LOGIN家に着いてから、俺たち二人は、母さんが家の一階で営む喫茶店「アンサンブル」で、飲み物を飲みながら過ごしていた。
俺の対面に座るエリカは、いつもなら明るく元気で、テンションが高い。だが今は、まるで世界の音がすべて遠ざかったみたいに、黙ってグラスに入った氷をストローでくるくると回していた。 ……何を、考えてるんだ? 沈黙のあと、唐突に彼女が立ち上がった。 「よしっ! 決めた!」 「……え?」 「探偵事務所を作る!」 「た、探偵事務所?」 あまりの急展開に俺があっけにとられていると、エリカは俺の顔を覗き込み、真剣な目で見つめてきた。 「今日のことを見て思ったの。世界には、まだまだ知らない“謎”がたくさんある。 でもね、それを解き明かすことで――誰かの心が救われたり、幸せになれるって、思ったの」 その瞳は、まっすぐだった。まるで星のきらめきをそのまま閉じ込めたように、輝いていた。 「わたし、今日の出来事は最初とっても不安に感じた……でもね! その後の三人の様子を見て、私たちが謎を解いたことで、なんだかキラキラしたものに変わった気がしたの!」 エリカの笑顔は、いつもの天真爛漫なそれとは違っていた。やさしくて、あたたかくて、すべてを包み込むみたいな――そんな笑顔だった。 俺は、その笑顔に見とれていた。 「私ね、謎って、誰かの心にできた小さな影みたいなものだと思うの。それを見つけて、明かしてあげたら……世界がちょっとだけ、綺麗になる気がするの」 エリカは一度目を伏せ、決意を新たに振るように、うなずいた後。 「だから、探偵事務所を作るの! “謎解き”を通して、みんなの悩みとか、不安とか、そういうのを少しでも晴らしてあげられるように!」 言い終えて、エリカは一瞬だけ目線をそらし、それから、まるで狙いすましたかのような上目遣いで、俺を見上げた。 「直央くんも、一緒にやろ?」 そんな筈はないのに、エリカは俺の想いに気付いているんじゃないかと思うくらい、あざとい表情、しぐさをする。 いや、おそらく無意識なのが、もっとタチが悪い。 「……わかった、エリカ。一緒にやろう」 その表情を見たら、もう逆らえなかった。 「やったー!“やっぱなし”はナシだよ? 約束だからね!」 「ああ。約束する。だけど、学校だから探偵事務所じゃなくて部活かな?」 「部活……なら”謎解き部”だね!」 つくづく思う。 俺は、エリカに弱い。 だが、その弱さを嫌いにはならない。 この笑顔には、勝てない。 こうして、探偵エリカとその助手である俺・雨宮直央の、“探偵事務所”が誕生した。 グラスの氷がカランと音を立て、新しい部の誕生を知らせたように感じた。 きっとこれから、たくさんの事件や謎に巻き込まれていくことだろう。 楽しいことも、つらいこともあるかもしれない。 だが、俺はなんとなく感じた。 変わらない現状を打ち破り、エリかを明日につれていくきっかけになるんじゃないかと。綿貫先輩の話を聞いたあと、俺たちは例の「空き教室」へとやってきた。 何があるのか、何が起きているのか。俺はさすがに胸のざわつきを抑えられない。 「よーし、直央くん!開けて確かめよう!」 だが、隣でエリカは、いつも通りの笑顔でウキウキしていた。まるで宝探しにでも来たかのように。 俺はごくりと息をのむ。意を決して鍵を開けようとした、そのとき―― ガタン! 教室の中から何かが倒れるような音が響いた。 (今の、絶対誰かいる……!) 思わず開ける手が止まる。だが隣を見ると、エリカが「早く開けて!」と言わんばかりに目をキラキラさせている。……いや、もう顔に書いてあるレベルで「ワクワク!」が漏れてる。 俺は覚悟を決めた。開ける手とは反対の手で、エリカをそっと自分の背中へとかばうように回す。 何があっても、この子だけは守らないと。 カチャ。 慎重に鍵を開けて、警戒しながらドアをゆっくりと押し開ける。 ……だが。 「……誰も、いない?」 拍子抜けした声が漏れる。教室は、静まり返っていた。 「ええっ!? 絶対いたよね今の音!?」 俺の脇からひょっこり顔を出したエリカが、目をまんまるにして中を見回す。 たしかに、音はした。絶対に誰かがいたはずなのに。 俺たちは中に入る。空気の流れが妙に生々しく感じられる。 棚や備品には薄くホコリが積もっているのに、椅子やテーブル、扇風機にはそれがない。しかもテーブルには、ついさっきついたような水滴の跡。そして扇風機のコードは、まだコンセントに差ささったままだった。 「誰か、いたんだね……」 「うん、絶対間違いないって!こんなの、動かしてなきゃできないもん!」 俺は窓へと視線を向ける。昔ながらの引き違い窓。内側には半月型のクレセント錠が付いていて──ちゃんと鍵はかかっていた。 よく見ると、鍵のあたりに青っぽい繊維のようなものが絡んでいた。 窓の外には、白いメッシュフェンスと住宅街の通りが見えるだけで、特に変わった点はなかった。 「窓の鍵、ちゃんと閉まってるね」 「えーでも……教室の中に隠れる場所なんて、ないよね?」 エリカが教室の中を見回す。確かに物は多いけど、どれも人が隠れられるようなものじゃない。 「つまり……この教室は、俺たちが鍵を開けるまでは完全な
「えっ、私のこと……知ってるんですか?」 「もちろんよ~。金髪で青い目の美少女っていえば、うちの学校じゃちょっとした有名人だもの~。それに、理事長のお嬢さんでしょ? 海堂グループの~」 「は、はい……」 エリカがなんともいえない表情をうかべる。 美少女といわれるのは嬉しいが、理事長の娘だと特別視されるのは嫌なのだろう。 「だとしたら、そっちの彼は……雨宮直央くんかな~?」 「お、俺も……ですか?」 「うん。私の学年の男子たち、よく噂してるもの~。お昼休みにね、パン食べながら話してるのよ~。“あんなかわいい彼女ねたましい”って」 「……」 「で、そのあとにね、“でも正直うらやましすぎてしんどい”とか、“あれは罪だよな”っていう嘆きタイムが始まるの~。ふふっ、青春ねぇ~」 「……その話は、聞かなかったことにします」 俺はそっと目をそらす。エリカはなぜかもじもじしつつ嬉しそうだった。 「ふふっ。私は綿貫日和(わたぬき・ひより)です~。手芸部の部長をしてるの。で、今日はどういうご用件かしら~?」 「あのですね! 実は、隣の空き教室についてお聞きしたいことがあって!」 「ああ~……もしかして、調べてくれてるの? あのこと~」 綿貫先輩は、ひと針、刺繍の手を止めてこちらを向いた。ほんの少しだけ、迷うそぶりをみせたあと。 「そうだね~……ちょうど先月くらい、だったかな? ふとしたときに、隣から物音が聞こえたの」 「物音……ですか?」 「うん。使われてないはずの空き教室なのに、不思議よね~。最初は気のせいかなって思ったんだけど」 綿貫先輩は、小首をかしげながら続けた。 「一度気づくとね、ほとん
旧校舎に向かおうと、職員室を出て廊下を少し歩いた、そのときだった。 新校舎と体育館をつなぐ通路の先、校門のほうへと駆けていく人影がちらりと見えた。 「んじゃ、茉莉花先輩。私、外周行ってきます!」 ポニーテールを揺らして走っていくのは──昨日、水族館で偶然会ったばかりの花守さんだった。 「ちょっと、また外周? 琴音、体力も大事だけど、ちゃんとボールも触りなさいよ~」 体育館のドアから顔を出して、茉莉花が叫んでいた。 「いまの……琴音ちゃん?」 「ああ。髪型は違うけど。部活中はまとめてるみたいだ」 そんな会話をしている俺たちに気づいたのか、茉莉花がこっちへ顔を向ける。 「なにしてんのあんたたち、こんなとこで。部室はもらえたの?」 「んー、ちょっと訳アリでね。今から旧校舎」 「ふーん、そっか。また、詳しく聞かせてよねー」 と、体育館に戻ろうとする茉莉花にエリカが声をかけた。 「ねぇ、茉莉花ちゃん! その手首のリストバンドいいね! 部活中いつもつけてるの?」 茉莉花の手首には、ネイビーに白のラインが入ったリストバンドが巻かれていた。 「ああ、これね? うちの女子バスケ部のチームでお揃いのを頼んでいるの。 汗を拭うのにも、手首の保護にもいいから気に入ってるの、それじゃあね」 軽く手を振って、今度こそ彼女は体育館へと戻っていった。 その背中を見送りながら、俺とエリカは旧校舎に向けて、再び歩き出した。 まず訪れたのは、問題の空き教室の隣にある、手芸部の部室だった。 扉の前で軽くノックすると── 「ど~ぞ~」 ……と、やたらのんびりした声が返ってくる。 「失礼します」 俺はそう言って扉を開けると、手芸部の部室にいたのは一人だけだった。 スリッパの色をチラッと見れば、三年生を示す緑色。 俺たちの学校では、スリッパの色で学年がわかる。二年生は青、一年生は赤。そして──三年は、やさしさの色みたいな緑をしている。 窓際の机に向かって、のんびりと刺繍をしていたその人物は──まるで、たんぽぽの綿毛みたいな人だった。 ふわっとした空気をまとい、やわらかく微笑むその表情には、時間の流れすらゆるやかにしてしまいそうな穏やかさがあった。 肩までのゆるく巻かれた髪は淡い栗色で、ほんのり陽の光に透けている。制
「部室? んなもん、ねーよ」 放課後、同好会の設立申請を提出した俺とエリカに対して、榊原先生は、いつものぶっきらぼうな調子で言い放った。 「えぇー!?なんでなんで! いっちー!」 「誰がいっちーだコラ。学校では“榊原先生”って呼べっつーの」 「はーい、榊原先生~」 榊原先生は俺たちの家、母が営む喫茶店アンサンブルの常連さんだ。昔から俺たちとも母とも面識がある。 だから、学校外でエリカは榊原先生のことをいっちーと呼んでいる。 「……で、どうして部室がないんでしょうか?」 俺があらためて尋ねると、先生は面倒くさそうに頭をかいた。 「決まってんだろ。同好会なんぞに部室与えてたら、校舎がいくらあっても足りねーよ」 どうやら、部室ってのは“正式な部活”に昇格して初めて割り当てられるらしい。同好会に関しても割り当てられているものもあるが、それは前年に活動実績があって、生徒会の審査を通った場合だけ──って、なかなかハードル高くないか? 「だからよ。同好会作りました、ハイどうぞ部室、なんて話にはなんねーの。現実見ろや」 「けちヒゲ……」 「おい、今なんつったエリカ? せっかくいい話があるっつーのに」 「えっ、えへっ、ヒゲが素敵って意味だよ? で、いっちー? その“いい話”って何?」 いい話があると言った瞬間のエリカの手のひら返しは、俺には真似ようとしても真似できない見事なものだった。 「最後まで聞けっつーの、まあいい。ちょうど頼みたいことがあったんだわ。ひとつ、謎を解決してくれたら、空き部屋ひとつ貸してやるよ。“掃除と管理”って名目でな」 「おぉ~! 詳しく詳しく!」 エリカの目が、わかりやすく変わる。 「旧校舎の西の奥に、しばらく使われてねぇ教室があるんだよ。で、最近その隣の手芸部の連中から、『中から物音がする』っつー相談がきてな」 先生は腕を組んで、ため息交じりに続ける。 「だけど、その部屋の鍵はちゃんと閉まってて、職員室の鍵も使われた形跡がねぇんだよ。5月に一度生徒と一緒に探し物をしにいったくらいでな……まあ幽霊かイタズラか知らんけど、お前ら、ちょいと様子見てきてくれ」 「それって……先生が確認しに行くべきでは?」 「はあ? あんなとこ冷房ねぇし遠いしで行きたくねーわ。危なそうなら戻ってこいって。電話一本でいいか
週明けのこと。夕暮れとまではいかないが、太陽が傾きはじめた校舎の廊下を進み、目的の部屋の前で立ち止まった。 学校内にある他の扉とは違い、重厚な雰囲気を漂わせた扉。その上には「理事長室」と書かれている。 小さく息を吐き、ゆっくりとノックする。 コン、コン―― 決して強く叩いたわけではないのに、思ったよりも大きな音が響き、一瞬たじろぐ。「入りなさい」 扉越しに届いた声は大きくない。だが低く通るその声は、はっきりと耳に届いた。「失礼します」 ゆっくりと扉を開けて中に入る。 そこには、中年の男性がデスクに積まれた大量の書類と、険しい表情のまま向き合っていた。 彼は書類から視線を上げ、険しいままの表情で口を開く。「久しぶりだな直央。元気にしていたかね?」「はい。理事長先生は相変わらずお忙しそうですね」 そう答えると、彼は「やめろ」と言わんばかりに手をひらひらとさせ、ため息をつく。「今は私たち二人だけだ。よそよそしい呼び方はやめてくれ」「わかりました、正隆さん」 苦笑しながらそう呼ぶ。 海堂正隆(かいどう・まさたか)さん――この学校の理事長であり、エリカの実の父親でもある。 常に険しい表情を浮かべているが、俺やエリカのことを何より気にかけてくれる、頼りになる温かい人だ。 しかしその雰囲気から、話すときは自然と緊張してしまう。「すまないな、エリカのことを任せきりにしてしまって」「いえ。信頼して預けてもらえるのは、むしろ嬉しいです」 俺の言葉に、彼は表情を崩さぬまま「そうか」とだけ呟き、席を立った。「いつも通りコーヒーでいいかね?」「はい、ありがとうございます」 正隆さんは軽く肩をすくめる。 二人のときはもっと砕けた口調でいいと言われているのに、どうしても改まった話し方になってしまう。 雰囲気もそうだが、学校の理事長であり、しかも好きな相手の父親だと思うと、自然と固くなるのだ。 最近はもう諦めたのか、苦笑しながら「やれやれ」といった様子を見せるだけになっていた。 ソファに座って待っていると、コーヒーを二つ運んできた正隆さんが正面に腰を下ろし、さっそく本題に入った。「さて、その様子だとやはりエリカの状態は変わっていないようだな」「はい。ただ、ちょっと新しい取り組みをしてみようと思って」 俺は、二人で謎や悩みを解決する
エリカのお母さんが亡くなった瞬間──その光景を、彼女は見てしまった。 絶望と混乱に凍りついたまま、泣き声も上げられずに。 そして、その悲惨な光景により、エリカの精神は限界だった。 心は、もう壊れかけていた。 だけど、俺は思った。 たとえ、母を失った痛みが彼女を苦しめても…… “その瞬間の映像”さえ脳裏から消すことができれば、彼女は、きっと支えの中で生きていける。 そう信じて、俺は「記憶を消す方法」を探し始めた。 いくつもの論文を読みあさり、 PTSD治療に使われるEMDR(眼球運動による脱感作と再処理)や、 バイノーラル・ビート、トラウマ記憶の再構築などを試した。 けれど、どれも“あの光景”をピンポイントで消し去ることはできなかった。 そんなときだった。 藁にもすがる想いで、俺はエリカのお父さんに、すべてを話した。 エリカがどれほど限界であるか。 俺が何をしようとしているか。 そして、彼女を救うには、“あの記憶”だけを消すしかないこと。 沈黙の末、彼は静かに頷いた。「……紹介できる者がいる。責任は、私も背負う」 彼が連絡を取ってくれたのは、心理学の臨床分野で知られる大学教授だった。 現在は大学を離れ、個人的に「記憶処理に関する非公式の研究」を続けている人物らしい。「特定の映像記憶を“選択的に上書き”できる方法がある」 その教授はそう言った。 深い催眠状態に誘導し、対象の記憶を再生させる。 そして“想起の瞬間”に、記憶映像を光で覆い、意識に定着させることなく焼き切る。 まるで、古いフィルムを白く塗りつぶすように。 危うい手法だとは分かっていた。 失敗すれば、記憶全体に障害が残る可能性もあるという警告も受けた。 それでも、俺と彼女の父さんは、同じ選択をした。 施術の日。 柔らかな照明の下、エリカは静かに横たわり、 教授