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⑤すれ違い

Author: 美桜
last update Last Updated: 2025-06-14 08:47:34

今世ー

美月は夫に離婚を突き付けたその足で彼らの家に戻り、2階の夫婦の部屋を片付け始めた。

とりあえず身の回りの服や必要な日用品をスーツケースに詰め込み、携帯でタクシーを呼んだ。

そして荷物を持って下に降りると、家政婦の花田に言った。

「しばらく家を出ます。希純が帰ってきたら連絡をください」

「かしこまりました。あの、どちらへ?」

花田は美月の手にしたスーツケースをちらりと見て、不安になった。

まさか、出て行かれるのだろうか…。

そんなこと、絶対に駄目っ。旦那様がお知りになったら、どれだけ叱責されるかわからない!

花田は想像するだけで恐ろしくて身体が震えた。

すると美月はニコリと微笑み、優しく告げた。

「希純に、なるべく早く離婚協議書を作ってもらうよう伝えておいてくださいね」

「え…」

「じゃあ、お願いします」

そう言って、美月は軽やかに出て行った。

花田はしばらく呆然と佇んでいたが、やがてハッとして急いで希純の秘書、中津に連絡をした。

『もしもし、花田さん、どうされましたか?』

呑気な口調に少し苛立った。

「奥様が出て行かれました!どうしたらー」

『ち、ちょっと…ちょっと待ってくださいっ。え?なんですか?奥様が出て行った!?なんでそんなことに!?』

花田の剣幕に中津は驚いたが、それ以上に内容に驚きすぎて思わず立ち上がり、叫んでしまった。

「私が聞きたいです!そちらで何かあったのではないんですか!?」

『ないですよ!!』

2人共、我を失っていた。

だが周りの目に気が付いた中津がいち早く落ち着きを取り戻し、すぐにその場を移動すると小声で問い質した。

「奥様は?何か仰っていましたか?」

『いいえ…あ、旦那様に…』

「社長に?なんですか?」

言い淀む雰囲気に悪い予感がして、益々神妙に中津が尋ねた。

『あの…旦那様に、なるべく早く離婚協議書を作るようにと…』

「え!?」

それを聞いた途端、中津の思考は完全に固まってしまった。だがー

『中津さん?中津さん!私はどうしたら…っ』

耳元で再び焦り始めた彼女に中津はかえって冷静になり、コホンッと咳をして落ち着くよう指示した。

「とりあえず、社長には私から伝えます。花田さんは落ち着いて、いつも通りにしていてください。いいですか?」

『でも、奥様は…』

「それも私がなんとかします。奥様は車で出られましたか?」

『いえ、タクシーを使われたようです。いつもの…』

「あぁ…わかりました。では、後のことは私にお任せください」

そう言われて、花田はホッと胸を撫で下ろした。

コンコン

中津は特別室のドアをノックして開けた。

中にあるソファに、希純は頭を抱え込んで座っていた。

「社長ー」

声をかけると彼はゆっくりと振り返り、何かを期待するように中津の後ろを見た。

だがそこには何もなく、「何か用か?」とつまらなそうに聞いてきた。

絶対何かあった…。

中津は確信を得たが、何も知らないよう装って口を開いた。

「たった今、ご自宅から連絡が入りまして…。奥様が、出て行かれたそうです」

「は?」

希純の目が驚愕に見開かれた。

「ですからー」

「聞こえてる!何故だ!?」

いや、知らないよ…。

中津は心の中で呟いたが、顔には困惑の色を浮かべた。

「奥様との間で何かありましたか?」

「何もない!」

そんなわけないだろ…。

心の呟きを優先してしまった。

黙った中津に、希純も彼の言いたいことが分かったのか、言い訳するかのようにペラペラと話しだした。

「本当に何もない!何があるってんだ?あるわけない!ただ静かに彼女のピアノを聞いてただけだっ。なのに突然!突然…離婚しようって…」

そこまで言った時、彼は見るも哀れにシュンと俯いた。

あぁ…落ち込んじゃった…。無理もない。社長、奥様大好きだもんな…。

そう思いながら、中津はため息を一つついた。

「思い当たることはない、ということですね?」

「ない…と思う」

うーん、これマズいな…。

自覚がないのも困りもので、中津はどう説明しようか頭を悩ませた。

中津にはなんとなく美月の気持ちがわかる気がするのだ。

誰だって愛する人に冷たくされるのは辛い。

彼から見たら2人は相思相愛の美男美女で、正しく理想のカップルだった。

だが美月はその愛情をきちんと表し誠心誠意夫に尽くすタイプで、希純はそうじゃなかった。

彼は所謂ツンデレ…ではなく、ツンツン(デレ)なので、非常に分かりにくい愛情表現をするタイプだった。

この特別室にしても、実際は彼が妻を片時も離したくなくていつでも彼女に会えるよう造ったものだったが、表向きの理由は、彼がピアノを聴きたくなった時にいつでも聴けるよう造った、というものだった。

部屋の中を見回せば彼女が快適に過ごせるよう整えられていることは明白だったが、彼は「偶然だ」の一言で片付け、しかも照れ隠しなのか「自惚れるな」という要らない一言まで付け加えたので、当時、この部屋を見た美月の表情が輝くような笑顔から落胆に変わったことを中津は思い出した。

面倒くさいなぁ…。

仕事に集中したい中津は、まるで恋愛初心者のような社長の世話をいっそ誰かに代わってほしいと思って、また深くため息をついた。

とりあえず、各部署のリーダーには何か重要な案件があれば連絡するように伝え、携帯をしまった。

「社長。社長は奥様を愛していらっしゃいますよね?」

「なんだ、急に?当たり前のことを聞くな」

「ですよね。でも社長、それ、誰も知りませんよ?」

「…それの何が問題だ?」

首を捻る希純に中津は苦笑いを浮かべた。

「大問題ですよ。ちなみに、奥様もご存知ありません」

「バカな!!」

本気で驚く顔を見て、その前途多難さに中津はげんなりした。

「社長。きちんと奥様に愛情表現をなさっていますか?」

「必要ない」

いや、あるよ…。

重症だ…。

中津はため息をつくと、きっぱりと言った。

「社長は素晴らしい経営者でありますが、男として、夫としては最低の部類に入ります」

「お前…」

希純の額に青筋が浮かぶのを見たが、中津はそれ以上に呆れ、腹を立てていた。なので、遠慮はしない。

「いいですか?心の中でいくら愛を囁いても意味がありませんっ。口にしてこそ伝わるのです!」

「お前はわかってるじゃないか!お前が彼女に伝えてくれたらー」

「私は翻訳機ではありません」

「……」

ぐっと言葉に詰まった希純が拳を握りしめる。

それを冷めた目で見つめて、中津はまた口を開いた。

「一説によると、恋愛感情というのは3年でリセットされるそうです。いいですか?リセット、つまり0(ゼロ)になるということです。ですから、常に更新しなければいけません」

「リセット…更新…」

自分の言葉をブツブツと繰り返している希純は、まるで出来の悪い生徒のようだった。

「要するに、愛情を注ぎ続ける必要があるということですっ。奥様を失いたくないならー」

「わかった…。よし、子供を作ろうっ」

「……」

全て理解したとでもいうように頷いて言った希純に、中津はもう何も答えなかった。

奥様、申し訳ありません…。

おそらくこの先多大なる迷惑をかけることになる美月に、中津ができるのは謝ることと、できるだけのフォローを約束することだけだった。

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Comments (1)
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ちょくさん
駄目な男、という言葉がとてつもなく似合う。
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