เข้าสู่ระบบ良太の記憶を取り戻して、六年の歳月が過ぎた。
あれからアデーレの性格は、徐々に良太の人間性に引っ張られてしまった。
しかし彼女も元来おとなしい性格だったためか、周囲から違和感を抱かれたことは数えるほどしかない。
また、両親に恵まれなかった良太とは違い、アデーレの両親であるヴェネリオ、サンドラ夫妻は深い愛情を持っていた。
一人娘故の溺愛ともいえるが、農民なりに女性として満足のいく生活を送らせてあげようと、アデーレに着飾る機会などを与えてくれた。
今のアデーレは、良太が送った二十一年の人生と地続きになったような状態だ。
純粋なアデーレ・サウダーテとして育てられた十年の月日があったためか、幸いにも性別が変わったことを受け入れるのにそれほど時間が掛かることはなかった。
むしろ、そうでなければ……そんなことをふと思いつつ、着替え中の自身を鏡に映す。
「
そう言って、肌着越しに自分の胸に手をやる。
佐伯 良太としての率直な感想は、でかい。町でも上の方の大きさである。
おかげで町の男共の視線を集めるし、コルセットやら何やらは息が詰まる。
自分が女性であるという自覚があるからまだよかったが、着替える度に毎度ガチガチに抑え込むのは苦痛だった。
また、身長もかつての良太に比べれば低いとはいえ、女性としては高い方だろう。
東洋人では考えられない脚の長さについては、初めて気づいたときに感動してしまったほどだ。
とはいえ、男の頃の生活を思い出すと、今の身だしなみに気を遣わなければいけない生活は窮屈で仕方がない。
髪は伸ばした方が似合うと母に言われ、現在は長い髪を腰の上あたりで切りそろえている。
これを毎度キャップが収まるようまとめるのが、とにかく面倒なのだ。
大体これでは伸ばした意味があるのかと、アデーレとしては常日頃疑問に思っていた。
「アデーレ、ちょっと来てくれないかしらー?」
扉越しに聞こえる母の声。
さすがに下着姿のまま自室を出る訳にもいかない。
「ちょっと待っててー」
扉に向けて返事をするアデーレ。
そのまま周囲の衣服を手に取り、手早く朝の着替えを済ませるのだった。
◇
十六歳になったアデーレの仕事は、主に農作業の手伝いだ。サウダーテ家の農場は港町から少し離れた丘の中腹にあり、主にトマトを栽培している。
季節は初夏。
ロントゥーサ島では乾いた夏風が吹き、支柱に巻き付いたつるが風に揺れ、赤く実ったトマトが……。
というのはあくまで例年の話。
残念ながら今年の夏は悪天候が続き、日照不足と季節外れの雨が乾燥に強い農作物の生育に悪影響を及ぼしていた。
サウダーテ家の畑に植えられたトマトも、つるの生長は鈍く、また花も少なかった。
緑が失われ、色の悪い葉も見受けられる。
「参ったな……」
アデーレの父ヴェネリオが、頭を掻きながら生育の悪い畑を眺める。
日焼けした肌が印象的な、茶髪の優男だ。
「元気なさそうだね、トマト」
「ああ。本当にな」
隣に立つアデーレの言葉を受けて、ヴェネリオはがっくりと肩を落としてしまう。
ロントゥーサ島の農作物は、環境的に日光と乾燥を好むものが特に多い。
故に不作なのはヴェネリオの畑だけではない。
むしろロントゥーサ島だけではなく、周辺の島々でも同じ問題が起きている。
念のためと用意した食料備蓄は十分だ。
一回不作が起きたからといって、急に
漁業だって発達しているのだから、食料に関してはむしろ恵まれた環境にあると言える。
問題は、日々の生活費や税金である。
基本的に作物は売り物だ。食べることに困らずとも、売り物がなければ結局貧しくなる。
また税についても江戸時代のような物納とは違い、忌々しくも馴染み深い金納の方式だ。
かつて暮らしていた日本と同じく、食べられるものがあればそれでよいとはいかない。
「今年の収穫は諦めるしかないか……そうなると本島で出稼ぎだなぁ、父さんは」
本島とは、ロントゥーサ島の南西に位置する大きな島、【シシリューア島】のことである。
ロントゥーサ島を含む周辺の島々は、シシリューア島に首都を擁する【シシリューア共和国】という国に属している。
つまりこの島にはないような仕事も、本島ならば引く手あまたということもあり得る。
さて、出稼ぎを覚悟しなければならない状況になったヴェネリオは、涙目でアデーレの方を見ていた。
「……寂しくなるなぁ」
娘や妻と離れ離れになることを想像してしまったのか、見て分かるくらいに落ち込んでいた。
ヴェネリオは分かりやすほどに子煩悩であり、誰よりも妻を愛している。
最悪半年以上……一年近く家族と会えない状況に耐えられるのか、アデーレも懐疑的だ。
また良太の人生において、このように愛されたのは祖父母と過ごしたごく一部の期間のみだ。
この深い愛情に戸惑うこともあるが、素直に感謝していた。
同時に、アデーレというもう一人の自分を、羨ましく思うこともあったのだが。
何はともあれ、良太の心情としても今のヴェネリオは不憫に思えて仕方なかったのだ。
ところで、十六歳になるとこの世界では社会に出て仕事に就くことも珍しくない年齢である。
「何なら、私も働くから」
このまま父を出稼ぎに送るのは、忍びないを通り越して心配すら付きまとう。
何より家に母と娘二人というのも物騒である。
そういう考えもあって、自らこの島で別の仕事を見つける提案をしたのだ。
島外に出ずとも、必要な金を稼ぐくらいの仕事はあるはずだから。
「アデーレ……いいのかい?」
「うん。だって私、もう十六だよ」
「ああ、年齢なんて関係ないよ。アデーレはいつまでも私達の娘なのだからっ」
今にも自分を抱きしめてきそうなヴェネリオを制止するように手をかざすアデーレ。
「うんうん。分かったから落ち着いて」
この父親、娘を家業以外の仕事に出すことに抵抗があるのだろうか。
目頭を押さえ、涙をこらえる父の背中を撫でてやるアデーレ。
とはいえ、果たしてこの島でアデーレが就ける仕事はあるのだろうか。
「職探し、か」
ふと思い出すのは、かつて祖父母に迷惑をかけないようにとバイトを探していた頃の自分。
あの頃とは性別も年齢も、何なら世界だって違う。
一体どんな仕事があるのだろうか。
(せめて、奴隷みたいなのは勘弁だなぁ)
よくあるフィクションの展開を思い出しつつ、アデーレは曇天の空を見上げるのだった。
◇
「……マジかぁ」アデーレは係留用のロープを繋ぐ短い柱の上に座り、深くうなだれていた。
職に関する見立ては、間違っていなかった。
実際漁港は盛況だし、市場だって新鮮な魚の取引で賑わっている。
だが、仕事を求めているのはサウダーテ家だけではないのだ。
他の農家たちも今年の不作で仕事を求め、当然港までやってくる。
こうなると、力のある男達が優先され、女性が割り込むのは実質不可能だ。
性別とはかくも高く険しい壁なのか。
うつむき、深いため息を漏らすアデーレ。
家族と一緒にいたいという父の願いを叶えてあげたい。そう考えてはいるのだが。
そんな落ち込むアデーレに、日を遮るように人影が差し込む。
「あら、アデーレじゃない」
頭上から掛けられる声。
見上げるとそこには、黒い地味なドレスを身にまとった女性が立っていた。
「元気なさそうね。暑さにやられたの?」
茶色のポニーテールを揺らしながらしゃがみ、アデーレの顔を覗き込む女性。
彼女の白く細い手が、アデーレの額に当てられる。
「ああ……おはよう、メリナさん」
「うん、おはよ。それで体の方は?」
「大丈夫です。うん、大丈夫」
メリナと呼んだ女性に、アデーレは苦笑を返す。
彼女はメリナ・バラッツィ。アデーレとは六年前に知り合った年上の友人だ。
六年前……あの時エスティラに責められていた茶髪の使用人が、お嬢様に付いて日の浅いメリナだった。
あの後町で偶然再会し、それ以来彼女は何かとアデーレを気にかけてくれている。
ちなみに現在も使用人の仕事を続けており、アデーレが聞くには菓子を作る仕事をしているらしい。
「大丈夫って顔じゃないでしょ。何があったの?」
それなりに長い付き合いであるメリナに、ごまかしはあまり通用しない。
こちらが話すまで、隣で寄り添い続けるだろう。
それでは逆にメリナの迷惑になると思い、アデーレは職探し中であることを簡潔に話した。
「そっかぁ。やっぱアデーレは優しいね」
「そんなことは……」
「謙遜しないの。でも仕事ねぇ」
アデーレの隣に立ち、腕を組むメリナ。
「そういう事情だと、探すのも一苦労だ」
「力仕事でも平気なんですけど、やっぱり男優先なもので」
「平気って、相変わらずアデーレは男らしいねぇ」
男らしいとはいうが、実際に前世では男をやっていた。
それに農家の娘ということで、多少の力仕事も慣れたものである。
また、この世界での学業は読み書きや必要な計算を教わった程度だが、前世では現代日本での義務教育を受けてきた身。
それに入試を真面目に意識してからは、それなりに学んできたつもりだ。
故にこの世界の水準ならば、平均以上の教育を受けてきた扱いでも不思議ではないだろう。
それを活かす仕事が、この狭い島にはそれほど多くないのだが。
「でもそうだよね、アデーレは器用な子だし。家事の手伝いもしてきたよね?」
「ほどほどには」
掃除や洗濯、台所仕事は一通り経験してきた。
これもまた、過去の良太が劣悪な環境にあったために、必要最低限はやってきたことだ。
「んー……アデーレ、ちょっと立ってみて」
アデーレに向けて、メリナの右手が差し伸べられた。
突然だったが、アデーレは特に何の疑問も持たず、向けられた手を借りて立ち上がる。
すると、メリナはアデーレの真正面に向き合い、頭頂からつま先までを数回見渡し始める。
「アデーレって年下だけど、私より身長高いんだよねぇ。羨ましい」
「身長高くても、それほど得なことはないんじゃ?」
「いやいや、使用人っていうのは見た目大事だから。高身長だとできる仕事が増えるんだよ」
「そういうものですか……ひゃっ!」
痺れるような感覚がアデーレの背中から頭頂に向け一直線に突き抜ける。
アデーレが油断したところに、メリナの両手が彼女の胸を持ち上げたのだ。
突然のことで声が出てしまい、肩をすくめる。
女性同士のスキンシップではあるのだが、男性としての経験の方が長いと未だに違和感を覚えてしまう。
「ああ、ごめんごめん。可愛い声だねぇ」
にやりと笑うメリナ。
そんな彼女を、アデーレは呆れたように見つめ返す。
「なんなんですか、一体」
「まぁまぁ怒んないでって。でもやっぱ、うん。いいね」
顎に手を当て、メリナがうんうんとうなずく。
アデーレには、彼女が一体何に納得したのか、いまいち理解が及ばない。
発言からしても、ただのいたずらなセクハラ行為にしか思えなかった。
そんな困惑するアデーレをよそに、メリナが口を開く。
「せっかくこれだけ恵まれてるんだし……アデーレ、お屋敷で使用人やってみない?」
使用人。その言葉を受け、アデーレは目を丸くする。
メリナが言うお屋敷というのは、港町の小高い丘の上に建つ、一際大きな豪邸のことだ。
その豪邸は、島の者達から【バルダート家の別荘】として認知されている。
夏場の避暑地として建てられたもので、メリナがここに来ているということは、今年もバルダート家の一族が別荘に来ているのだろう。
ちなみに、メリナが今の格好をしているときは、休憩か休暇のどちらかで町に来ているということだ。
しかし、彼女の提案にアデーレは驚きを隠せなかった。
農家の娘が使用人として屋敷に仕えるのは珍しくないが、アデーレにその気は一切ないのだ。
何せ、過去に険悪な間柄になった娘の家だ。
距離を置こうとするのは当然だし、メリナもその理由を知らないはずがない。
「使用人って……私が行くと、お嬢様が」
「御付きでもない限り、顔を合わせる機会なんてほぼないよ?」
案の定、アデーレが屋敷を避けていることはメリナも理解していたようだ。
その言葉で、アデーレが安心できるかは別の話だが。
「それに、今年はちょっと色々あってね。人手を紹介できないかって私も言われてて」
「えっ、どうしたんですか?」
小さくため息を漏らすメリナ。
そして周囲には聞かれないよう、口元に手をやりアデーレに耳打ちをする。
「エスティラお嬢様がね、今年からここのお屋敷で暮らすことになったのよ」
あのお嬢様が屋敷で暮らす。
それはすなわち、ロントゥーサ島での永住を意味する。
その言葉に、アデーレは一瞬目の前が真っ暗になった。
「それで、どうかな? 使用人の仕事」
おそらく、内情は相当大変なことになっているのだろう。
普段通りに見えるメリナも、本心では切羽詰まっているように感じられた。
現在求職中で、世話になっている人からの誘い。
そして今まで避けて来た人物が、今後島で永住するという事実。
こうなると、断りづらいというよりは、断ってもさほど意味がないようにも感じられてしまう。
「……まずは、話を聞いてみるってことで」
アデーレは心の中でつぶやく。
さらば、平穏な我が生活よ、と。
延々と地下へと続く長い階段を、人間の集団が降りていく。 ランタンの灯りは彼らの周辺しか照らすことができず、進む先には光の届かない暗闇が広がる。 先を見通すことができない彼らには、この階段が地の底まで続いているのではないかと不安を抱くことだろう。 ただ一人、異なる世界の前世を記憶するアデーレは違った。 踏み入れた地下遺跡の階段を一歩ずつ踏みしめる度、前世で見た洋画のワンシーンを思い出す。 どこかに感圧式のトラップスイッチがあり、踏み込んだ瞬間壁や天井から槍が飛び出すような。 そんなシチュエーションを思い浮かべつつ、彼女は足元を警戒しながら階段を下りていく。 とはいえアデーレは集団の中ほどを歩いているため、真っ先にトラップを踏むことになるのは最前列を進む作業員だ。 トラップは考えすぎかもしれないが、万が一の事故は起こり得る。 今この瞬間は、全員の無事を祈るばかりだ。「だいぶ進みましたね。十分ほど下っているでしょうか」「分からん。だが私はひしひしと感じているぞ。この先に偉大なる先人の造り上げた地下都市が存在すると」 何だその感覚は、と呆れつつ、エヴァとダニエレの会話に耳を傾けるアデーレ。 ほとんどの者が恐怖の表情を浮かべているというのに、随分と余裕があるようだ。 そんなことを考えていた次の瞬間、前を歩く作業員が突然その場で立ち止まる。 慌てて足を止めたアデーレだったが、間に合わず前の人の背中と接触してし
相談を受けたロベルトの手引きにより、アデーレはエスティラから数日の休みを与えられた。 外出制限がかかっていたこともあり、休養の許可は比較的簡単に取れたという。 これを好機と見たアデーレは実家に帰宅し、両親と軽く顔を合わせた後に目的地の発掘現場へと単身赴いたのだった。 アデーレの来訪を知ったダニエレは、特に何の警戒を見せることなく自身専用のテントへと彼女を招いた。「ほぉほぉ、個人的に興味があって現場を見てみたいと」「はい。故郷に関わる知識を学ぶことで、お嬢様の助力になると思いまして」 彫刻を施された柱で建てられたテントは、さながら絢爛たる高級ホテルの一室を思わせるものだった。 チェストや執務用の机と椅子、ソファやベッドは重量感のある木材が用いられ、地面には目が回るほどに細やかな模様の絨毯が敷かれている。 ちなみに内部は土足厳禁であり、ダニエレもテント内では靴を脱ぎ、執務用の机で報告書を読みながらアデーレを出迎えた。 本来ならば、ダニエレほどの貴族がアデーレのような一般人を自らのプライベート空間に招くようなことはしない。 それが常識なのだが、結局のところ予想通りダニエレは性欲の方を優先したと見ていいだろう。 その証拠に、先程からダニエレは書類に目を通す仕草をしているだけで、実際の目線はアデーレの体に向いているのが一目瞭然だ。 あのような接触を受けてもなお自らに接触してきたアデーレを、ダニエレはどう思うだろうか。 少なくとも、都合のいい女などと思われているとみて間違いないか。「まずは座りたまえよ。私が発掘状況について詳しく教えてあげるからね」 そう言ってダニエレが指差したのは、ソファではなくベッド。 卸したてのシーツが掛けられた天蓋付きのダブルベッドは、明らかに【そういう目的】を考えて置かれたものだろう。 覚悟をもってこの場に赴いたとはいえ、アデーレがダニエレに体を許そうなどという考えは微塵もない。 だがここで下手な抵抗を見せれば、作業現場に送られた島民や本島などから来た作業員を守ることができない。 さすがに戸惑い隠すことができず、愛嬌のつもりでアデーレは首をかしげる。 そんな彼女の様子が逆に扇情的に思えたのか、下劣な笑みを浮かべたダニエレが席を立つ。「緊張しているのかな? なぁに、私は紳士だからね、安心しなさい」 どの口で
悪意ある来訪を乗り越え、一応の解散を迎えた会合。 だがダニエレの言葉に対する懸念をぬぐい切ることはできず、アデーレは不安を抱えながら日々を過ごす。 そして、大きな動きもないまま五日の月日が経った頃……。 エスティラの使いで町に出ていたアデーレ。 用件を終え大通りを歩いていると、目の前に馴染み深い後ろ姿があることに気づく。 ちょうどその人物も背後を振り返り、互いに顔を合わせたところでアデーレに対し笑顔を見せる。 それは彼女の父、ヴェネリオだった。 実に二週間ぶりに顔を合わせたこともあってか、彼は嬉々とした様子でアデーレの方へ駆け寄る。「やあ、アデーレ。お嬢様の使いかい?」「うん。お父さんは買い物?」 「そうだよ」と言いながら、小脇に抱えた紙袋をアデーレに見せるヴェネリオ。 中には日用雑貨が入っており、母にお使いを頼まれたのだろうとアデーレは察する。「しかし元気そうでよかったよ。お嬢様も事件に巻き込まれたりと色々大変なんだろう?」「まあ、うん。あまり大きな声で言わないでね」「ああごめんごめん。でも正直父さん心配だよ」 ヴェネリオは子煩悩を絵に描いたような父親だ。 がっくりとうなだれるその様子からも、聞き知ったあらゆる噂話に胸を痛めてきたであろうことが伝わってくる。 たとえアデーレが一言大丈夫と告げたとしても、この不安を解消することはできないだろう。 だが、それでもヴェネリオは仕事を辞めるようアデーレに言いつけることはしなかった。 サウダーテ家の家計もあるし、彼女が今の仕事に対し真剣に向き合っていることを、言葉を交わさなくても理解しているからだろう。 とはいえ露骨に落ち込まれると、人々の往来がある中ではどうしても目立ってしまう。「お父さん、とりあえず顔上げて。ね?」 アデーレに慰められ、ようやく顔を上げるヴェネリオ。 まるでお預けを食らった子犬のような顔をした父親に対し、アデーレはただただ苦笑を返す。 それよりも、二週間ぶりになる親子の再会だ。 もっと場を和ませる明るい話題はないかと、アデーレは思案を巡らせる。 母のことや家のこと。畑の様子や友人の話題。いくらでも語り合うことができる。「そういえば、最近何か変わったこととかあった?」 アデーレに問われたヴェネリオが、首をかしげながら考え込む。 うんうんとしばらく
「ほほ、随分と微笑ましいことですなぁ」 前触れもなく向けられた言葉を聞き、立ち上がったエスティラが声の主の方を見る。 彼女の動きに合わせ、アデーレを含めた周囲の人々もそちらを振り向いた。 そこに立っていたのは、従者を従えて微笑みを浮かべるダニエレだった。 突如現れた見知らぬ老人を目の当たりにし、少女は再び母親の後ろに隠れてしまう。 対するエスティラは、気品あるお辞儀で彼を迎える。「ごきげんよう、ダニエレ教授。本日は突然どのようなご用件で?」「はは。少々急ぎの用事がありましてなぁ。門前の者に無理を言って通してもらったよ」 『突然』と付け加えたのは、エスティラなりの嫌味だろう。 なぜなら今回の会合にダニエレは招かれていない。 外部の人間かつ上流階級がこの場に現れれば、この場に集まっている者全員が委縮してしまい彼女の目的が意味を成さない。 しかしダニエレがそのようなことを気にする人物でないことくらい、アデーレでも察しがついている。 更に言えば、このような現れ方をしたのもダニエレなりの嫌がらせという可能性がある。 どちらにせよ、この場において彼はお呼びでない相手だ。 それでもこうして屋敷に入ってこれたのも、上流階級であり厚顔無恥な老人ゆえか。 こうなると、周囲の人々も彼に対しては怪訝そうに眉をひそめるばかりだ。「さてさて、どうやら島の有力者の方々が集まっているようで。これは逆に都合がいい」 周りの冷ややかな視線など気にすることなく、ダニエレは笑顔のまま辺りを見渡す。 それに反し、無表情を貫くエヴァを含む従者の面々とのギャップに、アデーレは背筋に冷たいものを感じてしまう。 考えが顔に出ると小言を言われるアデーレとしては、従者たちの態度は使用人として見習うべきところかもしれない。 しかしこんな無礼な男に仕えて、普通の人間なら反感を抱くものだ。 極めて優秀な使用人ならば、主人がこれほどまで礼儀を欠いた行為を見せようとも、嫌悪を抱かないものなのか。 これがプロフェッショナルというのならば、アデーレには一生辿り着けない境地だろう。「ふむ。我々に対し何か提案があるということですか?」「その通り。さすが若い者は話が早いねぇ」 ダニエレが先程エスティラと話していた若い跡取りに近寄り、彼の肩を軽く叩く。 そのまま跡取りの横を通り過ぎていく
手紙の一件から二日後。 久々の晴天に恵まれたこの日、屋敷前庭の一角に人だかりができていた。 その人だかりに囲まれるようにして、装飾の施された一本足が特徴の白い金属製丸テーブルがいくつか並べられている。 テーブルの上には、手に取って食べることのできる軽食が何品か用意されている。 前庭に集まった人々はこの島で有力者に位置する者やその家族。 他にも教会関係者が数名混じっており、全員が雑談に花を咲かせているところだった。「あーっ、アデーレ姉ちゃんだ!」「お姉ちゃんのお洋服、きれいだねーっ」 来客に飲み物を運ぶアデーレの周りで、小さな子供たちがせわしなく駆け回る。 島民同士が大体顔見知りであるロントゥーサ島において、アデーレは若い女性というだけで否応なく子供たちの注目を集めてしまうものだ。 しかし今は仕事の真っ最中。 基本的に雑談を許されない使用人という立場上、アデーレは子供たちに対し苦笑を向けることしかできなかった。 それでも構ってほしい子供たちは彼女の周囲を離れず、スカートに触れたり足元で飛び回ったりとやりたい放題だ。 当然このような状況では仕事も捗らない。 代わりに同僚がそつなく仕事をこなせていることを考えれば、子供たちの相手をすることがアデーレの仕事といえなくもない。 さて、このような状況下で苦言を呈することもあるエスティラだが、彼女は来客者との応対に勤しんでいる最中だった。「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」 彼女に頭を下げる優男。彼はこの島で海運業を営む家の跡取りだ。 アデーレにとっては二つ年上の顔見知りであり、若い者同士ということでそれなりの付き合いはある。 農家の娘と運送屋の息子。身分の違いはあれども狭い島。 立場による隔たりなど、ほとんど存在しないのが実情なのだ。 そんな友人も、今では跡取りとしての所作が身についているらしい。 幼少の頃よりも礼節をわきまえるようになった友人を、エスティラは温和な笑顔で応対する。「こちらこそ、本来は招かれた立場なのにこのような形になってしまって」「いえ、現状を鑑みればそれも致し方ないことです」 そう。この会合は先日の話題にあった、教会での集まりの代わりである。 本来は教会側がエスティラを招いて懇親会を開く予定だったのだが、魔獣の一件が災いしたことで予定は取り
『人の話くらい聞く度量は持たないねとね』 ティーセットを乗せたトレイを運びつつ、先程の話を思い出すアデーレ。 今頃エスティラは教会から届いた手紙を読んでいることだろう。 彼女が島民と積極的に関わろうとすることは、地元民であるアデーレとしても歓迎だ。 しかし現在、島を取り巻く状況はひっ迫している。 活発な魔獣の襲撃や、それを召喚する魔女の行方。 そして王党派に属する者が主導する遺跡の発掘作業と、ベルシビュラの存在を差し引いても問題は山積している。 せめて魔獣の問題を解決する手立てだけでも、アデーレは見つけ出さなければならない。 それには沈黙を続けるアンロックン……ヴェスタの帰還を待たなければならないだろう。 錠前が入るポケットへ、アデーレが視線を落とす。 今はただ、これまでと変わらず金属音を鳴らしながら明るく語り掛けてくる日々が戻るのを願うばかりだ。「……あれ?」 アデーレが顔を上げたその時、使用人用の廊下へと向かう人物の後ろ姿が目に映る。 一般の使用人よりも上質な制服を纏うその人物の方へ、アデーレは小走りで向かっていく。「メリナさん、お疲れ様です」「えっ!?」 前を歩く人物……メリナへと声をかけるアデーレ。 それに対しメリナは、不必要なまでに肩をびくつかせてアデーレの方を振り返った。 仕事中は隙を見せることが少ないメリナが、狼狽するような姿を見せるのは珍しい。 目を丸くし、驚きの表情を隠すことなくアデーレの方を見つめる。「あっ、すみません。驚かせてしまって」「驚かせ……ああううん、全然平気っ。ちょっとボーっとしてたからさっ」 両手を振りながら、メリナは慌てた様子で笑顔を繕う。 その様子から、何かを誤魔化しているように感じてしまうのは必然というものだ。 とはいえ、それを指摘する必要もないだろう。 アデーレはそれ以上追及することをやめ、「そうですか」とうなずく。 納得してもらえたと考えたのか、メリナも胸に手を当て小さくため息をついた。 その後すぐに気を取り直した様子で、アデーレが持つトレイに視線を向ける。「これから片付け?」「はい、これを済ませたらまたお嬢様の部屋に戻りますけど」「そっかー。私は今から部屋に戻るところだよ」 会話を続けつつ、どちらが言うでもなく使用人用の廊下へと歩き出す二人。 メリナが言う







