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第2話

Author: 福まみれ
三日前、翔太が由紀の妊婦健診に付き添う動画が、ネットで大きな話題になった。

【今話題の由紀って、実は略奪愛だったらしいよ】

【不倫でしょ、最低】

そんな声がネットを駆けめぐり、由紀へのバッシングは止まらなかった。

由紀は追い詰められ、自殺未遂まで起こしてしまった。

ネットの中傷を目の当たりにし、翔太は胸を締めつけられる思いだった。

「せめて誤解だけでも解きたい」――そんな想いで、志保に「形だけの離婚」を持ちかけた。

志保はあまりの理不尽さに呆れ、ずっと首を縦に振らなかった。

でも、もう彼のことは必要ないと決めた。

翔太は、志保の態度を「器が小さい」と内心で決めつけ、不機嫌な様子を隠そうともしなかった。

だが、彼女が「離婚する」と言った瞬間、その顔にぱっと明るい色がさし、さっきまでの苛立ちはどこへやら、まるで子どものように上機嫌になった。

「やっと決心したのか。じゃあ今すぐ離婚届を取ってくる!」

「待って。離婚はいいけど、条件は変えて。私は財産分与なしのまま家を出るつもりはない。夫婦の財産は半分ずつよ」

「ただの形だけの離婚なのに、そんなに本気にならなくてもいいだろ?」

翔太は交際初期の志保を思い出していた。あの頃の彼女はいつも優しく、おおらかだった。

一体いつから、こんなに細かくなったんだろう……

志保は彼の冷たい視線に傷つき、かすれ声で言う。

「嫌なの? じゃあもういい」

それを聞いた翔太は焦ったように食い下がる。

「駄目だ、ちゃんと分かったよ!全部お前の言う通りにするから、もうこれでいいだろ?」

彼は志保が心変わりしないか心配で、午前六時にまで及んで弁護士を呼びつけ、離婚協議書を書き直させた。

翔太も「形だけの離婚」が志保に申し訳ないとは思っている。

でも由紀の父親は、かつて自分の命の恩人だった。

由紀が世間の非難に晒されないようにするためには、どうしても志保に犠牲になってもらうしかないのだ。

新しい離婚協議書がようやくプリントされると、翔太はそれをペンと一緒に志保に手渡した。

「さあ、早くサインして!」

翔太が急かす声を聞きながら、志保は二人がまだ愛し合っていた頃のことを思い出す。

悲しみと共に、呟くように言った。

「翔太、あなたは他の女のために、こんなにも私を追い詰めて。私が本当にあなたの前からいなくなっても平気なの?」

翔太は意に介さず答える。

「これは、ただの形式的な離婚だから。俺は由紀と籍を入れて結婚式を挙げるけど、世間が落ち着いたら、またすぐお前とやり直せばいい。二人の仲には何の影響もないんだ」

仲?

その言葉を聞いた瞬間、志保はただ笑うしかなかった。

彼への想いなど、前世で息子が死んだ時にすべて消えてしまった。

志保が離婚協議書にサインを終えると、翔太はそれを待ちきれない様子で、すぐに手から奪い取った。

「これで取り消しはなしだ。財産分与の手続きが終わったら、一緒に離婚届を出しに行くぞ!」

「……分かった」

翔太の嬉しそうな様子を見て、志保は過去に彼を全身全霊で愛していた自分を思い出し、哀れな気持ちになった。

翔太はそんな志保の変化にも気付かず、離婚協議書の写真を撮ると、浮かれた様子で由紀にメッセージを送る。

部屋を出る前、志保が彼を呼び止めた。

「翔太、陽向が今日高い熱を出していたの、知ってる?」

「うん、薬は飲ませたよ。寝たのを見計らって出かけたんだ、また騒がれても困るからな。

お前も由紀から子育てを学んだ方がいい。心美(ここみ)なんて、陽向よりずっと手がかからない子だぞ」

熱で苦しむ五歳の子どもを、家に一人残しておいて、その上でよくそんなことが言えるものだ――

そう思いながら、志保は口をつぐんだ。

胸に溜まっていたはずの非難の言葉も、もう何も出てこなかった。ただひたすら、深い失望感だけが残る。

愛していた頃は、彼のどんな行動も美化していた。

でも、愛が冷めてしまえば――

もう、彼のことは軽蔑しか感じなかった。

――

翌朝、役所が開く前から翔太に引っ張られ、志保は手続きの列に並ばされる。

昔、二人で結婚届を出そうとした時、翔太は由紀のさまざまな「都合」で十回も約束を破っていた。

それなのに、離婚申請になると、誰よりも張り切っている。

志保は自分の気持ちがどうなのか、もはや分からない。

署名しようとした瞬間、涙がこぼれそうになり、思わず手が震えた。

署名が終わると、翔太は心底嬉しそうな顔をした。

「自分でタクシーで帰れよ。俺は由紀と一ヵ月後の結婚式について相談しないといけないんだ!」

そう言い捨てて、翔太は振り返りもせずに去っていった。

志保は少し離れた場所から、翔太の乗った車が走り去るのを見届ける。

どうしようもない虚しさに、自然と苦笑いが浮かぶ。

付き合い始めの二年間、翔太はとても優しかった。

どんな望みも叶えてくれた。

でも、由紀が現れてからは、志保と陽向は常に後回しにされるようになった。

一度、志保は離婚を切り出したことがある。

その時翔太はこう言った――

「俺が由紀に優しくするのは、彼女の父親が俺を助けてくれたからだ。でも、志保、お前に優しくするのは、本当にお前を愛してるからなんだ」

志保は優柔不断な性格で、毎回翔太に傷つけられ、「もう離れよう」と決意したのに、引き止められると言葉にできず、そのまま戻ってしまっていた。

そうして三人の関係は抜け出せないまま続き、最後には志保と息子が哀れな死を迎えたのだった――

でも、やり直せるチャンスを得た今度こそ、絶対に同じ過ちは繰り返さない。

志保は結婚指輪を外し、静かに質屋へ持っていった。

この結婚指輪は、翔太が自分でデザインし、手間ひまかけて作ってくれた思い出の品だった。かつては「この指輪にすべての愛を込めた」と言っていた。

でも今となっては、彼が膝をついてプロポーズしてくれたあの光景も、ただただ滑稽に思える。

買い取りが済むと、志保は家に戻り、自分と陽向の荷物をまとめはじめた。

まずはホテル暮らしに移り、離婚届が正式に受理されたら、この街を出て二度と戻らないつもりだ。

だが、まだ荷物をまとめ終わらないうちに、陽向が泣きながら駆け寄ってきた。

「ママ、先生から電話があったの。パパが江口(えぐち)先生のレッスンを、心美ちゃんにあげちゃったって……どうしよう?」
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