Partager

第2話

Auteur: ポップコーンビスケット
姿を消していた圭介が、ようやく戻ってきた。

真琴の手にある下着を一瞥し、次に私へ目を向けると、気まずそうに視線を逸らした。

「紗月が着替えるんだ。そこにいないで、外に出ろ」

それだけ言って、圭介は真琴の腕を引き、部屋の外へ出ていった。

真琴は彼の脇腹を指でつつきながら、からかうように言う。

「ねえ先輩。紗月を満足させるために、変な修行でも始めたの?」

「お前の頭には、ろくでもないことしか詰まってないのか」

「先輩のことは、ちゃんと入ってるよ」

ふたりのじゃれ合う声は、リビングに移ってもなお耳に届いた。

ほかの連中も見慣れているのだろう。私と圭介の寝室のことまで肴にして、面白がって笑っている。

……付き合う価値もない。

あんな連中のために怒ったり、涙を流したりするなんて、損でしかなかった。

私は乱暴に頬を拭い、内鍵を掛けてシャワーを浴び、きれいな服に着替えた。

部屋を出ようとした、そのときだった。ドレスデザイナー・レインのアシスタントから電話がかかってきた。

「高瀬さん。以前レインのもとへいらした際、何度も約束をすっぽかされましたよね」

一瞬、何の話か分からなかった。

「絵梨さんのお顔を立てて、こちらも不問にしましたが、今回は違います。大口の客をいくつもお断りしてまで、お受けした案件です」

声は丁寧だが、冷え切っている。

「当日キャンセルだけならまだしも、電話口で罵倒までされました。どういうおつもりですか」

頭の中が、一気に真っ白になった。

芦原絵梨(あしはら えり)――彼女は私の親友で、圭介のいとこでもある。そして、最初に私たちを引き合わせたのも、彼女だった。

彼女のいちばんの夢は、憧れのレインと組んで、私に贈るウエディングドレスを一着仕立てることだった。

けれど、それを叶える前に、交通事故で帰らぬ人になった。

葬儀の日、絵梨の母――圭介の叔母は、未完成のデザイン画を私たちに託した。そして、圭介に言い聞かせるように言った。

「圭介。紗月は、絵梨のいちばんの友だちよ。ちゃんと大事にしてあげて。そうすれば、あの子も心残りがひとつ減るから」

あのとき圭介は、私の手を強く握りしめ、一生大事にすると誓った。

イタリアへ一緒に行って、レインにオーダーしようと言い出したのも、圭介のほうだった。

一度目は、空港に着いた途端だった。真琴が昼間から飲みすぎたと電話をしてきて、「心配だ」と言い残し、圭介は迎えに行った。私はひとり、空港に置き去りにされた。

二度目は、出発前夜。真琴が職場で上司に嫌がらせを受けたと泣きつき、圭介は「話を通してくる」と言って、また約束を破った。

今度ばかりは、本当に堪えられなかった。

その背後で、真琴はさらに煽ってくる。

【あの子、ちゃんとした友だちっていないの?私と先輩は、十年以上こんな感じでやってきたのに。それが紗月になると、急に問題になるんだね。

私、思ったこと言っちゃうだけなんだけどさ。あんなに気が強くて、先輩ほんと毎日大変そう。私だったら、無理だな】

しまいには、離婚リアリティ番組で「モラハラ妻」を叩くまとめ動画まで、圭介に送りつけてきた。

【先輩、心当たりある?この先、先輩もああいう旦那になるんじゃない?】

圭介は、正面からは何も言わなかった。けれど、否定することも、止めることもしなかった。

怒りで頭がくらくらして、私はそれがどういう意味なのかと問い詰めた。

圭介は私の手からスマホを取り上げ、気のない口調で言った。

「ただの雑談だって。お前が違うなら、気にする必要ないだろ」

彼は、私が真琴に問いただすことを許さず、彼女の悪口を、一言たりとも口にしなかった。

結局、いつも同じだ。

真琴は善意で、性格が真っすぐで、言い方が下手なだけ――

それだけだ。

「圭介!真琴って、あんたにとって何なの?そこまで庇って、言うことまで聞くなら……もう無理。別れる」

怒りと悲しさが入り混じって、胸の奥がきりきりと痛んだ。

あの瞬間、本気で婚約を解消したいと思った。掴めるものを掴んで、服を次々スーツケースに放り込んだ。

そこでようやく、圭介は顔色を変えた。慌てて私を抱きしめ、行かせまいとする。

「お前が嫌なら、もう連絡しない。ブロックする。……それでいいだろ?」

目を赤くしたまま、圭介はすぐにスマホを取り出し、私の目の前で真琴をブロックしてみせた。

その日も彼は、私を宥めるようにバッグやアクセサリーを買いに連れ出し、埋め合わせをしたつもりでいた。

――結局、私は流されてしまった。

社会に出てから初めての恋で、付き合って二年。私はもう、未来の一年一年に、圭介を組み込んでいた。

手放せなかった。

信じてしまった。

なのに――あの約束から、たった一か月。

真琴は暗証番号を打ち、当たり前の顔で、私たちの家に入ってきた。

この家のことを、彼女は知り尽くしている。茶葉も、湯呑みも、迷いなく引き出しを開けた。

私が出張で家を空けていた間、彼女が何度ここへ来て、圭介とここで何をしていたのか――考えたくもない。

それでも、周囲の友人たちは誰ひとり問題だとは思わず、気づけば、悪者みたいに扱われていたのは私だけだった。

……もう、うんざりだ。

「もういい。好きにすればいいから。私は関係ない。手、離して……行かせて」

怒りと悲しさが込み上げ、堪えきれず、目の縁が赤くなる。

圭介はそこで初めて視線を落とし、真琴に引っかかれて赤くなった、私の手を見た。

Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application

Dernier chapitre

  • あなたと交わらない人生   第7話

    案件が一段落すると、私は真っ先にイタリア行きの航空券を取った。下調べも何もせず、思い立ったらそのまま出発することにした。圭介と一緒にいた頃、彼は三度、同じ約束をした。私と一緒に来てドレスの最終確認をして、それから少しこちらで過ごそう、と。その三度とも、真琴のせいで流れた。私は、待ってばかりだった。そして、そのたびに失望した。――もういい。ひとりで行けば、誰かを待つこともないし、期待を裏切られることもない。せっかくの機会だから、自分に少し長めの休みを与えることにして、まずは部屋を借りた。周囲に慣れてきた頃、私は改めてレインを訪ねた。電話では誤解も解け、謝罪も済ませていたけれど、やはり直接会って、きちんと頭を下げたかった。レインは、あのドレスを完成させてくれていた。「すごくきれいだ。君に、よく似合ってる。このドレスは、君のために作られたんだ。結婚がどうとか、そんなことは関係ない。せっかくだし、今日は君のための日にしよう」その通りだと思った。学生の頃から、デザインの夢を語っていた絵梨は、よく私に、ドレスのアイデアを話してくれた。目標は、私のためだけの一着を作ること。十年以上、何度も描き直しながら、手を加え続けてきた。亡くなる直前まで、未完成の原稿が残されていた。「紗月、二十六になっても二人とも結婚してなかったら、一緒にドレスで写真撮ろうね!」私は二十六になり、婚約は消え、彼女はもう、隣にいない。それでもせめて、彼女が関わったこのドレスを着て、約束の年を、形に残したかった。レインは自らカメラを構えてくれた。隣で見ていたアシスタントが、思いついたように言う。「せっかくだし、ツーショットも一枚どうです?」私は特に断る理由もなかった。レインは、生前の絵梨が憧れていた人だ。生きている間に一緒に仕事をすることは叶わなかったけれど、絵梨の発想が込められたドレスが、憧れの人と並んで写るなら――絵梨の思いを無駄にしなくて済む。そう思えた。「わあ、すごくいいですね。並ぶと、ほんと絵になります」アシスタントが無邪気に褒める。私は少し照れて笑った。レインもつられて笑い、その瞬間を、アシスタントが素早く切り取った。そしてそのとき、圭介が駆けつけ、ちょうどその光景を目にした。完

  • あなたと交わらない人生   第6話

    圭介は、スマホを睨んだまま、長いこと動けずにいた。たった一行のメッセージなのに、意味がうまく頭に入ってこない。真琴は、彼が食卓の前で固まっているのを不思議に思い、そっと近づいた。「なにそれ。親にまで言うとか、正直どうかと思うけど」「紗月が、そんなことするわけないだろ!」圭介は反射的に声を荒げた。真琴は、きょとんと目を瞬かせる。十年以上の付き合いの中で、圭介が他の女性と付き合っていた時期もあった。それでも、誰かのことで真琴に声を荒らげたことは、一度もなかった。真琴の顔に、じわりと悔しさが滲む。「違うなら、そう言えばいいじゃない。なんで、私に当たるの?」けれど今回は、圭介はいつものように宥めなかった。彼は真琴を押しのけるようにしてスマホを掴み、そのまま外へ出ていった。真琴は慌てて追いかけ、どこへ行くのか問いかけようとする。返ってきたのは、目の前で叩きつけられたドアの音だった。――ほどなくして、またドアが開く。真琴の目が、ぱっと期待に輝いた。だが聞こえてきたのは、圭介の冷えきった声だった。「もう帰れ。二度と俺の家に来るな。暗証番号も、変える」そう言い捨てて、圭介は再びドアを乱暴に閉めた。今度は、もう開かなかった。圭介は車を走らせ、まっすぐ私の会社へ向かった。来ようと思えば、いつでも来られた。それでも彼は、ずっと意地を張っていた。真琴の言葉に影響され、ここで一度突き放しておけば、私のほうから折れてくると考えていた。けれど今回は、私が本気で去るところまでは、想像していなかった。私は前から何度も言っていた。どれだけ揉めても、本当に終わるところまで行かない限り、親を巻き込むな、と。圭介は、私の性格をよく知っていた。筋さえ通っていれば、私は愛情で踏みとどまる。だから彼も、他の女とあからさまに一線を越えることだけは、慎重に避けてきた。――そこだけは、私が譲らない場所だった。圭介は、はっきりした言葉も交わしていないし、体の関係まで行っていない。だから、問題ないと思い込んでいた。私がどれだけ怒っても、どうせ時間が経てば落ち着いて、また元に戻る。そう、高をくくっていたのだ。真琴も、そんなふうに言っていた。女なんてそんなものだ、と。特に、私みたいに少し若い女は――と。そ

  • あなたと交わらない人生   第5話

    私は背を向け、そのまま歩き出した。圭介は、しばらくその場に立ち尽くしていた。真琴がつま先立ちになり、両手で彼の顔を包むようにして覗き込む。「……平気?あの子、やり方が乱暴すぎない?ちょっとしたことで、すぐ手が出る感じでさ。暴力的なところ、あるんじゃない?さすがに、あれはひどいよ」距離が近い。真琴が小さく息を吐くと、温い吐息が圭介の頬に触れた。圭介は一瞬、動きを止め、反射的に顔を背ける。真琴は、少し気まずそうに笑った。「あ、ごめん。心配で、つい……わざとじゃないからね、先輩」圭介は首を振って、「平気だ」と短く答えた。そして、ふと視線を上げ、ちょうど私が消えていった方向を見る。「……追いかけたほうが、いいんじゃない?」真琴は、迷うように言葉を選びながら続けた。「長い付き合いなんだしさ。紗月も、ただ意地張ってるだけだと思うよ。きっと、迎えに来てほしいんだと思う」少し間を置いて、付け足す。「……でも、また同じことになるかもだし。今度は、もっとひどくなるかもしれないけど。それにさ、最近みんなも言ってたよ。先輩の家、行きづらいって。また怒られたら、先輩も立場、きつくなるよね」圭介は、その瞬間、視線を引き戻した。「……何を気にする必要がある。俺の家だ。来たいなら、来ればいいだろ」そう言い捨てると、彼は迷いなく踵を返し、反対方向へ歩き出した。私のスマホは壊れている。服も汚れている。行く当てもないのに――彼は何も考えなかった。幸い、会社はすぐ近くだった。他の社員たちは、声を掛けることもできずに視線を逸らす。私の姿を見つけた秘書だけが、慌てて駆け寄ってきた。「新しいスマホを用意して。それから、着替えも一式」そう指示を出し、私は社用電話で弁護士に連絡した。警察に知り合いがいるなら、証拠の確保を頼みたい、と。カードをつかみ、そのまま病院へ向かう。私は、本当に圭介を愛していた。彼のために、真琴が「友だち」という顔で踏み込んでくるたび、何度も飲み込んできた。彼の気持ちを、疑ったことはなかった。私が離れそうになると、彼は決まって、優しい言葉で引き留めた。――でも。彼には、どうしても譲れないものがあった。男の体面というものの前では、私も、私の愛も、いつだって後回し

  • あなたと交わらない人生   第4話

    人に押されるうちに髪はぐしゃぐしゃになり、スカートにも汚れがついて、自分でも目を背けたくなるような格好になっていた。こんな姿を圭介に見られたくなくて、俯いたまま、涙だけが勝手にこぼれ落ちる。「紗月……大丈夫か?」圭介は上着を脱いで私を包み込み、そのまま腕の中に引き寄せた。「もう大丈夫だ。俺がいる」私を背中に庇うようにして前に出ると、顔を上げ、騒ぎの中心を鋭く見渡す。声も表情も、硬い。「今すぐ動画を消せ。警察はもう呼んだ。監視カメラにも全部映ってる。これ以上やるなら、覚悟しろ」男が前に出てきて、しかも「警察」という言葉が出た途端、さっきまで騒いでいた連中は、互いに顔を見合わせた。「いや……俺たちもよく分かってなかったんだよ。関係ないだろ。あの子がそう言ったから……」言い訳を並べながら、人波はばらばらに散っていった。――その場に残ったのは、真琴だけだった。真琴は圭介の前に駆け寄り、目を真っ赤にする。「先輩……やっと来てくれた。私が悪いの。紗月が先輩と別れるって言うから、止めたくて……」声を震わせて続ける。「先輩が、どれだけ紗月に尽くしてきたか、私、知ってるから。あんなに大事にされる人、他にいないよ。でも……」ちらりと私を見て、怯えたように視線を伏せた。圭介の声が、ふっと柔らぐ。「落ち着いて。ゆっくりでいい」真琴は小さくうなずき、唇を噛む。「紗月がね……全部先輩の自己満足で、尽くすのは当たり前だって。それに、もうもっといい人を見つけたって……」「何言ってるの!」遮ろうとした私の声を、真琴はわざと大きな声で掻き消した。「私も最初は信じなかったよ。でも、さっき……紗月が、別の男とすごく親しそうに出てくるの、みんな見たでしょ?見てられなくて、ちょっと言っただけなの。そしたら……急に転んだの。私、何もしてない」その言葉に、まだ立ち去っていなかった連中までが、口々に頷き始めた。「そうそう。さっきも別の男と、やけに親しげに出てきただろ。あの子だって、注意しただけなのにさ。それでさ、逆ギレしてきたんだよ」圭介が私を見た。その瞬間、顔色が変わった。目の奥に、探るような色が差す。二年、一緒に過ごして。式を目前にして。真琴の、ほんの数言で。圭介は私を、「

  • あなたと交わらない人生   第3話

    圭介はすぐ手を放した。真琴も彼の視線に気づき、私の腕から指を離す。――パシン。私は迷いなく平手を振り抜き、圭介の頬を打った。空気が、一瞬で凍りついた。誰も言葉を失い、その場に固まっている。私はバッグを掴み、背を向けて歩き出した。圭介は反射的に追いかけようとした。そのとき、真琴が小さく舌打ちする。「紗月って、意外と気が強いんだね。先輩、家ではそんなに尻に敷かれてるの?」軽く笑いながら、続ける。「今日は身内だけでよかったよ。外で同僚や上司に見られてたら、これから職場で顔、立たなくなるでしょ?」圭介が体面を何より気にすることを、私はよく知っている。だから今まで、人前では必ず彼の顔を立ててきた。――その結果、彼は私の好意に甘え、平気で踏みつけるようになった。……もう、やめだ。案の定、真琴の言葉を聞いた圭介は、追いかけかけた足を止める。「いいって。今は触らないほうがいい。ほら、続けるぞ」――バタン。私はドアを叩きつけた。耳障りな笑い声も、全部まとめて向こう側に閉じ込める。外は、雲ひとつない青空だった。目が痛くなるほど、眩しい。私はそのまま、会社へ戻った。それから数日間、仕事に没頭して、圭介のことを考えないようにした。私は二十六歳だ。親族や友人に見守られて婚約し、入籍日も決まり、式場の予約まで済んでいる。終わらせるにしても、続けるにしても、一度、互いに冷静になってから決めるべきだと思った。けれど圭介は、友人の前で叩かれたことを、まだ根に持っているらしく、結局、こちらに連絡してくることはなかった。月曜の夜、私は取引先の相手と会食の約束を入れていた。会社のビルを出た瞬間、真琴がいきなり目の前に立ちはだかった。「紗月。お金だけ受け取って逃げるとか、さすがに通らないでしょ」わざと周囲に聞こえる声量で言う。通りを歩いていた人たちが、一斉にこちらを振り向いた。「さすがにもう、式の直前に破談にするくらいで騒ぐ時代じゃないでしょ」一拍置いて、にやりと笑う。「でもね。付き合ってる間に贈り物だの現金だの、細かいの全部合わせたら、二千万円は軽く超えてるでしょ。男のほうは大人だからさ、それはもう返せなんて言わずに、全部あなたに渡した」さらに、言葉を重ねた。「…

  • あなたと交わらない人生   第2話

    姿を消していた圭介が、ようやく戻ってきた。真琴の手にある下着を一瞥し、次に私へ目を向けると、気まずそうに視線を逸らした。「紗月が着替えるんだ。そこにいないで、外に出ろ」それだけ言って、圭介は真琴の腕を引き、部屋の外へ出ていった。真琴は彼の脇腹を指でつつきながら、からかうように言う。「ねえ先輩。紗月を満足させるために、変な修行でも始めたの?」「お前の頭には、ろくでもないことしか詰まってないのか」「先輩のことは、ちゃんと入ってるよ」ふたりのじゃれ合う声は、リビングに移ってもなお耳に届いた。ほかの連中も見慣れているのだろう。私と圭介の寝室のことまで肴にして、面白がって笑っている。……付き合う価値もない。あんな連中のために怒ったり、涙を流したりするなんて、損でしかなかった。私は乱暴に頬を拭い、内鍵を掛けてシャワーを浴び、きれいな服に着替えた。部屋を出ようとした、そのときだった。ドレスデザイナー・レインのアシスタントから電話がかかってきた。「高瀬さん。以前レインのもとへいらした際、何度も約束をすっぽかされましたよね」一瞬、何の話か分からなかった。「絵梨さんのお顔を立てて、こちらも不問にしましたが、今回は違います。大口の客をいくつもお断りしてまで、お受けした案件です」声は丁寧だが、冷え切っている。「当日キャンセルだけならまだしも、電話口で罵倒までされました。どういうおつもりですか」頭の中が、一気に真っ白になった。芦原絵梨(あしはら えり)――彼女は私の親友で、圭介のいとこでもある。そして、最初に私たちを引き合わせたのも、彼女だった。彼女のいちばんの夢は、憧れのレインと組んで、私に贈るウエディングドレスを一着仕立てることだった。けれど、それを叶える前に、交通事故で帰らぬ人になった。葬儀の日、絵梨の母――圭介の叔母は、未完成のデザイン画を私たちに託した。そして、圭介に言い聞かせるように言った。「圭介。紗月は、絵梨のいちばんの友だちよ。ちゃんと大事にしてあげて。そうすれば、あの子も心残りがひとつ減るから」あのとき圭介は、私の手を強く握りしめ、一生大事にすると誓った。イタリアへ一緒に行って、レインにオーダーしようと言い出したのも、圭介のほうだった。一度目は、空港に着いた途端だった

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status