彼方の晴れ舞台を見るために紫音は自宅のテレビで中継を見ていた。
「あー!出てるー!すごいすごい!」自分の事のように喜びながら、画面を注視する。生中継も終盤に差し掛かる頃何やらおかしな雰囲気になってきた。
異世界ゲートが起動し一人の男が入っていってから戻ってこないのだ。会場はざわついているようで、舞台上にいる彼方も何やら動揺しているように見える。嫌な予感がする……
彼方は大丈夫と言っていたが、数十分も戻ってこないなんて流石に予定通りではなさそうだ。紫音の手は汗で濡れ、テレビから一瞬たりとも目を離せなくなってきた。最初の説明をぼんやりと聞いていたが、確か10分しか稼働させることはできなかったのではないのか?
不安は募り、今にもその場に行きたい衝動に駆られた。そして事件は起こる。血塗れの男がゲートから出てきたのだ。
明らかに台本通りではない、もしこれが台本通りならば顰蹙《ひんしゅく》ものだ。彼方も不安そうな表情で狼狽えている。その後画面は乱れだしたが、撮影者の意地なのか映像は続く。
見たこともない異形の化け物がゲートから出てきた。
「なんなんだよあれ!」「これドッキリか?」撮影者たちの声も入っているが、紫音も同じ気持ちで画面を見続ける。ドッキリであってくれと。しかしその願いは叶わなかった。
ゲートから出てきた異形の化け物は観覧席へと降り立ち、人々を襲い始めたではないか。カメラを投げ捨てたらしく、酷く画面は揺れ運良く地面に落ちたのか上手く舞台が映る形で撮影され続けている。「彼方……大丈夫って言ったじゃない……」
悲壮な声も虚しく、異形が人々を襲い続ける映像はつづいていく。見てられずテレビを切ろうとしたが、舞台上に見たこともない男が現れた。「この世界はお前のお陰で滅びの道を歩むだろう。この世界に存在する全ての人類よ、我に従え!さすれば痛みな「できない……ですか……」『一人の記憶をそのままに時間を戻す事すら容易ではない。ましてや三人もの記憶をそのままなど、不可能である』「では僕だけなら、可能でしょうか?」せめて僕の記憶だけは引き継がせて欲しい。また同じ悲劇を繰り返さない為にも。それにアカリやアレンさんとはまた仲良くなればいい。しかしそれも全て記憶がなければ、そもそも会ったことすらなくなってしまうのだ。『一人だけ……そなただけならば何とかなるかもしれん。しかし断片的に記憶は消えるだろう』ちょっと忘れてしまっている事だってあるかもしれないということか。それはもう仕方がないと割り切るしかない。少なくとも魔神の存在とアレンさん達の事さえ覚えていれば何とかなる。「それでも構いません。記憶が少しでも残るのなら」『それではこれより時空を超える御業を使う。時が戻ればもう会うこともないだろう。そして魔神が生きている時間軸へと戻る。だからこの場で伝えておく。この時間軸での魔神を消滅させてくれて感謝する』僕の頑張りも全てはあの日に戻るため。魔神を倒したこともこの世界で様々な人と交流したことも何もかもなかったことになる。一抹の寂しさを覚えたが、それは恐らくアカリも同じだろう。横を見るとアカリの目が若干潤んでいた。「誰も死んでいないあの時に、カナタが研究の成果を発表するあの日に戻るの?」「多分ね。僕の記憶が残っていれば二度と異世界ゲートなんて作りはしないさ」「でも……もしかしたらカナタ以外の人が作るかもしれないじゃない。五木さんだっけ?あの人ならいずれは作るかもしれないよ?」「その時は……その時だよ。それまでにアレンさん達を見つけて対
「扉が……勝手に開いていく、だと?」世界樹の入口が勝手に開くなど、ヨハネさんも初めて見た光景なのか目を見開いて驚いていた。「まさか……この三人を呼んでいる、とでも言うのか?」「そうに違いないだろうね。行かせてあげたほうがいいんじゃないかな?ほら、世界樹の精霊に逆らうわけにもいかないだろう?」「……いいだろう。行け」ペトロさんの後押しもあってかヨハネさんは渋々ながらも三人で入ることを許可してくれた。恐る恐るながら、世界樹の中へと入ると扉は勝手に閉まっていく。閉まる瞬間ペトロさんが手を振っていた。「またいつか会えたなら、今度は君の世界を案内してほしいな」そんなような事を言っていた気がする。閉まる直前だったから完全には聞き取れなかった。扉が完全に閉まると暗闇が僕らを包み込む。僕は二回目だから驚くこともなかったが、姉さんとアカリは狼狽えていた。目で見えているわけではないけど、ワタワタと手足を動かしているのが分かったからだ。「こ、ここ世界樹の中なの?どこにいるのカナタ!」「いるよすぐ横に」「きゃあっ!急に喋らないでよ!ビックリするじゃない!」じゃあどうしろというのだ。アカリは黙って僕の服の裾を掴んでいた。でも警戒しているのだけはわかった。何となく、アカリから放たれる殺気のようなものが僕の肌に突き刺さっていた。しばらく騒いで落ち着いてきたのか姉さんも静かになった。それを見計らってか突然目
ペトロさんと合流した後、僕らは世界樹の下まで移動した。姉さんは世界樹を見るのも初見だ。あまりの大きさに口をポカーンと開き雲を突き抜けて天まで伸びる天辺を見上げていた。「すっっごい大きな樹だね!これが世界樹?」「そうなんだ。あの幹のところに入口があって中に精霊がいるんだよ」「精霊かー、この世界に来て色んなものを見てきたけど精霊は初めてかも!」姉さんもしかして一緒に中に入るつもりか?世界樹の精霊が許してくれるだろうか。世界樹の幹までくると、そこには前回結界を解いてくれた使徒が勢揃いしていた。今回もまた結界を解除してもらわなければ中には入れない。「来たか……まさかこれほど早く戻って来るとは思わなかったぞ」ヨハネさんが最初に僕を見て口を開く。「久しぶりーカナタ!魔神を倒すなんてなかなかやるじゃない!ん?そっちの女の子はなになに?」「お久しぶりですアンデレさん。こちらは僕の姉です」「し、紫音です!」やはりアンデレさんは女性ということもあって、最初に姉さんが気になったらしい。僕の姉だと分かるとアンデレさんはニパッと花が咲いたように笑顔を浮かべた。「へぇ〜!別世界のそれもカナタの身内だなんて!私はアンデレよ、よろしくね!」「は、はい!よろしくお願いします!」何をよろしくするのか分からないが、まあ二人が仲良くお喋りするぶんにはいいだろう。どうせ元の世界に戻ったら二度とアンデレさんと会うことはないだろうから。「まさかほんとに魔神を倒してくるとは……人間の力も侮れませんね」トマスさんは感心したように頷いていた。僕だけの力ではないんだけど、わざわ
「やぁカナタ君。まさかこれほど早く会うとはね」入るやいなやペトロさんが僕の数メートル手前に現れそう声を掛けてくる。扉を開けた瞬間はかなり離れた位置にある椅子に腰掛けていたけど。僕が頭を下げたのを見て隣りにいた姉さんも同じように頭を下げていた。「ふむ……君がカナタ君のお姉さんかな?」「は、はい!城ヶ崎紫音です!」ちょっと緊張しているな。一応ここに来るまでに使徒とはなんたるかを説明しておいたからかな。使徒は僕ら人間など足元にも及ばない神に等しき力を持った者だ。神族の方々ですら圧倒的な力を持っているのにも関わらずへりくだっている。「なるほど紫音君だね。それでここに戻ってきたということは世界樹の精霊からの願いを全うしたということかな?」「はい。魔神はこの世から消滅しました」「そのようだね。魔神の気配が微塵も感じられない。どうやら本当にこの世にいないみたいだ」ペトロさんが言うには、突然禍々しい気配がなくなったらしく、魔神が倒されたのだとすぐに察したようだ。「人間の身で魔神を倒すとは……恐れ入るよ」「いえ、みなさんの協力があったからです」「ふむ……部屋を出て待っていてくれるかい?紫音君。少しだけカナタ君と二人きりで話したいことがあってね。ほら、分かるだろう?男同士の話さ」「え?は、はい分かりました!行こ、アカリちゃん」いきなりペトロさんがガブリエルさん含む三人を部屋から追い出すと、僕の目の前にテーブルと椅子が現れた。「積もる話もあるだろう?まあまずは掛けなよ」「はい、ありがとうございます」何となくペトロさんの次の言葉が理解できた。多分邪法のことだろうな。「もう私が聞こうとしている内容は分かっているんだろう?」「邪法、ですよね?」僕はいつの間にかテーブルの上に置かれていた紅茶のカップを取ると乾いた口を潤してから切り出した。
神域の結界に近付くと各々馬車を降りて徒歩ですぐそばまで寄る。手を伸ばすと目に見えない何かに触れた。ここに戻ってくるのもこんなに早いとは思わなかったな。使徒の方々と別れたのもついこないだ。まさかこんなに早く戻ってくるとは世界樹の精霊も想像していなかっただろう。「ここからどうするつもりだ」「多分結界に触れたので巡回している神族の方が来ると思います」「ならば俺は離れておこう。魔族が側にいれば良からぬ想像をされてしまうぞ」リヴァルさんはそれだけ言い残すと馬車を引いて見えなくなる距離まで離れていった。あとは待つだけだが、神族の人が気づいてくれるかな。確か巡回している神族のリーダーはガブリエルって名前だったはずだ。その方の名前を出せば他の神族の方でも話を聞いてくれるだろう。いつ来るかと待っていると神域の結界に穴が開き中から白い翼を畳みながらこちらへと一歩出てきた。ガブリエルさんだ、ちょっと不機嫌そうな顔をしているのはわざわざ迎えに来なければならなかったからだろうな。「……早かったな人間」「そうですね、思っていたよりかは早く戻ってこれました」「そっちの人間は誰だ」僕の姉だと説明するとガブリエルさんは怪訝な表情を浮かべた。この世界の人間じゃないって知っているから、どうして姉がこの場にいるのかと不思議に思っているようだ。「別世界の人間がまだこの世界に紛れ込んでいたのか……まあいい、付いてくるといい」ガブリエルさんの許可は出た。僕とアカリ、そして姉さんで神域へと足を踏み入れる。姉さんにとっては初めての神域だ。視界に飛び込んでくる広大な景色に驚い
魔界を出て早四日。神域までは後半日といったところだ。リヴァルさんが居てくれて本当に助かった。リヴァルさんの自前の馬車がなければ最悪の場合、討伐隊の馬車を一台借りて御者も誰かに頼まなければならなかった。姉さんに惚れていてくれて本当に助かった。まあ本人は否定しているけど、誰がどう見ても姉さんに惚れてるよあれは。神域に向かう道中何度か魔物の襲撃に合ったが、その時もリヴァルさんは真っ先に姉さんを守っていた。「ねぇカナタ。元の世界に戻ったら私の記憶はどうなるのかな?」「まだ分からないよ。僕だって記憶を引き継げるかどうか分からないし、そればっかりは世界樹の精霊次第だと思う」「そっかー。どうせならリヴァルもこっちの世界に来れたらいいのにと思ったけど難しいかなぁ」魔族を日本に連れ帰ったら大騒ぎになるだろう。というかそもそも時間が戻るんだからリヴァルさんと出会った事もなくなってしまう。姉さんはそれを理解できているんだろうか。「紫音、その提案は有り難いが俺にも守らなければならない領民がいる。彼らを放り出して別の世界に行くのは……難しい」「まあそうだよね。ゴメンゴメン、言ってみただけ。せっかく仲良くなれたのに残念だなって思ってさ」「……どうしてもと言うのなら吝かではないが」リヴァルさんすっごい小声で言ったな。領民を守るってのはどうしたんだ。惚れた女を優先する気満々じゃないか。「アカリとは、日本で会えそうだな」「うん。時が戻っても既にあっちの世界にいる時間軸だと思う」アカリやアレンさんはまた会えるだろう。春斗