LOGINお父様に呼ばれても、私の足はその場に凍り付いてしまったように動かない。 そんな私と、不思議そうにしつつ私の元へ歩いて来るお父様。 そんな私たち2人を見て、苓さんがぽつりと呟いた。 「本当に社長令嬢だったのか……。財閥の令嬢を騙っていた訳じゃないんだな……」 ぼそり、と落ちた苓さんの低い声。 ああ、苓さんは。 苓さんは自分に近付く女性は、全て疑って生きてきた、って言っていた。 だから、圭吾さんにいくら言われても、疑いが残っていたのだろう。 だけど、お父様がお見舞いに来てくれたお陰で、私が本当に藤堂家の娘だ、と分かったのだ。 「──なんっ、」 お父様は、ぎょっとした目で苓さんを振り返る。 「……っ、お父様、いいんです。説明します、から……病室を出ましょう……?」 「だが……。いや、その方がいいのか……。分かったよ、茉莉花」 私と苓さんの間に流れる不穏な空気。 それを如実に感じたお父様は、私の提案に一瞬悩んだ素振りを見せたが、話しを聞く事が先決だと判断したのだろう。 私に頷くと、慰めるように頭にぽん、と手を置いた。 「──苓くん……いや、小鳥遊部長。今日は突然来てしまってすまないね。しっかり休んで、早く元気になってくれ。また、来るよ」 「今日はわざわざありがとうございました。早く怪我を治し、仕事に復帰します」 「ああ、あまり無理はしないようにな……」 お父様と苓さんが言葉を交わす間、私は苓さんを見る事が出来なかった。 私が苓さんを見てしまったら。 目が合ってしまったら、また苓さんを嫌な気持ちにさせてしまう。 お父様は苓さんのお見舞いを切り上げると、私の肩を抱いて病室を出るために歩き出した。 「茉莉花さん、藤堂社長、今日はわざわざありがとうございました。病院の入口までお送りします」 「ああ、ありがとう。頼むよ」 圭吾さんの申し出に、お父様はこくりと頷く。 2人とも、あまり顔色が良くない。 圭吾さんはお父様に苓さんの状況を説明したいのだろう、と思った。 それに、お父様もきっと説明を受けたいのだろう。 圭吾さんの申し出に頷くと、部屋の扉を開けて外に出ていく。 お父様に肩を抱かれていた私も、お父様と一緒に部屋の外に出た。 背後で、圭吾さんが苓さんに向かって話している声が聞こえるけど、何て話しているのかは聞こえなかっ
「──あ、」 私、のせい……? 私のせいで、苓さんが事故に遭ったの? 私のせいで苓さんが死んでしまう所だったの──。 そう考えると、目の前が真っ暗になった。 「茉莉花さん?藤堂 茉莉花さん?」 どれだけの間、そこに立ち尽くしていたのだろう。 圭吾さんの声が聞こえてきて、私ははっとして顔を上げた。 廊下を歩いて来ていた圭吾さんは、私の顔を見てぎょっと目を見開いた。 「顔色が悪い……!大丈夫ですか?」 「え、あ……。すみません、大丈夫です……」 担当医との話が終わり、苓さんの病室に向かうつもりだったのだろう。 担当医と圭吾さんの話はきっとそんなに短い時間ではなかったはずだ。 なのに、圭吾さんが先生との話しを終え、病室に戻る最中に会うなんて、私はどれだけ長時間この廊下に立ち尽くしていたんだろう、と唖然としていた。 「苓さんのお顔を、少しだけ見て……今日は帰りますね」 「そう、ですか……?先生に診てもらわないで大丈夫ですか?」 「ええ、平気です。ご心配をおかけして、すみません」 私が無理やり笑うと、圭吾さんは困ったように眉を下げたけど、それ以上は何も言わず、私の肩をぽんぽん、と励ますように叩いてくれた。 ◇ 圭吾さんと一緒に廊下を歩き、苓さんの病室の前まで戻ってくる。 部屋に入ろうと圭吾さんが扉に手を伸ばした所で、中から漏れ聞こえて来る話し声にぴたり、と手を止めた。 談笑しているようで、中から漏れ聞こえる声は楽しそうに弾んでいて。 話し声は、苓さんと。もう1人。 お父様の声、だった──。 「藤堂社長……!?来て下さったのですか!?」 圭吾さんが慌てて扉を開き、病室に入る。 すると、病室にいる苓さんとお父様2人が振り返った。 「兄さん、やっと戻ってきたか」 「あ、ああ。苓、社長とお話を……?」 「ああ。わざわざお見舞いに来て下さった。後は、今後の仕事について少し話し合いをしていた所だったんだ」 苓さんは圭吾さんに向かって楽しげに話しをしている。 その様子からは、普段通りの苓さんと変わらない。 だけど、ただ1つ。今までと違うとしたら。 苓さんが話している間、まるで私が見えていないように苓さんが一切目を向けてくれない事。 私がここに居ない人のように振る舞う苓さん。 そんな苓さんを見て、お父様は戸惑いの表情を
◇ 「解離性健忘ですね」 「解離性健忘……?」 あれから。 苓さんの診察を終えた担当医と別室に移動して、今の苓さんの状況を話してくれた。 「小鳥遊さんは今日が何月何日か、そしてご自身の年齢、名前も正確に答える事が出来ました。もちろん仕事に関する記憶もしっかりとあります。その中で……特定の人物に対して、全ての記憶を忘れてしまう、と言う症例は……解離性健忘だと判断します」 そこまで話した先生は、私を見て言葉を続ける。 「恐らく、強く頭を打った瞬間に小鳥遊さんの頭の中に藤堂さんの存在が強く残っていたのでしょう。その状態で、強かに頭部を強打してしまい、記憶が……」 「一時的な……記憶喪失のような……そのようなものなのですか?」 何も言葉を発せない私に代わり、圭吾さんが先生に質問してくれる。 先生は気まずそうに私と圭吾さん、交互に視線を向けると答えた。 「……明日になったら記憶が戻る事もあれば、……1年、2年……10年経っても記憶が戻らない事もあります。……過去の事例では、一生記憶が戻らない、と言う報告も」 「──いっしょう……?」 先生の言葉に、私は体から力が抜けてしまう。 がたん、と椅子が大きな音を立ててしまい、圭吾さんにも先生にも心配をかけてしまった。 「……茉莉花さん、もし良ければ……後の説明は俺が聞いておこうか?苓と会ってくる……?」 「──あ、」 苓さんに、会いたい。 だけど、またあんな風に冷たい目を向けられたら。 感情の籠っていない、冷たい声だった。 私を不審がるような苓さんの視線に、私1人だけで耐えられるのか──。 そんな事を私が考えていると、圭吾さんは私に言葉を続ける。 「……苓は、仕事の事については記憶を失っていないだろう?カフェ事業の話を茉莉花さんとしていれば、もしかしたら脳が刺激されて、記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないよ」 「……た、たしかに……。そうです、ね」 不思議な事に、苓さんは私の事を全て忘れてしまったけれど。 藤堂グループと始めた和風庭園カフェの事業については記憶が残っていた。 仕事の話をしていたら、苓さんの記憶も戻るかもしれない。 私はそんな淡い期待を抱き、圭吾さんの言葉に有難く頷いた。 「あ、ありがとうございます。苓さんの病室に戻って、仕事のお話をしてみます……!」 「
「──え?」 苓さんは私を冷たい目で見た後、圭吾さんに顔を向けて続ける。 「兄さんの婚約者の女性?俺と面識がある人か?」 本当に私の事が分からない、初対面のような態度の苓さん。 私は彼の言っている言葉が分からなくて──。 そして、それは圭吾さんも同じだったようで。 「お、おい……何をふざけてるんだ、苓。この女性は藤堂 茉莉花さん、お前の恋人で、婚約者だろう──!?」 圭吾さんは信じられない、と言うように叫ぶ。 だけど苓さんは全く身に覚えがないようで、私の名前を聞いてもピンと来ていない。 不審がるように私を見た後、呟いた。 「──は?俺の恋人……?婚約者……?冗談も程々にしてくれよ。女性が苦手なのは知っているだろう?」 信じられないと言うように笑う苓さん。 苓さんが話している間も、私に視線を向けられる事はなく、兄の圭吾さんにばかり顔を向けている。 女性が苦手だと言う事は、以前苓さんに聞いた事がある。 だけど、私と苓さんが出会った時から苓さんは優しかった。 だから、こんな風に冷たい態度を取る彼が見知らぬ人に見えてしまって──。 圭吾さんは困ったように眉を下げ、苓さんに伝える。 「本当に、茉莉花さんを覚えていないのか……?」 「覚えてるも何も、知らない女性だと言ってるだろう?」 変な事を言わないでくれ、とばかりに笑う苓さん。 私は、目の前が真っ暗になってしまう。 どうしたら。 苓さんは、私を忘れてしまったの──。 どうして──。 そんな言葉ばかりがぐるぐると頭の中を回る。 だけど、短時間で解決方法なんか見つかる事はなく。 「ちょっと待ってろ、苓……。医者を呼ぶから……」 「あ、ああ……分かった」 苓さんは不思議そうな顔で、圭吾さんを見る。 圭吾さんは担当医を呼ぶためだろう。 一旦病室を出ようとしている。 圭吾さんは私の目の前まで来ると、私を気遣い肩に手を置いてぽん、と叩いてくれた。 「茉莉花さん、良ければ一緒に担当医を呼びに行こう」 「……分かり、ました……」 圭吾さんの動きを追っていた苓さんが、顔をこちらに向ける。 圭吾さんと親しげに接している私にも苓さんの視線が向けられた。 だけど、すぐに苓さんは私から視線を逸らしてしまう。 まるで、見知らぬ女性を長く視界に留めておくのが嫌だ、と言うように─
病室に移動し、私たちはベッドに横たわる苓さんの近くに座った。 苓さんは目を閉じ、眠ったままで。 頭部には痛々しい包帯がぐるぐると巻かれていて、腕にはいくつもの管が繋がれていた。 倒れてくる鉄骨から頭部を守るためだろうか。 苓さんの腕にはいくつもの痣が出来ていて。 「──苓さん」 「茉莉花さん、良かったら苓の手を握ってあげてください。茉莉花さんが傍にいれば、苓もすぐ目を覚ましてくれますよ」 「圭吾さん……ありがとうございます」 にこり、と笑みを浮かべてそう言ってくれる圭吾さん。 私はそっと苓さんの手に腕を伸ばし、苓さんの手を両手で包み込むように握った。 (暖かい──……) 苓さんの手は、暖かくて生きているのだ、とほっとする。 あの時。 鉄骨の崩壊に巻き込まれた苓さんを見た時。 鉄骨の間から広がる血溜まりを見た時。 最悪な結末を一瞬想像してしまった。 だけど、今こうして苓さんは生きている。 生きててくれているのだ。 (本当に、良かった──……) 目の前が涙でじわじわと滲んで来る。 そんな私に、谷島さんが近付き、話しかけた。 「藤堂さん、少し事故の時の事を聞いてもいいですか?」 「谷島さん」 「藤堂さんと小鳥遊が視察中、最初は鉄骨がちゃんと固定されていた、と聞いています。……それが、いつの間にか固定が外れていた、と」 「──ええ、そうです」 私は苓さんの手を握りつつ、谷島さんの問いにしっかりと頷いた。 そんな私の返答を聞き、谷島さんも。お父様も。そして圭吾さんの表情も険しくなる。 「──なら、もしかしたら……事件性があるかもしれませんね。周囲の防犯カメラを確認します。俺は仕事に戻ります。小鳥遊が目を覚ましたら、連絡をください」 「分かりました……!よろしくお願いします……!」 仕事に戻る谷島さんを見送り、お父様も私に無理はしないように、と残してから会社に戻った。 病室には私と圭吾さんだけが残ったけど、それからその日の内に苓さんが目を覚ます事はなくて。 私も、圭吾さんもその日は後ろ髪を引かれる思いで病院を後にした。 ◇ それから、翌日、翌々日、と苓さんの入院している病院にお見舞いに行ったけど、苓さんが目を覚ます事は無かった。 主治医の先生も、手術は成功しているから目を覚ますはずだ、と首を捻っていて。
◇ 「茉莉花……!」 「藤堂さん、苓は……!」 バタバタ、と廊下を駆けて来るお父様と、苓さんのお兄様、圭吾さん。 ここは、病院。 手術室の前。 私は、苓さんと同じ病院に救急車で運ばれ治療を受けた。 その間に私と苓さんの事故の報告が入ったのだろう。 お父様と苓さんのお兄様が真っ青な顔で私に駆け寄ってきたのだ。 「お父様に、圭吾さん──」 「茉莉花、大丈夫なのか!?現場視察中に鉄骨の下敷きになった、と……!」 「私は大丈夫、です。苓さんが庇ってくれて──……っ」 「まさか、それで苓くんが鉄骨の下敷きに……?」 お父様は真っ青な顔のまま、手術室を見やる。 私は力なく頷く事しか出来なかった。 「はい、申し訳ございません……私のせいで、苓さんが大怪我を……」 私が項垂れつつそう告げると、お兄様の圭吾さんが私に一歩近付いた。 「茉莉花さん、あなたのせいじゃないよ。これは不幸な事故だ。それに、苓は頑丈なやつだからきっと大丈夫だ」 「圭吾さん……すみません、本当にすみません……」 私が顔を覆っていると、パタパタと廊下を急ぎ足でやって来る音が聞こえる。 私のすぐ近くに居たお父様が、その足音の主の名前を口にした。 「谷島さん、来て下さったんですか」 「──ええ、小鳥遊は無事ですか?」 谷島さんは額に汗を滲ませ、ハンカチで軽く汗を拭う。 私は谷島さんと圭吾さんに伝えるように口を開いた。 「頭部の出血が酷く……今は手術中、です……」 「頭部外傷か……」 谷島さんがぽつり、と呟き私たちは重い空気の中、押し黙る。 時間が経つのが凄く長く感じて。 私の隣に座ったお父様が、私を励ますようにずっと手を握ってくれていた──。 ◇ 何時間、経っただろうか。 唐突に手術室の扉が開き、執刀医が姿を見せた。 廊下で待っていた私たちに気がついた執刀医は「ご家族は?」と問うと、圭吾さんがさっと椅子から立ち上がった。 「兄です」 「では、ご説明するのでどうぞこちらへ──」 場所を移動するのだろう。 執刀医の言葉に、圭吾さんが首を横に振った。 「いえ、この場で大丈夫です。こちらにいらっしゃるのは本人の婚約者の女性と、女性のお父上。もう人かたは警視庁刑事課の方ですから」 圭吾さんは、私に気を使ってくれたのだろう。 確かに、苓さんの手術は
「……茉莉花と、小鳥遊がどうしてここに?」 御影さんの低い声が響く。 その声に反応したのだろう。それまで店員に体を向けていた涼子が、はっとしたような表情を浮かべ、御影さんに視線を向けた後、私にそろそろと顔を向ける。 そして、怯えたようにか細く私の名前を呼んだ。 「と、藤堂さん……」 涼子は、私から姿を隠すように御影さんの背に隠れ、まるで縋るように御影さんのスーツの裾を握った。 じっとりとした視線が、
◇ 「──痛っ」 「茉莉花さん、大丈夫ですか!?」 料亭の、一室。 私たちは予約していた部屋に案内されていた。 そこで席に着くなり、私の足元に跪いた苓さんが靴を脱がせてくれたのだけど、その時に伝わった振動が捻った足首に響き、私は小さく声を上げてしまった。 私が痛みを訴えた瞬間、苓さんが慌てたように声を上げ、申し訳ないと何度も謝罪をする。 「大丈夫です、苓さん。我慢できずごめんなさい」 「我慢なんて出来るはずないですよ……こんなに赤く腫れてる……。藤堂社長、やっぱり茉莉花さんを夜間病院に連れて行きませんか?」 苓さんは傍らに立つお父様にぱっと顔を向けて提案する。 お父様も
苓さんとキスを交わしながら、私はここ最近感じていた違和感を確かめるように、自然な流れで薄っすらと唇を開いた。 だけど、苓さんはそれに気付いているはずなのに、唇を重ね合わせるだけの可愛らしいキスばかりを私に贈ってくれる。 以前、一夜を共にしてしまった時の、情熱的な、まるで食べられてしまうんじゃないかと言うくらいのキスは、お付き合いを始めてから1度もされた事が無い。 苓さんがしてくれないなら、と私からしてみようとしたその時──。 「──っ、茉莉花さん……っ」 「んっ、苓さん……?」 私が何をしようとしているのかを察したのだろう。 苓さんはがばり、と私から体を起こして離れてしまった
「と、藤堂社長!?」 「どうしてここに……!」 御影さんと涼子と一緒にいた他の男性3人が、お父様の姿を見て驚いたように声を上げる。 そして、その3人は真っ先にお父様に近付き挨拶をした。 「お久しぶりです、藤堂社長」 「こちらでお会いしたのも何かのご縁!もしよろしければ少しお話でも……」 「我々は、食事がキャンセルになってしまったのですが、もしよろしければご一緒に──……」 お父様と知り合い






