로그인石灰の塗られた白い建物が並ぶ、石畳の大通り。
道の両側には店舗が並び、軒先に日よけを張り、野菜や日用雑貨が陳列されている。 路肩に積まれた木箱や樽。道行く人々。
日常の雑多な風景の中に、人々が取り巻く生活空間が生まれていた。
その中心にいるのは、眉を吊り上げ腕を組む、いかにも不機嫌そうな金髪の少女だ。
周囲の人々が着るくたびれた服とは違う、フリルをこしらえたピンク色のドレスは、彼女が高貴な家柄の人物であることを物語っている。
さて、そんな少女の前には、十代後半と思われる少女が膝立ちになり、何かを懇願している様子だった。
彼女の姿は黒いワンピースにエプロンドレス。白いキャップを被った明るい茶髪。
おそらくは、目の前の少女の家に仕える使用人だろう。
「私のやることにケチ付けるとか、メイドのくせにっ」
「で、ですが奥様からの言いつけですので、どうか」
「いーやーだー!」
懇願する使用人に対し、お嬢様は耳を押さえてそっぽを向く。
状況の分からないアデーレだったが、それだけでお嬢様がわがままを通そうとしていることは分かる。
外見からして、彼女はまだ十歳に満たないくらいの子供だろう。
そうなれば、きっとアデーレと同じぐらいの年齢だ。
ただしこちらの精神面は二十歳過ぎの男でもある。
わがままを通そうとするお嬢様の姿に、内心呆れていた。
「ありゃあ、バルダート様んトコの娘さんか?」
「まーたお嬢様の
「参ったな……」
外野の大人たちのつぶやきが耳に入る。
バルダートとは、あの貴族の娘の苗字だろう。
いいところの娘とはいえ、見ていないで助けないのかと思ってしまうのは現代日本の感覚か。
行動に起こせるかは別として。
だが身分が厳しく定められているであろうこの世界において、貴族の娘に楯突くのは非常に危険な行為だろう。
実際アデーレとしての自分は、この状況に関わりたくないと思っているように感じられる。
だが、今は良太としての意思も混在してしまっている。
暴漢に素手で挑んで命を落とすような【身の程知らず】。
そのせいだろうか……。
「帰るんだったら、アンタ一人で帰りなさいよ!」
お嬢様が、近くにあった棒きれを手に取り、思いっきり振り上げる。
その光景を前にした瞬間、アデーレの身体は自然と人だかりの中心へと走り寄っていた。
お嬢様の背後に迫ったアデーレの小さな手が、振り上げられたお嬢様の右手首を掴む。
「っ! 誰よ、気安く触るのは!?」
お嬢様が、周囲の大人たちが、そこに立つアデーレの方に顔を向ける。
少し遅れて聞こえてくるどよめき。
「それは良くないと思う」
「はぁ!? 町民風情が私に……」
そんな状況でも、アデーレは動じなかった。
落ち着いていられたのは、この程度の事は見慣れた良太の精神面あってのことなのだが。
だがポーカーフェイスのアデーレを前にしたお嬢様は、わずかに面を食らったらしい。
怒りの表情は鳴りを潜め、目を丸くしていた。
「……な、なによ。愛想のない奴ね」
「別に。愛想は必要ないと思うから」
「ふざけんじゃないわよ! 私を誰だと思ってるのよッ!?」
「そうは言っても、会ったことなかったし」
自分の権威を主張するお嬢様だったが、それがアデーレの心には響いてこない。
それはさておき、お嬢様からすればアデーレの態度は無礼な挑発以外の何者でもない。
再び露わとなる怒りの矛先は、使用人からアデーレへと向けられていた。
「後、貴族の娘だろうと、暴力はダメだよ」
「うるさい! だから下の人間が私に指図するなっ!」
力づくでアデーレの手を振り払うお嬢様。
間髪入れずに力強く腕を振り上げ……。
「身の程を、知りなさい!!」
アデーレの顔面に向けて、棒きれが振り下ろされる。
「お嬢様っ!」
背後にいた使用人が、お嬢様を制止しようと手を伸ばす。
だがそれよりも早く、アデーレの手が今度は棒きれを掴んでいた。
「……は?」
予想外の抵抗だったのだろう。
お嬢様は虚を突かれ、呆けた表情を浮かべている。
よく手入れされた綺麗な手が棒を放し、それをアデーレはすぐさま地面へと投げ捨てる。
良太はこれまで、ヒーローを演じるためのトレーニングを重ねてきた。
ただ体を作るだけではなく、動体視力や身のこなし、度胸を鍛えることも怠っていない。
そんな経験のおかげか、棒きれを防ぐことに一切の恐怖はなかったのだ。
長い沈黙が、その場を包み込む。
「エスティラ」
人だかりの中から、落ち着いた男性の声が沈黙を破るように響く。
その声は通りがよく、この場にいる全ての人の耳に自然と染み入るように感じられた。
同時に、呆然としていたお嬢様……エスティラとは彼女の名前だろう。
彼女の表情はなぜか、みるみるうちに青ざめていった。
お嬢様の見つめる先。
人だかりがまるで海を割るように道を開け、そこを通って身なりのいい男性が一人、二人の方へ歩み寄ってくる。
「感心しないな。そのような行いは」
先ほども聞こえた声。
そこに立っていたのは、襟が大きめのコートを着た、壮年の男性だった。
お嬢様と同じ金髪で、角ばった小顔と鋭い目が印象的だ。
男性は気候にそぐわない恰好をしているにも関わらず、額に汗の一つも浮かべることなく、
「おとう、さま……」
やはり彼は、お嬢様の父親だったようだ。
先ほどまでの行いを今更になって後悔しているのだろう。声は震え、涙目になっている。
それだけで、彼が厳しい人物であることがアデーレにも理解できた。
◇ 「この度はお騒がせしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」群衆に向けて、深々と頭を下げる使用人の女性。
お嬢様に頭を下げて、更に周囲の人々にまで頭を下げなければならないとは。
つくづく大変な仕事だと、アデーレは眉をひそめた。
しかし周囲の人々は手助けしてあげられなかったことを謝罪したり、使用人に同情する様子を見せている。
つまるところ、誰も迷惑を
「私の方からも謝罪させてくれ。このような往来で、私の娘が迷惑をかけてしまった」
「ドゥラン様っ。そんな滅相もっ!」
人々がどよめき立つ。
無理もない。確かに娘に非があろうとも、貴族である父親が謝罪をしたのだから。
身分の低い側からすれば、どう受け止めればいいのか分からなくなる。
「なに、気にしないでくれ。それより君」
皆からドゥランと呼ばれている貴族が、アデーレの方に目をやる。
「どうやら随分と胆力があるようだね。今はいくつだい?」
「はい、十歳です」
極力失礼にならないよう、アデーレは答える。
実際はそこに二十一歳の若者が加わるわけだが。
「なるほど、この子の一つ上か。さぞ立派なご両親に育てられたのだろうな」
顎に手を当てながら、ドゥランは感心するようにうなずく。
口ぶりからは嫌味や娘に対する無礼への怒りは感じられず、純粋にアデーレを褒めているように聞こえる。
だが傍らに立つエスティラは、未だにこちらを睨みつけてくる。
(これは、完全に嫌われたな)
肩をすくめるアデーレ。
前世の記憶を取り戻したかと思えば、妙なトラブルに巻き込まれたものである。
とはいえ、農家の娘と貴族の娘。
今回のことは異例中の異例だ。本来なら身分が違いすぎる故に、お互いの接点は皆無に等しい。
今後嫌がらせに来ないとも言い切れないが、今日明日中に逆襲されるということもないだろう。
何より、自分が悪いことをしたなどとは一切思っていない。
その辺りはドゥランも理解しているはずだ。後の説教は彼に任せればいい。
「それでは、我々はこれで失礼する。さぁ帰るぞ、エスティラ」
「はい……」
ドゥランに促され、肩を落として馬車の方へ向かうエスティラ。
何がしたくてわがままを言っていたのかは分からないが、ご愁傷様とアデーレは心の中で憐れむ。
そんな二人の後姿に、周囲の人々が頭を下げる。
そういえば、彼らは一体どういう立場の貴族なのだろうか。
「まさか、執政官様の娘に口を挟むとはなぁ」
「サウダーテさんトコの娘さんだろ? いやぁ、度胸があるなぁ」
執政官。
あまり聞き慣れない役職ではあるが、それが政治に関する役職であることくらいはアデーレ(というよりは良太)でも分かる。
そうなると、ただの領主などという存在では収まらない貴族なのかもしれない。
「……やってしまったのかな?」
今まで
とはいえ、それは佐伯 良太という悪童の話だ。
両親が健在で、愛されて育てられてきたであろうアデーレからすれば、余計なことをしてしまったかもしれない。
徐々に、佐伯 良太の人格がアデーレに影響を及ぼし始めている。
これは果たして良いことなのか……。
既に元の生活に戻ることのできない良太には、答えを出すことはできなかった。
結晶魔獣との決戦から数日後。 名目上の休暇を終え仕事に戻ったアデーレは、貯蔵室で待つメリナと落ち合っていた。 だが、勝者であるはずの二人の顔に笑顔はなく、揃って眉をひそめ向かい合う。「やっぱりアデーレの懸念通りだったよ」「そうでしたか……」 大きな戦いを終えた後とは思えないほどに、アデーレは憂鬱なため息を漏らす。「海の底も調べたみたいだけど、あの入り江に停泊してたダニエレ教授の船は見つからなかったって」 メリナの話に対し、アデーレは驚くわけでもなく静かに相槌を打つ。 人気の少ない入り江に停泊していた、ダニエレがこの島に来るために用いた大型帆船。 大学の所有物であるこの船が、件の戦いの後から行方不明になっているのだ。 エヴァが船を悪事に利用していたことは、既にメリナから説明を受けている。 それ故に、あの戦いの直後に見た沖の船に強い懸念を抱いていた。「アデーレは、船を盗んだのはダニエレ教授の助手だって考えてるんだよね」「はい……。その場合、出港の準備を配下の眷属に進ませていたってことになるけど、眷属だけで船を動かしてるってことなのかな?」「それは少し難しいかもね。ムトゥラの眷属は指示に対し忠実な分、自発的に動くことはまずあり得ないから」 傍らに浮かぶアンロックンの言葉を受け、表情を曇らせるアデーレ。 彼女が最も懸念していたことは、銀のムトゥラと化したエヴァ・アソニティスが生存していることだ。 アデーレはあの丘の頂上での戦いで、エヴァに対し致命傷といえる傷を負わせることができた。 それでも倒したという確信が持てず、その不安は小さなトゲのようにアデーレの心で残り続けていた。「つまり、銀のムトゥラは自らが戦いに赴くことで囮になって、その間眷属には船を出港させるための準備を進めていた……かもしれないわけか」 俯き気味のメリナが腕を組み、重苦しいため息をつく。 アデーレは言葉を返すことなく、静かにうなずきながら彼女の様子をうかがう。「万が一、船の奪取こそがムトゥラの目的だとしたら、今回の戦い自体僕らの目を船から遠ざけるためのものだったかもね」 すっかり反省した様子のプルトも会話に加わり、それぞれが魔女の力を得たエヴァの動向に思考を巡らせる。 島に危害を加えることが主目的でなかったという事実は、アデーレにとって衝撃的なものだ。 そ
夜の闇が辺りを包み、三日月のわずかな光が荒野を照らす。 丘の麓にはかつて結晶魔獣だったものの破片が散らばり、破壊の寸前まで追い詰められていた最後の防壁が静かに佇む。 その上に立つアデーレが、静寂に包まれた戦場を見下ろす。 動く者は何もなく、二人の戦士が全ての魔獣を撃破したことを物語っている。 彼女が軽くため息を漏らしたところで、地上で戦っていたメリナが防壁に飛び乗ってくる。「お疲れ様」「あ、はい。終わりましたね」 二人で並び、自分たちの成果を改めて確認する。 前方には戦いによって荒れた土地。 後方には無傷の港町。 暗い町から人気は消えているが、港の方に目をやると何隻もの船が明かりを灯し、沖に出ているのが確認できる。 島民全員が脱出できたというわけではないだろうが、しばらくすれば魔獣が倒されたことに気づいた人々が戻ることだろう。 彼女たちは、島の人々を守るという大切な使命をやり遂げた。 群体で攻め入った魔獣を全て倒すという困難な戦いを乗り越え、この島の平穏を取り戻したのだ。 そんな達成感を噛みしめつつ、アデーレが赤い髪をなびかせつつ、わずかに紅潮したメリナの顔を見る。 わずかに目を潤ませ遠くの海を眺めている彼女もまた、自らの戦いの成果を実感していることだろう。 アデーレがもう一度町へと視線を戻そうとしたその時。「ありがとう」 消え入りそうな声で、メリナがつぶやく。「私なんかを信じてくれて、本当に……」 静かな町を見つめたまま、彼女は再び涙をこぼす。 涙はすぐに氷の粒へと変わり、吹き付ける風に流され荒野の方へと消えていく。「お礼を言うのは私の方ですよ」「そんなこと……」 それ以上言葉は続かず、はにかみながらも静かに見つめ合う二人。 しかしこういったやり取りに慣れていないせいか、ほぼ同時に笑い出してしまう。 もう二人の間に険悪な気配は微塵もない。 互いを友と認め、味方と信じあえる仲間がそこにいた。「まあ、【私】はまだ許していませんけどね」 その時、フラムアルクスに変形したアンロックンが低めの声でつぶやく。 普段とは違う、私という一人称。 その上で一切の陽気さを感じさせない威圧的なその声色。 突然のことにアデーレが目を丸くし、顔を上げたメリナは肩を震わせる。 これは相棒であるアンロックンではなく、聖火の女
巨大結晶魔獣の体から、白い光があふれ出す。 体内からは破砕音が轟き、直後に白い閃光が胴体の反対側から突き出す。 体を射抜かれた魔獣は悶絶するように二本の触手を震わせると、結晶同士がこすれ、ぶつかり合う断末魔のような騒音が轟く。 直後に落下するメリナ目掛け触手を振り下ろすも、彼女の背中を支えるアイギスが旋回し巨大な触手を容易く回避する。 触手はそのまま小型の魔獣が集まる地面に叩きつけられ、多くの魔獣を巻き添えにしつつ巨大魔獣が地面に倒れる。 立ち上る土煙の中から、砕けた結晶の破片が周囲へと飛び散る。 やがて倒れた巨大魔獣の体から白い炎が噴き出し、内側から巨大な爆発を引き起こす。 岩や結晶、氷片……無数の破片が空中へと散乱し、それらは地上に落ちる前に霧散していく。 巨大魔獣の撃破を空中で見届けると、メリナは自らの右手に再びグラギデンドを生み出す。 その後眼下に残る魔獣の群れに視線を移すと、彼女の視線に呼応するようにアイギスが地上の向け急降下。 目の前に迫る結晶魔獣が前方へと突き出された穂先で貫かれ、直後にアイギスの翼による突進を受け真っ二つに砕ける。 その後再び上空へと舞い上がったアイギスが、足に掴んでいたメリナを魔獣の群れへと投げ込む。 慣性により前方に向け落下していくメリナは、そのまま地面を滑るようにして着地。 その間もグラギデンドを縦横無尽に振り回し、周囲に集まる魔獣をなぎ倒していく。「ここからッ!」 穂先を地面に突き立て、ブレーキをかけて強引に停止するメリナ。 その直後、氷壁の方から彼女の周囲目掛け、白い炎の矢が降り注ぐ。 矢は次から次へと魔獣を貫いていき、地面に突き刺さると同時に周囲の空気を凍り付かせながら爆散する。 メリナが氷壁の方を見上げると、フラムアルクスを構えたアデーレが壁の下に向け大量の矢を放っていた。「なんとも壮観だね」 文字通り、矢継ぎ早に放たれる炎の矢を前に、プルトがやや困惑した様子でつぶやく。 負傷により前線へ出られないと弱り果てていたアデーレだが、断続的に矢を放つその光景はそれに反する勇ましいものだ。「それがアデーレ……ヴェスティリアなんだよ」「ロントゥーサ島の守護者、か」 メリナの脳裏に、かつてアデーレに救われたときの記憶が蘇る。 自分を使用人として育て上げ、人並みの生活を与えてくれた
ひとしきり涙を流した後、目元をぬぐい立ち上がるメリナ。「ごめん……ありがとう、アデーレ」 普段とは違う、どこか刃のような鋭さもうかがわせるベルシビュラの姿。 だがアデーレに向けたその笑顔は、アデーレがよく知るメリナ・バラッツィのそれと変わらない優しいものだった。 そんな彼女に向けうなずき、満足げにほほ笑むアデーレ。 そしてもう一度、今度はメリナと共に迫り来る魔獣たちの方を睨む。 和解を果たした今、この目の前に迫る危機を共に乗り越えなければならないのだ。 落ちた槍をメリナが手に取り、続いてアデーレが突き立てていたフラムアルクスを引き抜く。 だが、その反動で彼女の体が揺れ、メリナの肩に寄りかかる形になる。 アデーレの表情はわずかにこわばり、それを目の当たりにしたメリナが眉をひそめる。「すみません。実はちょっと本調子じゃなくて」「本調子じゃないって……そっか、そうだよね。たくさん傷ついたんだから」 格好つけた手前、自らが弱っていることを誤魔化すようにアデーレが苦笑を浮かべる。 だが、それを必要以上なまでに深刻にとらえてしまったのだろうか。 寄りかかるアデーレの肩を抱き、その場に座らせるようメリナが促してくる。 しかし、アデーレはもう一度フラムアルクスを杖にしつつ、座ることを拒否。 弱っていることを隠しきることはできていないが、それでも全ての苦痛を強引に押し込める。 そんな彼女の強がりに、それでもメリナは手を差し伸べる。「無理しないで。ここは私に任せてくれていいから」「いえ、目の前のアレを倒すまで、休むわけにはいかないんで」 笑ってみせながらも、魔獣の群れへと視線を外さないアデーレ。 ここまでの激闘の末、ある程度の侵攻は抑えられていたが、もはや一部の個体は最後の防壁に到達している。 このまま巨大魔獣までもがこの場に辿り着けば、結晶魔獣たちが港町になだれ込むのを防ぐのは難しいだろう。 文字通りの正念場。アデーレの言う通り、戦士に休む暇はない。 それはメリナも分かっていることで、姿勢を立て直すアデーレの無理する姿を、彼女はただ黙って見守るのだった。 二人の眼下では、既に結晶魔獣が防壁に攻撃を仕掛けている。 それを確認したアデーレは、右腕の炎を燃え上がらせながらフラムアルクスを構える。「まずはあの巨大魔獣を倒しましょう。こ
高速ですれ違うアデーレとエヴァ。 互いに背を向け、攻撃を振り切った体勢で立ち止まる。 全力を込めた一撃は、アデーレの体に大きな疲労をもたらす。 彼女の体が大きくよろめき、フラムアルクスを突き立て膝を付く。 肩には大きく切り裂かれた傷跡があり、血が吹き上がるように流れていく。 手応えを確信しているのか。 口元を吊り上げ、あざ笑うかのような顔を浮かべながらエヴァが振り返る。 そして、トドメと言わんばかりにもう一度背中の触手をもたげたその瞬間……。「ガはッ!?」 結晶で構成されたエヴァの左半身が、大きく粉砕される。 砕けた体が氷片のように宙を舞い、月明りを反射しながら美しく輝く。 その瞬間を驚愕の表情で眺めるエヴァは、一体何を思うのだろうか。 アデーレの放った一閃が、ついにその体を打ち砕いた。 痛みに耐えるように歯を食いしばり、アデーレが半身を失ったエヴァの方を見る。「と、届かなかっ……偉大な、魔女の……みとめ、ないッ」 敗北を受け入れていないであろうエヴァが、ろれつの回らない声で叫びながら顔を歪ませる。 残された右半身で必死にバランスを取り、残された触手を振り乱しながら跪くアデーレに迫ろうともがく。 しかしその足掻きもむなしく、彼女は一歩たりとも前進することなく崩れ落ちる。 歯を剥き出しにし、怒りを露わにしながらも右手をアデーレの方へと伸ばすエヴァ。 バランスを崩した体は、そのまま陥没穴の方へと転げ落ちていく。「認める、ものか――ッ!!」 半身のない体で、エヴァが裂けんばかりの絶叫を上げながら落ちていく。 もはや陶酔していた結晶の魔女の力も、アデーレの体に届くことはない。 その声も周囲の轟音にかき消され、彼女の気配は荒野の中に消えていった。「……倒せた、かな?」 フラムアルクスを支えに立ち上がり、アデーレが穴の方を覗く。 転げ落ちたエヴァの姿は確認できず、残された結晶魔獣が群れを成してアデーレを倒さんと上っている。 魔獣の群れに飲み込まれたエヴァを探すのは難しいだろう。 姿が確認できないことに一抹の不安を覚えつつも、最大の障害を退けたことには変わりない。 そして、アデーレには人々を守るという優先すべき大事な仕事が残されている。 しかし、渾身の一撃を放った彼女には、これ以上戦う力はほとんど残されていない。
白色の炎を纏い、新たな力を会得したアデーレ。 冷たい月明りによる手痛い攻撃を受けたためか、いよいよエヴァの顔から余裕というものが消え失せる。 彼女は無言のまま、その結晶で作られた鋭利な腕をアデーレへと向ける。 それに呼応するように、脚を止めていた周囲の魔獣たちが一斉に動き出す。 これまでと変わらない、数による一斉襲撃でアデーレを圧倒しようという魂胆だろう。 背中の触手を伸ばしたエヴァも、両腕を広げながら迫り来る。 魔獣たちがアデーレの間合いに入った瞬間、彼女はその場で回転しながら後方に移動する。 その間、柄の両端に刃が付くフラムアルクスが、手首の捻りによって波打つように中空を舞う。 揺らめく姿はそよ風。しかし敵を切り裂くその瞬間、刃は光の筋となって魔獣の体を一閃する。 しかし、エヴァは身を逸らすことで流れるような斬撃を回避。 回避する彼女をアデーレは深追いせず、一気に距離を離してから燃え盛る炎の矢をフラムアルクスにつがえる。「諦めの悪いことで」 吐き捨てるようなエヴァの言葉に続き、双方の間合いに結晶魔獣が割って入る。 直後、アデーレの手から炎の矢が放たれ、それは一直線に結晶魔獣の胴体を貫く。 抜けてきた矢をエヴァは紙一重で回避するも、今度は射抜かれた魔獣の爆発が彼女を後方へ押し返す。 刃の斬撃と矢の一撃を合わせたアデーレの動きは、舞いを奉納する巫女のそれを思わせる。 白いコートを大きくなびかせ、時折ずれる帽子の位置を直す姿は壮美にも映る。 そのトリッキーな戦闘スタイルは、魔獣たちを確実に翻弄していく。 普段の火竜の力とは正反対となる動きは、もはや別の戦士といっても過言ではない。「いいね……体が軽いっ」 その場で軽く跳躍し、眼下に目掛け弓を構えるアデーレ。 大きく燃え盛る右腕から多数の矢が一斉に生成され、魔獣目掛け放たれる。 炎の矢は白い光跡を残しながら地面へと降り注ぎ、群れとなった魔獣を無作為に貫いていく。 上空からの射掛けは止むことを知らず、白い流星雨が魔獣の群れを打倒していく。 対するエヴァも、降り注ぐ矢を瞬間移動の如き素早さで回避すると、背中の触手で地面を叩き飛び上がる。 結晶の刃となった腕がアデーレを捉え、彼女の心臓を貫かんと突き出される。 しかしフラムアルクスと研ぎ澄まされた腕がぶつかり合い、エヴァの
アデーレがバルダート別邸に到着した時、使用人たちの間では既に怪鳥の話題で持ちきりだった。 使用人たちが集まる、屋敷一階の使用人控室。 主人らが使う部屋とは違い、シックな家具でまとめられた絢爛から程遠い部屋である。 しかしそこは名だたる名家、天下のバルダート家だ。 たとえ使用人が使う家具だろうとも、庶民が一年休まず働いても買うことのできないものばかりである。「アデーレ、本当に何ともないの?」「はい、大丈夫です」
「それで、あなたは一体何なの?」 少年が家族のいる場所へと駆け出していった後。 アデーレは破壊された大通りを離れ、人目を避けられる裏路地に移動していた。 この場にアデーレ以外に人の姿はなく、傍には彼女の後についてきたあの錠前が浮いていた。 緩やかに揺れる錠前からは、金属がぶつかり合うような音がかすかに聞こえる。
普段ならば多くの人で賑わう大通り。 だが、怪鳥の出現によって人々は逃げ出し、アデーレの手によって怪鳥が倒された後は、周囲を静寂が包み込んでいた。「そういえば、これってどうやれば戻れるんだろ」 自身の髪を手にし、それを見つめるアデーレ。 いくら確認してみても、見慣れぬルビー色の髪が目に映る。
空気が焼けたかのような熱気が、アデーレの全身にまとわりついていた。 呆然と自分が伸ばした手の先を見つめるアデーレ。 手からは白い蒸気が昇り、その先には倒れ込む怪鳥の姿があった。 子供は最初と変わらず、自身の身を抱きながらその場でうずくまっていた。 「……え?」 アデー