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第8話

Penulis: ルーシー
春日部家。

玲奈はすでに半年実家には帰ってきていなかったので、この時少し微妙な空気が流れていた。

食卓の上には様々な料理が並べられており、そのほとんどが玲奈の好物ばかりだった。

智也と結婚することになったその当時、春日部家は一家揃ってその結婚に反対していた。しかし、玲奈は家族と縁を切ることで、春日部家はこの結婚を無理やり承諾させられたのであった。

しかし、結婚してから智也は一度も彼女と一緒に春日部家に訪問してくれたことはなかった。

父である健一郎(けんいちろう)と兄の秋良は冷たい表情をしていた。母である直子(なおこ)は目を真っ赤にしてずっと涙を拭っていた。兄嫁の綾乃はその場の雰囲気を良くさせるために頑張っていたが、どこから何を話せばいいのか困っている。陽葵はそんな彼らの表情をちらちらと盗み見ていた。

玲奈が立ち上がって家族に謝罪の言葉をかけようとした時、秋良が突然厭味ったらしくこう言った。「明日は新垣実(にいがき みのる)の誕生日だろ、おまえ新垣家であいつらに奉公しないで、どうしてこっちに帰ってきたんだ?」

その言葉のどれもがチクチクと皮肉交じりで刺してきたが、玲奈は笑って軽々とした口調で言った。「兄さん、今後はお父さんのためだけに誕生日をお祝いするわ」

秋良はその言葉を聞いて驚き、内心明らかに彼女のことを心配してはいたものの、その口調は冷ややかだった。「どういうつもりだ?」

玲奈は言った。「私、もう新垣智也と離婚することにしたの」

その言葉が出た瞬間、その場はさらに変な空気になった。

まるでその場にいたみんなの目が玲奈に注がれていて、それぞれがとても驚いているようだった。

綾乃は少し心配になって、こう尋ねた。「じゃあ、愛莉ちゃんの親権は?」

玲奈は失笑し、仕方ないといった様子でこう答えた。「お義姉さん、愛莉は私と一緒にいたくないんだって。だから親権は放棄するつもりなの」

玲奈は母親だ。自分の子が要らないわけはないだろう?

しかし、愛莉のことを思い出すと、心がぎゅっと締め付けられて苦しくなる。

でも、もういい。意地を張らないことが最善なのだから。

綾乃も同じ母親として、玲奈の辛さを自然と感じ取っていた。それに玲奈は愛莉のことをとても愛していることはここにいる誰もが分かっていた。

そんな玲奈が自分から子供の親権を放棄するということは、きっと何か極限状態になるまで失望して、その結果このような決断をしたのだろうから。

直子の嗚咽交じりの声を聞き、綾乃が義母にそっとティッシュを差し出し、また玲奈に言った。「離婚するのも良いことだと思うわ。今後、きっとあなたを心から愛してくれる人が見つかるわよ」

玲奈はニコリと笑い、淡々とした口調で言った。「それは、また今後考える。今のところ、新しい人を見つける気はないから」

結婚がこのような結末になったのに、どうしてまた同じ轍を踏むようなことをする必要があるだろうか。

綾乃はもうそれ以上は何も聞かず、箸を持って玲奈にたくさんおかずをよそってくれた。「じゃ、これからはこの春日部家があなたのお家よ。あなたは春日部家のお嬢様なんだもの。みんなあなたを歓迎するわ」

陽葵も母親に続けて口を開いた。「おばちゃん、私、大きくなったら玲奈ちゃんのこと養ってあげるからね」

父親の健一郎は何も言わず、ただひたすら顔を下に向けエビの殻を剝き続け、4、5個剥き終わったら、それを小皿にのせ、玲奈の前にススッと差し出した。

玲奈はそれを見た瞬間、瞳をうるうるとさせた。

彼女が新垣家で牛馬のようにせっせと奉仕してから5年間、一言も感謝の言葉をもらったことなどない。しかし、春日部家では、彼女が何かをしなくても、みんなは宝物のように可愛がってくれるのだった。

玲奈は顔を下に向けご飯を食べ始めたが、涙がご飯の茶碗に落ちて濡らしてしまった。

食事の途中で、陽葵が突然後ろのローテーブルを指さして言った。「おばちゃん、携帯が光ってるよ」

玲奈が携帯の表示を見てみると、それは智也からの電話だった。

彼女は携帯に登録している人をブロックしたりする習慣がないので、彼女に電話が繋がらない場合は、それはマナーモードにしていて気付かないからなのだ。

電話に出た後、玲奈の顔色が瞬時に青ざめた。彼女は体を硬直させて言った。「分かった、今すぐ行く」

携帯をなおし、家族に何かを伝える余裕もなく出て行こうとした。すると綾乃が心配して立ち上がり玲奈に尋ねた。「玲奈ちゃん、何があったの?」

「愛莉がマンゴーを食べてアレルギー発作を起こしたって。病院にいるらしいから、今から見に行ってきます」

秋良はそれを聞き、妻の綾乃に視線を送った。

綾乃はその意味を理解し、急いで口を開いた。「私も一緒に行くわ」

陽葵も立ち上がった。「私も一緒に行く」

……

夜10時半。

愛莉が夢から覚めて目を開けると、そこには母親の玲奈の姿があった。

「愛莉、調子はどう?」玲奈は愛莉が目が覚めたのを見て、心配して緊張した表情を緩めた。

病室の中で、彼女は一時間以上、ずっと愛莉の目が覚めるのを見守っていた。

智也はこの時、支払いに行っていて、玲奈たちだけがここにいた。

愛莉は母親を見ても何も言わず、ふんっと怒った様子で顔を向こう側に背けた。

玲奈は愛莉が一体何に腹を立てているのか分からず、ここに来たのが沙羅ではないからだろうと思っていた。

そう思うと、玲奈の心はやはりズキズキと痛み、愛莉の布団の端を少し整えてあげてから立ち上がりこう告げた。「じゃ、ゆっくり休んで。私、もう帰るから」

愛莉に嫌われているのなら、彼女がここに留まる意味はない。

玲奈が後ろを振り向いて陽葵の手を握ると、愛莉は玲奈の背中に向かってこう叫んだ。「ふんっ、ママって本当にヒドイ人だわ」

それを聞いた陽葵は我慢できず、玲奈の手を離し、ベッドの前までやって来た。「あんたね、口をつつしみなさい。私のおばちゃんにそんなふうに言わないで!」

愛莉はそれにまたイラっとし、陽葵を貶した。「このブス、あんたなんかに関係ないでしょ」

陽葵も一歩も譲る気はない。「意気地なし、恩知らず、一人じゃなんにもできないお姫様」

愛莉はそれに敵わず、怒って涙を流した。「デブ、ブス、大人になっても誰からも好かれないわよ」

陽葵はよく食べ、ぷくぷくとふくよかに育っていて、周りからデブだと悪口を言われるのが一番嫌いだった。

玲奈はそれを知っていたし、それに愛莉のほうから人を貶し始めたのだ。

「愛莉、お姉ちゃんに謝りなさい!」玲奈は陽葵を後ろに庇う形で、声を低くし愛莉に叱りつけた。

母親に味方してもらえず、愛莉はさらに悲しくなって、声をあげて大泣きし出した。

綾乃は立ち上がって、仲を取り持とうとしたが、その時ちょうど智也がドアを開けて入ってきたのだった。

父親の姿を見て、愛莉はぼろぼろと涙を流し続け、両手を広げ智也に抱きついた。「パパ、ママがいじめるの」

愛莉はすすり泣きし、智也はそれを聞いて心がぎゅっと締め付けられた。

彼は顔を玲奈のほうへ向けた。その瞳は尖ったナイフのように鋭く、明らかに彼女に不満を持っていた。

玲奈は智也と視線を合わせ、何も恐れず堂々と圧力のかかった彼のその瞳に対峙した。「私は間違ったことをしたとは思わない。もし、あなたがそう思うのなら、思えばいいわ。私はどうでもいい」

智也に対して、今まで彼女がこのように冷たい態度を向けてきたことはなかった。

智也はそんな彼女の変化に構っている暇もなく、ただこう聞いた。「おまえ、こんなふうに子供の世話をしていたのか?」

玲奈はもう説明したくなかった。それをする気力すらない。

「そうね、あなたが見た通りよ」彼女は何もかも面倒臭くなり、もういっそ、そういうことにしておいた。

智也も遠慮なく言った。「だったら、あの日俺が言った『沙羅のほうがおまえより母親として相応しい』という言葉は間違いではなかったわけだ」

玲奈は彼を見つめ、ゆっくりと返事をした。「そうよ」

智也はまさかあの玲奈がこのように冷静な態度を取るとは思っておらず、その瞬間愕然とした。「おまえ……」

玲奈はもうそれ以上彼の話を聞いていたくなかったので、鋭く聞き返した。「あなた達が、この母親をやっている私よりもずっと子供の世話が得意だと言うのなら、どうして愛莉がマンゴーでアレルギーを起こすって知らなかったわけ?」

智也は驚き、すぐに表情を変えずに言った。「そんなこと言われた記憶はない」

玲奈はもう言い争うことはしたくなかった。しかし、娘のことを思い、やはりはっきりと教えておくことにした。

それで、彼女は真面目に智也に話し始めた。「分かった。今から言うことをしっかり記憶しておいてちょうだい。愛莉は女の子だから、毎日ちゃんと女の子の大切な部分をきれいに洗ってあげるのよ。予防接種に行って、氷の入った冷たい物は飲ませないで、それからマンゴーは食べられないし……」

玲奈は多くのことを話した。そして、全部言い終わると、智也がどう思ったのか気にもせず、陽葵と手を繋いで病室を出ていった。

どうせ離婚するのだから、さっさと伝えてしまったほうが愛莉のためでもある。
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