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3-3【再会は突然に】

Penulis: 蕪菁
last update Terakhir Diperbarui: 2025-12-16 15:50:30

 午後の仕事は、主人たちの生活スペースで行われる雑務が多い。

 これは主人の目につく場所での仕事になるし、来客と対面することも頻繁にある。

 そのため、午後は身だしなみも整えるため、午前の服とは別に主人が用意した制服を着用することが義務付けられている。

 黒い長袖ドレスに、フリル付きの白いキャップとエプロン。

 これが、バルダート家の使用人に用意された基本的な制服である。

 前日は主に階下の仕事が中心だったため、アデーレはここで初めて制服に袖を通すこととなった。

「なるほど……」

 いわゆるメイド服というものに初めて袖を通したアデーレ。

 その完成度の高さに、思わず感嘆の声を上げた。

 デザインだけ見れば、煌びやかさは微塵も存在しない地味な衣装だ。

 しかし自前で用意した仕事着よりも、生地の材質や縫製の精度が優れたドレス。

 ロングスカートながらも動きやすく、なおかつ形が崩れない工夫が随所に施されている。

 何より、控えめだからこそ醸し出される気品を受け、アデーレの背筋は自然と伸びる。

 国の執政にも関わる貴族の家ならば、使用人の制服にも相応の金と手間が掛けられているということだろう。

 今さらながら、アデーレは自分が高位の家に務めているということを実感していた。

「それでは、本日はこちらで調度品の手入れをして頂きます」

 先導するアメリアによって、数名のメイドと共に案内されてきたのは二階にある広い食堂だ。

 中央には二脚の白い長テーブルが向かい合うようにして置かれ、窓際には食事の際に使うのだろう同色の椅子が片付けられている。

 小さな体育館くらいはありそうな広間だが、家の者だけが使う場所らしい。

 天井画にシャンデリア。白地に蔓を模したような金模様が施された壁紙。

 壁沿いに設けられたチェストの上にはいかにも高級品といわんばかりのインテリアが飾られ、上座奥の壁には好奇な身なりをした人物の絵画が掛けられている。

 田舎者に見られるだろうと考えつつも、アデーレはその豪勢な室内に目を奪われてしまう。

 同郷の少女たちも、同じように圧倒されているようだ。

 そんな少女たちをやんわりとたしなめるように、軽い咳払いをするアメリア。

 その音に促され、皆がアメリアの方に視線を戻す。

「どれも貴重なものなので、くれぐれも粗相のないようお願いいたします……ラヴィニアさん」

 アメリアが隣に立つ使用人……ラヴィニアに視線を向ける。

 後は任せる、ということだろう。

「かしこまりました、スィニョーラ」

 両手を腹部で重ね、ゆっくり頭を下げるラヴィニア。

 ラヴィニアの返事を確認したアメリアは、皆に軽く会釈をして食堂を後にする。

 アメリアの退室を確認した後、軽くうなずいたラヴィニアが自らの方を見る使用人たちと向き合うように振り向く。

「という訳で皆さん。ここからは私が指示を出しますので、分からないことがあったらいつでも尋ねてくださいねー」

 灰色の髪と垂れ目が特徴の、温厚そうな雰囲気を見せるラヴィニア。

 後輩たちに向けるその緩やかな声色も、彼女の穏やかな性格を表しているかのようだ。

 しかしアメリアからこの場の仕切りを任されるほどに、彼女もまた熟達の使用人である。

 ラヴィニアはメリナの同期で、アデーレも少しだけ話したことのある相手だ。

 実際に性格も穏やかで、はきはきした性格のメリナと雑談していた時は、まるで賑やかな妹の話を聞く聞き上手の姉のようだった。

 ふと、彼女の背後にある銀製の皿に目が行く。

 わざわざスタンドを使って立てられている辺り、実用品ではなくインテリアだろう。

「このお皿はちょっとびっくりしちゃう高級品だから、私が手入れしますね」

 アデーレの視線に気づいたのか、ラヴィニアが穏やかな笑顔で答える。

(あれには触らないでおこう)

 これから手入れするインテリアの数々が、アデーレには地雷と同等の危険なものに見えてきたのだった。

          ◇

 装飾品や家具を磨いていく作業を続けて、一時間は過ぎただろうか。

 単純な仕事量は窓ふきなどと比べれば楽なのだが、わずかなミスで大惨事と考えると、何より精神が疲弊ひへいしてしまう。

 アデーレが今手にしているのは、青と赤、金の装飾が施された白磁製のランプだ。

 ワインボトルほどの大きさがあり、丸みを帯びた白色ガラスのカバーには指紋一つ付いていない。

 わずかに震える手でランプを持ち、乾いた布で丁寧に磨いていくアデーレ。

 時折落としてしまうイメージが頭をよぎるが、すぐさまそれを振り払い目の前の作業に没頭する。

「アデーレさん、少しいいかしら?」

 いつの間にか背後にいたラヴィニアが静かに声をかけてくる。

「はい。どうしました?」

 ランプをチェストの上に戻してから振り返ると、真っ先に困り果てた表情のラヴィニアと目を合わせる。

 何か粗相を働いたのかとアデーレは身構えてしまうが、こちらを驚かせないよう気を遣ってくれているラヴィニアの様子を前に少し気を緩める。

「えっとね、お嬢様が今日は隣の応接室でお茶がしたいそうなの」

 その言葉が一瞬のめまいを誘い、思わず手元の布を落としそうになる。

 メリナの話では、普段エスティラは寝室でお茶を済ませるという話だったはずだ。

「あー……め、珍しいですね。応接室でなんて」

「お嬢様は気まぐれな方ですからねぇ。今日は外出も出来ないので、気分転換かしら」

「なるほど……」

 ラヴィニアもメリナから話を聞いているため、アデーレとエスティラの確執については知っている。

 そんなアデーレを気遣って、わざわざ教えてくれたのだろう。

 とはいえ、主人ともあろう者が用もなく食堂に来るということはないはずだ。

 おとなしく仕事を続けていれば、急な鉢合わせもない。

 そう自分に言い聞かせつつも、布を持つアデーレの手が強く握りしめられる。

 その時、背後の扉が開く音が耳に入る。

「あら、意外と人手は少ないのね」

 広い室内によく響く声は、どこか聞き覚えのあるものだった。

 アデーレの身体が、凍り付いたかのようにぴたりと固まる。

(何でだ……?)

 脳裏の声はアデーレと、そして良太の焦りも混ざり合っているようだった。

 ヒールで床を鳴らしながら歩み寄る人物を確認するため、アデーレは軋む扉のようにぎこちなく振り返る。

 その瞬間目についたのは、背中にかかるボリュームのある長い金髪。

 そしてへの字に曲げた口元と、突き刺すような視線を放つ澄んだ青い瞳の釣り目。

 アデーレは確信した。

 成長しているが、出会った当時の面影は間違いなく残っている。

 今ここに立つ高貴な少女こそ、バルダート家令嬢。エスティラ・エレ・バルダートだ。

「お嬢様っ、どうなされたのですか?」

 隣にいたラヴィニアが、慌ててエスティラの元へ駆け寄る。

「暇なのよ、アメリアに外出止められて。だからあなたたちの仕事ぶりでも見てやろうと思っただけよ」

「そ、そうでしたか」

 その憮然ぶぜんとした口調から、外出禁止に対し不満を抱いているのは明らかだ。

 十人中十人が確信するほどに、今のエスティラは間違いなく機嫌が悪い。

 アデーレはすぐさま彼女から目を逸らし、他の仕事はないかと周囲を見渡す。

 そんなごまかしもむなしく、エスティラの足音が真っすぐアデーレの方へと向かってきた。

「あなた」

 ついに声をかけて来たエスティラ。だが不審なアデーレの動きに対し特別怒りを向けてきた様子はない。

 アデーレの後ろ姿を見ただけで、顔を確認していないからだろうか。

「……はい」

 出来るだけ不安を顔に出さないよう、平静を装ってゆっくりと振り返る。

 近くで見るエスティラの顔は、一目で分かるほどに美人だ。

 だが不満を隠さないその険しい表情は、使用人ならば誰でも不安に駆られてしまうだろう。

 その時、アデーレの緊張がさらに高まる。

 何を思ったのか、エスティラがアデーレの傍まで近寄り、じっと顔を見つめてきたのだ。

 自身より身長の高いアデーレに対し、つま先立ちで顔を近づけるエスティラ。

 それは彼女の長いまつげが、アデーレの鼻先に触れそうなほどの距離だ。

 アデーレの緊張はピークに達し、背中を冷たい汗が流れる。

「んー……」

 顎に手を当て、考えこむ仕草を見せるエスティラ。

 鼻先が触れそうなほどに顔が近い。

 何でこんなに顔を近づけてくるのか。

 アデーレは心の中で、彼女の行動に対する不満を漏らしていた。

「あなた、どっかで会ったかしら?」

「そ、そうでしょうか」

「ええ。どこだったかしら。ラヴィニア、何か覚えてない?」

「私はぁー……特に存じ上げませんねぇ」

 アデーレ……おそらくラヴィニアも、出来れば思い出さないでほしいと願っていた。

 ただでさえ不機嫌なエスティラだ。

 もしも目の前にいるのが因縁の相手だと気づいたら、どんな無茶振りをしてくるかわかったものではない。

 このまま穏便に済んでくれと、アデーレは口に出すことなく祈り続ける。

「ふぅん。まぁいいけど」

 アデーレから顔を離し、出口の方へと体を向けるエスティラ。

 どうにか危機を脱したかと、アデーレは気づかれぬよう胸を撫で下ろす。

 だが……。

「あなた、今からお茶の用意をしなさい」

 危機を脱してなどいなかった。

 むしろ、状況は更に悪化していくばかりだ。

「えっ? ですがお嬢様、彼女はまだ新人でして」

「それくらい新人メイドにも出来るでしょ。どうせ、いつかやることなんだし」

「それはそうなのですがぁ……」

 ラヴィニアの不安げな眼差しが、アデーレに向けられる。

 既にアデーレの笑顔は引きつっていた。

「半端に思い出せないのも気持ち悪いわ。あなた、しばらく私についていきなさい」

 再びエスティラがアデーレと向き合い、指を差して命じてくる。

 使用人である以上、こうなると逆らうのは不可能だ。

「か……かしこまりました」

 主の命令に、素直に従う使用人。

 渋々頭を下げるアデーレだが、使用人たるもの不平不満を表に出すなど言語道断だ。

 今はそれを徹底し、少しでも過去を想起させないよう立ち回るしかない。

 こうして、アデーレの使用人としての最大の試練が、二日目にして訪れたのだった。

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