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あなたの愛したこの世界で、私は眠る
あなたの愛したこの世界で、私は眠る
Penulis: 十一雪

第1話

Penulis: 十一雪
大晦日の夜、川嶋航平(かわしま こうへい)の初恋相手は、大きなお腹を誇らしげに突き出し、主卓に座っている。

出産を控えた彼女の望みなら、航平はすべてを聞き入れる。

検診に付き添い、マタニティ写真を撮り、挙式までやり直す。

けれど、彼は知らない。私はもうすぐ命を落とすということを。

私は二人の写真をすべて焼き払い、彼の指輪を捨てる。

航平が新しい命の誕生を待ち望む、その一刻一刻で、私は彼との別れに備えている。

……

「航平、美音(みおん)の隣に座りなさい。妊娠中だから料理を取りづらいでしょ。あなたたちは幼なじみなんだから、彼女の好みもわかるでしょう」

義母のその一言で、場の空気が数秒止まる。

熱を帯びた視線が一斉に私に突き刺さる。

そこには同情も、憐れみも、そして面白がる色も混じっている。

胸がひやりと震え、私は思わず航平の手を握る。

――行かないで。

航平の大きな手が反対に私の指を包み、尾の指をそっとつまむ。心が少しだけ緩む。

次の瞬間――彼は私の手を離し、軽く慰めるように叩く。

「今日は祝いの日だ。母さんを怒らせるな」

その言葉は風のように軽やかに過ぎ去る。

私はこみ上げる苦さを押し隠し、声を失う。

彼らは幼い頃の思い出話に花を咲かせ、私には入り込む隙がない。

義母は機嫌をよくして、思ったことを口にしてしまう。

「美音は本当に福のある子だわ。まだ二十五でお腹に子どもがいるなんて。あのとき航平がちゃんとしていれば……ああ、これ以上はやめておくわ」

周囲は冗談だと思って笑い飛ばす。

けれど、私だけが知っている。あの人の願いが現実になるということを。

藤堂美音(とうどう みおん)の腹にいる子ども――それは航平の子だ。

――半月前。

私は末期癌の診断書を握りしめ、航平の初恋の人に喫茶店で待ち伏せされた。

「妊娠してるの。子どもは航平のよ」

膨らんだ腹を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。それでも無理に平静を装った。

「私は、あなたたちが昔の関係に戻るとは思わない」

――彼を信じるべきだった。

美音は表情を崩さずに笑った。

「これもあなたのおかげね。

もしあなたが子どもを産めなかったからこそ、航平は私にここまで心を寄せたのよ。

遥(はるか)、あなたは航平の子を身ごもることができない」

私はカップの取っ手を強く握り、泰然としているふりをした。

「この子を産みたいなら、頼る相手は私じゃないでしょう」

美音は自信満々にスマホを差し出し、一本の映像を見せつけてきた。

女は男の胸に甘えて身を寄せた。

「航平、触ってみて。動いてるのよ」

男は軽く笑った。

「まだ三か月にもならないのに、胎動なんてあるはずないだろ」

そう言いながらも、右手は優しく女の腹を撫でていた。

「ほら、航平、あなたも楽しみにしてるんでしょう……」

その後も、さらに馴れ馴れしい仕草が続いた。

女は男の膝に跨り、甘え声を漏らした。男は困ったように彼女の尻を軽く叩いた。

「もう大人なんだから、落ち着けよ。お腹の子に何かあったら許さないぞ」

……

彼女は二人の一部始終を見せつけてきた。

最初は馬鹿げた酒の勢いでの乱れ、次に航平が子どもの存在を知ったときの戸惑い。

やがて子を残すと決めたときの落ち着き。

二人がその子に、そして初めての父母になることに寄せる期待――それを目にした私は、胸の奥が痺れるように痛んだ。

「遥、わかってるでしょ。航平は川嶋家の一人息子なの。だからこの子を大切にしてるのよ」

私は診断書を握りしめ、人前で見世物にされているように感じた。

彼女が延々と語り終えるのを聞きながら、私は無表情で感情を押し殺した。

――七年。人は本当に変わってしまうのだ。
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