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あなたとの愛は、ひとときの夢だった
あなたとの愛は、ひとときの夢だった
Autor: 向井真

第1話

Autor: 向井真
私が神谷裕也(かみや ゆうや)に電話をかけたとき、電話の向こうから、かすかに女の声が聞こえた。

「結婚式の進行案、プランナーがあなたのメールに送ったって。まだ見てないの?」

返事はない。

「あなた……いま何しているの?」

そのとき、衣擦れの音がした。

続いて、裕也が押し殺すように息を漏らす。

電話の向こうで何が起きているのか、聞かなくても分かった。

「今、ちょっと手が離せない。結婚式のことは……また今度、話そう」

「そう」

電話を切ると、私はしばらくスマホを見つめていた。そして、1週間放置していたあのメールを開き、静かに返信した。

裕也は知らない。

もう「また今度」は来ない。

私の結婚式は、別の日に決まった。

……

書類を握りしめて社長室のドアを開けると、情事の直後だと分かる空気が室内に漂っていた。

裕也は上半身裸だった。引き締まった胸には、赤い痕がいくつも残っていた。

私を見ると、裕也は満足げな笑みを浮かべ、からかうように言った。

「美緒、そんなに結婚を急いでるのか?結婚式の進行案なんて、今度見ればいいだろ。わざわざ俺の邪魔をしに来たのか?」

私は背を向け、かすれた声で答えた。

「急がないといけないの。おばあちゃんの体調を考えると、そんなに待っていられないから……」

裕也は一瞬目を丸くしたが、すぐに小さく笑った。

「嫉妬じゃないなら、いいや。お前は物分かりがいいからな。夏帆もいつも言ってる。お前なら、俺と夏帆の関係も受け入れて、結婚してもうまくやっていけるだろうって」

私は黙ってうつむいた。胸の奥が、締めつけられるように痛んだ。

この数年、裕也は私への当てつけのように、女遊びを繰り返してきた。

まるで服を着替えるように、次々と女を替えていた。

彼の腕の中にいたのは、まだ幼さの残る若い女性だった。

明るく華やかで、初々しい美しさをまとっていた。

その女、星野夏帆(ほしの かほ)は裕也の腕から身を起こすと、先ほどまでのか弱そうな表情を消し、挑むような笑みを私へ向けた。

「ねえ、裕也。私の誕生日プレゼント、まだ決めてないって言ってたよね?」

彼女の視線が私の首元で止まった。

「美緒さんが着けてるネックレス、すごく素敵。私、あれが欲しい」

裕也の表情がわずかに変わり、私の前へ一歩出た。

「バカ言うな。もっといいものを買ってやる。人が身につけてる物なんて、汚らわしい」

ーー汚らわしい。

私は首元のサファイアのネックレスにそっと触れる。

目の前の裕也が、あの日の少年と重なって見えた。

あの夏の日。

18歳の裕也は大勢の前で、神谷家に代々伝わるサファイアのネックレスを私の首にかけてくれた。

「今日から美緒は、神谷家の人間だ!美緒をいじめる奴は、覚悟しとけ!」

あの頃、私は両親を亡くし、世間から心ない言葉を浴びていた。彼は、そんな私を絶望の淵から救い出してくれた。

バサッーー

書類が床へ落ちる音で、私は現実へ引き戻された。

裕也は慣れた手つきで書類に署名を終えると、結婚式の進行案を私のほうへ放り投げた。

「何だ?まだ帰らないのか?もしかして、続きを見たいのか?」

その言葉を聞いた瞬間、胸が締めつけられた。

私は苦笑し、床の書類を拾い上げた。

私が間違っていた。あの頃の少年は、もうとっくにいなくなっていた。

裕也の母親が私を救おうとして、誘拐犯に崖から突き落とされたあの日を境に、私の知ってるあの裕也は、もうどこにもいない。

社長室を出ると、若い秘書が私のあとを追ってきた。

彼女は声を潜めて、そっと教えてくれた。

「美緒さんが出張している間、社長はあの女に夢中だったんです。社長室だけじゃなくて、給湯室や休憩室、それに……美緒さんのデスクまで使って」

言いにくそうにしながらも、秘書は悔しそうに続けた。

「もう何も言わずに耐える必要なんてないですよ。7年も一緒にいたんです。社長だって、本当は美緒さんのことを……」

泣いて、責めて、すがりついたことは、一度や二度じゃない。

けれど、そのたびに返ってきたのは、さらにひどい仕打ちだけだった。

私は静かに微笑みながら、首の後ろに手を回し、サファイアのネックレスを外した。

そして、自分でも驚くほど落ち着いた声で言った。

「もういいの。このネックレス、夏帆に渡してくれる?欲しいならあげるって。それと……私がいない間、裕也の相手をしてくれたお礼だとも伝えて」

秘書は何か言いかけたが、私の表情を見ると黙ってネックレスを受け取った。

会社を出た私は、手にしていた書類を開いた。

裕也が結婚式の進行案だと思い込み、ろくに目も通さず署名した書類。

その表紙には、「婚約解消合意書」と記されていた。

女遊びくらい、好きにすればいい。

裕也はもう、私の婚約者ではない。

他人が誰と何をしようと、私には関係ない。

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