เข้าสู่ระบบ「近いわね。能美からここまで、十五分もかからないなんて」
カナがストゼロの空き缶を、アパートのゴミ箱に放り投げた。
小松と能美。隣接する二つの市を繋ぐ道は、夜の闇に塗り潰され、一つの巨大な「檻」のように感じられた。 アイアン・パイン号をアパートの下に停め、泥まみれのまま階段を駆け上がってから、一度も会話はない。 部屋に入った瞬間、コウタは「データ・アイ」製のPCを起動し、青白い光の中に逃げ込んだ。「ああ。……あっという間だったな。……あの巨像のプレッシャーが、まだ背中に残ってるみたいだ」
「ふん。……さっさとその『記録』、ゴミ動画に書き換えなさいよ。……見てられないわ」
カナは「織色」製の戦闘服を乱暴に脱ぎ捨てる。
画面には、巨像の十字に組んだ腕から放たれた光線が、すべてを焼き払う瞬間が映し出されている。 スローモーションで再生される映像の中、カナはコウタの胸元に顔を埋め、恐怖に震えていた。「ここ、カットして。……あと、さっき車で話したことも。……アンタが、あの巨像を『ヒーロー』だなんて呼んだところも全部。……気持ち悪い」
カナはコウタの肩に指先を食い込ませ、画面上の自分を睨みつけた。
自分たちを殺そうとした存在に、幼い日の郷愁を重ねるコウタの歪み。 それが、自分だけの知らないコウタの「聖域」であることに、彼女の独占欲が苛立っていた。「わかってる。……『無能な助手のせいで魔石を取り損ねて、カナが激怒した』……。そういうシナリオで繋ぐ。……お前が俺の胸ぐらを掴んだところは、『演出』として使うよ」
「そう。それでいいわ。……視聴者は、私たちが殺し合いそうなところを見たいんだから。……本当の私たちが、あんな像の前で震えてたなんて……誰も知らなくていい」
コウタはマウスをカチカチと鳴らし、嘘のテロップを挿入していく。
映像の中のカナは、傲慢で、強く、コウタを虐げる「理想のパートナー」へと書き換えられていく。 カナはその嘘の自分を満足げに見つめながら、コウタの首筋に熱い吐息を吹きかけた。「ねえ、コウタ。……能美は近すぎたわね。……もっと遠くへ行かないと、アンタの頭の中から、あの『ヒーロー』の記憶は消えないの?」
「どうだろうな。……でも、今夜はもう、編集以外何も考えられないよ」
コウタの自嘲的な笑い。
貨物列車の通過音がアパートを揺らすたび、現実と映像の境界線が、ストゼロの泡のように溶けて混ざり合っていく。 嘘で塗り固めた動画が「書き出し」を終える頃、二人は本当の意味で、この狭い部屋以外の居場所を失っていた。「ねえ、コウタ。……逃げられると思わないで」
カナは囁きながら、椅子に座るコウタの膝の上に、下着同然の格好で強引に跨った。
コウタは一瞬息を呑み、マウスを握る手が止まる。 戦闘の余熱と、ストゼロのせいで火照った彼女の身体の重みが、ダイレクトに伝わってきた。「カナ……お前……重い。邪魔……いいから離れろ」
「うるさい。……アンタ、私のこと『臭い』って言ったわよね。覚えてる」
カナは冷たく笑い、わざとコウタの太腿に、汗ばんで湿り気を帯びた自身の身体を執拗に押し付けた。
薄い布地を通して伝わる、生々しく不快な湿り気。 彼女は自分の体温と、酒と、生活の匂いすべてを、コウタの清潔なズボンに擦り付けて上書きしていく。「やめろよ。お前疲れてないの?」
コウタは顔を歪めて避けようとするが、狭い椅子の上が逃げ場にならない。
カナはその「否定」の言葉を、まるで称賛であるかのように受け取って、さらに深く懐へ潜り込んだ。「……気持ち悪いなら、臭いなら、もっと私の匂いを嗅げばいいじゃない。……こうしておけば、アンタがどこに行っても、……私がアンタの隣にいるって、嫌でも思い出せるでしょ?」
カナはコウタの首筋に鼻を押し付け、彼自身の匂いを強引に吸い込んだ。
自分自身の不快な湿り気で彼を汚し、同時に彼の無防備な匂いを独占する快感。(耳うら、すぅぅぅぅぅ)
コウタは呻き声を上げながらも、結局彼女を突き放すことができなかった。 その湿った不快な感触こそが、今の自分をこの世界に繋ぎ止めている、唯一の確かな重みのように思えたからだ。「………………書き出し、終わったぞ」
「アップロードしなさい。……世界中に、私たちの『偽物』をばら撒くのよ」
カナは満足げに、コウタの耳元でそう告げた。
PCの青白い光が、泥と汗と、歪んだ愛情でぐちゃぐちゃになった二人を照らし出している。 保存された動画の中の二人は、まだ何も知らずに、お互いを罵り合っていた。「……ねえ、コウタ。アンタってさ、綺麗好きなのかだらしないのか、本当によくわかんないわよね」
カナはコウタの膝の上で身をよじり、モニターの横に積み上げられたエナジードリンクの空き缶の山を指差した。
その指先は、複雑に絡まり合って埃を被った配線や、殴り書きの付箋が所狭しと貼られたデスクをなぞっていく。「シンク周りやコップは潔癖なまでに磨き上げるくせに、このPC周りは何よ、この惨状。……足元の配線なんて、いつ発火してもおかしくないくらい埃まみれじゃない」
「触るなよ。……パソコンとぶから。
そこは、それがいいんだよ」コウタは眉を寄せ、露骨に嫌悪の表情を浮かべた。
水場を清めるのは、彼にとっての「実家のらしさ」が残る部分だった。 それは、カナの知らない世界が、かろうじて彼の中に生きているように見えた。 しかし、その指先が触れる機材や、カナに汚された自分自身の身体に対しては、ひどく無頓着でだらしなかった。「それに、その服。アンタ、それ何着で着回してるわけ?
……クローゼット、その色落ちしたグレーのパーカーと黒いスウェットが三組あるだけじゃない」カナは意地悪く笑い、コウタの服の首元を指で引っ掛けた。
実家にいた頃は、季節ごとに誂えられた清潔な服を着ていたはずの彼が、今は数着のボロを使い回し、カナの湿り気や匂いが染み付くのを許容している。「別に、着られれば何でもいいんだよ。……選ぶ時間がもったいない」
「……嘘ね。……アンタ、新しい服を買って、私の匂いが消えるのが怖いんでしょ? ……洗うのも、水場をあんなに磨き上げるくせに、自分の服だけは適当。……アンタの中に残ってる『実家の残り香』が、私の匂いで完全に上書きされるのを、心のどこかで期待してるのよ」
「お前、ときどき分析厨だよな」
カナはコウタの耳元で、嘲笑うように囁いた。 コウタの手が、一瞬だけ止まる。 鏡の中の自分を見れば、カナにつけられた赤紫色のマーキングが、清潔な襟元から覗いている。 自分が「綺麗な世界」の住人ではないことを、その痕跡が何よりも雄弁に物語っていた。「コーヒーいるか?」
「あんた、私とどんだけ付き合ってんのよ、酒」コウタは目を逸らし、逃げるように乱雑なPCデスクから立ち上がった。
だが、背を向けた瞬間、後ろから腕が回される。「ちょっ、待てよぉ」
カナが、椅子に座ったまま、コウタの腰にしがみつくようにして抱きついていた。
頬を彼の背中に押し当て、くぐもった声で呟く。「……ねえ、コウタ」
「……何だよ」
「かわいい彼女の汗の匂いとかさ、健全な男子なら興奮しないの?」
コウタは振り返らず、深いため息をついた。
「お前の汗、酒が揮発してるわ」
「はぁい、口悪い。」
カナは笑いながらも、腕の力を緩めない。むしろどんどん強く締め上げた。
そのまま、ゆっくりと立ち上がり、今度はコウタの背後から、そっと彼の肩に顎を乗せた。「……今日は、怖くなかった?」
コウタは無言のまま、少しだけ首を傾げた。
「……危なかったよ、実際」
「……うん」
「……風呂、入れよ」
「……一緒に入ろ」
「一人で入れよ」
その即答に、カナは嬉しそうに鼻先を彼の首筋に押し付けた。
酒と汗と、かすかに混ざる巨像の焦げた匂い。 それら全部が混ざり合って、今の「二人だけの匂い」になっていた。「……コウタ」
「……何だよ」
「……覚えておいてよ。私があんたのこと、一番わかってるんだから」
コウタは答えない。
ただ、窓の外で貨物列車が通る音が、アパートの部屋を揺らした。ガッ、と後頭部に痛み。
振り向くと、カナが、まるで犬か獣みたいに、俺の後頭部に噛みついていた。「……ねえ。今日、あたし休むから」薄暗い部屋で、カナは下着姿のまま、だらしなく椅子に座っていた。昨夜の熱っぽい匂いが、まだ肌に張り付いている。カナはわざとらしく立ち上がり、無防備な背中を見せながら、冷蔵庫へと向かった。白くて細い体が、狭い部屋をフラフラとさまよう。「昨日の動画、あんなに凄かったんだもん。どうせ最高にバズるわよ。今日一日くらい、寝てたっていいでしょ」冷蔵庫から取り出したのは、水ではなく、飲みかけのストゼロだった。「あぁ、まじぃ」 吐き捨てるように言うと、カゴに転がっていた皮の黄色いバナナを一本引っ掴む。筋を気にも留めず皮を剥き、むしゃむしゃと口に放り込んだ。「酒とバナナで朝食完了。あーあ、栄養バランス完璧すぎて泣けてくるわ」 本当は、休みたいわけじゃない。自分を冷たくあしらうこの男が、いつまで「冷静」でいられるか試したいだけだった。「……勝手にしろ。編集は今やってる」コウタはパソコンの画面を見たまま、目をそらさない。カナが裸に近い格好でうろついても、少しも動揺していなかった。カナはイライラして、一口含んだお酒をコウタの背中に思いっきりぶっかけた。「ウルト〇水流!!」カナが口を尖らせて、ブブブブブーッ、と吹きかけた。 「ふん。ほんと、機械みたいで気持ち悪い男。ねえ、見てよ。前の動画のコメント欄、『もっと罵倒して』ってファンが飢えてるわよ。アンタが私を満足させられないから、みんなが心配してるんじゃない」カナはスマホの画面をコウタの目の前に突き出した。そこには、二人の歪んだ関係を面白がる、たくさんの書き込みがあった。「……満足? お前が満足することなんて、一生ないだろ。てかパソコンに酒がかかったらとか考えろよ」コウタがようやく椅子を回転させた。大きくため息をつくと、濡れたTシャツの裾を掴んで首元から雑に脱ぎ捨てた。引き締まった上半身が露わになり、昨夜カナがつけた赤い痕が露骨に浮かび上がる。クローゼットから適当なTシャツを引っ張り出し、頭からかぶった。 「冷えるぞ。休むならベッドで寝てろ。そこでウロウロされると、編集の邪魔だ」「……じゃあ、暖めてよ。アンタのせいで冷えたんだから」カナはニヤリと笑うと、拒絶されるより早くコウタの腰にしがみついた。冷え切った手を、コウタの服の中に、素肌に向かって滑り
翌朝。小松の低い雲から漏れる光が、散らかった床を照らしていた。カナはベッドの中で、まだ熱をもった自分のお腹に意識を向けていた。昨夜、彼に無理やり跨った時の、あの硬い感触が消えない。触れられていないのに、奥の方がじくじくと疼いて、頭がおかしくなりそうだった。「おはよ。……ちょっとコウタ、シンクはあんなに磨くのに、パソコンのまわり、きったな」「……何がだよ。べつにいいだろ」コウタは淡々と答えながら、コップの縁を丁寧に拭っている。だが、彼が向き合っているパソコンのまわりは、飲みかけの缶や惣菜の空きパックで、油とシミのあとがあった。「掃除してよ、跡ついてんじゃん」「いやお前そういうの気にするタイプじゃないだろ。どんだけ空き缶の跡そこらじゅうにあんだよ」 「ふふふっ」 カナは重い体を引きずるようにして、ベッドから這い出した。下着姿のまま、コウタの背後に忍び寄る。彼女はわざと、自分の熱い肌を、彼の背中にべったりと擦り付けた。「ねえ、昨日みたいに危ない橋を渡ると……身体の芯が、ずっと火照ってこない?」カナは彼の耳元で、わざと甘く湿った声を漏らした。「私はまだ、昨日の続きがしたくて……ずっと熱いんだけど。 今日もねぇ今から」コウタの肩が、ぴくりと跳ねた。「……っ」不意にコウタが振り返り、カナの手首を掴んでベッドへと押し戻した。腕を強引に引き剥がされ、視界がひっくり返る。シーツに沈む背中の感触と、上から覆いかぶさってくる彼の体温。カナは期待して、脚を広げた。もっと激しく、昨夜よりもひどいことを、彼がしてくるのを確信して。「ちょっと、冷たっ! 何すんのよ、いきなり!」だが、肌に触れたのは熱ではなく、刺すような冷たさだった。カナが驚いて目を開けると、コウタは無表情のまま、保冷剤を彼女の足の付け根……もっとも熱い場所に、強引に押し当てていた。「動くな。やっぱり捻ってる。熱持ってるぞ」「いた、痛いって言ってるじゃない! 離してよ!」「冷やさないと、次の仕事で歩けなくなるぞ。大人しくしてろ」コウタは冷たい声で言いながら、逃げようとするカナの脚を膝で押さえつけた。「アンタ、ほんと気持ち悪い。ずっと私を見てるのね」「仕事だ。お前の動きのクセを全部わかってないと、いい動画は作れない」コウタが手を離そうとした、その時。カナは
「近いわね。能美からここまで、十五分もかからないなんて」カナがストゼロの空き缶を、アパートのゴミ箱に放り投げた。小松と能美。隣接する二つの市を繋ぐ道は、夜の闇に塗り潰され、一つの巨大な「檻」のように感じられた。アイアン・パイン号をアパートの下に停め、泥まみれのまま階段を駆け上がってから、一度も会話はない。部屋に入った瞬間、コウタは「データ・アイ」製のPCを起動し、青白い光の中に逃げ込んだ。「ああ。……あっという間だったな。……あの巨像のプレッシャーが、まだ背中に残ってるみたいだ」「ふん。……さっさとその『記録』、ゴミ動画に書き換えなさいよ。……見てられないわ」カナは「織色」製の戦闘服を乱暴に脱ぎ捨てる。画面には、巨像の十字に組んだ腕から放たれた光線が、すべてを焼き払う瞬間が映し出されている。スローモーションで再生される映像の中、カナはコウタの胸元に顔を埋め、恐怖に震えていた。「ここ、カットして。……あと、さっき車で話したことも。……アンタが、あの巨像を『ヒーロー』だなんて呼んだところも全部。……気持ち悪い」カナはコウタの肩に指先を食い込ませ、画面上の自分を睨みつけた。自分たちを殺そうとした存在に、幼い日の郷愁を重ねるコウタの歪み。それが、自分だけの知らないコウタの「聖域」であることに、彼女の独占欲が苛立っていた。「わかってる。……『無能な助手のせいで魔石を取り損ねて、カナが激怒した』……。そういうシナリオで繋ぐ。……お前が俺の胸ぐらを掴んだところは、『演出』として使うよ」「そう。それでいいわ。……視聴者は、私たちが殺し合いそうなところを見たいんだから。……本当の私たちが、あんな像の前で震えてたなんて……誰も知らなくていい」コウタはマウスをカチカチと鳴らし、嘘のテロップを挿入していく。映像の中のカナは、傲慢で、強く、コウタを虐げる「理想のパートナー」へと書き換えられていく。カナはその嘘の自分を満足げに見つめながら、コウタの首筋に熱い吐息を吹きかけた。「ねえ、コウタ。……能美は近すぎたわね。……もっと遠くへ行かないと、アンタの頭の中から、あの『ヒーロー』の記憶は消えないの?」「どうだろうな。……でも、今夜はもう、編集以外何も考えられないよ」コウタの自嘲的な笑い。貨物列車の通過音がアパートを揺らすたび、現実と映像の境界線が、ス
外はすっかり暗くなっていた。巨像のシルエットが、夜空に黒く浮かんでいる。「はぁ……はぁ……」アイアン・パイン号の重厚なドアが閉まった瞬間、車内は密閉された静寂に包まれた。外ではまだ、巨像の咆哮が遠く地鳴りのように響いている。コウタは運転席に深く身を沈め、ハンドルを握る手の震えを抑えるために力を込めた。(まてよ、一歩間違ってたらどうなってたんだ) 全身を、猛烈な倦怠感と吐き気が襲う。でも、喉からせりあがるものが遠く感じられる。「もうぬるいじゃん。サイテー」助手席のカナが、泥に汚れた手でコウタの腰からストロングゼロの缶を奪い取った。プルタブを弾く乾いた音が、静かな車内に異様に大きく響く。彼女は一気に半分ほどを喉に流し込み、熱い吐息と共に背もたれに頭を預けた。先ほどまで「カナ」として叫んでいた傲慢な仮面は、もはや影も形もない。「……ねえ。さっきの、撮れてた?」「ああ。ドローンは最後まで回ってた。光線がショップを焼き払うところも、お前が魔石を欲しがって、俺が引きずり下ろしたところも。……全部な」カナは窓の外、遠ざかっていく巨像の黒いシルエットを見つめた。そこには、圧倒的な死の光を背に、互いに縋り付くようにして泥を這う二人の姿があった。「…………カットね」「え?」「私がアンタに『実家なんて頼らなくてすむ』って言ったところ。あそこ、全部カットしなさい。音声も、私の顔が映ってるところも」カナの指先が、空き缶のアルミをミシリと歪ませた。ビジネスとしての「不仲」を守るためではない。あの一瞬、巨像の光に焼かれそうになりながら、コウタを失う恐怖で剥き出しにしてしまった自分の「内面」が、世界中に晒されることに耐えられなかったのだ。「わかった。あそこはカットする。『無能な助手のせいで魔石を取り損ねた』って、お前が俺をなじるテロップに変えとくよ」「そう。それでいいわ。完璧。完璧なゴミ動画の出来上がりね。 なんなのよ」カナは力なく笑い、残りの酒を飲み干した。コウタはエンジンをかけ、軽トラを小松へと走らせる。「……それにしても、やっぱあの巨人、最強だわ。……あんな光線、掠っただけで即死だぞ」コウタがハンドルの振動を感じながら、恐怖を吐き出すように言った。あんな圧倒的な理不尽さを突きつけられたら、人間など砂上の楼閣にしか見えない。「……
「……カナ! しっかりしろ、まだカメラ回ってるぞ!お前魔力にあてられてないか!」コウタの鋭い声が、巨像の地鳴りに震えるショップ内に響いた。その一言で、カナの瞳から混濁した熱がスッと引く。(どうしてわかってくれないのか。こんなに苦しい、あなたへの気持ち)彼女は、自分がコウタの頬に触れていた手を、まるで汚らわしいものを見るかのように乱暴に振り払った。「……わかってるわよ。アンタに言われなくても、この『無能な飼い犬』をどう演出するかくらい考えてるわ」カナは荒い息を整え、わざとらしく冷笑を浮かべてドローンのレンズを睨みつけた。後でコウタが編集しやすいように、「不機嫌なカナ」という記号をカメラに刻み込む。だが、その指先はまだ小刻みに震えていた。巨像の重圧というよりも、先ほど自分が口走った「一緒に飼われよう」という、ビジネスの枠を超えた本音が録画されたことへの動揺だった。「ほら、さっさと立ちなさいよ! ……今の、撮り直しはしないからね。アンタが情けなく膝をついたシーン、スローで使ってやるんだから」「……ああ、わかったよ。うちの視聴者どもこういうの大好物だしな」コウタは魔法の反動の倦怠感を、視聴者には「無能ゆえの虚弱」に見えるよう自嘲的な笑いで隠した。巨像の咆哮が、今度はショップのバックヤードを直撃する。檻が砕け、魔力汚染された獣たちが一斉に牙を剥いた。「……チッ、しつこいわね! コウタ、モタモタすんな、逃げるわよ!」カナは【絡め取る残火(エモーショナル・バインド)】を広範囲に展開した。だが、それは魔物を撃退するためではない。「コウタを安全に誘導する」という目的を隠し、あたかも「逃げ遅れそうなコウタを無理やり引き摺って歩く」という横暴なポーズで彼を確保した。「離せ、自分で走れる……っ!」「黙りなさい! それじゃ遅いっていってんのよ!」ショップの天井が轟音と共に崩れ去る。背後の巨像が、すべてを塵に変える絶対的な沈黙のまま、その巨大な足首をゆっくりと持ち上げた。アイアン・パイン号のライトが、土煙の向こうで微かに瞬いている。「……死なないわよ。……私がアンタを、捨てると決めるまでは私が上!あんたが下!どうしようもなくあんたが惚れてる!」カメラには「道具としての執着」にしか見えないよう、彼女は低い声で、毒を吐くように、だが祈るように囁い
「ああ、着いた。」能美の湿った風が、錆びついた鉄の匂いを運んでくる。時刻は午後二時を回ったところだ。かつてのレジャーランドの面影を残すその場所で、ひときわ異彩を放つ「巨人の像」が、濁った空を仰いでいた。周囲のペットショップ跡地は、魔力汚染によって植物と檻が癒着し、生物の鳴き声一つしない「魔境」へと変貌している。「あいつには、誰も勝てない。ギルドのA級パーティが全滅したって噂だ。……刺激するなよ。俺たちは、その足元のショップ跡で『マナ結晶』を回収するだけだ」コウタはアイアン・パイン号のエンジンを切り、震える手でドローンを起動した。配信画面には「進入禁止区域:巨像の足下」という警告テロップが踊る。だが、カナの【飢餓の獣(ハンガー・ドライブ)】は、目前の絶対的な強者――巨人の像を見上げ、ゾッとするような昂ぶりを見せていた。「勝てない? ふふ、いいじゃない。圧倒的な暴力に踏み潰されるのって、どんな気分かしらね。……コウタ、あんたもそう思わない?」カナは、コウタの首筋に冷たい指を滑らせた。巨像の影が、二人を飲み込むように長く伸びている。ショップの内部に入ると、そこは「かつて可愛がられていたもの」たちの怨念が、魔物となって蠢く檻の迷宮だった。「カナ、来るぞ! 影に潜んでる!」コウタが【水槍(ウォーターランス)】を低く構える。檻の隙間から、変異した水棲魔物や小型の獣型魔物が次々と襲いかかる。カナは【絡め取る残火(エモーショナル・バインド)】を縦横無尽に展開し、魔物を捕獲しては、執拗に壁へと叩きつけた。「見てよ、コウタ。あそこに閉じ込められてる子たち。……あんたに似てるわね。檻の中で、飼い主に愛されるのを待ってるだけの、無力な生き物」「そんな話してる場合か! 巨像の魔力が……共鳴してる!」巨像がわずかに震えただけで、ショップの床が激しく波打つ。抗えない絶対的な重圧。コウタは膝を突き、激しい疲労感に襲われた。その時、カナがコウタの背後から抱きしめるようにして、彼の耳たぶを噛んだ。「ねえ、怖い? あの巨人に、全部踏み潰されるのが怖い? ……大丈夫よ。アンタを殺すのは、あの石像じゃない。私なんだから。ねえ、もっと私を見て。外の世界なんて、全部壊れちゃえばいいのにね」巨像の見守る静寂の魔境で、カナの独占欲が、魔物以上の脅威となってコウタを