LOGINグレイヴェル滞在七日目。 朝の水路区は、以前とは別の街みたいだった。「荷車通るぞー!!」「橋板固定終わった!!」「次、西側倉庫だ!!」 怒鳴り声は相変わらず飛び交っている。 だが。 前みたいな絶望混じりではない。 ちゃんと“街が動いている音”になっていた。 水路には小型輸送船も戻り始めていた。 止まっていた物流。 停滞していた市場。 それらが少しずつ流れ出している。「魚入ってきたぞ!!」「マジか!?」「干物もある!!」 市場側が妙に盛り上がっていた。 トシオの耳が動く。「魚?」 タマが即座に察する。「あ、始まった」 フィルニアが吹き出した。「トシオ、絶対そっち行くだろ」 案の定。 次の瞬間にはトシオが市場側へ向かっていた。「じーちゃん待てって!!」「鮮度確認する」「なんでそんな真剣なんだよ!?」 ユキが小さく笑う。「……元気」 ミツコも柔らかく笑っていた。「今日は機嫌良さそうだねぇ」 市場では、海霊族の商人達が荷下ろしをしていた。「久々に通れたぜ……」「水路直ったの助かるな」「まだ全部じゃねぇけどな」 完全復旧ではない。 だが。 流れ始めた。 それが大きかった。 その時。 トシオが魚箱を覗き込む。「……悪くねぇ」 商人が目を丸くする。「分かるのか?」「目見りゃ分かる」「なんなんだアンタ」「元漁師だ」 海霊族の商人が笑った。「妙に納得した」 その頃。 ミーコは監督官と一緒に、水路区中央を歩いていた。「王女殿下」『ミーコでいいわ』「い、いやしかし……」 監督官はまだ慣れていない。 以前ほど怯えてはいないが、緊張はしている。 ミーコは苦笑した。『そんなに畏まらなくていいのに』「無理です……」 監督官が困った顔になる。 その時。 一人の兵士が駆け込んできた。「監督官殿!!」「どうした!?」「王都から伝書が!!」 空気が変わる。 監督官が表情を引き締めた。「……来たか」 ミーコも視線を向ける。 兵士は封筒を差し出した。 監督官は中身を見る。 その顔色が少し変わった。『何が書いてあるの?』 監督官は一瞬迷う。 だが。 隠せる内容では無かった。「……王都議会が動いています」『議会が?』「王女生存の件で、各地確認命令が出て
グレイヴェルへ滞在して五日目。 水路区の景色は、少しずつ変わり始めていた。 崩れかけていた石壁には補強が入り。 止まりかけていた荷運びも再開。 橋下へ寝泊まりしていた避難民達も、一部が空き倉庫へ移動出来るようになっていた。 劇的ではない。 だが。 確かに街は動き始めていた。「すげぇな……」 若い兵士が思わず呟く。 水路沿いでは、避難民達が汗を流して働いている。「縄もっと寄越せ!!」「石材こっちだ!!」「板浮かせろー!!」 活気が戻り始めていた。 その中央。「そこ角度違う」 トシオが木材を組みながら指示を飛ばしている。 完全に現場親方だった。 フィルニアが吹き出す。「もう旅人じゃねぇだろこの人」 タマも苦笑する。「馴染みすぎなんだよなぁ」 シェリスが静かに頷いた。「正直、ここまで動くとは思いませんでした」 ミーコは水路区を見回していた。 皆、疲れている。 だが。 止まってはいない。 それが大きかった。 しかも。 少しずつ物流も戻り始めている。 止まっていた荷車が動き。 水路輸送も再開し始め。 商人達も様子を見ながら戻ってきていた。「干し肉入ったぞー!!」「南区へ回せ!!」「麦袋こっち!!」 昨日より、明らかに物が流れている。 もちろん、まだ安定はしていない。 地区差も大きい。 値段も高い。 それでも。 “止まっていた街”ではなくなり始めていた。 その時。「アクアリア様!!」 小さな声。 昨日の子供達だった。 今度はちゃんと桶を持っている。「水運ぶんだぞー!!」 フィルニアが笑う。「マジで手伝い始めた」 タマも吹き出した。「行動力あるなぁ」 ミーコは少し笑う。『無理しちゃダメよ?』「だいじょーぶ!!」 元気な返事だった。 その時。 マルダがパン籠を抱えてやって来る。「差し入れだよ!!」「おぉー!!」 フィルニアとタマが即反応した。『あなた達はまず働きなさい』「働いてるだろ!?」「超働いてるぞ俺様!!」 だが。 実際かなり働いていた。 フィルニアは荷運びと力仕事担当。 タマは補修班と炊き出し班を行ったり来たり。 ユキは怪我人や子供達の世話。 自然に役割が出来ていた。 ミツコは大鍋へスープを足していた。「はいはい、まだあります
アクアリア=ヴァル=レイシス。 その名が告げられた瞬間から。 グレイヴェル水路区の空気は変わっていた。 誰も大声を出さない。 ざわめきはある。 だが。 それは恐怖ではなく、困惑と驚きだった。「本当に……?」「王女……?」「生きてたのか……?」 避難民達が小声で話している。 兵士達も落ち着かない。 監督官など、完全に顔色が消えていた。「そ、そんな……」 ミーコは静かに周囲を見る。 久しぶりだった。 “王女”として人前へ立つのは。 けれど。 不思議と怖くはなかった。 隣に皆がいるからだ。 その時。 トシオが薪を放り込んだ。ゴ ッ…… 鍋の火が大きくなる。 空気が少し戻った。 フィルニアが吹き出す。「じーちゃん通常運転すぎんだろ」「腹減るぞ」「そこなのかよ」 タマも笑う。 張り詰めかけた空気が、少しだけ緩んだ。 その間。 監督官はまだ混乱していた。「ほ、本当に……王族……?」 シェリスが静かに前へ出る。「偽名で王族騙る方が問題でしょう」「っ……!」 監督官が詰まる。 完全に立場が逆転していた。 周囲の兵士達も困惑している。 だが。 その中の一人が、ゆっくり膝をついた。「……失礼しました」 若い猫獣人兵だった。 その姿を見て。 他の兵士達も続く。 監督官だけが立ち尽くしていた。 ミーコは静かに言う。『誰も責めるつもりは無いわ』 監督官が顔を上げる。『でも』『止める前に、見てほしかった』 ミーコは周囲を見る。 避難民。 補修中の水路。 働く人達。 炊き出し。 笑顔でスープを食べる子供達。『この人達は、怠けていた訳じゃない』『生きる場所を失っていただけ』 監督官は言葉を失う。 その時だった。「監督官殿!!」 別の兵士が駆け込んでくる。「西水路側、崩落止まりました!!」 空気が変わる。「なに?」「補強組んだおかげで、水流逸れました!」 兵士の顔は明るかった。「橋下側も荷運び再開出来そうです!」 監督官が絶句する。 本当に改善していた。 タマが感心したように呟く。「じーちゃん、こういう現場ほんと強ぇな」「漁港と一緒だ」「規模違ぇだろ」 フィルニアが笑う。 その頃。 避難民達も変わり始めていた。「次どこだ!?」「木材運ぶぞ
炊き出し二日目。 グレイヴェル水路区。 昨日より人が増えていた。「並んでくださーい!!」「押すな押すな!!」「ガキ優先!!」 フィルニアの声が朝から響いている。 完全に仕切り側だった。 タマも大鍋横で叫ぶ。「そっち空いてるぞー!」「パンまだあるから慌てんな!!」 昨日の炊き出しが広まった結果。 避難民だけでなく、貧民区画や水路労働者まで集まり始めていた。 だが。 人数が増えれば、当然問題も出る。「足場崩れてるぞ!!」「水路壁また割れてる!!」「荷運び人足りねぇ!!」 あちこちから怒鳴り声が飛ぶ。 グレイヴェルは限界寸前だった。 その時。 トシオが水路沿いを見回しながら呟く。「……人余ってんな」 シェリスが視線を向けた。「避難民ですね」「仕事無いから溜まってる」 トシオは少し考える。 そして。 近くの若い兵士を呼んだ。「おい」「は、はい!」「水路補修どこ困ってる」「え?」「崩れてる場所あるだろ」 兵士は戸惑いながら答える。「そりゃありますけど……」「案内しろ」 十分後。 トシオは水路区中央で腕を組んでいた。 周囲には避難民達。 兵士達。 労働者。 完全に人集りになっている。 ミーコが嫌な予感を覚えた。『……何始める気?』「仕事振る」『絶対面倒になる』「放っといても崩れる」 即答だった。 トシオは避難民達を見る。「石積み出来る奴」 数人が手を上げる。「木工」 また増える。「荷運び」 かなりいる。 トシオは頷いた。「なら出来る」 フィルニアが小声になる。「始まったな」 タマも苦笑する。「じーちゃん現場モード」 その頃。 避難民達は困惑していた。「え?」「仕事?」 トシオは普通に続ける。「飯出す」「代わりに働け」 ざわつく。 避難民達の顔色が変わった。 仕事。 今のグレイヴェルで、一番足りない物だった。 兵士が慌てる。「いや待ってください!!」「許可が――」「壊れてんだろここ」「そ、それは……」「直す奴いる」「飯もある」「なら使え」 理屈が強い。 兵士が詰まる。 その時。 マルダが吹き出した。「ははっ!」「豪快だねぇ旅人!!」 周囲にも笑いが広がる。 その後。 作業は本当に始まった。 水路補修
翌朝。 グレイヴェル中央水路区。 まだ日も高くなっていない時間だった。 にもかかわらず。「なぁんでこんな事になってんだよ……」 タマが呆然としていた。 目の前。 巨大鍋。 二つ。 さらに。 積み上がる食材。 燻製肉。 干し魚。 大量の根菜。 麦袋。 樽スープ。 香草束。 野菜箱。 完全に炊き出し会場だった。 フィルニアも固まっている。「いやデカすぎんだろ」 その横で。 トシオが黙々と即席かまどを組んでいた。 石材。 鉄板。 木材。 全部その辺で調達済み。 兵士達まで手伝わされている。「そこ押さえろ」「は、はい!」「煙抜き塞ぐな」「す、すみません!」 既に現場監督だった。 シェリスが静かに呟く。「馴染みすぎでは?」『今さらよ』 ミーコは諦めた顔だった。 その時。 ミツコが“買い物籠”から次々食材を出していく。 終わらない。 まだ出る。 まだ出る。 兵士の一人が真顔になる。「……その籠どうなってるんです?」「便利なんだよぉ」 ミツコはニコニコしていた。 絶対説明する気が無い。 ユキは静かに野菜を洗っている。 その手際が異様に速い。 フィルニアが覗き込んだ。「慣れてんな」「……ばーちゃん仕込み」 ミツコが嬉しそうに笑う。「ユキちゃん丁寧だからねぇ」 タマは肉を切っていた。 だが。 量が多すぎる。「終わらねぇ!!」 フィルニアも途中参戦する。「貸せ!!」「切り方雑!!」「食えればいいだろ!!」『ダメよ!!』 ミーコまで巻き込まれた。 完全に大騒ぎである。 その頃。 水路区住民達は遠巻きに見ていた。「あれ何やってんだ?」「炊き出しらしいぞ」「マジか?」「今どき?」 疑いの目もある。 当然だった。 今のレイシスで、見返り無しの施しは珍しい。 その時。 昨日の兵士が現れる。「あ……」 かなり驚いていた。 本当にやっている。 しかも規模がデカい。 トシオは薪を割りながら聞いた。「人集まりそうか」「え?」「腹減ってる奴いるんだろ」 兵士は慌てて頷く。「そりゃいますけど……」「呼べ」 即答だった。 兵士が戸惑う。「いやでも、そんな大量に――」 その瞬間。 ミツコがまた籠から麦袋を出した。 まだある。
その日の夜。 一行は西区画から宿へ戻る途中、水路街を歩いていた。 昼間とは空気が違う。 グレイヴェルの夜は静かだった。 石橋。 細い水路。 灯火。 水面へ映る橙色の明かり。 遠くでは酒場の笑い声も聞こえる。 だが。 昼間みたいな喧騒は無い。 代わりに。 疲れた人達の生活音があった。「夜の方が落ち着くな」 タマが伸びをする。 フィルニアも頷いた。「昼うるさすぎんだよ」 ユキは水面を見ていた。「……きれい」 細い水路を水が流れていく。 澄んではいない。 けれど。 街を支えている水だった。 その時。 ミツコが立ち止まる。「あら」 視線の先。 水路脇で、小さな子供達が座り込んでいた。 三人。 獣人の子供達だ。 服はかなり古い。 避難民だろう。 タマが小声になる。「……飯無い感じか」 子供達は水を飲んでいた。 腹を誤魔化している。 フィルニアが眉をひそめた。「うわぁ……」 次の瞬間。 トシオはそのまま子供達の方へ向かった。 ミーコが察した。『あ、ダメだこれ』 止まらない時のじーちゃんだった。 トシオは子供達の前へしゃがみ込む。「腹減ってるか」 直球だった。 子供達が警戒する。 だが。 トシオは気にしない。「ミツコ」「はいはい」 ミツコは“買い物籠”から包みを取り出した。 まだ温かい。 昼に買ったパンだった。 しかも大量。 タマが目を丸くする。「そんな入ってたのかよ」「便利だねぇ」 ミツコは笑いながら子供達へ渡した。「食べな」 最初。 子供達は戸惑っていた。 だが。 一番小さい子が受け取る。 次の瞬間。「うまっ……!」 夢中で食べ始めた。 他の子も慌てて続く。 フィルニアが小声で呟く。「めっちゃ腹減ってたな……」 ミーコは周囲を見る。 似たような子供が多い。 水路脇。 橋下。 路地。 この街は大きい。 だから隠れやすい。 苦しい人間も。 見えにくくなる。 その時だった。「こら!!」 怒鳴り声。 兵士だった。 若い犬獣人兵。 かなり疲れた顔をしている。「また勝手に座り込んで!!」 子供達がビクリと震える。 だが。 兵士は途中で止まった。 トシオ達に気付いたからだ。「あ……」 気まずそうだった。「







