ANMELDEN俺の名前は神谷誠(かみや まこと)。妻の相沢遥(あいざわ はるか)が博士号を取得するその日、俺は海外での仕事を切り上げ、急いで帰国した。 心を込めて選んだ贈り物を手に、穏やかな笑みを浮かべながら遥へ歩み寄った。 しかし、次の瞬間、乾いた音が会場に響いた。 遥は俺の頬をためらいなく平手で打ち、その冷たい瞳で俺を見据えた。 「私にはもう夫も家族もいます。これ以上、お金で私を囲おうとしないでください」 そう言い放つと、遥は振り返り、「家族」のもとへ歩いていく。 夫らしき男性と、その両親。そして幼い子ども。 四人の前に立った彼女は、先ほどまでとは打って変わって、柔らかな笑みを浮かべた。 「あなた、お義父さん、お義母さん。この人、ちょっと様子がおかしいから。気にしないで行きましょう」 何が起きているのか理解できない。 俺は慌てて後を追い、遥の腕をつかんだ。 「遥、一体どうしたんだ」 すると、小さな女の子が不安そうに俺を見上げる。 「ママ、この怖い人だれ? なんでずっとママにつきまとってるの?」 遥は俺の手を乱暴に振りほどくと、すぐさまスマホを取り出した。 「もう警察には通報しました。もう二度と私につきまとわないでください」 その言葉を最後に、彼女は一度も振り返ることなく歩き去っていく。 遠ざかっていくその背中を見つめながら、俺は全身から力が抜けていくのを感じていた。 ようやくスマホを取り出し、電話をかける。 「神谷だ。本社に伝えてくれ。国内への移転計画は、すべて白紙だ」 通話を終えると、俺は手にしていた贈り物を近くのゴミ箱へ無造作に放り込んだ。 そして、もう二度と振り返ることなく、その場を後にした。
Mehr anzeigen正直、俺も気になっていた。俺と遥はもう離婚したというのに、辰也はまだ何を企んでいるのか。電話を切った遥は、慌てた様子で俺を見た。「誠、子どもがまた熱を出して、今は意識不明なの……」それを聞いて、俺は唇の端を上げ、理解がある口調で言った。「早く行ってあげなよ。病状が悪化したら大変だからね」遥は感謝に満ちた顔で俺を見つめた。「誠、待ってて。今日は絶対デートするからね!」俺は何も言わず、頷きもせず、ただ無造作にドアを閉めた。もう愛していないのに、どうして待たなきゃいけないんだ?意識がすっきりしてきたところで、俺は荷物をまとめ、自分で昼食を作った。昼食を済ませると、スーツケースを引きずって一人で空港へ向かった。搭乗直前、遥からメッセージが届いた。【あなた、こっちは終わったの。今からそっちに行くから、デートしましょ!】俺は無表情でSIMカードを取り出すと、そばのゴミ箱に放り込んだ。これで終わりだ。新しい人生が始まる。帰国すると、すぐに会社の年末業務に没頭した。毎日早朝から深夜まで働き詰めで、疲れてはいたが充実した日々だった。礼から時々電話がかかってきて、愚痴をこぼしていた。俺が帰国した後、遥は俺と連絡が取れなくなったらしく、毎日のように礼のところに押しかけて、俺の居場所をしつこく聞き出そうとしているという。そのうち礼もうんざりして、仕方なく引っ越しまでする羽目になったそうだ。礼は他にも、病院で遥と辰也が喧嘩しているのを見かけたと言っていた。どうやら子供の医療費のことで揉めているらしい。電話口で礼がまくし立てる愚痴を聞きながら、俺はただ笑うだけで、何も言わなかった。結局のところ、すべて自業自得なのだから。だが、まさか遥と再会することになるとは思ってもいなかった。3年後の業界トップ企業の発表会で、俺は企業代表としてステージに上がり、挨拶をした。質疑応答の時間になると、会場の隅に座っていた女性が突然手を挙げた。そちらに目をやると、なんと遥だった。たった3年で、遥は随分と変わっていた。髪はぼさぼさで、目の下には深い隈ができており、げっそりと痩せこけていた。遥は司会者から渡されたマイクを受け取ると、目を赤くして震える声で言った。「お聞きしたいんですが、神谷誠さん、私たち、もう一度
「俺はただ、俺のものをこの手で奪い返すだけだ」そう言い放つと、俺は遥と辰也の顔色を気にすることなく、背を向けてその場を後にした。礼の家へ戻る道すがら、遥からひっきりなしに電話がかかってきた。俺が出ないと分かると、彼女はまた狂ったようにメッセージを送りつけてきた。【あなた、これって冗談よね?分かってる、あなたが怒ってるのは分かってるから。でも私だって、恩を返したかっただけなの。ねえ、許してくれない?お願いだから電話に出て。もう辰也の芝居には付き合わないから。ね、一緒に帰って、ちゃんとやり直そうよ】次々と届くメッセージを眺めながら、俺は苛立ちを抑えきれず、そのまま遥をブロックした。それから航空券の予約サイトを開き、明日の午後の便を取った。礼の家に戻ると、俺は一部始終を親友に話した。それを聞いた礼は、痛快だとばかりに大笑いしていた。引き継いだ遥の会社は礼に任せることにし、今後の段取りを伝え終えると、俺は寝室に入ってベッドに横たわった。帰国してからたった一週間で、俺の生活は天地がひっくり返るほど一変してしまった。俺はもう、本当に疲れ果てていた。とろとろと眠りに落ちていったその時、俺はどういうわけか両親の夢を見た。夢の中で、父と母は目を赤くしながら俺を抱きしめ、「よく頑張ったね」と言ってくれた。それから、いつかまた光が俺の上に降り注ぐ日が来るはずだと、そう言ってくれた。目が覚めると、窓の外はちょうど朝日が昇るところだった。木々の茂った葉の間から差し込む朝の光が、カーテンの上で無数の光の粒となって揺れ、影と光が入り混じっていた。その瞬間、俺は確かに光の存在を感じ取っていた。もう一度二度寝しようかと思っていたところ、突然、礼の家のドアが叩かれた。礼はすでに仕事に出ていた。ドアを叩く音が鳴り止まないので、仕方なく寝ぼけたまま階下に降りて応対に出た。ドアを開けた瞬間、目に入ったのは遥だった。俺を見るなり、遥は感情を抑えられないように駆け寄ってきて、いきなり抱きついてきた。「誠……会いたかった」思わず笑いそうになった。7年も一緒にいて、俺が海外にいた何年間、彼女は一度も「会いたい」なんて言葉を口にしたことがなかった。それなのに、離婚した今、たった一日会わなかっただけで「会いたかった」と言うのか。
俺はその得意げな顔を見つめ、思わず笑ってしまった。「俺だって離婚したいさ。でも遥が泣いて縋って、『愛してる』『離れたくない』って、どうしても応じようとしないんだ。どうしろって言うんだ?」そう言い残して立ち去ると、案の定、辰也の顔色は見る見るうちに悪くなっていた。彼の反応など気にも留めず、俺はその場を後にした。――これで済むはずがない。あいつが近いうちに次の行動に出てくる。俺はそんな予感はしていた。案の定、その翌日、遥から電話がかかってきた。「誠……あのね」どこか言いづらそうな声だった。「辰也のお父さんが、また入院したの。今度はかなり容体が悪いみたいで……。それでね、お父さんが私たちの結婚を見届けたいと言っているらしいよ。それを見たら安心できるから、きっと回復にもいいんじゃないかって……」俺は何も言わず、黙って聞いていた。「だから、離婚協議書にはちゃんとサインする。その代わり、辰也のお父さんの前で夫婦のふりをするのが終わったら、また復縁しよう?誠も知ってるでしょう? 辰也は私の命の恩人なの。これは、その恩返しだから」少し甘えるような口調になり、遥は続けた。「住所を教えて? サインした離婚協議書、私が届けに行くから」あまりにも稚拙な言い訳に、思わず笑いそうになった。もう反論する気にもならない。どうせ、俺が望んでいた結末は、もうすぐ手に入るのだから。電話を切ると、隣で一部始終を聞いていた礼が呆れたように立ち上がった。「はぁ!? 何だよ、それ!結婚を見るだけで病気が治る? そんなもんで治るなら、俺たち医者はいらねぇよ。手術も薬も全部やめて、患者全員に結婚させたら?」俺は思わず苦笑した。そのとき、スマホに一件のメッセージが届いた。送り主は見覚えのない番号だった。【ほらな。俺が何を言っても、遥は全部信じるんだ】俺は礼と一緒に、再び病院へ向かった。今度の目的は、離婚協議書を受け取ることだった。離婚が決まったと思ったのか、俺を見つけた辰也は、得意げに遥を引き寄せ、そのまま俺の目の前で唇を重ねた。目の前で熱く唇を重ねる二人を見ながら、俺はスマホを取り出し、その様子を一枚写真に収めた。シャッター音に気づいた遥が振り返り、俺と目が合った。遥は慌てて辰也を突き放すと、乱れた髪や服
「誠! やっと出てくれた……!ねぇ、家に帰ったら知らない人がいたの。しかも、この家はもう自分たちのものだって言うのよ。誠、これってどういうこと?」「家は売った」俺は眉間を押さえながら、淡々と答えた。「それと遥。これが最後だ。離婚してくれ」その瞬間、電話の向こうで遥が声を荒らげた。「嫌よ! 私は離婚なんてしない! 離婚協議書なら破って捨てたから! 絶対に離婚しないわ!誠、今どこにいるの? お願い、会って話そう。ちゃんと話し合おうよ」込み上げる感情を押し殺し、俺は短く答えた。「……分かった」通話を切ると、俺はすぐに中里弁護士へ電話をかけ、離婚協議書をもう一部用意してもらうよう頼んだ。書類を受け取ると、一人で待ち合わせのカフェへ向かった。店に入ると、遥は俺を見つけるなり、大きく手を振った。俺は何も言わずに向かいの席に腰を下ろし、持ってきた封筒から離婚協議書を取り出してテーブルへ差し出した。「サインしてくれ」遥は書類をひったくると、その場で勢いよく破り捨てた。「私は絶対に離婚しない!……そうよ。嘘をついてたのは認める。あの子は辰也との娘だわ。でも、それは五年前、辰也に命を助けてもらったからなの。その恩返しがしたくて……子どもを産んだだけ。あんただって言ってたでしょう? 人は恩を返さなきゃいけないって」遥は必死に首を振った。「お願い、信じて。それ以外は、本当に何もないの。私と辰也は、何も――」俺の視線は、遥の首筋から胸元へと落ちた。露わになった肌には、隠しきれない赤い痕がいくつも残っていた。あの二人の間に何があったのかなど、今さら説明されるまでもない。俺は乾いた笑みを浮かべた。「そうだな。ただの『セフレ』だったってことだろ」俺の視線に気づいた遥は一瞬動きを止めた。何を見られたのか察したのだろう。慌てて服の襟元を引き上げ、赤い痕を隠そうとした。俺はそんな仕草には目もくれず、封筒からもう一部の離婚協議書を取り出してテーブルへ置いた。「好きなだけ破ればいい。まだ予備はある。何枚破ろうが、俺の気持ちは変わらない」そう言って立ち上がると、遥は慌てて俺の前へ回り込み、行く手を塞いだ。「誠、お願い。せっかくあなたも戻ってきたのに! これからは毎日一緒にいられるじゃ