Share

4.休日、ふたりの歩幅

Author: 中岡 始
last update Last Updated: 2026-01-04 16:24:08

晴れた冬の朝だった。空はどこまでも澄んでいて、雲ひとつない。空気は冷たいが、日差しが当たれば、コートの内側にゆるやかな温もりが溜まっていく。

ショッピングモールの駐車場は既に満車で、人の波が吸い込まれるようにエスカレーターへと向かっていた。年始の初売りらしい喧騒が、冷気を押しのけるように広がっている。

晴臣は、岡田の横に立って歩いていた。コートの襟を立て、手袋の中で指先をそっと丸める。斜め後ろから差す朝日が、岡田の髪をやわらかく照らしていた。

岡田は黒のコートに、ニットとジーンズというラフな格好だが、いつもより少しだけまとまりがない。ニットの襟元が片方だけ落ちかけていて、そこから鎖骨のあたりがちらりと見えた。

「寒くないですか、その格好」

晴臣がそう言うと、岡田は首をすくめて笑った。

「ユニクロの下に貼るやつ、三枚貼ってんねん。ぬくぬくやで」

「それで襟開けてたら意味ないと思います」

「いや、なんかこないだテレビで見たやつやん。抜け感てやつ?色気出るらしいで」

「……課長は出さなくても、漏れてますから」

思わず漏れた言葉に、岡田が目を丸くしてから、にやりと笑った。

「は?なにそれ、今の録音しとこかな」

「やめてください」

会話の軽さが、まるで空気に溶けるように自然だった。だが、胸の奥にふと引っかかるものが残る。

それは、晴臣自身も説明できない種類のざわめきだった。

人混みを避けながら、ふたりで店内へ入る。売り場はどこも人でごった返していて、セールの赤い札が所狭しとぶら下がっている。ワゴンセールに群がる客の声が反響し、床には微かな音楽が流れていた。

岡田は手をポケットに入れたまま、足取り軽く進んでいく。時折、後ろを振り返って「晴臣、こっち」と呼ぶ。

そのたびに、晴臣の胸の奥が静かに高鳴った。

岡田の私服姿は、どこか無防備で、だからこそ魅力的だった。会社では見せない髪のラフさ、ほんの少し伸びた無精髭、油断したような笑み。それらが、まるで「岡田」という人間の本質を覗かせている気がした。

Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • そのネクタイ、俺が直してもいいですか?~ズボラな課長のくせに、惚れさせるなんて反則だ。   14.背中合わせの距離

    引っ越し前夜の寝室は、どこか浮遊感のある静けさに満ちていた。段ボールが積まれたリビングの余熱がまだ漂うが、ここだけは私物の影がすっかり減り、妙にがらんとしている。シーツの上にも仮住まいめいた埃がわずかに降りている気がした。そのベッドに、岡田と晴臣は背中合わせで横たわっていた。セミダブルの幅は、ふたりが手足を伸ばして眠るにはやはり狭い。だが今夜に限っては、その狭さがどこか頼もしい。岡田の背中はぬるい体温を帯び、寝巻き越しの線が、暗闇の中におぼろげに浮かぶ。晴臣は天井を見ていた。わずかな月明かりが、レースカーテン越しに滲んでいる。カーテンと壁の間には冷気がこもり、耳元には布団の中のふたりの呼吸音だけが小さく集まる。長い夜だった。荷造りを終えた後の残骸を片付け、シャワーを浴び、岡田が吸い殻をベランダの灰皿に押し付ける音を聞いて、ようやく部屋の灯りを落とした。岡田の沈黙には意味があると知りつつ、晴臣も同じように静かでいた。ベッドの端から端まで、ほんの数十センチの距離。その狭い世界の中に、ふたりの身体が横たわっている。岡田の首筋から肩にかけて、薄い布地のシルエットがなめらかに続いていた。晴臣は、背中越しに岡田の鼓動を感じようとした。「……寝たんか」小さな声が闇を横切った。岡田だった。「まだです」晴臣は目を閉じたまま、息を整える。岡田の背中からは、何かを考え込んでいる熱が微かに伝わってくる。「明日から、ここに帰らんでええんやなって思ったら、なんか変な感じや」岡田がぽつりと呟く。「変ですか」「変や。……寂しいわけでも、嬉しいわけでもないのに、変や」晴臣はうなずきそうになって、それをやめた。言葉の代わりに、そっと右手を伸ばした。岡田の背中との間に小さな隙間がある。その隙間に、手の甲が滑り込む。ふと、岡田が少しだけ肩を動かす。布団の中の暗闇で、互いの温度がほんのわずか触れ合った。「晴臣」

  • そのネクタイ、俺が直してもいいですか?~ズボラな課長のくせに、惚れさせるなんて反則だ。   13.煙と沈黙

    カーテンの隙間から洩れる、淡い明かり。岡田の部屋の中は、荷造りの最中のまま、散らかったままだった。床には開きかけの段ボール、半分だけ詰められた調理器具、閉じたノートパソコン、そしてテーブルの端に置かれたペットボトルの水。シャワーの音が、奥の浴室から微かに聞こえていた。水が壁を叩く音が、ただの生活音なのに、妙に距離を感じさせる。岡田はゆっくりと窓辺に立ち、引き戸を開けた。夜風が顔に当たり、すっと首筋を撫でる。外は静かで、遠くの幹線道路から車の音がわずかに届く程度だった。冷たい空気に包まれたまま、岡田はベランダの柵に肘をかける。そのポケットから、小さな銀色の箱が現れた。蓋を指先で弾いて開け、一本を抜き取る。その動きに、一瞬だけ指が迷った。「……あかんな」自分でそう呟きながらも、火をつける動作は止まらなかった。カチリ、とライターの音が鳴る。細い炎が、紙巻きの先端を焼き、白い煙がすぐに夜気に溶けていく。唇にくわえたタバコの端から、煙がくすぶる。久々に味わう煙草の味は、昔よりも苦く、舌の奥を鈍く刺した。煙を肺に入れて吐き出すたび、頭の奥にこもった何かが少しずつ晴れていくような、しかし同時に濁っていくような感覚。「……なんで、今になって」岡田は煙の向こうに街の明かりを見ながら、独り言のように呟いた。自分でも、何に落ち着かないのか分からない。晴臣と同居する。それが現実になる。ただそれだけの話。何度も考えていた。何度も想像した。ベッドをふたりで使うようになって、洗濯物が一緒に干されて、冷蔵庫の中に好みの違う食材が並ぶ。それは、楽しみにしていたはずの未来だった。なのに、いざ“明日”がくるとなった瞬間、身体の芯に棘のようなものが刺さっている気がした。期待と、不安。安心と、自由の喪失。言葉にはできない感情が、胸の奥で煙のように渦を

  • そのネクタイ、俺が直してもいいですか?~ズボラな課長のくせに、惚れさせるなんて反則だ。   12.荷造りと、掘り出された過去

    段ボールの山ができていた。リビングの床に広がるガムテープの切れ端、丸められた新聞紙、埃をかぶった本の束。照明の黄色い光がそのすべてを淡く照らしている。岡田の部屋は、これまで見たどんな時よりも“過去”の匂いをまとっていた。晴臣は床に膝をつき、衣類をたたみながら、横目で岡田の方を見た。岡田は古い段ボール箱の中身をひとつひとつ取り出しては、分別していた。古い雑誌、CD、何年もの間開けなかった引き出しの奥のメモ。動きは雑なのに、どこか慎重で、触れるものひとつひとつに思い出の重さを確かめているようだった。「課長、これはどうします?」晴臣が手にしていたのは、大学の卒業アルバムだった。表紙の角がすり切れていて、まるで長い間、開くのを拒んでいたような風格があった。岡田が振り向き、目を丸くする。「うわ、それ…まだあったんか」「捨てます?」「……いや、それはちょっと待って」岡田が歩み寄って手を伸ばした。指先がアルバムの端に触れた瞬間、彼の顔に一瞬だけ懐かしさと気恥ずかしさが同時に浮かんだ。晴臣は、ほんの少しだけ意地悪な気持ちになった。「見てもいいですか」「やめとけ、黒歴史や」「ますます見たくなりますね」晴臣がページを開くと、黄ばんだ紙の上に若い岡田がいた。制服姿、無造作に伸びた前髪、今よりもずっと痩せていて、けれど目元の柔らかさは変わらない。「……この頃からすでにモテそうですね」「は?どこがや」「この、目の線の優しさ。隣の女子も距離近いですし」「いや、それはクラスで席が近かっただけや。お前、ほんま見立てが偏ってるな」「嫉妬ですよ」晴臣の声は冗談めいていたが、岡田は一瞬だけ動きを止めた。その沈黙に、自分の言葉が少しだけ重たく響いた気がして、晴臣は軽く息を吐いた。「冗談です」

  • そのネクタイ、俺が直してもいいですか?~ズボラな課長のくせに、惚れさせるなんて反則だ。   11.鍵がふたりを繋ぐ

    小さなテーブルの上に、いくつもの物件資料とノートパソコンが広げられていた。明るさを落とした間接照明の下、紙とデジタルが交差するその風景は、まるでふたりの新しい生活の縮図のようだった。リビングにはテレビもつけず、食器も洗い終えた後の静寂が漂っている。窓の外は完全に夜。ビルの向こうに黒く沈んだ空が広がり、街灯が細く路地を照らしていた。晴臣は、膝の上の資料を順に見返していた。各物件の間取り、家賃、アクセス、条件…そのすべてに赤や青の蛍光ペンで書き込みがなされている。几帳面な性格がそのまま現れた資料だった。その横で岡田は、ソファに背を預け、緩く伸びをしながら缶ビールを手にしていた。ラベルの端に指を引っかけながら、ゆっくりと飲む仕草には、どこか覚悟にも似た静けさがあった。「……なあ」岡田がぽつりと声を上げた。晴臣は、目を資料から上げる。「ん?」「こういうの、ちゃんと決めて動くっての、俺には新鮮やわ」「悪い意味ですか?」「いや。ええ意味や。……お前とおったら、先のこと、見ようって思える」晴臣は、その言葉に少しだけ呼吸を止めた。心の奥に、熱がひとつ灯る。岡田の目は、遠くを見ていた。けれどその焦点は、確かに、ふたりの未来に向いているように見えた。「決めるって、簡単やないな」「だからこそ、こうして確認し合う必要があるんです」「せやな」岡田が缶を置き、テーブルに手を伸ばした。無造作に転がっていた自分の鍵束を手に取り、掌の上にそっと乗せる。小さな金属の束。ジャラ、と控えめに音が鳴った。見慣れたはずのそれを、岡田はじっと見つめている。「俺、この鍵な。何年も変わらん生活の出入り口みたいなもんやって思ってたんやけど」「……はい」「でも今は、ちょっとだけちゃうねん」晴臣は黙って聞いていた。岡田の横顔に、ふだん見ないほどの静けさが宿っていた。「この鍵

  • そのネクタイ、俺が直してもいいですか?~ズボラな課長のくせに、惚れさせるなんて反則だ。   10.キーワードは“いっしょ”

    ノートパソコンの画面に、ずらりと物件のサムネイルが並んでいた。白い間取り図、フローリングの室内写真、築年数と駅からの距離――そのひとつひとつが、まだ見ぬ生活を象徴しているように思えた。晴臣と岡田は、肩を並べてテーブルに向かっていた。窓際のカーテンからは淡い昼下がりの光が差し込み、ふたりの手元とディスプレイを優しく照らしている。「このへん、静かそうやな」岡田が画面を指差す。そこにはやや郊外のファミリー向け物件が表示されていた。緑の多い住宅地で、広めの2LDK。リビングの写真には陽の光が溢れている。「でも駅から徒歩18分です。バスも便数が少ないですし」「そんな歩く?って感じやな。帰宅中に干からびそうや」「夏場は確実に後悔すると思います」「せやな、俺、汗かきやしな」岡田は苦笑し、マグカップに口をつけた。中のコーヒーはすでに冷めかけていたが、飲む仕草はどこか落ち着いている。彼のすぐ隣にいるというだけで、晴臣は不思議と胸の奥に柔らかい熱を感じていた。「じゃあこれ。駅徒歩7分、築浅、1LDK」晴臣がマウスを動かして別の物件を示す。壁は白く清潔感があり、キッチンも広めだ。「内装ええな。収納も多そう」「ただ……リビングが狭めですね。ベッドルームに大型の家具は厳しいかと」「つまり俺のソファは持ってけん、と」「断捨離の好機です」「ひどい」岡田は笑いながら肘で軽く晴臣の腕をつついた。その仕草にふっと体温が走る。距離は近い。けれど、その近さが心地よい。「じゃあ、次。ここは?」「うーん……築年数は10年超え、駅からの距離は理想的ですが……防音が心配ですね」「お前、音に敏感やもんな」「岡田さんがテレビの音量を上げすぎるんです」「耳が遠いんや」「三十代でそれは言い訳です」小さな応酬の中に、どこか微笑みがこぼれる

  • そのネクタイ、俺が直してもいいですか?~ズボラな課長のくせに、惚れさせるなんて反則だ。   9.生活の設計図

    冬の朝の光は、どこか柔らかく鈍い。カーテンの隙間から差し込む淡い陽が、テーブルの上に置かれた湯気立つマグカップをぼんやり照らしていた。コーヒーの香ばしい匂いが部屋中に広がり、静かな音だけが漂っている。トースターのチーンという音が、ようやくその沈黙を破った。晴臣はパソコンの前に座り、マウスを慎重に動かしていた。ディスプレイの上には「同棲生活ルール一覧」という文字。画面の右端で点滅するカーソルが、どこか緊張を象徴しているように見える。「……これでいいかな」プリンターの音がカタカタと鳴り始める。紙が一枚、また一枚と出てくるたび、晴臣の胸の奥で鼓動が重なる。印刷が終わると、彼はゆっくりと息を吐き、整った書類をクリップで留めた。タイトルの下に自分の名前と岡田の名前が並ぶのを見て、一瞬だけ指先が止まった。振り返ると、キッチンでは岡田がゆるく寝癖のついた髪のまま、トーストを皿にのせていた。グレーのスウェットに古びたパーカー。休日の気の抜けた姿が、妙に絵になっている。どんな格好をしていても、彼の動作には不思議と温かさがあった。「課長、少しお時間いいですか」「ん?なんや朝から改まって」「これを」晴臣が書類を差し出すと、岡田はトーストを持ったまま受け取った。目を走らせる岡田の眉が、わずかに上がる。「……なにこれ、“ルームシェア誓約書”?」「“同棲ルール一覧”です」「こっわ…表題からして堅苦しすぎるわ」晴臣は微かに眉をひそめながらも、真面目な口調を崩さなかった。「同棲は生活です。ルールがなければ破綻します」「はあ…なるほどな。まるで会社の規定書みたいやな」岡田はソファに腰を下ろし、ページをめくった。そこには整然とした箇条書きが並んでいた。『1.食費・光熱費は折半』『2.掃除は週に一度、交代制とする』『3.家

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status