Share

第10話 精霊との正式な契約、神々しい御方

last update Last Updated: 2025-10-10 17:44:17

──それは、真っ白に輝く嵐だった。どんな銀細工よりもまばゆい光の嵐。なのに風は感じない。私は光のただ中で目を開けているのも難しいほど輝く空間に包まれて立ち尽くしていた。

だが、やがて嵐が収まってゆき、光は優しく私を取り巻く。

光の向こうに、誰かが見えた。

金色の髪は艶やかに光を反射し、同じく金色の瞳が叡智をたたえて明るい色なのに、とても深い。

向こうに誰かいる、──そう見えた次の瞬間には、そのひとは目の前に立っていた。身にまとう白い衣は見たこともない生地と作りで、その容貌を引き立てている。

──こんなにも美しいひとは、見た事がない。

中性的なような、どことなく男性的な風貌と容姿。神々しい程なのに威圧感はない。そのひとの私を見据える眼差しには、慈しみさえ伺えた。

白銀に僅かな金色が溶け込んだような不思議な空間で、そのひとと私は相対する。相手の深い瞳は、感情を伺わせないのに温かく優しく、どこか懐かしい。

「……そなたか。精霊との契約なしに、それも二度も精霊を使役した癒しを成したのは」

「契約……?」

声までも濁りなく美しいひとには、いつしか私と親しんでくれている精霊達が幸せそうにまとわりついていた。

「王様、ミモレヴィーテは私達のお友達なのです」

「精霊王様、ミモレヴィーテは私達と通じ合える事を内緒にしなくちゃいけなかったんです。契約したら、ミモレヴィーテ以外のひとにも私達が見えてしまうから」

「精霊……王様?」

「そうよ、ミモレヴィーテ。この方は創造神と唯一対等にお話し出来るお方。精霊の頂点に立たれるお方」

これは幻だろうか?──しかし、夢幻にしては鮮やかすぎる。精霊王と呼ばれた方は、私を責める色もなく真っ直ぐに見つめてきていた。急に畏怖がやってくる。創造神とさえ対等に話せる程の方が、なぜ目の前に現れたのか。

「大丈夫だ、咎め立てるつもりはないよ。ただ、本来ならば精霊の癒しは、精霊達と契約を結ばなければ十分な力を発揮出来ない。にも関わらず──ミモレヴィーテ、君は瀕死の重傷を負った母さえも癒した。それから様子を見ていたが……君につらく当たる娘さえも精霊達の力を用いて癒しただろう。精霊達と愛し子は一心同体、愛し子の心次第では悪意ある者を癒すなど出来ない。君は本当に変わっている……精霊達との親和性があまりにも強い」

「それは……いけない事なのですか?」

「悪くはない。しかし、精霊達との契約は交わした方がいいだろうな。契約もなしに癒しの力を使い続ければ、やがて生命を削ってしまう」

初めて知る事ばかりだ。本来ならば精霊達との契約が必要だという事さえ初めて知った。精霊達が私に契約を求めた事は一度もなく、ただ寄り添ってくれていたから。

だが、精霊は私が通じ合える事を隠さなければならなかった事を思いやってくれていた節があるのを精霊王への言葉によって分かった。かと言って、私が精霊達と通じ合える事実は既に周りの知るところなのも事実だ。

「ミモレヴィーテ、もう君が隠す必要はないだろう。むしろ、公に契約を交わした方が君の為になる。私は──この精霊達のように、君に対して悪感情がないからこそ会いに来たんだ」

温かい眼差しが私の畏怖を溶かす。王様というものは……精霊王とは、人間の王様とは印象がまるで違う。

「……契約、とは……どうすればよろしいのですか?」

「精霊の真名を知り、体の一部を交わせばいいだけだ。──ああ、恐れる事はない。下級精霊ならば髪の毛一本でいいし、中級精霊でも手の爪一枚でいい。交わす事に痛みは伴わない。それぞれの精霊の色に変わるだけだ」

「ミモレヴィーテ、──いえ、ミモレヴィーテ様。私達は常にあなたと共に。あなたを支える存在となりましょう」

光の精霊が語りかける。今まで幼さを残していたような言葉遣いだったものが、がらりと変わった。

「ミモレヴィーテ様、私は光の中級精霊、アイリーンと申します」

「アイリーン……」

おうむ返しに名を呼ばう。すると、光の精霊から金色の粒子が舞ってきて私の小指の爪を包んだ。温かく心地よい感覚。それが引いてゆくと、私の右手の小指の爪は控えめな金色に変わっていた。

次いで、水の精霊が恭しく私にお辞儀をする。

「ミモレヴィーテ様、私は水の中級精霊、セイレンと申します」

今度は名乗られると同時に涼やかな水の感触を左手に感じて、光の精霊と同様に気づくと私の左手の小指の爪がほんのりと輝くベビーブルーに変わっていた。

「ミモレヴィーテ様、私は地の下級精霊、アースリーと申します」

名乗られると同時に、ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐる。サイドの髪が一本だけ濃い茶色に変わったようだと、自分の変化を探して毛先に目が行った時に分かった。

「ミモレヴィーテ様、私は火の下級精霊、フィアと申します」

熱気を感じて、けれど熱いというような不快さはない。地の精霊と同じく、髪の毛一本だけが真紅に変わった。

「ミモレヴィーテ様、私は闇の中級精霊、ハディと申します」

闇ならば何が起こるのだろうと思ったけれど、この時は何も感じなかった。手の爪も変わりない。不思議に感じて自分の身体の変化を探すと、ふと見下ろした裸足の足──右足の小指の爪が鈍色に変わっていた。

「私が手の爪を変えてしまいますと目立ちますので……」

どうやら気遣ってくれたらしい。

「ありがとう……闇の精霊さん」

「お礼には及びません。ミモレヴィーテ様、これからはハディとお呼びください。やっと契約で結ばれたのですから」

「……うん、分かったわ。──ハディ」

名を呼ぶと、闇の精霊は漆黒の瞳をうっとりと潤ませた。

「──最後に、ミモレヴィーテ様。私は風の下級精霊、フレアと申します」

そよ風が私の頬を撫でる。ふわりと髪がそよいで、他の下級精霊と同様に髪の毛が一本だけ淡い緑に変わった。

「──精霊王様、これで大丈夫なのですよね?」

契約なしに力を用いれば生命を削られる、そう言われて恐れるなという方が無理だ。しかし、精霊達とより深い絆を結べた事に私の心は弾んでいる。契約した精霊達も皆満面の笑みを浮かべていた。

精霊王は私の問いかけに少し考える素振りを見せて、──意外な事を口にした。

「私とも契約を交わそう、ミモレヴィーテ。私の名はないから、君が決めなさい」

驚天動地とはこの事だ。創造神と並ぶ唯一の存在である精霊王と契約を交わすなど、神様に嫁ぐのと変わらないように思われる。

「精霊王様、──それはあまりにも……畏れ多い事ではないでしょうか?」

やんわりと辞退しようと試みる。けれど、精霊王は至って真剣だった。

「ミモレヴィーテ、私はこれから様々な苦難が待ち受けているであろう君を護りたい。それに、君の力は特異で稀有なものだ。おそらくは、歴代の聖女達の誰も君には敵うまいよ。君は精霊達と最も近しい存在だ。──ほら、名を」

精霊王は一歩も退く気はないらしい。私は、こんな事が人間の身である私に許されるのかと畏れながら、──不意にお母さんの事を思い出した。

私に苦難が待ち受けているのであるならば、後妻として侯爵家に入れられて身ごもったお母さんもまた今まさに苦難を受けている。私が契約によって加護を受けられれば、もしかしたらお母さんの為にも何か出来るかもしれない。

私は覚悟を決めた。

「……では、精霊王様。畏れながら、アポロデス様とお呼びさせてくださいますか?」

この空間では、時間の感覚がないが、多分限られた短い時間で、私は必死に考えた名を提案した。すると、精霊王は私に手を伸ばし、ひどく優しく髪を撫でて下さった。刹那、身体中が温かくなって空も飛べそうな程軽くなる。

「よろしい。──なかなか悪くないな。このアポロデス、君を祝福しよう」

精霊王──アポロデス様がそっと手を離す。撫でられた髪のひと房が、きらきらと輝くプラチナブロンドに変わっていた。

「──さあ、もう朝になる。ミモレヴィーテ、この時空から現世に戻りなさい」

アポロデス様が穏やかに厳かに告げる。世界が一瞬暗転して、はっと目を覚ますと自室のベッドで朝を迎えていた。窓から射し込む朝日が眩しい。

夢だったのだろうか?──それにしては、全てが鮮やかすぎた。

確かめる為にベッドから手を出す。すると、体験した通りに両手の小指の爪の色が変わっていた。

「おはようございます、ミモレヴィーテ様」

「ミモレヴィーテ様、昨夜は嬉しかったです」

「精霊さん達……皆。あれは夢ではなかったのね?」

美しさを増した精霊達が私の周りを取り巻く。皆は一様に頷いた。

「はい、確かに契約を交わしました」

「これからは、ずっと一緒に、もっとミモレヴィーテ様のお役に立てます」

「ありがとう……皆……」

お礼を言うと、精霊達は笑顔で代わる代わる私の頬にくちづけてきた。その感触も今までより温もりさえ感じられて、はっきりと分かる。胸に温かいものが満ちた。

──と、そこで部屋のドアがノックされる音が聞こえた。

「ミモレヴィーテ様、おはようございます。マルタでございます」

おそらくは、洗顔の支度をしてきてくれたのだろう。「起きています、どうぞ入ってください」と返事をする。マルタがドアを開いて静々と近づいてきて──驚愕に立ち止まり、運んで来たものを落としそうになった。

「まあ、ミモレヴィーテ様の御髪のお色が……!──それに、このミモレヴィーテ様の周りで飛んでいる不思議なものは……」

契約を交わした事により、精霊達は存在が今まで以上に確かなものとなり、誰にでも見えるようになっている。私は微笑んで「精霊さん達です。──さ、皆ご挨拶を。言葉も交わせると思います」と答えた。マルタは驚きから一転、感極まった様子で頬を紅潮させている。

「マルタ、言葉を交わすのは初めましてね。いつもミモレヴィーテ様に良くしてくれてありがとう」

「まあ、まあ……! 精霊様、私がミモレヴィーテ様にお仕えするのは当然ですわ。ミモレヴィーテ様は大切な主ですもの」

「マルタ、嬉しいわ。これからもミモレヴィーテ様をよろしくね」

「は、はい。もちろんですとも!」

弾む会話を聞きながら、不意に思い出して精霊王が撫でて下さった髪をつまんで見てみる。確かにひと房、人間には見た事もないような美しい色になっていた。

……精霊さん達だけでなく、私は本当に精霊王様とも契約したのだ。

「──それにしても、これは一体どういう事でしょう。突然精霊様が私にも見えるようになるだなんて」

「それは、私が精霊さん達と正式に契約を交わしたからなんです」

「まあ、それはおめでとうございます!──本当に、精霊様達のお美しいこと……」

マルタが放心したように見惚れる。それが落ち着くまでには、しばしの時間を要した。

──そして私は、新たな運命への第一歩を踏み出した。何が起こるか分からない道のり。

それでも生きている限り、人は生き抜くしかないのだ。先の見えない未来、それに対して私は真っ向から向き合う事になる。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第10話 精霊との正式な契約、神々しい御方

    ──それは、真っ白に輝く嵐だった。どんな銀細工よりもまばゆい光の嵐。なのに風は感じない。私は光のただ中で目を開けているのも難しいほど輝く空間に包まれて立ち尽くしていた。だが、やがて嵐が収まってゆき、光は優しく私を取り巻く。光の向こうに、誰かが見えた。金色の髪は艶やかに光を反射し、同じく金色の瞳が叡智をたたえて明るい色なのに、とても深い。向こうに誰かいる、──そう見えた次の瞬間には、そのひとは目の前に立っていた。身にまとう白い衣は見たこともない生地と作りで、その容貌を引き立てている。──こんなにも美しいひとは、見た事がない。中性的なような、どことなく男性的な風貌と容姿。神々しい程なのに威圧感はない。そのひとの私を見据える眼差しには、慈しみさえ伺えた。白銀に僅かな金色が溶け込んだような不思議な空間で、そのひとと私は相対する。相手の深い瞳は、感情を伺わせないのに温かく優しく、どこか懐かしい。「……そなたか。精霊との契約なしに、それも二度も精霊を使役した癒しを成したのは」「契約……?」声までも濁りなく美しいひとには、いつしか私と親しんでくれている精霊達が幸せそうにまとわりついていた。「王様、ミモレヴィーテは私達のお友達なのです」「精霊王様、ミモレヴィーテは私達と通じ合える事を内緒にしなくちゃいけなかったんです。契約したら、ミモレヴィーテ以外のひとにも私達が見えてしまうから」「精霊……王様?」「そうよ、ミモレヴィーテ。この方は創造神と唯一対等にお話し出来るお方。精霊の頂点に立たれるお方」これは幻だろうか?──しかし、夢幻にしては鮮やかすぎる。精霊王と呼ばれた方は、私を責める色もなく真っ直ぐに見つめてきていた。急に畏怖がやってくる。創造神とさえ対等に話せる程の方が、なぜ目の前に現れたのか。「大丈夫だ、咎め立てるつもりはないよ。ただ、本来ならば精霊の癒しは、精霊達と契約を結ばなければ十分な力を発揮出来ない。にも関わらず──ミモレヴィーテ、君は瀕死の重傷を負った母さえも癒した。それから様子を見ていたが……君につらく当たる娘さえも精霊達の力を用いて癒しただろう。精霊達と愛し子は一心同体、愛し子の心次第では悪意ある者を癒すなど出来ない。君は本当に変わっている……精霊達との親和性があまりにも強い」「それは……いけない事なのですか?」「悪くはない。しか

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第9話 初めてのお茶会で、そして

    ──そして、初めてのお茶会に参加する日の朝が訪れた。装いの選び方はミステラ夫人直伝だ。自分に何が似合うかをミステラ夫人は基本から教えて下さっていた。装いは十分なはずだ。目立ちすぎず、地味にもならず、清楚で可憐な新参者の令嬢としては完璧に近い。けれど、問題は他の貴族令嬢との交流をした事がなかった点だった。下町で育った私には、当然の事ながら貴族の方々とはまったく面識がない。そのため、お茶会では集まった数人の令嬢達とガネーシャ様が会話に花を咲かせているのを、ただ眺めているしかなかった。焦りをおもてに出してはいけない、退屈そうな素振りなど見せてはいけないと気を張り詰めて、置いてきぼりにされながら微笑みをたたえる。それにしても、昨夜から続く風の中でよく屋外のお茶会を楽しめるものだとも思う。羽織るものも膝掛けもなしにでは、暖まるのはお喋りで動かしている口だけだ。「ガネーシャ様、こちらのお茶は何て華やかな水色に爽やかな香りでしょう。とても美味しいですわ」「ありがとうございます。今日の為に東方から取り寄せた茶葉を使用しておりますのよ。よろしければカスタードのタルトも作らせましたのでお召し上がりになられてくださいませ。このお茶に良く合いますのよ」「まあ、素敵ですわ。そう言えば前回のお茶会に添えられていたミルクジャムも本当に美味しくて。お恥ずかしながら帰宅してから我が家の職人に再現させようと致しましたのですけれど、どうしてもあのお味になりませんでしたのよ。ガネーシャ様のお宅では腕の良い職人をお雇いになられておいでですのね」「お気に召されて下さったのでしたら何よりでしたわ。でしたら、今日の記念として皆様にミルクジャムの瓶詰めをご用意させて頂きますので、ぜひお持ち帰りくださいませ」「まあ、嬉しいですわ。ありがとうございます」「大した事でもございませんわ。お喜び頂けるのでしたら、それが何よりですのよ。──そうそう、アイナ様。先日は私どもをお誕生日のパーティーにご招待下さり感謝致しますわ。楽しく心踊るひと時でしたのよ。アイナ様のご婚約者様、フィヨルド様もお見かけ致しましたわ。変わることなく睦まじいご様子で憧れますの」「まあ、お恥ずかしいですわ。フィヨルド様は私を大切になさって下さいますけれど、私には甘すぎますの。実は、お誕生日の時に頂いたブローチを本日着けてまいりました

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第8話 新たに宿ったもの

    ……幼い頃、一度だけお母さんが話してくれた。人生には、自分が確かに一人の生身の人間として生きていると味わえる出逢いが必ずあると。それが幸か不幸かは分からない。でも、生きている悲しみも喜びも確かに実感出来る出逢い。お母さんは何と出逢い、それを知り人生を変えたのか?私には、まだ分からない。流されるがままに毎日をこなして、今の自分に出来うる許された事をするのみだった。「──お父様、今宵はお酒が随分と進みますのね。少々お召し上がりになりすぎではないですか?」晩餐の時、ガネーシャ様が気遣わしげに口を開いた。お父様は既にワインのボトルを一本空けてしまっておいでだった。けれど、お父様は珍しく上機嫌に快活な笑みをたたえた。「なに、祝いの盃だ。今日は大変喜ばしい事が分かったからな。お前達にも話しておかねばなるまい──サリエルが私との子を妊娠したのだ」私のみならず、ガネーシャ様もブリジット様も咄嗟に言葉が出なかった。カトラリーを扱う手が止まり、お父様とお母さんを交互に見つめて──三者三様に信じられないといった思いを瞳に浮かべる。最初に気を取り直したのはガネーシャ様だった。「まあ、それは本当に喜ばしい事ですわね。お父様、……お母様、おめでとうございます。お祝いを考えなければなりませんわ」次いで、ブリジット様がことさらに朗らかな声を発する。「まさか、この歳になって弟か妹を迎えられるとは思っていませんでした。本当におめでたく、今から生まれてくるのが楽しみですね。父上、誠におめでとうございます」いっそ白々しいほどに、二人とも貴族然として新たな家族を祝福する。ブリジット様がこちらを見やって「ミモレヴィーテも嬉しいだろう、お二人の間の子はお前にとって本当の家族としての架け橋になる」と声をかけてきた。声音こそ明るいものの、言葉の端々に棘が隠されているのに気づかないほど、私も無邪気ではなくなっていた。それでも笑顔を取り繕い、鷹揚に従順に頷いてみせる。「はい、本当に驚きましたけれど……お父様、お母様、おめでとうございます。生まれてくる赤ちゃんの為にも、お母様はお身体をお大事にしてくださいね。でも、お父様がお母様をとても大切にして下さっておいでですので、きっと大丈夫と信じております」子供達の祝いの言葉を満足げに聞いていたお父様は、私の言葉が何よりお気に召したらしい。相好を

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第7話 愛し子として求められるもの

    「──はい、よろしいですわ。テーブルマナーもきちんとマスターなさいましたね」「ありがとうございます!」ガラント侯爵家に迎えられて、まず付けられた指南役のミステラ夫人から頷かれて、私は声を弾ませた。貴族社会のルールやマナー、教養をミステラ夫人は事細かに教えて下さった。「下町訛りも元より耳障りな程ではございませんでしたし、きっとお母様がミモレヴィーテお嬢様を大切にお育てになられたのでしょう。明日からは刺繍をお教え致しましょうね」「はい、よろしくお願い致します」お母さんの事を褒められるのは、自分の努力を褒められるより嬉しい。侯爵様との結婚がお母さんにとって幸せか、それが分からないからなおさらだ。「──ミモレヴィーテお嬢様、お勉強はお済みでしょうか?」ドアをノックする音が軽く響き、ビオラの声が聞こえる。私は「はい、大丈夫です」とミステラ夫人が許可の目配せをして下さったのを見てから返事をした。静かにドアが開き、ビオラが深々とお辞儀をする。普段はマルタが傍に付いていてくれるので、ビオラが訪れることは珍しい。「ミモレヴィーテお嬢様、今宵の晩餐は御一家揃って食堂にてお召し上がりになられますよう、侯爵様よりお言葉がございました」「侯爵様……お父様が?」父を知らない平民だった私には、まだ言い慣れない呼び方だけれど、お父様と呼ぶように侯爵様から言われている。いずれは慣れるのだろうか。それよりも、お屋敷に迎えられてからずっと、食事は与えられた部屋へと運ばれてきてマルタの世話を受けながら一人で頂いていた。それも仕方のない事で、貴族のテーブルマナーも知らないうちから侯爵家の方々とご一緒しても恥ずかしい思いをするのは私のみならず、私を育ててくれたお母さんもなのだ。侯爵家の皆様を不快にさせるおそれもあり、私はその処遇を受け容れていた。ご一緒するのは緊張してしまいそうで怖かったというのもある。それが、お母さんの結婚から一か月経とうとしている今許された。新しい家族──義理の兄妹となった方々も含めて、疎遠というべきか滅多に顔を合わせた事もない。私がまず教わるべき事が多くて関わるいとまもなかったせいもあるものの、兄妹のお二人が私の部屋を訪れて来て下さった事は一度もなかった。「ミモレヴィーテお嬢様、ちょうどよろしいですわ。学んだ事を皆様にご覧頂く良い機会です」「はい……ですが、

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第6話 侯爵家の息子と娘

    * * *「お父様が再婚なされるお相手は、この侯爵家には相応しくない人なの?」ガラント侯爵家の令嬢として何不自由なく育てられたガネーシャは、小瓶を持って私室にやって来た専属メイドのショーンに問いかけた。13歳の誕生日を迎えたばかりのガネーシャは、何の苦労もなくメイド達によって指先までもが美しく手入れされており、高位貴族の令嬢らしく淑やかに高貴に振る舞う事のみを求められ応えてきていた。「まあ、ガネーシャお嬢様。メイド達の噂話でもお聞きになられましたか?」「屋敷中がこの話でもちきりよ、耳に入れるなという方が難しいわ。……アムース子爵家の方と聞いたけれど……」「ガネーシャお嬢様のお耳に触れるのは致し方ない事と存じますが……取るに足らない身分の女性ですわ。形の上では新しい母君様となりますが、亡くなられた奥様の足許にも及ばぬ者でございますので無理に親しむ必要などございませんのよ。──こちら、本日の美容水でございます」言葉の端々から、ショーンが再婚相手を蔑んでいるのが伝わる。そう、ガネーシャを産んだ本当の母親には到底敵う女性のはずがないのだ。ガネーシャは少し溜飲をおろし、ショーンから美容水の小瓶を受け取った。迷わず蓋を開け、すっと中身を飲み下す。背後に立ってガネーシャの髪を梳き始めたショーンは、その様子を心配そうに見ていた。「ガネーシャお嬢様、こちらの美容水は侯爵様からも禁じられておりますものでございます。お嬢様たってのお願いですのでお運び致しておりますけれど……」「大丈夫よ、ショーン。もう一年以上飲んできているものだわ。ほら、私を見てちょうだい──この肌の色は美容水無くしては手に入れられなかったものだわ。けれど、まだね。もう少し真珠のように……」鏡越しにショーンを見て話していると、美容水を飲んだ直後に話しすぎたのか悪心がガネーシャを襲う。口にしてしまえば美容水は二度と服用出来なくなるため、決して言えない不調をガネーシャは慣れた態度でやり過ごした。ショーンも分かっている。だから、それ以上は諌める事も不調をあからさまに気遣う事も出来ずに「本当にお美しい御髪ですこと、香油を評判の商会の物に変えてから更に艶やかになられましたわ」と話題を逸らして髪を梳く。──と、ガネーシャとショーンの二人きりだった部屋のドアが無遠慮に開かれた

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第5話 侯爵家の生活とお母さんの婚姻

    ──夜明けを迎える頃、ようやく眠りが浅くなってきたところで、私は夢を見た。シャンデリアが煌めく広いホールに、華々しいドレスを纏ったお嬢様達がエスコートされながら優雅に舞う。そんな光景は平民の私が見た事などないはずなのに、見下ろせば自分も艶やかなドレスを着ている事にも違和感を覚えなかった。淡いピンクのドレスは脇に白いフリルとレースをふんわりと広がるように使われていて、金糸で薔薇が蕾から花開いてゆくさまを刺繍されている。どうやら、夢の中の私は現実よりもいくつか歳上らしい。身体つきが身に覚えのない美しさだった。様々な貴族の令息らしき人達が私に声をかけ、ダンスに誘ってくる。私はひらりと断り、ホールの隅にある椅子へと向かって飲み物をとり、疲労の息をついていた。そこに、お会いした事もないのに不思議とどこか懐かしさを感じさせる令息がやって来て私に向かって穏やかに話しかけた。「ミモレヴィーテお嬢様、デビュタントのパーティーは楽しめておられますか?」「はい、皆様お美しくて蝶か妖精のようです」「このパーティーで最もお美しいお嬢様ですのに、謙虚でおられますね」彼は手入れの行き届いた黒髪に深い緑の瞳が、僅かな影を落としていて私などより遥かに美しく見える。返答に困っていると、すっと手を差し出してきた。「ミモレヴィーテお嬢様、私とダンスを楽しむ栄誉をお与えくださいませんか?」私がファーストダンスは既に他の人──パートナーと済ませていたと、夢の中の私はなぜか認識している。目の前の令息はご令嬢達から注目されていたらしい。羨む声に溜め息が、さざ波のように聞こえてくる。「──はい、よろしくお願い致します」恭しく出された手に自らの手を重ね、私は立ち上がった。あれだけ令息達からの誘いを断ってきていたのに、どうしてか目の前の彼と踊ることは自然に受け容れられた。ホールの中央に歩んでゆくと、ゆったりとした曲に変わる。手を重ね、吐息さえ感じそうな距離で二人踊り始めた。リードが上手いというだけでは納得出来ないほどに踊りやすい。身体が軽くて、まるで広大な空に踊っているかのようだ。「──ミモレヴィーテお嬢様、私は……」熱を帯びた声音で彼が囁きかけてくる。どきりと心臓が脈打ち、私は彼を見つめた。互いの眼差しが絡み合う。──そこで、夢は唐突に途切れた。「……あ……」目を覚ますと、大き

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status