それなのに彼はそれを無視して、足首さえ挫いていない奈月の心配をしている。

こんなに不公平で、こんなに惨めなことってあるだろうか…。

「希純兄さん…痛い…」

奈月の涙に潤んだ声はとても可哀想で、聞く者に同情心を与えるに十分だった。

「病院に連れて行く!」

希純はその場で奈月を横抱きに抱え上げ、美月のことなどまるで目に入らないように早足で出て行った。

彼の首に腕を回し、遠ざかる彼女に奈月は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

その瞳ははっきりと希純が自分のものだと主張していて、美月は最早立ち上がる気力もなかった。

もうずいぶんと前からわかっていた。

彼女の夫が彼女の妹を愛していることを。

気づいていても認めたくなくて目を背けた結果、彼から憎しみと軽蔑を向けられて、とうとう離婚を言い渡されてしまった。

美月は頬を濡らし続ける涙を拭い「痛い…」と思い出したように呟いた。

美月は慰めてくれる人もなく、たった一人で気持ちの整理をつけ、やがて静かに立ち上がった。

彼女の手は血まみれで、その白くて細い指はどれも腫れ上がり、中には変な方向に曲がっているものもあった。

「病院……行かなくちゃ…」

そっと呟くと、やがて彼女はふらふらと外に向かって歩き出した。

彼女は医者ではなかったが、わかっていることがあった。

それは、彼女がもう今までと同じようにピアノを弾くことができないということ。

人生をかけて取り組んできたピアノ。

ピアニストとして活躍する未来を捨てて希純の為に、彼の為だけにピアノを奏でることを選んだのに、いとも簡単に代わりを見つけられてしまった。それも彼女には到底及ばない下手くそな妹に。

きっと、愛の前では上手い下手など大した問題ではないのだろう。

愛した女が奏でる旋律なら、例えそれが初心者のものであっても、彼にとっては極上のセレナーデになるに違いない。

ふっ…

急になにもかもがバカバカしくなって、美月は小さく鼻で笑った。

離婚?してやろうじゃない…。

美月は胸の内でそう呟き、タクシーを停めた。

だが、誰が想像できただろう…。彼女自身ですら予想もつかない未来が待っているだなんて。

美月を病院に運ぶタクシーが大きな交差点にさしかかった時、信号無視の車がブレーキ音をけたたましく響かせながら突っ込んで来た。

車はタクシーの左側面に勢いよくぶつかり、後部座席真ん中寄りとはいえ助手席後ろに座っていた美月は何が起こったのかきちんと理解できないまま、死に瀕していた。

あぁ…私、死ぬのね…。

そう思った瞬間、彼女は自分の人生をひどく後悔した。

希純…あなたとなんか出会わなきゃよかった…。

胸の中で呟いて、彼女の人生の幕は閉じた。

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