LOGIN翌日。 私は、会社を早退してお母様のお見舞いにやって来た。 いつものように病院の駐車場に車を停め、院内に入る。 だけど、今回からはいつものように私の隣に苓さんはいない。 いつも、視線を向ければそこには苓さんが居た。 私の視線を感じると、苓さんは優しい笑みを浮かべて「どうしたの?」と言うように首を傾げてくれていたのに、今はそこに誰もいない。 私は無意識に隣を見上げてしまっていたけど、そこに何もない事を、誰もいない事を実感してしまって。 乾いた笑いを零した。 私が廊下を進んでいると、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。 「藤堂さん?」 「──谷島さん?」 どうしてここに刑事の谷島さんが。 私が振り向いた先には、スーツ姿の谷島さんが居て。 私の目は驚きに見開かれる。 私の方へ近づいて来た谷島さんは、手に持っていた手帳を懐にしまうと私と顔を合わせる。 「お久しぶりですね、藤堂さん」 「──ええ」 谷島さんとは、あの日。 苓さんが事故に遭って、病院で会った時以来だ。 私と谷島さんは足を止めたが、ここが廊下の真ん中だと気付き隅に寄って話を再開する。 「小鳥遊の記憶喪失、聞きました……。藤堂さん、大丈夫ですか?」 気遣わしげな視線と、声。 谷島さんの優しさに私は笑みを浮かべると「大丈夫」と言うように頷いた。 「ええ、大丈夫です。苓さんが無事だった事が奇跡のようなものですもの。記憶は……きっとそのうち思い出してくれますから……。それより、谷島さんはどうしてここに?──何か、涼子の事について進展がありましたか?」 最後の一文は、声を潜めて谷島さんに問いかける。 すると谷島さんは、周囲を確認した後、身を屈めて私にだけ聞こえるように教えてくれた。 「藤堂 帝熾さんを車で送った人間について、この病院と提携している送迎サービスに登録していた男の話を以前お話したでしょう?……奴は複数の名前を使い分けて仕事をしていたらしく……。院内の防犯カメラ映像を確認して、当日男と接触した可能性がある人達に今、聞き込みを……」 「複数の偽名を使っていたって事ですか?」 「ええ、そうです。以前は名前まで調べがついたのですが、潜伏先が未だ分からず……。今は微かな手がかりでも欲しくて、あの男と接触があった人達に話を聞いていたんです」 「──涼子は、どうやっ
◇ それから、2週間──。 私と苓さんはあまり関わる事なく、日々を過ごした。 苓さんとの関わりは最低限。 仕事上、確認が必要な時に苓さんにも連絡を入れて言葉を交わす。 それ以外での私と苓さんの接触は、極力少なかった。 その関わりの少なさに、まるで私の事を避けているような、そんな印象さえ抱いてしまうほどに少なかったのだ。 「──オープン記念のパーティーでも、苓さんは私との関わりを最小限にするのかな……」 虎おじ様が企画している1号店のオープン記念パーティーには、沢山の人が招待される。 その中にはもちろん、私達の会社、藤堂グループに勤める人達も多くが参加するだろう。 そうなったら。 「……うちの会社の人達にも、苓さんの記憶喪失が知られてしまうわね」 私はふっ、と小さく自嘲するように笑みを零す。 チャリティー登山の時。 うちの戦略チームの皆と苓さんは面識があるし、私と苓さんの関係も察していた。 それに、パーティーは恐らく報道陣も招待されるだろう。 報道陣にも、私と苓さんの仲が終わったと思われてしまう。 「……また、記事にされそうね」 以前のように、面白おかしく書かれてしまう可能性が高い。 そんな事が再び起きれば。 信用を失い、今度こそ藤堂グループの株価にも影響が生ずるかもしれない。 「──本当に、どうしてこんな事に……」 私は、自分の顔を両手で覆って頭上を仰ぐ。 悪い事ばかりが立て続けに起こっていて。少しでも気を抜けば、そのまま真っ逆さまに落ちていくような気がする。 こんな時に思い出したくないのに、私の頭の中にはふとある文字が思い出された。 先日、苓さんが事故に遭った時にスマホに送られてきた文章。 私に関わる人は、本当に皆不幸になっていく。 私と関わったから。 「──いえっ、駄目よ。こんな風に考え込む事こそ、良くない兆候だわ。悪い事ばかり考えていたら……駄目なのに……」 悪い事が続くと、思考もマイナス方向に傾いてしまって、良くない。 明日は、久しぶりのお母様のお見舞いの日だ。 私はぱちぱち、と自分の頬を両手で叩いた。 「せっかくお母様にお会いするのに、暗い顔をし続けてたら、駄目よね。心配をかけてしまうわ」 以前までは、お母様のお見舞いには必ず苓さんも一緒に来てくれていた。 だけど、明日は久しぶりに自分
くしゃり、と苓さんの顔が辛そうに歪む。 どうして苓さんがそんな顔を──。 昔の、私の事を覚えてくれていた苓さんだったら、苓さんが辛そうな顔をするのも、分かる。 だけど、今の苓さんは私の記憶が無い。 見知らぬ、面識のない人間だ。 それも、苦手な女性──。その、はず。 それなのに、こんな風に気にしてくれていると言うのは、頭の隅に、ほんの少しだけでも私の記憶が残っているから、だろうか。 そんな、自分に都合の良い事を考えてしまう。 (駄目ね、期待しては……辛いだけ……) 私は、苓さんの視界から痣が出来てしまっている方の腕を隠すようにデスクの下に移動させた。 「──少し、強く掴まれてしまっただけですから。大丈夫ですよ」 「少しって……それだけ痕が残るって、相当強い力で掴まれていると思うのですが……一体、誰が?」 苓さんの心配そうな視線が私に刺さる。 御影さんの事を言っても、今の苓さんは彼に対して嫌悪感は無いだろう。 それならば、理由を説明してしまった方が苓さんも納得して部屋を出て行ってくれるかもしれない。 私はそう考えると、さらっと理由を話す事に決めた。 「昨夜、家に御影さんが訪ねて来たんです。その時に少しお話した時に」 「御影さん……?御影って、御影ホールディングスのあの御影専務ですよね?」 「え、ええ……そうですが」 「どうして、彼が……藤堂さんの家に来るって……お二人の関係性って……」 苓さんはぶつぶつと小さく呟くと、痛みを耐えるように顔を顰める。 「……御影、御影専務……確か、俺は以前にも……」 「小鳥遊さん……?」 「俺は、彼と何か言い争いをした事がありますよね……?彼に対して抱いているこの嫌悪感って……」 「……小鳥遊さん、別に無理に思い出さなくて大丈夫ですよ。頭が痛そうです」 「いえ、だけど──」 私は辛そうに顔を歪める苓さんをこれ以上見ていられなくって。 茶色い封筒をデスクに置いた私は、苓さんがもう片方の手に持っていた湿布の袋をそっと抜き取る。 「余った分は、後で私が矢田主任に戻しに行きますね。頂いた書類には、目を通しておきます。……わざわざ届けに来てくださって、ありがとうございました」 もう大丈夫ですよ、そういった意味を込めて私は苓さんに笑いかける。 すると、今にも泣きそうにぐしゃり、と顔を歪め
苓さん──? どうして、ここに。 今日は特に仕事の打ち合わせも何も入っていない。 私がびっくりしていると、矢田主任がはっとしたような顔をして、納得したように頷いた。 「──なるほど!藤堂本部長は既に小鳥遊部長にお伝えしていたんですね……!だからこちらに……!」 そっか、そっかあ!とふふふ、と楽しそうに笑う矢田主任。 矢田主任は、苓さんが記憶を失っている事を知らないから。 だから、そんな勘違いをしているのだろう。 苓さんが記憶を失っている事を、周囲に知られる事は裂けたい。 そんな事を考えた私が口を開くより先に、苓さんが落ち着いた様子で矢田主任に答えた。 「──湿布を持っているんですか?」 「ええ!私のデスクにあるので、持って行きますよ!」 「いえ、一緒に取りに行きます」 「分かりました!藤堂本部長、少し待っててくださいね!」 じゃあ、私はここで。 そう言いながら矢田主任は苓さんを連れてあっという間に部屋を出て行ってしまった。 私が止める暇もなく、苓さんも矢田主任に着いて行ってしまって……。 「……どうしよう、気まずいわ……」 本当に苓さんはこの部屋に戻って来るのだろうか。 私と一緒にいるのが気まずそうだったのに? 私がそんな事を考えていると、少しして再び扉がノックされる。 私が返事をすると、苓さんが姿を現した。 手には、矢田主任から預かったのだろう。 湿布が入っている袋を手に持っている。 「失礼します」 カツカツと踵を鳴らして私のデスクまで歩いてやって来た苓さんは、目の前でぴたりと足を止めると、口を開く。 「藤堂さん、湿布を貼りましょう。ソファに座ってください」 「──小鳥遊さん、1人で貼れますから大丈夫ですよ。それより、小鳥遊さんはどうしてここに?」 私は、苓さんから視線を逸らしつつそう告げる。 すると、苓さんは目を伏せたまま答えた。 「……兄から、これを届けるようにと伝えられて……」 「圭吾さんから……?」 私が圭吾さんの名前を口にすると、苓さんの表情が強ばる。 どうしてそんな反応をするのかは分からないけど、苓さんが反対の手に持っていた茶色い封筒を見た私は自分の手を差し出した。 「わざわざありがとうございます。受け取りますね。後で確認します」 そして、湿布も一緒に渡してもらえれば。 私が湿
腕を強く掴まれていて、御影さんから離れる事が出来ない。 私は何度も腕を振り払おうとしたけど、私の腕を掴む御影さんの力が増しているように感じる。 「茉莉花、お前に相応しいのは俺だろう!?あんな薄情な男より、俺の方が相応しい!俺と一緒にいれば、今後危険な目には遭わない!」 「──離してくださいっ!」 私たちの話し声は、次第に大きくなっていく。 御影さんの声に負けじと、私が大きな声で「離して」と言った瞬間、廊下を走ってくる使用人の足音が聞こえた。 「お嬢様、大丈夫ですか!?」 「──っ、ええ!お客様がお帰りよ。見送ってあげて」 「かしこまりました。御影様、お嬢様から離れてください。お見送りいたします」 やって来た男性使用人2人に囲まれた御影さんは、渋々といった体で私から手を離す。 私の横を通り過ぎる際、御影さんはぼそりと呟いた。 「涼子の暴走は止まらないぞ。……お前を守れるのは俺だけだと思っておいた方がいい」 御影さんは私にそう言うと、そのまま歩いて部屋を出て行った。 「──っ、最悪、だわ……」 ずきり、と御影さんに掴まれた腕が痛む。 ちらりと服の裾を捲って確認してみると、腕にははっきりと御影さんの指の痕が残っていた。 ◇ 翌日。 いつも通り会社に出社した私は、仕事をしつつ時折痛みを感じる自分の腕に目を向けた。 「痛いわね……。打撲みたいな感じになっているのかしら……。馬鹿力だったのね、あの人って……」 ズキズキと痛む腕のせいで集中が続かず、私は背もたれに深く背中を預けた。 天井を見上げ、ため息をついていると本部長室の扉がノックされた。 「──はい?」 「本部長、矢田です」 「矢田主任?どうぞ、入ってください」 「失礼します」 やって来たのは、矢田主任。 社内施策の報告にやって来てくれたみたいだった。 彼女は胸元にバインダーを抱えて、歩いて来る。 私の目の前までやって来た矢田主任は、バインダーを手渡してくる。 「本部長、こちらが今回の施策です。ご確認の上、署名をお願いします」 「ええ、分かりました。今確認しますね」 バインダーに手を伸ばした私に、矢田主任の表情が変わる。 手を伸ばした際に、私の服の裾から昨夜の痣が見えてしまったみたいで──。 「ほ、本部長!どうしたんですか、それ!?」 「えっ、ああ…
もしかしたら、苓さん──? そんな、微かな期待を抱いてしまう。 もしかしたら記憶が戻って、会いに来てくれたんじゃあ……。 そんな風に考えた私を嘲笑うかのように、使用人の女性が訪問者の名前を口にした。 「御影さんが、来られています」 「御影さん──?」 どうして御影さんが、と困惑する。 「……分かったわ、今行く。御影さんは客間に?」 「はい、外でお待ちいただくのも、と思い……」 「……そうね。記者はもう居なくなってるけど、他の人に見られる可能性があるから、中に通してくれて助かったわ、ありがとう」 「いえ、とんでもございません」 では、私はこれで。 そう告げて、使用人の女性は戻って行った。 私はため息を吐きつつ、カーディガンを上に羽織ると自室を出た。 客間に通されている、と言う御影さんの元に向かった。 ◇ ドアをノックし、室内に入る。 「こんな時間に何の用ですか、御影さん」 「──茉莉花」 私が部屋に入るなり、ソファに座っていた御影さんが立ち上がる。 私は部屋の扉を全開にしたまま、御影さんに近付いた。 部屋のすぐ外の部屋には、使用人が控えてくれている。 以前、会社に来た御影さんの行動を考えれば、彼を警戒するのは当たり前で。 私が御影さんから少し離れた場所で止まった事で、御影さんは不服そうな表情を浮かべた。 「……茉莉花、話を聞いた」 「話ですか?何の話でしょう?」 「小鳥遊が事故に遭い、大怪我を負ったらしいな。それに……お前の記憶を失った、と聞いたがそれは本当か?」 どこでそれを──。 私が言葉に詰まった事で、御影さんは確証を得たのだろう。 眉を寄せると私に1歩近付いた。 「本当だったんだな」 「どうして、それを御影さんが知っているんですか……?それに、それを知ったからと言って御影さんに何の関係があるって言うんですか?」 御影さんが近付いた分、私は1歩退がる。 そんな私の態度が不服なのだろう。 御影さんは眉を寄せたまま私の腕を掴んだ。 「だから俺にしろ、と言ったんだ。茉莉花の事を簡単に忘れるような男だぞ。お前の事なんて、大して思っていなかったんだ。そうじゃなきゃ、お前だけを忘れるか?」 「……っ、勝手な事を言わないでください。それに、例え苓さんが私の事を覚えてくれていなくても、私は苓さんの事が好
自分の言葉が、私に届いていないと思ったのだろう。 御影さんは、もう一度。 今度は、はっきりと分かりやすく問う。 「言い掛かり……?涼子の事、ですか?」 まさか、御影さんが私の怪我の心配をするなんて思わなくって、私は唖然としてしまう。 今、私が話しているのは本当に御影さん本人なの? 偽物じゃない、の? それとも、御影さんは何かを企んでいるの
藤堂の、歴史は古い──。 そのため、家に関する資料はとても多い。 だけど、重要な資料は書斎には保管されていない。 お父様か、お祖父様が厳重に管理しているから、許可を頂かないと、閲覧ができない。 私は書斎の扉を開き、入室する。 「ここは、昔から埃っぽい……変わらないわね」 多少咳き込みつつ、私は本棚を見上げる。 藤堂本家の家系図が並べられている、棚。 藤堂の歴史が記された本の、棚。 そして、歴代当主の個人的なプロフィールが書かれた本の、棚。 色々な資料が沢山ある中で、私は過去藤堂と取引を結んだ企業や、個人などが記録されている本を見つけてそれを取り出した。 「この中に、必
御影さんと話を終えた私と苓さんは、一旦会場を出る。 出る前にちら、と御影さんと涼子の方へ視線を向けると、涼子はちゃんと御影さんの助けを得たのだろう。 御影さんの隣で、彼の腕に縋り付き震えていたのが見えた。 「──速水さんも、いつまであれを続けるのか……。もう、御影専務には通用しなくなっているんじゃあ……」 「えっ。そうなんですか、苓さん?」 苓さんもちょうど、私と同じ方向を見ていたのだろう。 でも──。 御影さんに通用しなくなっているって……。 苓さんが前に話していた「演技」の事? でも、その事くらいしかなくて。 私がそう思いつつ苓さんを見上げると。 私の視線を受けた
翌日。 土曜日の夜に、そのパーティーは開催された。 私は苓さんに迎えにきてもらい、苓さんの運転する車で会場入りした。 会場は、都内にある高級ホテルのフロアをまるまるワンフロア貸し切ってのパーティーだ。 「茉莉花さん、手を」 「ありがとうございます、苓さん」 苓さんの手を借りて車を降りる。 すぐにホテルの人間が苓さんの車の傍に来て、頭を下げた。 「頼む」 「かしこまりました」 苓さんは車のキーを渡し、私は苓さんの腕に自分の腕を添えた。 「行きましょうか、茉莉花さん」 「ええ」 こくり、と頷いて苓さんと一緒にホテルに入った。 フロアの前で招待状を渡し、会場に足を踏み