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第3話

작가: 夏霞み
「瑶子、入れてくれ」

翌日の夕方、悠真は瑶子の家の玄関先に立っていた。手には白い紙袋を提げている。

瑶子がドアの前に立ちはだかった。

「杏奈は会いたくないって言ってる」

「怒ってるのは分かってる」

彼は軽く笑った。

「少しだけ話させてくれ。話したらすぐ帰る」

「何を話すの?SNSの投稿に杏奈の名前ひとつ出さなかった言い訳?」

悠真の笑みが、一瞬だけ止まった。

「瑶子。これは俺と杏ちゃんの問題だ」

「もう杏ちゃんなんて呼ばないで。なれなれしすぎ」

私は玄関まで歩いていき、瑶子の腕をそっと下ろさせた。

「瑶子、入れてあげて。ちゃんと面と向かって話すから」

瑶子は脇へ退いた。けれど冷たい目で、悠真を上から下まで見据えていた。

彼は靴を脱いで上がると、その紙袋をテーブルの上に置いた。

中身はケーキだった。

「君の好きなマロンケーキ。昨日、渡せなかったから」

私は箱を開けなかった。

彼は向かい側に腰を下ろした。

「杏ちゃん、俺にどうしてほしいんだ?」

「言ったでしょう。別れたいの」

彼は眉をひそめた。

「ドレス一着のことで、別れるっていうのか?」

「ドレスだけの話じゃない」

「じゃあ、何なんだ?」

彼は両手を組んでテーブルの上に置いた。

昔、私が機嫌を損ねるたびに見せていたのと、まったく同じ姿勢だった。

付き合ってやっている。

辛抱強く、私が言い終えるのを待ってやっている。

そんな態度だった。

「去年のあなたの誕生日、私は二か月も前からレストランを予約していた。なのに出かける直前、莉央からお腹の具合が悪いって電話が来て、あなたは先に車で彼女のところへ行った」

「莉央は一人だったんだ。万が一のことがあったらどうする?」

「行ってみたら、ただ食べすぎただけだった。それでもあなたは、そのまま彼女と一晩中テレビを見ていた。私は一人で、店が閉まるまでレストランで待っていたのに」

彼は一瞬、言葉に詰まった。

「あのときは謝っただろ?ネックレスも買った」

「莉央にも同じものを買ったでしょう」

「莉央はあのとき、ちょうど落ち込んでいて……」

「莉央って、いつもそうじゃない」

私の声は低かった。けれど、不思議なくらい揺れなかった。

「落ち込んでいない莉央を、私は見たことがないわ」

悠真は黙った。

「先月の出張のとき、あなたは私に一人でタクシーに乗って空港へ行けと言った。莉央を大学まで送っていくからって」

彼は口を開きかけた。

「莉央は荷物が多くて……」

「家にあった肌掛けも莉央にあげた。あれは、母が実家から送ってくれたものだった」

「あれはもう古かっただろ。新しいのを買ってやる」

「あれは私のものよ。母が老眼鏡をかけて、一週間かけて刺繍してくれたの。送るときだって、途中で縫い目が潰れないようにって、三重に包んでくれていた」

部屋の中が静まり返った。

瑶子はキッチンの入り口に立ったまま、指の関節が白くなるほど拳を握りしめていた。

私は泣かなかった。

昔の私なら、泣いていた。

目を赤くして、どうして、と彼に問い詰めていた。

そして彼の「悪かった」という一言で、また許すことを選んでいた。

でも今回は、ただ疲れていた。

「杏奈」

悠真の声が低くなった。

そこには、かすかな失望が滲んでいた。

「俺はずっと、君はほかの女とは違うと思ってた」

「ほかの女?」

「細かいことにいちいちこだわるような女たちだよ」

彼は眉を寄せ、真剣な目で私を見た。

「君なら分かってくれると思ってた。莉央には頼れる人がいない。でも君には俺がいるし、家族もいる。足りないものなんて何もないだろ。俺が莉央を少し多めに気にかけたからって、それの何が悪いんだ?」

彼は本気でそう言っていた。

一つひとつの言葉が、心からのものだった。

「君は何でも持ってるんだから、何も持っていない莉央に少しくらい譲ってやれないのか?」

私は彼を見た。

長いこと、見つめていた。

彼の目には、期待すら浮かんでいた。

これまでのように私が頷いて、分かった、と言うのを待っている目だった。

けれど、私が持っているものの中には、悠真自身もいたはずだった。

その悠真が少しずつほかの人のほうへ心を移しておきながら、どうして足りないなんて思うのかと、私に問い返している。

「悠真、あなたの言うとおりよ。私は何でも持っている」

彼は、ほんの少し安心したように息をついた。

「だからあなたも、もう要らない」

彼の顔から笑みが消えた。

「杏奈。君は昔、こんな人じゃなかった」

私は答えなかった。

彼は立ち上がり、ドアを開けて出ていった。

私の視線は、テーブルの上のケーキに落ちた。

マロンケーキ。

彼はもう、覚えていない。

私の好きな味は、去年から変わっていた。

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