Masuk良太の記憶を取り戻して、六年の歳月が過ぎた。
あれからアデーレの性格は、徐々に良太の人間性に引っ張られてしまった。
しかし彼女も元来おとなしい性格だったためか、周囲から違和感を抱かれたことは数えるほどしかない。
また、両親に恵まれなかった良太とは違い、アデーレの両親であるヴェネリオ、サンドラ夫妻は深い愛情を持っていた。
一人娘故の溺愛ともいえるが、農民なりに女性として満足のいく生活を送らせてあげようと、アデーレに着飾る機会などを与えてくれた。
今のアデーレは、良太が送った二十一年の人生と地続きになったような状態だ。
純粋なアデーレ・サウダーテとして育てられた十年の月日があったためか、幸いにも性別が変わったことを受け入れるのにそれほど時間が掛かることはなかった。
むしろ、そうでなければ……そんなことをふと思いつつ、着替え中の自身を鏡に映す。
「
そう言って、肌着越しに自分の胸に手をやる。
佐伯 良太としての率直な感想は、でかい。町でも上の方の大きさである。
おかげで町の男共の視線を集めるし、コルセットやら何やらは息が詰まる。
自分が女性であるという自覚があるからまだよかったが、着替える度に毎度ガチガチに抑え込むのは苦痛だった。
また、身長もかつての良太に比べれば低いとはいえ、女性としては高い方だろう。
東洋人では考えられない脚の長さについては、初めて気づいたときに感動してしまったほどだ。
とはいえ、男の頃の生活を思い出すと、今の身だしなみに気を遣わなければいけない生活は窮屈で仕方がない。
髪は伸ばした方が似合うと母に言われ、現在は長い髪を腰の上あたりで切りそろえている。
これを毎度キャップが収まるようまとめるのが、とにかく面倒なのだ。
大体これでは伸ばした意味があるのかと、アデーレとしては常日頃疑問に思っていた。
「アデーレ、ちょっと来てくれないかしらー?」
扉越しに聞こえる母の声。
さすがに下着姿のまま自室を出る訳にもいかない。
「ちょっと待っててー」
扉に向けて返事をするアデーレ。
そのまま周囲の衣服を手に取り、手早く朝の着替えを済ませるのだった。
◇
十六歳になったアデーレの仕事は、主に農作業の手伝いだ。サウダーテ家の農場は港町から少し離れた丘の中腹にあり、主にトマトを栽培している。
季節は初夏。
ロントゥーサ島では乾いた夏風が吹き、支柱に巻き付いたつるが風に揺れ、赤く実ったトマトが……。
というのはあくまで例年の話。
残念ながら今年の夏は悪天候が続き、日照不足と季節外れの雨が乾燥に強い農作物の生育に悪影響を及ぼしていた。
サウダーテ家の畑に植えられたトマトも、つるの生長は鈍く、また花も少なかった。
緑が失われ、色の悪い葉も見受けられる。
「参ったな……」
アデーレの父ヴェネリオが、頭を掻きながら生育の悪い畑を眺める。
日焼けした肌が印象的な、茶髪の優男だ。
「元気なさそうだね、トマト」
「ああ。本当にな」
隣に立つアデーレの言葉を受けて、ヴェネリオはがっくりと肩を落としてしまう。
ロントゥーサ島の農作物は、環境的に日光と乾燥を好むものが特に多い。
故に不作なのはヴェネリオの畑だけではない。
むしろロントゥーサ島だけではなく、周辺の島々でも同じ問題が起きている。
念のためと用意した食料備蓄は十分だ。
一回不作が起きたからといって、急に
漁業だって発達しているのだから、食料に関してはむしろ恵まれた環境にあると言える。
問題は、日々の生活費や税金である。
基本的に作物は売り物だ。食べることに困らずとも、売り物がなければ結局貧しくなる。
また税についても江戸時代のような物納とは違い、忌々しくも馴染み深い金納の方式だ。
かつて暮らしていた日本と同じく、食べられるものがあればそれでよいとはいかない。
「今年の収穫は諦めるしかないか……そうなると本島で出稼ぎだなぁ、父さんは」
本島とは、ロントゥーサ島の南西に位置する大きな島、【シシリューア島】のことである。
ロントゥーサ島を含む周辺の島々は、シシリューア島に首都を擁する【シシリューア共和国】という国に属している。
つまりこの島にはないような仕事も、本島ならば引く手あまたということもあり得る。
さて、出稼ぎを覚悟しなければならない状況になったヴェネリオは、涙目でアデーレの方を見ていた。
「……寂しくなるなぁ」
娘や妻と離れ離れになることを想像してしまったのか、見て分かるくらいに落ち込んでいた。
ヴェネリオは分かりやすほどに子煩悩であり、誰よりも妻を愛している。
最悪半年以上……一年近く家族と会えない状況に耐えられるのか、アデーレも懐疑的だ。
また良太の人生において、このように愛されたのは祖父母と過ごしたごく一部の期間のみだ。
この深い愛情に戸惑うこともあるが、素直に感謝していた。
同時に、アデーレというもう一人の自分を、羨ましく思うこともあったのだが。
何はともあれ、良太の心情としても今のヴェネリオは不憫に思えて仕方なかったのだ。
ところで、十六歳になるとこの世界では社会に出て仕事に就くことも珍しくない年齢である。
「何なら、私も働くから」
このまま父を出稼ぎに送るのは、忍びないを通り越して心配すら付きまとう。
何より家に母と娘二人というのも物騒である。
そういう考えもあって、自らこの島で別の仕事を見つける提案をしたのだ。
島外に出ずとも、必要な金を稼ぐくらいの仕事はあるはずだから。
「アデーレ……いいのかい?」
「うん。だって私、もう十六だよ」
「ああ、年齢なんて関係ないよ。アデーレはいつまでも私達の娘なのだからっ」
今にも自分を抱きしめてきそうなヴェネリオを制止するように手をかざすアデーレ。
「うんうん。分かったから落ち着いて」
この父親、娘を家業以外の仕事に出すことに抵抗があるのだろうか。
目頭を押さえ、涙をこらえる父の背中を撫でてやるアデーレ。
とはいえ、果たしてこの島でアデーレが就ける仕事はあるのだろうか。
「職探し、か」
ふと思い出すのは、かつて祖父母に迷惑をかけないようにとバイトを探していた頃の自分。
あの頃とは性別も年齢も、何なら世界だって違う。
一体どんな仕事があるのだろうか。
(せめて、奴隷みたいなのは勘弁だなぁ)
よくあるフィクションの展開を思い出しつつ、アデーレは曇天の空を見上げるのだった。
◇
「……マジかぁ」アデーレは係留用のロープを繋ぐ短い柱の上に座り、深くうなだれていた。
職に関する見立ては、間違っていなかった。
実際漁港は盛況だし、市場だって新鮮な魚の取引で賑わっている。
だが、仕事を求めているのはサウダーテ家だけではないのだ。
他の農家たちも今年の不作で仕事を求め、当然港までやってくる。
こうなると、力のある男達が優先され、女性が割り込むのは実質不可能だ。
性別とはかくも高く険しい壁なのか。
うつむき、深いため息を漏らすアデーレ。
家族と一緒にいたいという父の願いを叶えてあげたい。そう考えてはいるのだが。
そんな落ち込むアデーレに、日を遮るように人影が差し込む。
「あら、アデーレじゃない」
頭上から掛けられる声。
見上げるとそこには、黒い地味なドレスを身にまとった女性が立っていた。
「元気なさそうね。暑さにやられたの?」
茶色のポニーテールを揺らしながらしゃがみ、アデーレの顔を覗き込む女性。
彼女の白く細い手が、アデーレの額に当てられる。
「ああ……おはよう、メリナさん」
「うん、おはよ。それで体の方は?」
「大丈夫です。うん、大丈夫」
メリナと呼んだ女性に、アデーレは苦笑を返す。
彼女はメリナ・バラッツィ。アデーレとは六年前に知り合った年上の友人だ。
六年前……あの時エスティラに責められていた茶髪の使用人が、お嬢様に付いて日の浅いメリナだった。
あの後町で偶然再会し、それ以来彼女は何かとアデーレを気にかけてくれている。
ちなみに現在も使用人の仕事を続けており、アデーレが聞くには菓子を作る仕事をしているらしい。
「大丈夫って顔じゃないでしょ。何があったの?」
それなりに長い付き合いであるメリナに、ごまかしはあまり通用しない。
こちらが話すまで、隣で寄り添い続けるだろう。
それでは逆にメリナの迷惑になると思い、アデーレは職探し中であることを簡潔に話した。
「そっかぁ。やっぱアデーレは優しいね」
「そんなことは……」
「謙遜しないの。でも仕事ねぇ」
アデーレの隣に立ち、腕を組むメリナ。
「そういう事情だと、探すのも一苦労だ」
「力仕事でも平気なんですけど、やっぱり男優先なもので」
「平気って、相変わらずアデーレは男らしいねぇ」
男らしいとはいうが、実際に前世では男をやっていた。
それに農家の娘ということで、多少の力仕事も慣れたものである。
また、この世界での学業は読み書きや必要な計算を教わった程度だが、前世では現代日本での義務教育を受けてきた身。
それに入試を真面目に意識してからは、それなりに学んできたつもりだ。
故にこの世界の水準ならば、平均以上の教育を受けてきた扱いでも不思議ではないだろう。
それを活かす仕事が、この狭い島にはそれほど多くないのだが。
「でもそうだよね、アデーレは器用な子だし。家事の手伝いもしてきたよね?」
「ほどほどには」
掃除や洗濯、台所仕事は一通り経験してきた。
これもまた、過去の良太が劣悪な環境にあったために、必要最低限はやってきたことだ。
「んー……アデーレ、ちょっと立ってみて」
アデーレに向けて、メリナの右手が差し伸べられた。
突然だったが、アデーレは特に何の疑問も持たず、向けられた手を借りて立ち上がる。
すると、メリナはアデーレの真正面に向き合い、頭頂からつま先までを数回見渡し始める。
「アデーレって年下だけど、私より身長高いんだよねぇ。羨ましい」
「身長高くても、それほど得なことはないんじゃ?」
「いやいや、使用人っていうのは見た目大事だから。高身長だとできる仕事が増えるんだよ」
「そういうものですか……ひゃっ!」
痺れるような感覚がアデーレの背中から頭頂に向け一直線に突き抜ける。
アデーレが油断したところに、メリナの両手が彼女の胸を持ち上げたのだ。
突然のことで声が出てしまい、肩をすくめる。
女性同士のスキンシップではあるのだが、男性としての経験の方が長いと未だに違和感を覚えてしまう。
「ああ、ごめんごめん。可愛い声だねぇ」
にやりと笑うメリナ。
そんな彼女を、アデーレは呆れたように見つめ返す。
「なんなんですか、一体」
「まぁまぁ怒んないでって。でもやっぱ、うん。いいね」
顎に手を当て、メリナがうんうんとうなずく。
アデーレには、彼女が一体何に納得したのか、いまいち理解が及ばない。
発言からしても、ただのいたずらなセクハラ行為にしか思えなかった。
そんな困惑するアデーレをよそに、メリナが口を開く。
「せっかくこれだけ恵まれてるんだし……アデーレ、お屋敷で使用人やってみない?」
使用人。その言葉を受け、アデーレは目を丸くする。
メリナが言うお屋敷というのは、港町の小高い丘の上に建つ、一際大きな豪邸のことだ。
その豪邸は、島の者達から【バルダート家の別荘】として認知されている。
夏場の避暑地として建てられたもので、メリナがここに来ているということは、今年もバルダート家の一族が別荘に来ているのだろう。
ちなみに、メリナが今の格好をしているときは、休憩か休暇のどちらかで町に来ているということだ。
しかし、彼女の提案にアデーレは驚きを隠せなかった。
農家の娘が使用人として屋敷に仕えるのは珍しくないが、アデーレにその気は一切ないのだ。
何せ、過去に険悪な間柄になった娘の家だ。
距離を置こうとするのは当然だし、メリナもその理由を知らないはずがない。
「使用人って……私が行くと、お嬢様が」
「御付きでもない限り、顔を合わせる機会なんてほぼないよ?」
案の定、アデーレが屋敷を避けていることはメリナも理解していたようだ。
その言葉で、アデーレが安心できるかは別の話だが。
「それに、今年はちょっと色々あってね。人手を紹介できないかって私も言われてて」
「えっ、どうしたんですか?」
小さくため息を漏らすメリナ。
そして周囲には聞かれないよう、口元に手をやりアデーレに耳打ちをする。
「エスティラお嬢様がね、今年からここのお屋敷で暮らすことになったのよ」
あのお嬢様が屋敷で暮らす。
それはすなわち、ロントゥーサ島での永住を意味する。
その言葉に、アデーレは一瞬目の前が真っ暗になった。
「それで、どうかな? 使用人の仕事」
おそらく、内情は相当大変なことになっているのだろう。
普段通りに見えるメリナも、本心では切羽詰まっているように感じられた。
現在求職中で、世話になっている人からの誘い。
そして今まで避けて来た人物が、今後島で永住するという事実。
こうなると、断りづらいというよりは、断ってもさほど意味がないようにも感じられてしまう。
「……まずは、話を聞いてみるってことで」
アデーレは心の中でつぶやく。
さらば、平穏な我が生活よ、と。
礼拝堂を後にしたアデーレは、一人バルダート家の屋敷に続く坂道を上っていた。 この道は港から続く大通りで、馬車も通れるよう頑丈な石畳によって舗装されている。 バルダートのお嬢様と最悪の出会いを果たしたのも、この場所だった。 バルダート家がこの地に別邸を持ったのは、避暑のためである。 シシリューア島は周囲の島々に比べると、地熱の影響により気温が高いらしい。 だからロントゥーサ島の、風通しが良く港からも近い土地に別邸を建てたそうだ。 (だからって、歩いて通うのにこの坂はちょっと大変だ) 額に汗をにじませながら、アデーレは屋敷へ続く坂道を上る。 勾配は緩やかだが、それでも今日の晴天はほどほどに疲労を蓄積させてくる。 これが夏本番になると、気温はさらに上昇する。 こうなると、たとえ実家が近いとはいえ、屋敷の使用人部屋で住み込みという選択肢も出てくる。 なお、その場合の父の反応は、推し量るまでもなく容易に想像がつく。 そんな、アデーレ・サウダーテとしての日常。 これまでを振り返り、そしてこれからに思いを馳せ……。 時折思うのは、この先自分はどういう人生を送るのだろうということだ。 今はまだ、佐伯 良太として歩んだ時間の方が長い。 だが後十年も経たずして、アデーレは良太の享年を超えることとなる。 今後、アデーレとしてそれらしい人生を送るのだろう。
その日は一日、屋敷の掃除に明け暮れることとなった。 拭き掃除に掃き掃除、使われていなかった家具を磨き本家から運ばれた食器を磨き……。 幸いだったのは、夕暮れまでに帰宅することが許されたことだろうか。 「そう。そんなに急なお話だったの」 テーブルに突っ伏すアデーレを、食器を片付けるサンドラが心配そうに見つめる。 いつもは率先して家事を手伝うアデーレだが、慣れない重労働で動く気力を失っていた。 「家事ならって……正直、なめてた」 「さすがバルダート家のお屋敷だな。掃除一つ取ってもうちの比じゃなかったんだね」 顔を上げずに話すアデーレの肩を、ヴェネリオが優しくさする。 「それだけじゃないよ。あんなに広いのに人が少ないし」 メリナと仕事を進めていくうちに、アデーレは気づいたことがあった。 それは、メリナのような経験を積んだベテランの使用人が、一人か二人の新米使用人を連れて仕事をしてたということだ。 ベテランの使用人は、おそらくメリナを含めて十人ほど。 彼女達が率いる新人は、同年代の顔見知りばかりだった。 顔見知りが多いのは気楽だが、未経験者ばかりでは手際が悪い。 そうなると仕事量は増え、一人ひとりの負担も大きくなる。 その結果が、帰るなり息も絶え絶えのアデーレというわけだ。 (メリナさんもそうだけど、先輩たちの手際
その日の夜……。「えっ、ドゥラン様のところへご奉公に行くの?」 ランプの明かりに照らされたダイニングで、家族と夕食を囲んでいたアデーレ。 向かい側に座る両親との話題は、昼間のメリナと交わしたやり取りだ。 真っ先に反応したのは母のサンドラ。 アデーレは母親似で、特に背中の辺りまで伸ばした青交じりの黒髪はサンドラ譲りだ。「やってみないかって誘われただけだから。確かに六年前のことはあるけど……」 六年前のことは、島の者なら誰でも知っている。 大貴族バルダート家の一人娘に楯突いた農家の娘。 そのことで忌諱されるなどといったことはなかったが、良くも悪くも度胸がある子だと一目置かれることとなった。 あの頃は良太が物を知らなかっただけのことで、バルダート家がどういった家柄なのかもわからず口を挟んでしまった。 お嬢様ことエスティラの父、ドゥラン執政官。 執政官とは、ここシシリューア共和国における国家元首なのだ。 後にそのことを知ったアデーレ……というより良太は、いよいよ国のトップの娘に口出ししてしまったのかと、色々な意味で自分に感心してしまったものだ。 だが、後悔はしていないし、自分が悪いことをしたという認識もない。 何よりメリナと知り合えることも出来たのだ。今ではいい思い出だろう。一応は。「父さんは悪くないと思うよ。数年働けば、転職の際の紹介状も書いてもらえるらしいじゃないか」「そうは言ってもあなた、もしもエスティラお嬢様に目を付けられでもしたら」「なあに、あのドゥラン様のご息女だよ。六年も前のことを根に持つようなことはないさ」 手にしていたスプーンを皿に置いて、アデーレの顔色をうかがうサンドラ。 楽観的なヴェネリオに対し、やはりサンドラは娘の身を案じているようだ。「メリナさんが、一般の人はお嬢様に会うことはめったにないって」「そうかもしれないけど……やっぱり心配だわ」 サンドラのため息が、アデーレの耳に残る。 過保護を人の形にしたようなヴェネリオほどではないにしても、サンドラも人並みの母親以上の思いをアデーレに抱いていることが伺える。「まぁまぁ。それで、アデーレはどう考えているんだい?」「私は……一度屋敷に行ってみようと思う」 「そうか」とつぶやき、ヴェネリオが姿勢を改める。 アデーレの言葉を聞いたサ
良太の記憶を取り戻して、六年の歳月が過ぎた。 あれからアデーレの性格は、徐々に良太の人間性に引っ張られてしまった。 しかし彼女も元来おとなしい性格だったためか、周囲から違和感を抱かれたことは数えるほどしかない。 また、両親に恵まれなかった良太とは違い、アデーレの両親であるヴェネリオ、サンドラ夫妻は深い愛情を持っていた。 一人娘故の溺愛ともいえるが、農民なりに女性として満足のいく生活を送らせてあげようと、アデーレに着飾る機会などを与えてくれた。 今のアデーレは、良太が送った二十一年の人生と地続きになったような状態だ。 純粋なアデーレ・サウダーテとして育てられた十年の月日があったためか、幸いにも性別が変わったことを受け入れるのにそれほど時間が掛かることはなかった。 むしろ、そうでなければ……そんなことをふと思いつつ、着替え中の自身を鏡に映す。「中身、男のままだったらまずかったなぁ、これ」 そう言って、肌着越しに自分の胸に手をやる。 佐伯 良太としての率直な感想は、でかい。町でも上の方の大きさである。 おかげで町の男共の視線を集めるし、コルセットやら何やらは息が詰まる。 自分が女性であるという自覚があるからまだよかったが、着替える度に毎度ガチガチに抑え込むのは苦痛だった。 また、身長もかつての良太に比べれば低いとはいえ、女性としては高い方だろう。 東洋人では考えられない脚の長さについては、初めて気づいたときに感動してしまったほどだ。 とはいえ、男の頃の生活を思い出すと、今の身だしなみに気を遣わなければいけない生活は窮屈で仕方がない。 髪は伸ばした方が似合うと母に言われ、現在は長い髪を腰の上あたりで切りそろえている。 これを毎度キャップが収まるようまとめるのが、とにかく面倒なのだ。 大体これでは伸ばした意味があるのかと、アデーレとしては常日頃疑問に思っていた。「アデーレ、ちょっと来てくれないかしらー?」 扉越しに聞こえる母の声。 さすがに下着姿のまま自室を出る訳にもいかない。「ちょっと待っててー」 扉に向けて返事をするアデーレ。 そのまま周囲の衣服を手に取り、手早く朝の着替えを済ませるのだった。 ◇ 十六歳になったアデーレの仕事は、主に農作業の手伝いだ。 サウダーテ家の農場は港町
石灰の塗られた白い建物が並ぶ、石畳の大通り。 道の両側には店舗が並び、軒先に日よけを張り、野菜や日用雑貨が陳列されている。 路肩に積まれた木箱や樽。道行く人々。 日常の雑多な風景の中に、人々が取り巻く生活空間が生まれていた。 その中心にいるのは、眉を吊り上げ腕を組む、いかにも不機嫌そうな金髪の少女だ。 周囲の人々が着るくたびれた服とは違う、フリルをこしらえたピンク色のドレスは、彼女が高貴な家柄の人物であることを物語っている。 さて、そんな少女の前には、十代後半と思われる少女が膝立ちになり、何かを懇願している様子だった。 彼女の姿は黒いワンピースにエプロンドレス。白いキャップを被った明るい茶髪。 おそらくは、目の前の少女の家に仕える使用人だろう。「私のやることにケチ付けるとか、メイドのくせにっ」「で、ですが奥様からの言いつけですので、どうか」「いーやーだー!」 懇願する使用人に対し、お嬢様は耳を押さえてそっぽを向く。 状況の分からないアデーレだったが、それだけでお嬢様がわがままを通そうとしていることは分かる。 外見からして、彼女はまだ十歳に満たないくらいの子供だろう。 そうなれば、きっとアデーレと同じぐらいの年齢だ。 ただしこちらの精神面は二十歳過ぎの男でもある。 わがままを通そうとするお嬢様の姿に、内心呆れていた。「ありゃあ、バルダート様んトコの娘さんか?」「まーたお嬢様の癇癪かぁ」
最初に感じたのは、吹き抜ける潮風だった。 鼻をくすぐる海の匂い。全身を包む柔らかな感触。 とても穏やかに、体が揺れる。 (……あれ?) それは、あまりにもおかしな感覚だった。 違和感が脳内を駆け巡り、急ぎ周囲を確認するため目を開けてみる。 眩しさに目を細めた後、目の前に広がっていたのは楽園を思わせる美しい海。 海底の砂が見えるほどの透明度と、青と緑の混じるエメラルドグリーン。 そんな海を見渡せる白い砂浜の上に、脚を伸ばして座っていた。 しかし、その脚は小さく細く色白で全く見慣れないものだった。 手に付いた砂を払おうと、視線を下に移す。 ……見慣れない服。髪も長くて鬱陶しさを覚える。 手のひらは小さく、これまでのトレーニングのおかげでごつくなった手ではない。 砂浜の白に負けないほどに美しい、色白でほっそりとした子供の手だ。 更に視線を落とせば、多少だが胸に膨らみがあるように見受けられる。 (何だ? 何が起きてる?) ゆっくりと、裸足のまま砂浜に立つ。 青い海、白い砂浜。遠くには白い岩の岬が海に向かって伸びる。 そして今になって気づく。【彼は】自分がズボンをはいていないことに。 着ている服は、男からすれば馴染みのないベージュのワンピースというもの







