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第143話

Author: ルーシー
玲奈は思った。

――このことを智也に話せば、きっと薫の昂輝への圧力を止める術を持っているはずだ。

そう口を開こうとした瞬間、胸に緊張が走る。

だが、電話から最初に聞こえてきたのは沙羅の弾んだ声だった。

「智也、見て!流れ星よ。早く、お願いごとをして」

一瞬、電話の向こうは静まり返った。

けれど、すぐに沙羅の声が続く。

「ねえ、さっきどんなお願いをしたの?」

智也の答えは、ただひと言。

「ヒミツ」

たった三文字。

けれどその声には、深い愛情が滲んでいた。

電話越しにさえ、玲奈には二人の甘い空気が伝わってくる。

沙羅が楽しげに笑い、また声を弾ませる。

「愛莉がカニを見つけたの。一緒に捕まえに行こう?」

智也はためらうことなく応じた。

「ああ」

しかし直後、ようやく通話中であることを思い出し、電話口に向かって言った。

「そうだ、さっき何か言ってなかったか?」

彼は玲奈の言葉をひとつも聞いていなかった。

玲奈はしばらく黙り、やがてかすれた声で尋ねた。

「今、どこにいるの?」

いつもと同じ問いかけ。

だが違うのは――今回は夫婦関係を繋ぎ止めるためではなく、ただ彼に助けを求めるためだった。

智也は少し間を置いて、不思議そうに聞き返す。

「俺を監視でもしているつもりか?」

「どうしても、直接伝えたいことがあるの」

玲奈の言葉に、彼は冷ややかに答える。

「今は無理だ。今度にしてくれ」

――その言葉を、彼女はもう何度聞いたことだろう。

次など永遠に訪れないことも知っている。

必死に切り出そうとした目的を言い出す前に、電話は一方的に切られた。

無機質なツー、ツーという音を聞きながら、玲奈は携帯を持った手を下す。

その瞬間、全身の力が抜け落ちる。

それから二日間、彼女は智也に連絡を取らなかった。

だが今度は昂輝との連絡が途絶えてしまう。

その一方で、拓海からの贈り物は一度も途切れることなく、毎日のように届けられた。

いくつもの宝石箱を、玲奈は一度も開けていない。

拓海のことだから、安物であるはずがない。

無駄だと分かっていても、彼は送り続けた。

けれど今の玲奈には、それを気にかける余裕などなかった。

頭は昂輝の身の安全の事でいっぱいだった。

一日待っても、彼からの返信はない。

不安に押しつぶされそうにな
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