LOGIN「それで、あなたは一体何なの?」
少年が家族のいる場所へと駆け出していった後。
アデーレは破壊された大通りを離れ、人目を避けられる裏路地に移動していた。
この場にアデーレ以外に人の姿はなく、傍には彼女の後についてきたあの錠前が浮いていた。
緩やかに揺れる錠前からは、金属がぶつかり合うような音がかすかに聞こえる。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕は……えー……」
「言い淀むとか、何か言えない事情でもあるの?」
「ううん、そうじゃないんだ。とりあえず驚かないで聞いてね」
警戒するアデーレを安心させるかのように、錠前が蝶のような動きで飛び回る。
そしてアデーレの手が届くくらいの場所まで移動すると、目線が合う位置で静止した。
「まず、これはあくまで依り代。僕の本体は別の場所にある」
「そして」と、言葉を続ける錠前。
「僕の名前はヴェスタ。遥か彼方に存在する神の領域から、依り代を介して君に会いに来たんだ」
再びの沈黙。
アデーレには、この錠前の言葉が上手く呑み込めなかった。
この世界において、ヴェスタといえば神の名だ。
そしてこの錠前は依り代で、つまり
今日は矢継ぎ早に常識離れの事態に直面しているが、これはアデーレにとって特別強烈な話だった。
案の定、信じきれないアデーレは錠前から距離を置こうと後ずさる。
「待って待って、本当なんだよ」
「いや……もしそれが事実だとして、僕とか子供っぽいのは何でさ?」
そう、火竜ヴェスタは女神だ。
それが少年のような語り口調では、アデーレも納得がいかないだろう。
「ああ、女神がどうという話ね」
そのことについては自称ヴェスタにも自覚があったようだ。
みなまで聞かずとも事情を察したようで、うなずくように揺れている。
「単純な話だよ。性別なんて生物上の区分、僕らには意味のないものだ」
「はぁ……」
「だから、僕らは好きな形で君たちの前に現れ、好きなように語り合う。それだけのことだよ」
まるで愛嬌を振りまくかのように、自身の体(?)を左右に揺らし始めるヴェスタ。
向こうからからすれば、錠前の姿にはこういう性格が合っているということだろう。
だがアデーレの表情は今もなお
「納得出来ない? でもそういうものだし、そういうことにしておいてよ」
これ以上話を突き詰めても、あまりにも離れた感性の違いに打ちのめされるだけだろう。
アデーレは仕方ないといった様子で嘆息を漏らし、他の質問を考える。
そこで、最も大事なことを聞かなければならないのを思い出した。
「じゃあ、どうしてあなたは私の前に現れたの?」
「あー、それは説明しておかないといけないね。うんうん」
再び頷くような動きを見せるヴェスタの依り代。
先程からのコミカルさが漂う動きは、大いなる神を名乗る存在にしてはフランクすぎる。
よく言えば親しみがあるが、神としての威厳は感じられない。
何よりそういった外聞を、ヴェスタ自身が全く気にしていないようだ。
「まず君は転生者だ。だから強い依り代を作るための魂を持っていた。これがまず大前提だよ」
先ほども話していた、転生者の魂。
二人分の大きさがあり、この錠前はその半分を利用して生み出したという。
理屈は全く分からない。
だが神の依り代とは、そういった面倒な手順を踏まなければいけないのだろう。
自分の魂から生まれたそれを、アデーレは複雑な表情を浮かべながら見つめる。
「そしてもう一つ。僕が佐伯 良太に興味を持った」
「興味?」
アデーレの肩がわずかに揺れる。
突然挙がった前世の名を受け、隠しきれない動揺が出てしまったのだ。
そんな彼女の様子を気にすることなく、ヴェスタはゆらゆらとアデーレの周囲を観察すように飛び回る。
「そう、興味だよ。特にそうだね、君の持つ……いや、君の前世における【ヒーロー】という概念だ」
錠前がカタカタと音を立てながら動き回る。
「ヒーロー。つまり英雄でいいのかな? 本来英雄とはそれに足る力を与えられ、行使する責任を負う者だ」
「はぁ……」
「しかしどうだいっ。君が思い描くのは力ではなく
力を持つことへの責任。そういったものを背負うヒーローも、良太は知っている。
しかし彼が最も大きな影響を受けたのは、文字通り志としてのヒーローだった。
力の優劣ではない。その心さえあれば、誰でもヒーローになれる。
そんな不屈の強さに、佐伯 良太は人生を変えてしまうほどの大きな夢をもらったのだ。
「そんな強いあこがれを抱く君に、僕は力を与えてみたいと思ったんだ」
「そう……でも、どうしてそんなことを?」
嬉しそうに語るヴェスタに、アデーレは未だに警戒心を
こういった行動に出る上位存在というのは、大抵ろくなことを考えていないという物語のお約束が脳裏でくすぶり続けている。
しかし、アデーレの警戒心を知ってか知らずか、ヴェスタは相変わらず陽気な姿を見せる。
「君も目の当たりにしただろう? あの怪物を」
その言葉で、アデーレの表情がこわばる。
「そうだ。あれって一体何なの?」
「あれはこの島からさらに南、【暗黒大陸】から来た生物さ」
暗黒大陸。
過去にそんな名前を聞いたかと記憶をたぐるも、全く覚えがないものだ。
「聞いたことがなくても仕方ないよ。一般人には秘匿とされていることだからね」
「秘匿って……この世界、そんな場所があったの?」
「あったのさ、人類が世界に散らばった何千年も前からね。そしてあの怪物は、暗黒大陸に住む人々が召喚した物だ」
次から次へと与えられる情報に、いい加減アデーレはめまいを覚えてきた。
首を傾げ、こめかみに人差し指を当てながら小さくため息をつく。
「しばらくの間は平和だったんだけどねぇ。でも、向こうもおとなしくするのは止めにしたらしい」
「暗黒大陸の人達が、こちらに攻め込んできたという事?」
「最初に進出したのはこちら側なんだけどね。航海技術が進んだ数百年前頃から、暗黒大陸への入植がはじまったのさ」
「そ、そう……」
いよいよ歴史の勉強かと、空を仰ぐアデーレ。
建物の間から見える太陽の位置は、結構高い位置にある。
そこで自分が、これから仕事に行くところだったことを思い出すのだった。
「あ、仕事……屋敷に行かないと」
「へっ?」
「あのさ、とりあえず大事なのは分かったけど、いっぺんに説明されても理解できないから」
アデーレの変わり身には、ヴェスタも少々戸惑い気味のようだ。
自らの職務を思い出したためか、先程までアデーレが浮かべていた困惑と疑心は真顔の裏に隠された。
首をかしげるかのように傾く錠前は、呆然としているようにも見える。
「この状況でも仕事に行くって……あ、君が元いた世界で言う社畜ってやつかい?」
「なんでそんなろくでもない言葉を。そうじゃなくて、私を紹介してくれたメリナさんに迷惑がかかるから」
言われた時刻からは、大分時間が過ぎているかもしれない。
服についた土を払い、大通りの方へ歩き出すアデーレ。
その後ろを、ヴェスタの宿る錠前がついてくる。
「……とりあえず、後ろでぷかぷかされると目立つから」
アデーレは錠前を掴み、面と向かい合う。
「複雑な話は、少しずつ聞かせて」
「それもそうだね。それで、君はこれからどうするんだい?」
これから……。
その言葉が意味するのは、今日の予定や日常の話ではない。
世界の秘密の下で始まろうとしている、人類同士の戦い。
その渦中に、力を与えられたアデーレはどう関わっていくのか。
今なら全てを忘れて、日常へ戻ることもできる。
アデーレには、ヴェスタがそう言っているようにも聞こえた。
しばらく口をつぐんだ後、アデーレは重い口を開く。
「……そんなの、すぐに答えが出せるわけないじゃない」
それが、農家の娘で使用人見習いが出せる、精一杯の回答だった。
それを聞いたヴェスタは、納得したかのようにアデーレの手の中で揺れる。
「だね、僕もすぐに答えを求める気はない。だけどしばらくは一緒に行動させてもらうよ」
「うん、分かった」
今はこれが、互いが出せる妥協点だ。
ヴェスタの言葉にうなずいたアデーレは、手にした錠前をスカートのポケットへと入れる。
そして日陰の路地から、日の差す大通りへと早足で向かうのだった。
上空で、二匹の怪物が爆散する。 アデーレは爆炎の中から飛び出し、そのまま埠頭近くの倉庫の屋根に着地した。 埠頭の方を見ると、怪物達に囲まれた兵隊たちが苦戦を強いられているようだ。「数が、増えてる?」 最初は二十匹ほどだったはずの怪物は、四十近くまでに増加している。 一体どこから現れたのか。アデーレが港の周囲を見渡す。「アデーレ、海だ!」 アンロックンの言葉に促され、アデーレが埠頭から沖の方へと視線を向ける。 港から百メートルほど離れた位置にある深場だろうか。 青黒い海面を更に黒く染める、長く巨大な影が海中を潜行しているようだ。 茂る海藻を見間違えたかとアデーレが目を凝らすが、それは間違いなく港に向けて少しずつ移動している。「あれは……」 影の正体を見極めようとアデーレが目を細める。 その瞬間、影の上部から水柱が立ち、空中に巻貝らしきものが射出される。 数は五つ。殻は放物線を描きながら、港の方へと飛んでくる。「まずいっ」 屋根を蹴り、飛来する殻めがけて再び跳躍するアデーレ。 構えた大剣の刃が、赤く燃え盛る炎を纏う。 炎の光は軌跡となり、アデーレと貝殻の距離が一気に縮まっていく。 その瞬
主人の外出に際し、初めての付き添いを務めることとなったアデーレ。 エスティラの指示に従い辿り着いたのは、ロントゥーサ島にある最も大きな港の埠頭だ。 漁船以外にも客船や輸送船が停泊することを目的としたこの島唯一の港で、国外からの貨物船も寄港する貿易の中継地点として機能している。 しかし、今日はそんな港に、島民には馴染みのない大型軍艦が停泊していた。 船体は鉄製の装甲艦となっており、帆柱はなく煙突を有することから蒸気船だろう。 エスティラ曰く、島に常駐するわずかな衛兵では怪物に対する備えが不十分であることが判明した。 そのため、シシリューア島から共和国軍の一部が派兵されることとなり、この艦はその第一陣である。 そんな兵士たちを、現在島で最も位の高いエスティラが直々に出迎えることとなったのだ。 ちなみに、その提案をしたのは当のエスティラである。 『私の身の安全を任せるのだから、挨拶くらいはしておかないと』 というのが、エスティラの弁だ。 島全体の守備増強が目的だろうという疑問もあったが、アデーレはあえてそれを口にしなかった。 「これはこれは、バルダート家のご令嬢が直々に出迎えてくださるとはっ」 部下達を連れて颯爽と埠頭に降り立ったのは、三角帽がトレードマークの青い軍服姿の男。 彼は埠頭で待っていたエスティラに対し、帽子を脱いで仰々しくお辞儀をする。 その態度から、アデーレの目にも彼がこの船の艦長か、部隊の指揮官だろうと察することが出来た
夜のあぜ道を、私服姿のアデーレがとぼとぼと歩く。 空には三日月。 見慣れた故郷の夜空は、日本では見ることも難しくなった満天の星空だ。 ぼんやりと空を眺めていると、ポケットの中から何かが飛び出す。「お疲れ様だね、アデーレ」 目の前に現れたのは錠前……ヴェスタだ。 結局仕事中に喋ることはなく、アデーレも忙しさからその存在を忘れつつあった。「うん……ヴェスタ様はずっとポケットの中で窮屈じゃなかったの?」「はは。別にこれが僕の本体って訳じゃないから」 それもそうだとうなずくアデーレ。 だが、錠前越しにこちらを眺めているヴェスタの姿を思うと、のん気な神様だと呆れてしまう。「あ、今僕が神の世でのんびり観客決め込んでるって考えたね」「カンガエテマセン。ヴェスタサマ」「神に嘘吐きとは感心できないね。まぁいいけど」 人の考えることなどお見通しとは、さすが神様といったところか。 しかし、これではうかつなことは考えられない。 仕事と錠前によってプライベートが奪われていくことに、ため息を漏らす。 それもお見通しなのだろう。 錠前は笑っているかのようにカチャカチャと音を立て揺れる。「
食堂の隣には、客人との談話のために用意された応接室がある。 食堂に比べると狭い部屋だが、それでも一般的な家屋の一室に比べれば広い。 内装は食堂よりも豪華で、壁には蔓を模したかのような金の模様が張り巡らされ、室内に置かれたあらゆるものが、高級品で揃えられている。(どうしてこうなった……) そんな落ち着かない部屋の端で、アデーレは口を閉ざし自問していた。 中央のテーブルにはティーセットや軽食で彩られたケーキスタンドが置かれている。 傍に設けられた豪華なソファには、綺麗な姿勢で座るエスティラの姿が。 そんな彼女の隣には、黒のモーニングコートにアスコットタイという、誰が見ても執事と分かる壮年の男性が立っていた。 白髪交じりの黒髪に、しわが深く刻まれた穏やかさを感じる顔が印象深い。 女性の下級使用人が男性執事と関わることは少なく、当然新人のアデーレは初対面だ。 故にどうすればいいのか分からない彼女は、閉めた扉の前から動けずにいた。「何突っ立ってるのよ。これ以上待たせないで」 変わらず不機嫌そうなエスティラが、鋭い横目でアデーレを見る。 そこに割って入るように、執事がそっと口を開く。「お嬢様、彼女も初対面の者ばかりの場所で緊張しているのでしょう」 年齢を重ねた男性らしい、低く重みを感じさせる落ち着いた声で語り掛ける執事。 その後彼はアデーレの方に向き直り
午後の仕事は、主人たちの生活スペースで行われる雑務が多い。 これは主人の目につく場所での仕事になるし、来客と対面することも頻繁にある。 そのため、午後は身だしなみも整えるため、午前の服とは別に主人が用意した制服を着用することが義務付けられている。 黒い長袖ドレスに、フリル付きの白いキャップとエプロン。 これが、バルダート家の使用人に用意された基本的な制服である。 前日は主に階下の仕事が中心だったため、アデーレはここで初めて制服に袖を通すこととなった。 「なるほど……」 いわゆるメイド服というものに初めて袖を通したアデーレ。 その完成度の高さに、思わず感嘆の声を上げた。 デザインだけ見れば、煌びやかさは微塵も存在しない地味な衣装だ。 しかし自前で用意した仕事着よりも、生地の材質や縫製の精度が優れたドレス。 ロングスカートながらも動きやすく、なおかつ形が崩れない工夫が随所に施されている。 何より、控えめだからこそ醸し出される気品を受け、アデーレの背筋は自然と伸びる。 国の執政にも関わる貴族の家ならば、使用人の制服にも相応の金と手間が掛けられているということだろう。 今さらながら、アデーレは自分が高位の家に務めているということを実感していた。 「それでは、本日はこちらで調度品の手入れをして頂きます」 先導するアメリアによって、数名のメイドと共に案内されてきたのは二階にある広い食堂だ。 中央には
アデーレがバルダート別邸に到着した時、使用人たちの間では既に怪鳥の話題で持ちきりだった。 使用人たちが集まる、屋敷一階の使用人控室。 主人らが使う部屋とは違い、シックな家具でまとめられた絢爛から程遠い部屋である。 しかしそこは名だたる名家、天下のバルダート家だ。 たとえ使用人が使う家具だろうとも、庶民が一年休まず働いても買うことのできないものばかりである。「アデーレ、本当に何ともないの?」「はい、大丈夫です」 エプロン姿にすまし顔のアデーレを前に、メリナは困惑の表情を浮かべる。 騒動を受けてもなお屋敷にやってきたアデーレには、彼女だけではなく他の使用人たちも驚いていた。 「さすがにあんなことがあったら休んでも大丈夫なのに。真面目だねぇ」 話を聞いていた先輩の使用人も、真面目なアデーレを前に苦笑を浮かべている。 「でもねアデーレ、私はあなたの身に何かあったら嫌だから。こういう時は真っ先に自分の身を守らないとダメだよ」 使用人になるのを提案したこともあってか、特にメリナはアデーレの身を案じているようだ。 こうなると、自分が騒動の渦中で、しかもそれを解決したなどとは口が裂けても言えないだろう。 少年にも秘密にするよう言った手前、このことは隠し続けなければならない。







