Se connecter良太の記憶を取り戻して、六年の歳月が過ぎた。
あれからアデーレの性格は、徐々に良太の人間性に引っ張られてしまった。
しかし彼女も元来おとなしい性格だったためか、周囲から違和感を抱かれたことは数えるほどしかない。
また、両親に恵まれなかった良太とは違い、アデーレの両親であるヴェネリオ、サンドラ夫妻は深い愛情を持っていた。
一人娘故の溺愛ともいえるが、農民なりに女性として満足のいく生活を送らせてあげようと、アデーレに着飾る機会などを与えてくれた。
今のアデーレは、良太が送った二十一年の人生と地続きになったような状態だ。
純粋なアデーレ・サウダーテとして育てられた十年の月日があったためか、幸いにも性別が変わったことを受け入れるのにそれほど時間が掛かることはなかった。
むしろ、そうでなければ……そんなことをふと思いつつ、着替え中の自身を鏡に映す。
「
そう言って、肌着越しに自分の胸に手をやる。
佐伯 良太としての率直な感想は、でかい。町でも上の方の大きさである。
おかげで町の男共の視線を集めるし、コルセットやら何やらは息が詰まる。
自分が女性であるという自覚があるからまだよかったが、着替える度に毎度ガチガチに抑え込むのは苦痛だった。
また、身長もかつての良太に比べれば低いとはいえ、女性としては高い方だろう。
東洋人では考えられない脚の長さについては、初めて気づいたときに感動してしまったほどだ。
とはいえ、男の頃の生活を思い出すと、今の身だしなみに気を遣わなければいけない生活は窮屈で仕方がない。
髪は伸ばした方が似合うと母に言われ、現在は長い髪を腰の上あたりで切りそろえている。
これを毎度キャップが収まるようまとめるのが、とにかく面倒なのだ。
大体これでは伸ばした意味があるのかと、アデーレとしては常日頃疑問に思っていた。
「アデーレ、ちょっと来てくれないかしらー?」
扉越しに聞こえる母の声。
さすがに下着姿のまま自室を出る訳にもいかない。
「ちょっと待っててー」
扉に向けて返事をするアデーレ。
そのまま周囲の衣服を手に取り、手早く朝の着替えを済ませるのだった。
◇
十六歳になったアデーレの仕事は、主に農作業の手伝いだ。サウダーテ家の農場は港町から少し離れた丘の中腹にあり、主にトマトを栽培している。
季節は初夏。
ロントゥーサ島では乾いた夏風が吹き、支柱に巻き付いたつるが風に揺れ、赤く実ったトマトが……。
というのはあくまで例年の話。
残念ながら今年の夏は悪天候が続き、日照不足と季節外れの雨が乾燥に強い農作物の生育に悪影響を及ぼしていた。
サウダーテ家の畑に植えられたトマトも、つるの生長は鈍く、また花も少なかった。
緑が失われ、色の悪い葉も見受けられる。
「参ったな……」
アデーレの父ヴェネリオが、頭を掻きながら生育の悪い畑を眺める。
日焼けした肌が印象的な、茶髪の優男だ。
「元気なさそうだね、トマト」
「ああ。本当にな」
隣に立つアデーレの言葉を受けて、ヴェネリオはがっくりと肩を落としてしまう。
ロントゥーサ島の農作物は、環境的に日光と乾燥を好むものが特に多い。
故に不作なのはヴェネリオの畑だけではない。
むしろロントゥーサ島だけではなく、周辺の島々でも同じ問題が起きている。
念のためと用意した食料備蓄は十分だ。
一回不作が起きたからといって、急に
漁業だって発達しているのだから、食料に関してはむしろ恵まれた環境にあると言える。
問題は、日々の生活費や税金である。
基本的に作物は売り物だ。食べることに困らずとも、売り物がなければ結局貧しくなる。
また税についても江戸時代のような物納とは違い、忌々しくも馴染み深い金納の方式だ。
かつて暮らしていた日本と同じく、食べられるものがあればそれでよいとはいかない。
「今年の収穫は諦めるしかないか……そうなると本島で出稼ぎだなぁ、父さんは」
本島とは、ロントゥーサ島の南西に位置する大きな島、【シシリューア島】のことである。
ロントゥーサ島を含む周辺の島々は、シシリューア島に首都を擁する【シシリューア共和国】という国に属している。
つまりこの島にはないような仕事も、本島ならば引く手あまたということもあり得る。
さて、出稼ぎを覚悟しなければならない状況になったヴェネリオは、涙目でアデーレの方を見ていた。
「……寂しくなるなぁ」
娘や妻と離れ離れになることを想像してしまったのか、見て分かるくらいに落ち込んでいた。
ヴェネリオは分かりやすほどに子煩悩であり、誰よりも妻を愛している。
最悪半年以上……一年近く家族と会えない状況に耐えられるのか、アデーレも懐疑的だ。
また良太の人生において、このように愛されたのは祖父母と過ごしたごく一部の期間のみだ。
この深い愛情に戸惑うこともあるが、素直に感謝していた。
同時に、アデーレというもう一人の自分を、羨ましく思うこともあったのだが。
何はともあれ、良太の心情としても今のヴェネリオは不憫に思えて仕方なかったのだ。
ところで、十六歳になるとこの世界では社会に出て仕事に就くことも珍しくない年齢である。
「何なら、私も働くから」
このまま父を出稼ぎに送るのは、忍びないを通り越して心配すら付きまとう。
何より家に母と娘二人というのも物騒である。
そういう考えもあって、自らこの島で別の仕事を見つける提案をしたのだ。
島外に出ずとも、必要な金を稼ぐくらいの仕事はあるはずだから。
「アデーレ……いいのかい?」
「うん。だって私、もう十六だよ」
「ああ、年齢なんて関係ないよ。アデーレはいつまでも私達の娘なのだからっ」
今にも自分を抱きしめてきそうなヴェネリオを制止するように手をかざすアデーレ。
「うんうん。分かったから落ち着いて」
この父親、娘を家業以外の仕事に出すことに抵抗があるのだろうか。
目頭を押さえ、涙をこらえる父の背中を撫でてやるアデーレ。
とはいえ、果たしてこの島でアデーレが就ける仕事はあるのだろうか。
「職探し、か」
ふと思い出すのは、かつて祖父母に迷惑をかけないようにとバイトを探していた頃の自分。
あの頃とは性別も年齢も、何なら世界だって違う。
一体どんな仕事があるのだろうか。
(せめて、奴隷みたいなのは勘弁だなぁ)
よくあるフィクションの展開を思い出しつつ、アデーレは曇天の空を見上げるのだった。
◇
「……マジかぁ」アデーレは係留用のロープを繋ぐ短い柱の上に座り、深くうなだれていた。
職に関する見立ては、間違っていなかった。
実際漁港は盛況だし、市場だって新鮮な魚の取引で賑わっている。
だが、仕事を求めているのはサウダーテ家だけではないのだ。
他の農家たちも今年の不作で仕事を求め、当然港までやってくる。
こうなると、力のある男達が優先され、女性が割り込むのは実質不可能だ。
性別とはかくも高く険しい壁なのか。
うつむき、深いため息を漏らすアデーレ。
家族と一緒にいたいという父の願いを叶えてあげたい。そう考えてはいるのだが。
そんな落ち込むアデーレに、日を遮るように人影が差し込む。
「あら、アデーレじゃない」
頭上から掛けられる声。
見上げるとそこには、黒い地味なドレスを身にまとった女性が立っていた。
「元気なさそうね。暑さにやられたの?」
茶色のポニーテールを揺らしながらしゃがみ、アデーレの顔を覗き込む女性。
彼女の白く細い手が、アデーレの額に当てられる。
「ああ……おはよう、メリナさん」
「うん、おはよ。それで体の方は?」
「大丈夫です。うん、大丈夫」
メリナと呼んだ女性に、アデーレは苦笑を返す。
彼女はメリナ・バラッツィ。アデーレとは六年前に知り合った年上の友人だ。
六年前……あの時エスティラに責められていた茶髪の使用人が、お嬢様に付いて日の浅いメリナだった。
あの後町で偶然再会し、それ以来彼女は何かとアデーレを気にかけてくれている。
ちなみに現在も使用人の仕事を続けており、アデーレが聞くには菓子を作る仕事をしているらしい。
「大丈夫って顔じゃないでしょ。何があったの?」
それなりに長い付き合いであるメリナに、ごまかしはあまり通用しない。
こちらが話すまで、隣で寄り添い続けるだろう。
それでは逆にメリナの迷惑になると思い、アデーレは職探し中であることを簡潔に話した。
「そっかぁ。やっぱアデーレは優しいね」
「そんなことは……」
「謙遜しないの。でも仕事ねぇ」
アデーレの隣に立ち、腕を組むメリナ。
「そういう事情だと、探すのも一苦労だ」
「力仕事でも平気なんですけど、やっぱり男優先なもので」
「平気って、相変わらずアデーレは男らしいねぇ」
男らしいとはいうが、実際に前世では男をやっていた。
それに農家の娘ということで、多少の力仕事も慣れたものである。
また、この世界での学業は読み書きや必要な計算を教わった程度だが、前世では現代日本での義務教育を受けてきた身。
それに入試を真面目に意識してからは、それなりに学んできたつもりだ。
故にこの世界の水準ならば、平均以上の教育を受けてきた扱いでも不思議ではないだろう。
それを活かす仕事が、この狭い島にはそれほど多くないのだが。
「でもそうだよね、アデーレは器用な子だし。家事の手伝いもしてきたよね?」
「ほどほどには」
掃除や洗濯、台所仕事は一通り経験してきた。
これもまた、過去の良太が劣悪な環境にあったために、必要最低限はやってきたことだ。
「んー……アデーレ、ちょっと立ってみて」
アデーレに向けて、メリナの右手が差し伸べられた。
突然だったが、アデーレは特に何の疑問も持たず、向けられた手を借りて立ち上がる。
すると、メリナはアデーレの真正面に向き合い、頭頂からつま先までを数回見渡し始める。
「アデーレって年下だけど、私より身長高いんだよねぇ。羨ましい」
「身長高くても、それほど得なことはないんじゃ?」
「いやいや、使用人っていうのは見た目大事だから。高身長だとできる仕事が増えるんだよ」
「そういうものですか……ひゃっ!」
痺れるような感覚がアデーレの背中から頭頂に向け一直線に突き抜ける。
アデーレが油断したところに、メリナの両手が彼女の胸を持ち上げたのだ。
突然のことで声が出てしまい、肩をすくめる。
女性同士のスキンシップではあるのだが、男性としての経験の方が長いと未だに違和感を覚えてしまう。
「ああ、ごめんごめん。可愛い声だねぇ」
にやりと笑うメリナ。
そんな彼女を、アデーレは呆れたように見つめ返す。
「なんなんですか、一体」
「まぁまぁ怒んないでって。でもやっぱ、うん。いいね」
顎に手を当て、メリナがうんうんとうなずく。
アデーレには、彼女が一体何に納得したのか、いまいち理解が及ばない。
発言からしても、ただのいたずらなセクハラ行為にしか思えなかった。
そんな困惑するアデーレをよそに、メリナが口を開く。
「せっかくこれだけ恵まれてるんだし……アデーレ、お屋敷で使用人やってみない?」
使用人。その言葉を受け、アデーレは目を丸くする。
メリナが言うお屋敷というのは、港町の小高い丘の上に建つ、一際大きな豪邸のことだ。
その豪邸は、島の者達から【バルダート家の別荘】として認知されている。
夏場の避暑地として建てられたもので、メリナがここに来ているということは、今年もバルダート家の一族が別荘に来ているのだろう。
ちなみに、メリナが今の格好をしているときは、休憩か休暇のどちらかで町に来ているということだ。
しかし、彼女の提案にアデーレは驚きを隠せなかった。
農家の娘が使用人として屋敷に仕えるのは珍しくないが、アデーレにその気は一切ないのだ。
何せ、過去に険悪な間柄になった娘の家だ。
距離を置こうとするのは当然だし、メリナもその理由を知らないはずがない。
「使用人って……私が行くと、お嬢様が」
「御付きでもない限り、顔を合わせる機会なんてほぼないよ?」
案の定、アデーレが屋敷を避けていることはメリナも理解していたようだ。
その言葉で、アデーレが安心できるかは別の話だが。
「それに、今年はちょっと色々あってね。人手を紹介できないかって私も言われてて」
「えっ、どうしたんですか?」
小さくため息を漏らすメリナ。
そして周囲には聞かれないよう、口元に手をやりアデーレに耳打ちをする。
「エスティラお嬢様がね、今年からここのお屋敷で暮らすことになったのよ」
あのお嬢様が屋敷で暮らす。
それはすなわち、ロントゥーサ島での永住を意味する。
その言葉に、アデーレは一瞬目の前が真っ暗になった。
「それで、どうかな? 使用人の仕事」
おそらく、内情は相当大変なことになっているのだろう。
普段通りに見えるメリナも、本心では切羽詰まっているように感じられた。
現在求職中で、世話になっている人からの誘い。
そして今まで避けて来た人物が、今後島で永住するという事実。
こうなると、断りづらいというよりは、断ってもさほど意味がないようにも感じられてしまう。
「……まずは、話を聞いてみるってことで」
アデーレは心の中でつぶやく。
さらば、平穏な我が生活よ、と。
結晶魔獣との決戦から数日後。 名目上の休暇を終え仕事に戻ったアデーレは、貯蔵室で待つメリナと落ち合っていた。 だが、勝者であるはずの二人の顔に笑顔はなく、揃って眉をひそめ向かい合う。「やっぱりアデーレの懸念通りだったよ」「そうでしたか……」 大きな戦いを終えた後とは思えないほどに、アデーレは憂鬱なため息を漏らす。「海の底も調べたみたいだけど、あの入り江に停泊してたダニエレ教授の船は見つからなかったって」 メリナの話に対し、アデーレは驚くわけでもなく静かに相槌を打つ。 人気の少ない入り江に停泊していた、ダニエレがこの島に来るために用いた大型帆船。 大学の所有物であるこの船が、件の戦いの後から行方不明になっているのだ。 エヴァが船を悪事に利用していたことは、既にメリナから説明を受けている。 それ故に、あの戦いの直後に見た沖の船に強い懸念を抱いていた。「アデーレは、船を盗んだのはダニエレ教授の助手だって考えてるんだよね」「はい……。その場合、出港の準備を配下の眷属に進ませていたってことになるけど、眷属だけで船を動かしてるってことなのかな?」「それは少し難しいかもね。ムトゥラの眷属は指示に対し忠実な分、自発的に動くことはまずあり得ないから」 傍らに浮かぶアンロックンの言葉を受け、表情を曇らせるアデーレ。 彼女が最も懸念していたことは、銀のムトゥラと化したエヴァ・アソニティスが生存していることだ。 アデーレはあの丘の頂上での戦いで、エヴァに対し致命傷といえる傷を負わせることができた。 それでも倒したという確信が持てず、その不安は小さなトゲのようにアデーレの心で残り続けていた。「つまり、銀のムトゥラは自らが戦いに赴くことで囮になって、その間眷属には船を出港させるための準備を進めていた……かもしれないわけか」 俯き気味のメリナが腕を組み、重苦しいため息をつく。 アデーレは言葉を返すことなく、静かにうなずきながら彼女の様子をうかがう。「万が一、船の奪取こそがムトゥラの目的だとしたら、今回の戦い自体僕らの目を船から遠ざけるためのものだったかもね」 すっかり反省した様子のプルトも会話に加わり、それぞれが魔女の力を得たエヴァの動向に思考を巡らせる。 島に危害を加えることが主目的でなかったという事実は、アデーレにとって衝撃的なものだ。 そ
夜の闇が辺りを包み、三日月のわずかな光が荒野を照らす。 丘の麓にはかつて結晶魔獣だったものの破片が散らばり、破壊の寸前まで追い詰められていた最後の防壁が静かに佇む。 その上に立つアデーレが、静寂に包まれた戦場を見下ろす。 動く者は何もなく、二人の戦士が全ての魔獣を撃破したことを物語っている。 彼女が軽くため息を漏らしたところで、地上で戦っていたメリナが防壁に飛び乗ってくる。「お疲れ様」「あ、はい。終わりましたね」 二人で並び、自分たちの成果を改めて確認する。 前方には戦いによって荒れた土地。 後方には無傷の港町。 暗い町から人気は消えているが、港の方に目をやると何隻もの船が明かりを灯し、沖に出ているのが確認できる。 島民全員が脱出できたというわけではないだろうが、しばらくすれば魔獣が倒されたことに気づいた人々が戻ることだろう。 彼女たちは、島の人々を守るという大切な使命をやり遂げた。 群体で攻め入った魔獣を全て倒すという困難な戦いを乗り越え、この島の平穏を取り戻したのだ。 そんな達成感を噛みしめつつ、アデーレが赤い髪をなびかせつつ、わずかに紅潮したメリナの顔を見る。 わずかに目を潤ませ遠くの海を眺めている彼女もまた、自らの戦いの成果を実感していることだろう。 アデーレがもう一度町へと視線を戻そうとしたその時。「ありがとう」 消え入りそうな声で、メリナがつぶやく。「私なんかを信じてくれて、本当に……」 静かな町を見つめたまま、彼女は再び涙をこぼす。 涙はすぐに氷の粒へと変わり、吹き付ける風に流され荒野の方へと消えていく。「お礼を言うのは私の方ですよ」「そんなこと……」 それ以上言葉は続かず、はにかみながらも静かに見つめ合う二人。 しかしこういったやり取りに慣れていないせいか、ほぼ同時に笑い出してしまう。 もう二人の間に険悪な気配は微塵もない。 互いを友と認め、味方と信じあえる仲間がそこにいた。「まあ、【私】はまだ許していませんけどね」 その時、フラムアルクスに変形したアンロックンが低めの声でつぶやく。 普段とは違う、私という一人称。 その上で一切の陽気さを感じさせない威圧的なその声色。 突然のことにアデーレが目を丸くし、顔を上げたメリナは肩を震わせる。 これは相棒であるアンロックンではなく、聖火の女
巨大結晶魔獣の体から、白い光があふれ出す。 体内からは破砕音が轟き、直後に白い閃光が胴体の反対側から突き出す。 体を射抜かれた魔獣は悶絶するように二本の触手を震わせると、結晶同士がこすれ、ぶつかり合う断末魔のような騒音が轟く。 直後に落下するメリナ目掛け触手を振り下ろすも、彼女の背中を支えるアイギスが旋回し巨大な触手を容易く回避する。 触手はそのまま小型の魔獣が集まる地面に叩きつけられ、多くの魔獣を巻き添えにしつつ巨大魔獣が地面に倒れる。 立ち上る土煙の中から、砕けた結晶の破片が周囲へと飛び散る。 やがて倒れた巨大魔獣の体から白い炎が噴き出し、内側から巨大な爆発を引き起こす。 岩や結晶、氷片……無数の破片が空中へと散乱し、それらは地上に落ちる前に霧散していく。 巨大魔獣の撃破を空中で見届けると、メリナは自らの右手に再びグラギデンドを生み出す。 その後眼下に残る魔獣の群れに視線を移すと、彼女の視線に呼応するようにアイギスが地上の向け急降下。 目の前に迫る結晶魔獣が前方へと突き出された穂先で貫かれ、直後にアイギスの翼による突進を受け真っ二つに砕ける。 その後再び上空へと舞い上がったアイギスが、足に掴んでいたメリナを魔獣の群れへと投げ込む。 慣性により前方に向け落下していくメリナは、そのまま地面を滑るようにして着地。 その間もグラギデンドを縦横無尽に振り回し、周囲に集まる魔獣をなぎ倒していく。「ここからッ!」 穂先を地面に突き立て、ブレーキをかけて強引に停止するメリナ。 その直後、氷壁の方から彼女の周囲目掛け、白い炎の矢が降り注ぐ。 矢は次から次へと魔獣を貫いていき、地面に突き刺さると同時に周囲の空気を凍り付かせながら爆散する。 メリナが氷壁の方を見上げると、フラムアルクスを構えたアデーレが壁の下に向け大量の矢を放っていた。「なんとも壮観だね」 文字通り、矢継ぎ早に放たれる炎の矢を前に、プルトがやや困惑した様子でつぶやく。 負傷により前線へ出られないと弱り果てていたアデーレだが、断続的に矢を放つその光景はそれに反する勇ましいものだ。「それがアデーレ……ヴェスティリアなんだよ」「ロントゥーサ島の守護者、か」 メリナの脳裏に、かつてアデーレに救われたときの記憶が蘇る。 自分を使用人として育て上げ、人並みの生活を与えてくれた
ひとしきり涙を流した後、目元をぬぐい立ち上がるメリナ。「ごめん……ありがとう、アデーレ」 普段とは違う、どこか刃のような鋭さもうかがわせるベルシビュラの姿。 だがアデーレに向けたその笑顔は、アデーレがよく知るメリナ・バラッツィのそれと変わらない優しいものだった。 そんな彼女に向けうなずき、満足げにほほ笑むアデーレ。 そしてもう一度、今度はメリナと共に迫り来る魔獣たちの方を睨む。 和解を果たした今、この目の前に迫る危機を共に乗り越えなければならないのだ。 落ちた槍をメリナが手に取り、続いてアデーレが突き立てていたフラムアルクスを引き抜く。 だが、その反動で彼女の体が揺れ、メリナの肩に寄りかかる形になる。 アデーレの表情はわずかにこわばり、それを目の当たりにしたメリナが眉をひそめる。「すみません。実はちょっと本調子じゃなくて」「本調子じゃないって……そっか、そうだよね。たくさん傷ついたんだから」 格好つけた手前、自らが弱っていることを誤魔化すようにアデーレが苦笑を浮かべる。 だが、それを必要以上なまでに深刻にとらえてしまったのだろうか。 寄りかかるアデーレの肩を抱き、その場に座らせるようメリナが促してくる。 しかし、アデーレはもう一度フラムアルクスを杖にしつつ、座ることを拒否。 弱っていることを隠しきることはできていないが、それでも全ての苦痛を強引に押し込める。 そんな彼女の強がりに、それでもメリナは手を差し伸べる。「無理しないで。ここは私に任せてくれていいから」「いえ、目の前のアレを倒すまで、休むわけにはいかないんで」 笑ってみせながらも、魔獣の群れへと視線を外さないアデーレ。 ここまでの激闘の末、ある程度の侵攻は抑えられていたが、もはや一部の個体は最後の防壁に到達している。 このまま巨大魔獣までもがこの場に辿り着けば、結晶魔獣たちが港町になだれ込むのを防ぐのは難しいだろう。 文字通りの正念場。アデーレの言う通り、戦士に休む暇はない。 それはメリナも分かっていることで、姿勢を立て直すアデーレの無理する姿を、彼女はただ黙って見守るのだった。 二人の眼下では、既に結晶魔獣が防壁に攻撃を仕掛けている。 それを確認したアデーレは、右腕の炎を燃え上がらせながらフラムアルクスを構える。「まずはあの巨大魔獣を倒しましょう。こ
高速ですれ違うアデーレとエヴァ。 互いに背を向け、攻撃を振り切った体勢で立ち止まる。 全力を込めた一撃は、アデーレの体に大きな疲労をもたらす。 彼女の体が大きくよろめき、フラムアルクスを突き立て膝を付く。 肩には大きく切り裂かれた傷跡があり、血が吹き上がるように流れていく。 手応えを確信しているのか。 口元を吊り上げ、あざ笑うかのような顔を浮かべながらエヴァが振り返る。 そして、トドメと言わんばかりにもう一度背中の触手をもたげたその瞬間……。「ガはッ!?」 結晶で構成されたエヴァの左半身が、大きく粉砕される。 砕けた体が氷片のように宙を舞い、月明りを反射しながら美しく輝く。 その瞬間を驚愕の表情で眺めるエヴァは、一体何を思うのだろうか。 アデーレの放った一閃が、ついにその体を打ち砕いた。 痛みに耐えるように歯を食いしばり、アデーレが半身を失ったエヴァの方を見る。「と、届かなかっ……偉大な、魔女の……みとめ、ないッ」 敗北を受け入れていないであろうエヴァが、ろれつの回らない声で叫びながら顔を歪ませる。 残された右半身で必死にバランスを取り、残された触手を振り乱しながら跪くアデーレに迫ろうともがく。 しかしその足掻きもむなしく、彼女は一歩たりとも前進することなく崩れ落ちる。 歯を剥き出しにし、怒りを露わにしながらも右手をアデーレの方へと伸ばすエヴァ。 バランスを崩した体は、そのまま陥没穴の方へと転げ落ちていく。「認める、ものか――ッ!!」 半身のない体で、エヴァが裂けんばかりの絶叫を上げながら落ちていく。 もはや陶酔していた結晶の魔女の力も、アデーレの体に届くことはない。 その声も周囲の轟音にかき消され、彼女の気配は荒野の中に消えていった。「……倒せた、かな?」 フラムアルクスを支えに立ち上がり、アデーレが穴の方を覗く。 転げ落ちたエヴァの姿は確認できず、残された結晶魔獣が群れを成してアデーレを倒さんと上っている。 魔獣の群れに飲み込まれたエヴァを探すのは難しいだろう。 姿が確認できないことに一抹の不安を覚えつつも、最大の障害を退けたことには変わりない。 そして、アデーレには人々を守るという優先すべき大事な仕事が残されている。 しかし、渾身の一撃を放った彼女には、これ以上戦う力はほとんど残されていない。
白色の炎を纏い、新たな力を会得したアデーレ。 冷たい月明りによる手痛い攻撃を受けたためか、いよいよエヴァの顔から余裕というものが消え失せる。 彼女は無言のまま、その結晶で作られた鋭利な腕をアデーレへと向ける。 それに呼応するように、脚を止めていた周囲の魔獣たちが一斉に動き出す。 これまでと変わらない、数による一斉襲撃でアデーレを圧倒しようという魂胆だろう。 背中の触手を伸ばしたエヴァも、両腕を広げながら迫り来る。 魔獣たちがアデーレの間合いに入った瞬間、彼女はその場で回転しながら後方に移動する。 その間、柄の両端に刃が付くフラムアルクスが、手首の捻りによって波打つように中空を舞う。 揺らめく姿はそよ風。しかし敵を切り裂くその瞬間、刃は光の筋となって魔獣の体を一閃する。 しかし、エヴァは身を逸らすことで流れるような斬撃を回避。 回避する彼女をアデーレは深追いせず、一気に距離を離してから燃え盛る炎の矢をフラムアルクスにつがえる。「諦めの悪いことで」 吐き捨てるようなエヴァの言葉に続き、双方の間合いに結晶魔獣が割って入る。 直後、アデーレの手から炎の矢が放たれ、それは一直線に結晶魔獣の胴体を貫く。 抜けてきた矢をエヴァは紙一重で回避するも、今度は射抜かれた魔獣の爆発が彼女を後方へ押し返す。 刃の斬撃と矢の一撃を合わせたアデーレの動きは、舞いを奉納する巫女のそれを思わせる。 白いコートを大きくなびかせ、時折ずれる帽子の位置を直す姿は壮美にも映る。 そのトリッキーな戦闘スタイルは、魔獣たちを確実に翻弄していく。 普段の火竜の力とは正反対となる動きは、もはや別の戦士といっても過言ではない。「いいね……体が軽いっ」 その場で軽く跳躍し、眼下に目掛け弓を構えるアデーレ。 大きく燃え盛る右腕から多数の矢が一斉に生成され、魔獣目掛け放たれる。 炎の矢は白い光跡を残しながら地面へと降り注ぎ、群れとなった魔獣を無作為に貫いていく。 上空からの射掛けは止むことを知らず、白い流星雨が魔獣の群れを打倒していく。 対するエヴァも、降り注ぐ矢を瞬間移動の如き素早さで回避すると、背中の触手で地面を叩き飛び上がる。 結晶の刃となった腕がアデーレを捉え、彼女の心臓を貫かんと突き出される。 しかしフラムアルクスと研ぎ澄まされた腕がぶつかり合い、エヴァの
港での騒動から二日後。 アデーレとの因縁を思い出したエスティラは、実に活き活きとしていた。「お、お嬢様。そろそろ朝食に向かわれては……」「ダメよ。そんなこと言ったって逃がさないんだから」 天蓋付きのベッドや、白を基調とした二人掛けソファ。 それに合わせたテーブ
アンロックンとひとしきり言い争いをしていたアデーレは、埠頭へ続く道を急いでいた。 長い髪を振り乱し、ロングスカートをなびかせながら。 目指す先は当然、雇い主であるエスティラの元だ。(そういえば、キャップが戻ってない……) 変身解除と同時に服装が元に戻ると思っていたアデーレ。
海を飛び出したアデーレは、近くの岩礁に着地した。 巨大魔獣が爆散した海域では波がうねり、小さな渦が巻いている。「うぅ……まだしびれてる」 頭を振りつつ、岩場の上で膝をつくアデーレ。 自らの体を介した強力な電撃は、強化されていた体であっても相当な負担を受けるものだった。 こわばる体を落ち着かせるよう自身の腕をさすりながら、荒れる海を眺める。「でも何とかなったし、良かったじゃないか」
上空で、二匹の怪物が爆散する。 アデーレは爆炎の中から飛び出し、そのまま埠頭近くの倉庫の屋根に着地した。 埠頭の方を見ると、怪物達に囲まれた兵隊たちが苦戦を強いられているようだ。「数が、増えてる?」 最初は二十匹ほどだったはずの怪物は、四十近くまでに増加している。 一体どこから現れたのか。アデーレが港の