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07

Author: 仲原
last update publish date: 2026-07-07 21:31:16

 一冊、二冊と本棚に増えていくアルバムたち。デジタルが主流になった今では、それらは電子情報として記憶媒体にバックアップされている。それなのに敢えて出力し、本という形で手元に置くことを選んだのは単純に、時の経過と共に味わいを深める紙ならではの良さを感じたいと考えているからである。

「いつの間にかこんなにも増えたんだな」

 収められた写真が撮影された年月日。その数字を収録されている印画紙の期間で表記した背表紙は、左から右へと徐々に新しいものに変化していく。

「この数字もあっという間に、三年目のものになりましたしね」

 それらの記録を愛おしそうに撫でながら、海亜は今までの事を振り返る。

「私、今でも私が、あなたの妻であることが信じられないんです」

 結婚した当初、想像もしていなかった状況に、毎日夢では無いことを確かめ夢であることを疑っていた。未だに敬語で話す癖は抜けないが、『兄様』と呼ぶことは改善し、伴侶である昴のことを名前呼ぶことが出来る様になったのは、ここ数ヶ月の話だ。それほどにまで婚姻という状態を受け入れるには時間がかかっている。それでも、疑り深い海亜に呆れること無く、昴は毎日彼女のことを甘やかしてくれる。時々、子供の頃み見せた妹に対して取るような対応をすることはあるが、それはお互い様な部分もあるのだから仕方が無い。

「僕は、ずっと君のことは妻だと思っているけどね」

 背後から伸びる長い腕が、自分よりも一回りほど小さな愛おしい存在を抱き締める。

「アルバムが増える度に、君との大切な思い出が増えていくことが嬉しくて仕方ないよ」

 そう言って互いに顔を見せ合い笑い合う。適当に抜き取った白い冊子は、ソファに腰掛けた海亜の膝の上で小さく音を立ててページが捲られていく。昴も彼女の隣に腰を下ろし、白くしなやかな指が記憶と共に閉じ込めた時間をなぞるのを見て、楽しげに目を細めて見せる。

「ここはとても綺麗だったね」

 開かれたページにあるのは、数年前日程を調整して訪れた海外旅行での写真である。

「この時は海亜が場所を選んだんだっけ」

「ええ。どうしても一度、行ってみたかったんです」

 この時の旅程はそれほど日数を確保出来なかった。そのため、できるだけ移動の負担が掛からないように観光スポットを控えめにし、その代わり現地の雰囲気を楽しめるようフリープランを選択している。

「この建物アラベスク模様がとても印象的だったなぁ」

「ええ」

「宮殿なんて建物はこっちじゃ見られないものだから、見ていて面白かったよ」

 海亜の白い手を包み込むようにして昴の手が重なると、彼女と同じように印刷された過去の記憶を懐かしむように軽く撫でていく。

「日本のお城だと、外観も雰囲気もかなり違いますしね」

「まぁ、こっちの城も好きだけどね、僕は」

「知っています」

 随分厚みを持った紙が、小さな音を立てて次のページへ送られる。

「ここも凄かったなぁ!」

 次に現れたのは緑が美しい庭園の写真だ。

「それほど大きい訳では無かったけれど、植物と建物のコントラストが中々見られない感じで、独特の雰囲気があったんだよね」

「あの時の昴さん、夢中でシャッターを切っていたので、ちょっと恥ずかしかったです」

「え? そうなの?」

「はい」

 少しずつ夫婦という時間を積み重ねると分かってくる相手の事。

「でも、昴さんは本当に、建築物が好きなんだなと思いました」

 同じ場所に居て、同じものを見ていたとしても、それに対して思うことは人それぞれである。印画紙にある一枚の絵の場所を二人で歩いていた時、海亜と昴とでは感動に多少の温度差があった。海亜にとってこの場所は『綺麗』だと感じるものでそれ以上の盛り上がりは感じられなかったのだが、あの時の昴は海亜の隣で、覚えている知識や気になる場所を事細かく彼女に説明してくれたのだ。そんな彼の様子は宝物を目にした子供のように純粋で、普段見ている落ち着いて紳士的な態度の彼とのギャップを知れたことに海亜は純粋に喜びを感じていた。

「そんなにはしゃいでいた?」

「ええ」

 あの時に教えられた昴の知識は、海亜には半分も飲み込めて居なかった。ただ、それを理解したいと思ったことは事実だし、彼の好きなものを共有したいと願ったことも本当の事である。

「次にまたあの場所に行くことができたら、その時はもう一度、いろんな事を教えてくださいね」

 その願いが叶う時には、過去に共に歩いた時のたどたどしい反応ではなく、同じ情報を同じ目線で共有し、理解しあえる仲間となっていたい。そんな風に伝えると、昴は驚いた後、嬉しそうに海亜を抱き締め喜んだ。

「勿論だとも! 君が嫌だと言わない限り、何度だって教えてあげるよ!」

◇

 それから暫くは、二人でアルバムを眺めることを楽しんでいた。

「あ」

 傾けた白いティーポット。

「どうしたの? 海亜」

 装飾の無いシンプルなカップの中に注がれる筈だった赤褐色の液体は、残念ながら注ぎ口から流れ出ることが無いようで。

「お茶が……」

 蓋を開け中を見ると、いつの間にかポットの中を満たしていた液体が一滴も残さず消えていた事に気が付く。

「それほど大きなポットじゃないからね」

 皿の中のショートブレッドも半分以上に減ってしまっている。

「お茶のお代わりは要りますか?」

「そうだなぁ……」

 余り食べ過ぎてもこの後控えている夕飯に影響が出てしまう。だからといって、残ったショートブレッドを飲みものが無い状態で消費するには少し潤いが足りない。

「じゃあ、もう一杯だけってことでどうかな?」

「そうですね」

 二つのカップにそれぞれ一杯ずつ。ショートブレッドは昴が多めに食べると言うことでまとまると、海亜は静かに立ち上がりキッチンへと向かう。

「夕飯は久しぶりに外食しようか」

 相変わらず昴はアルバムに視線を落としたまま、旅行の思い出を眺めている。

「昴さんが気になるお店があるのでしたら、そこに行きましょうか」

 家で料理をしないで外食を選んだと言うことは、旅行の記憶が食欲を刺激したからだろうか。

「特にどこに行きたいってのがあるわけじゃ無いんだけれども」

 そうは言ったものの、昴の手は先程から同じページの上で止まり動いていない。

「久しぶりにバルの雰囲気を味わいたくなっちゃってさ」

「なるほど」

 どうやら手が止まっているページにあるのは料理の写真らしい。

「それじゃあ、日が落ちたら出かける準備をしましょうか」

「そうだね。そうしようか」

 言いながら手を動かし用意した電気ケトル。沸かすお湯の量は必要最低限より少し多めになる程度。電熱ヒーターに流れた電力が起こす熱伝導で、乗せられた小さな機械の中の水が踊り、注ぎ口から零れ出る蒸気。その勢いは温まれば温まるほど勢いを増し、やがて大きな音を立てて液体が沸騰したことを知らせる。

 少し多めに沸かしたお湯を注ぎポットを温めると、先に注いだ分をシンクへ流し新しいお湯を入れる。茶葉は先程使ったものを再利用しているため、味の出方はゆっくりだし色も薄い。でも、もう暫くすると出かけるのだから、気にしても仕方が無いだろう。

「お酒は飲みますか?」

「そうだね。どうしようかなぁ」

 昴の元に戻ると、彼はアルバムから視線を離さず答える。

「車を出すなら飲まない方が良いけど、せっかくだし飲みたいなぁ」

「それなら、私が運転しますよ」

「え? それはつまらないよ」

 彼の隣に戻り空っぽのカップの中に紅茶を注ぐ。

「一緒に行くんだから、海亜と飲みたいんだけど」

 カップ一面に広がる上品な赤褐色。ふわりと広がる湯気が、まだこの液体に十分な熱が残っている事を知らせている。

「でも、それだと足が確保出来ないんじゃ」

「うーん」

 無意識に伸ばした手がカップを摑むと、昴は気にすること無く口を縁に付けそれを傾ける。

「…………熱っ!?」

 その反応は当然のものだろう。全く冷めていない飲み物は昴の口の中を焼き、溢れた滴たちは彼の掌に赤い痕を着けた。

「昴さん!」

 その様子を見ていた海亜はカップをテーブルに戻すと、慌てて席を立ちバスルームへと姿を消す。数十秒後に戻ってきた彼女の手には真っ白なタオルと洗面器が一つ。

「手を出してください」

 白い洗面器の中でゆらゆらと泳ぐのは、四角い形の冷たい塊。

「注意力散漫になるから、こうなるんですよ」

 少しだけ呆れた口調でそう言うと、冷水に浸したタオルを軽く絞って、昴の赤くなった患部へと静かに当てる。

「ごめん」

「いいえ」

 傷口を刺激しないように冷やしながら具合を尋ねると、昴は素直に怪我の状態を報告してきた。

「赤くはなっていますけど、大量に掛かったわけでは無いって感じですね」

 患部に当てていた白いタオル。それを昴に手渡し海亜は続ける。

「このままキッチンまで行ってください。流水で患部を冷やしてる間に、ここは片付けておきますから」

「分かった。了解」

 海亜の指示に素直に従った昴の姿が視界から消える。

「罰として、今日は昴さんはお酒を遠慮してもらおうかしら」

 そうは言いながらも、海亜の表情は非常に穏やかで、口元には笑みが浮かんでいる。テーブルの上に零れてしまった赤褐色。それは白いタオルを緩やかに染め上げ、跡形も無く姿を消してしまう。

「海亜ー」

「はーい」

 キッチンから聞こえてきた情けない声に、彼女にしては珍しく気の抜けた返事を返し振り返る。水気を吸って重くなったタオルを一度水を張った洗面台の中へ移動し、救急箱を持って昴の元へ移動すると、流れる水の中に手を突っ込んだ昴が情けない顔でこちらを見ていた。

「水が当たるところが痒いんだけど」

 傷口を刺激すれば当然、その刺激は何らかの形で返ってくる。今回の場合、痛みよりも痒さの方が勝っているらしい。

「引っ掻いたりしないでくださいね」

 蛇口を捻り水の流れを止めると、海亜は乾いたタオルで昴の手に付いた水滴を拭き取る。

「痛みが酷くなるようでしたら、受診することも視野に入れますから」

 救急箱の中から姿を現したのは殺菌消毒液で。それを患部に満遍なく塗布すると、十数秒置いた後に真新しいガーゼで拭き取る。使用していない残ったガーゼには軟膏をたっぷりと塗り、それを赤くなった皮膚へ乗せると包帯でずれないように固定すれば治療は終了。

「濡らさないように気を付けてくださいね」

 そう言って軽く小突くと、昴は反省していますと小さく肩を上げ眉を下げた。

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