LOGIN人気の無い場所まで走ってきたところで、ようやく駿は足を止めた。
◆◆◆ 息が上がり、雨の湿った空気が肺に入り込む。 しばらく口を開けなかった。 先ほどまでの出来事があまりにも突然で、頭が追いついていない。 黙っていても何も変わらないと思い、口を開く。「俺があの時、もっと早く駆けつけてれば……」 果奈の怯えた表情が脳裏から離れず、言葉が詰まる。「怖い思いさせたくなかったのに、本当にごめん」 果奈は小さく首を横に振った。「私こそ、ごめんなさい。辛島先輩から告白を受けていたことを話さなくて……」「何で果奈が謝るの?果奈は悪くないよ」 とは言ったけど、少しショックだった。 責めたい訳じゃない。 怒っている訳でもない。 だけど。 相談してほしかった。その日の夜。 駿はベッドの上で今日の試合のことを振り返りながら寝転がっていた。 ◆◆◆ 勝てた試合もあれば、悔しさだけが残った試合もあった。 そして何より、隆二と交わした約束。 新人戦では、必ず二人で代表になる。 その決意を胸の中で静かに噛み締めていると、不意にスマートフォンが震えた。 画面を見ると、送り主は果奈だった。『今から電話しても大丈夫?』 果奈からそんなメッセージが送られてくるのが珍しく、嬉しさあまり、反射的に返信する。『大丈夫』 送信した直後。 着信画面へ切り替わり、急いで通話ボタンを押した。「果奈から電話なんて珍しいけど、何かあったの?」「何かあったって訳じゃないんだけど、ただちょっと話がしたくて」 果奈は少し照れくさそうに笑う。「実は今日、美生と一緒に料理の特訓してたの」「そうなんだ、何を作ったの?」「肉巻きときんぴら」 その瞬間だった。 頭の中に、あの日のお弁当が鮮明によみがえる。 見た目は完璧だった。 けれど、一口食べた瞬間に広がった、予想以上の塩辛さ。「へ、へぇ……」 なんて返せばいいのか分からなくなり、ぎこちない返事になる。「絶対今、前回の弁当のことを思い浮かべたでしょ!」「そんなことないって」「本当に?」「本当に本当」「でも大丈夫」 果奈の声色が少しだけ柔らかくなる。「美生に教わったところもあったけど、上手くいったよ」 その一言に、胸が温かくなる。「……そうなんだ」 少し間を置いてから、口に出す。「美生の教えがあったとはいえ、二回目で出来たのは凄
駿が激闘を繰り広げていた同じ頃――。 果奈は少しだけ緊張した面持ちで、美生の家へ向かっていた。◆◆◆ 今日は、美生にお弁当作りを教えてもらう約束の日だった。 前に駿へ作ったお弁当。 見た目は悪くなかった。 それでも味付けに失敗し、悔しさでいっぱいになったあの日のことは、今でも鮮明に覚えている。 もう一度挑戦して。今度こそ、駿に「美味しい」と笑ってもらえるお弁当を作りたい。 そんな思いが強かった。 美生の家に着き、インターホンを押すと、すぐに美生が出て来る。「果奈ちゃん、待ってたよ。どうぞ入って」「お邪魔します。夕飯よりの時間になってごめんね。お父さんの迷惑にならなかった?」「ううん、大丈夫。果奈ちゃんは来週、県大会を控えているからしょうがないし、お父さんは今日は仕事で居ないの。色々と準備しているから、早速始めよう」 美生に言われるまま、台所に向かう。 台所にはまな板や包丁、調味料が綺麗に並べられていた。「今日は何を作るの?」 「きんぴらと肉巻きを作ろうと思ってたの」「肉巻きね……」 その言葉を聞いた瞬間。 脳裏に弁当を失敗してしまった時の辛い思い出が浮かぶ。「ちゃんと教えるから大丈夫だよ。因みに前回の弁当の写真ある?」「あるよ」「見てもいい?」「うん」 正直見返したくはなかったけど、スマホを取り出し、美生へ差し出した。「見た感じはまぁまぁ上手くいったんだけど、前にも言ったように味がね……」「なるほど、始めてでここまで出来ていたら上出来だよ。細かなところと味付けが良くなれば大丈夫」「本当に!?」「本当に。駿君が驚くような肉巻きを作ろうね」「うん」
翌日。 駿は朝日が照らす校門を駆け抜ける。◆◆◆ いつもより少しだけ早い登校。 今日だけは、誰よりも早くコートに立ちたかった。 着替えなどをしてコートに向かうと、コートで一人黙々とサーブを打ち込む隆二の姿があった。「おはよう、ダブルスの選抜戦で勝ち抜いて、大会出場しような」「勿論」 その返事に迷いはなかった。 隆二と共にダブルスの動きの再確認や互いの苦手なことの練習をして、出来るだけ完璧な状態で選抜戦へと臨もうとしていた。 ダブルスは六組のうち二組が代表として出場することが出来、シングルスの時よりも狭き門となっていた。 しかも。 祐希は三年生の中で一番強い先輩と組み、代表最有力候補だった。 選抜戦が始まり、最初は二連勝したがその後に祐希のペアと違うペアに負けて、二勝二敗で最終戦へと挑む。 相手は同学年のペアで同じく二勝二敗で、この戦いに臨もうとしていた。 勝った方が代表。 負けた方は敗退。 すべてを懸けた一戦だった。 試合は最初から一進一退だった。 1ゲーム奪えば、1ゲーム奪い返される。 どちらも譲らない展開が続き、ついに勝負はタイブレークへもつれ込んだ。 タイブレークに入る前のゲーム間。 隆二と水分補給をしながら、ここまでの反省やここから作戦を手短に話し合う。 それが終わり、コートに戻ろうとすると、隆二が話しかけてくる。「ここからが正念場だ。行くぞ、浅村!」 その声は力強かった。 普段の冷静な口調とは違い、感情がそのまま言葉になっていた。 見ているだけで、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。「ああ、そうだな。絶対に勝とう!」
駿はその後も一戦一戦を戦い抜いた。◆◆◆ 勝つ試合もあれば、惜しくも落とす試合もある。 それでも、大きく崩れることはなかった。 苦しい試合ほど粘り、一本でも多く勝利を積み重ね、七勝四敗で最終戦を迎える。 相手は隆二だった。 五勝六敗で最終戦を迎え、隆二自身この試合に勝てないと、代表入りは絶望的な状況だった。 試合前。 隆二に話しかけようとした。「隆二――」 その名前が喉まで出かかった。 けれど。 前を歩く隆二の背中を見た瞬間、言葉を飲み込む。 背中越しにも伝わるほど張り詰めた空気。 肩には余計な力が入り、拳は固く握られている。 その姿を見れば分かった。 今、掛けるべき言葉なんて存在しない。 励ましも。 冗談も。 どれも軽すぎる。 今の隆二には、自分自身と向き合う時間が必要だと思い、静かに口を閉じる。 サーブ権のじゃんけんをする為に会話出来るくらいの距離に迫っても、何も喋ることなく、そのまま試合が始まる。 隆二は意地でもこの試合を勝ちに来ると思い、最後の力を振り絞って、隆二から放たれる球を必死に打ち返す。 どちらも一歩も引かない。 親友だからこそ、手加減なんて失礼だ。 勝つために戦う。 それが互いへの敬意だった。 しかし。 予想していた接戦にはならなかった。 隆二は必死に食らいつき、何本も拾う。 それでも。 あと一本が届かず、ポイントが重なるたび、スコアは少しずつ開いていった。 そのまま試合は進み、後1ゲームで勝利のところまでたどり着いた。 サーブ位置につき、ボールを
二日後の土曜日。 駿は所属する男子テニス部の地区大会選抜戦に挑もうとしていた。◆◆◆ ここ最近の果奈との穏やかな日々とは対照的に、男子テニス部の空気は張り詰めていた。 ラケットを握る手に力を込める者。 一人静かにストレッチを続ける者。 それぞれが、自分自身と向き合っていた。 この二日間で、地区大会へ進めるかどうかが決まる。 だからこそ、誰一人として気を抜いてはいなかった。 朝のミーティングが始まり、今江先生がみんなの前に出て話し始める。「今年の地区大会はいつもよりも遅い時期となったが、その分、部員一人一人が最高のパフォーマンスに近づくことが出来たと思う。この二日間、悔いの残らない試合をすること。私からは以上」「はい!」 部員全員の声が揃う。 その返事には、緊張だけではなく覚悟も込められていた。 選抜戦は二.三年の十二人プラス一年の祐希を含めた十三人で行われ、上位七人が確定で個人戦と団体戦に出れることになっていた。 そうとはいえ、一試合一試合が重い。 選抜戦が始まり、初戦を勝ち、勢いに乗って、そのまま四連勝した。 身体は軽く、ラケットも思い通りに振れていて、先週まで部屋へ閉じこもっていた自分が嘘のようだった。 試合の合間。 水分補給をしていると、隆二が声をかけてくる。「今のところどんな感じだ?」「四連勝中、今のところは絶好調。隆二は?」「俺は今、三連勝中。今のところ互いにいい感じだな」「だけどまだ、祐希や強い先輩と戦ってないから、ここからが勝負ってところ」「俺もまだ強い先輩たちと戦ってないから、互いに頑張ろうな」 隆二はそう言って拳を差し出した。「ああ」 隆二の拳に拳を当てる。
三日後の放課後。 美生は駿と共に週に一回ある大きな買い物をして、駿の家へと向かった。 ◆◆◆ 夕暮れの空はまだ淡く、手に提げた袋が小さく揺れる。 する曜日は決まっていないけれど、この時間は私にとって当たり前になっていた。 家に着くと駿君の父親である、浅村健介(あさむら・けんすけ)が帰ってきていることに気付いた駿君が驚く。「父さん!?なんで居るの?」「なんで居るの?は酷いな~たまにはこういう日もあってもいいだろ」 そのやりとりを見て、自然と頬が緩んだ。 健介さんは普段、仕事で二十二時過ぎに家に帰り、今日のような時間に帰ってくるのは年に数回あるか、無いかだった。「美生ちゃん、いつも夕飯作ってくれてありがとね。今日は買ってきた食材でおじさんが作るから駿たちと一緒に待ってて」「いえいえ大丈夫ですよ。健介さんこそ、家族とのひとときを楽しんでください」「まぁまぁそんなこと言わずに、たまには美生ちゃんにも息抜きが必要なんだから、今日は任せて」 そう笑いながら言う健介さんだったが、 その笑顔の奥に、ほんのわずかな疲れが見えた気がした。「では、少しだけお手伝いさせてください」「美生ちゃんがそこまで言うなら、野菜とか切るのお願い出来る?」「はい、分かりました」 そう言って、共に台所へと向かい、調理を始める。 まな板の上で包丁が小気味いい音を立てて野菜を切っていると、健介さんが話しかけてくる。「美生ちゃん、改めてありがとね。平日の夕飯の調理だけじゃなくて、日用品の買い物や結の勉強に付き合ってくれたりしてくれて」「大したことないですよ。健介さんも毎日平日の夜遅くまで働いているのに、休日も駿君や結ちゃんの為に頑張っているじゃないですか。私は、本当に少しお手伝いしているだけです」 健介さんは何も言わず、私の話を聞いていた。
果奈に流されるまま、駿は映画館へと向かった。 ◆◆◆ 映画館は休日ということもあり、様々な人たちで賑わっていた。 「私、観たい作品があるのだけどそれでもいい?」「いいけど、どんな作品?」「恋愛もの。ラスト泣けるって友達が言ってたから気になってたんだよね」「そうなんだ」 特に観たい作品も無かったし、一緒に見られればそれでいいと思い、この作品を観ることにする。 作品のタイトルは『失いたくない』。 主人公がヒロインへの告白から始まる恋。 想いが通じ合い、幸せな結末へ向かう筈だったが、ヒロインが通り魔に刺されてそのまま死んでしまう。 絶望していた主人公がヒロインの真実
週末。 午前中の部活を終え、駿は家に戻るとすぐシャワーを浴びた。 ◆◆◆ 髪を洗って、流して。 念のためもう一度首元にシャワーを当てる。 絶対に汗の匂いが残らないよう、念入りに身体を綺麗にする。 (気にしすぎだろ) そう思ったが、手は止められない。 今日は、果奈と二人きりで出かける。 考えるだけで、落ち着きを保てなくなっていた。 シャワーを終え、家にある姿鏡の前で服を広げる。 候補が何着も並んでおり、着てみては脱ぎ、鏡を見る。 しっくりくるやつもあったが、すぐに違う気がして、また着替え直す。「……何やってんだ、俺」 服選びがただの繰り返し作業へ
駿が倉庫裏に着いた時、早川さんの姿はまだなかった。 ◆◆◆ 夕焼けに染まった校舎の影が、静かに地面へ伸びており、風が吹くたび、木々がかすかに揺れていた。 スマホの時間を確認するが、まだ数分しか経っていない。 本来なら、早川さんが所属するバドミントン部はテニス部よりも早く終わって、待っているはずだった。(……練習、長引いてるだけだよな) そう思おうとするのに、別の考えが勝手に浮かんでくる。 疑いたくないのに、疑ってしまう。(何考えてんだよ、俺) 頭では分かっている。けれど、不安は理屈じゃ止まらない。 胸の奥に、小さな黒いものが広がっていく。 その時だった。 「
翌朝。 駿は目覚ましが鳴る少し前に、自然と目が覚めた。 ◆◆◆ カーテンの隙間から差し込む朝の光が、やけに眩しい。 ぼんやり天井を見上げながら、小さく息を吐く。 胸の奥が落ち着かない。だけど、嫌な感覚ではなかった。 むしろ逆だ。 何かが始まってしまった後特有の、ふわつくような高揚感。 昨日の放課後。 夕陽。 震える声。 思い返した瞬間、身体が熱くなる。 枕に顔を埋めたくなるくらい恥ずかしいのに、何度も思い返してしまう。 (……付き合ってるんだよな、俺たち) まだ実感は薄いけど、昨日の出来事を頭の中で繰り返すたび、少しずつ現実が輪郭を持







