Mag-log in「……明日」しれっと答える神楽に、そこにいる全員がお茶をこぼしそうになる。「明日……結婚式は無理だけど、婚姻届をもらってきて、提出して……食事会でも開いてお祝いしようかしらね?」「いいえお義母さま……!明日なんて神楽さんの冗談ですから!」本気にして準備を書き出す母親を煙に巻き、紅は神楽の手を引いて二階堂邸をあとにした。「……変なこと言わないでください!お母さまが本気にして、準備を整えてしまったらどうするんですか?」車に乗り込んですぐに、神楽に向き合う紅。神楽はそんな彼女に迷いなく顔を近づけた。「……なにを、しているんですかっ?!」落ちてきた唇は、意志を持って紅の唇を求める。後頭部を押さえながら触れ合う唇は甘く、そして容赦ない……「まずは……車を、出して」情熱的なキスの息継ぎの合間に、紅は必死に言葉を紡ぐ。「こんな……とこで……結婚、やめ……」途切れ途切れの言葉を拾い、その意味をつなげた神楽はスッと離れてハンドルを握った。大きくため息を吐いて、息を整えながら……その夜、寝る時間になり、神楽のベッドで並んで横になった。「近く、婚姻届をもらってくるよ」「……4回目ですね」「あぁ、慣れたもんだ。あんなものはサッサと名前を書いて……」言いかけて何かに気付いた様子の神楽。「あぁ……こんなに早く婚姻届を出したいと思うのは初めてだよ」慎重に言葉を選んで言ったのが伝わってくる。嘘ではないと思うものの、紅は確認しないわけにいかない。「本当にいいんですか?私と結婚して」「……どういう意味?」横向きになり、紅の首元に手を入れ、もう片方の手はウエストのあたりを抱く。「思うんですけど、結婚という形を取らなくてもいいと思うんです」「……は?」「結婚したら、やっぱり縛られますよ?私は……結婚するとなったら子供とか欲しいし、そしたら神楽さんにもご自由にどうぞ、とは言えないと思うから」とても素直な気持ちだった。できるなら子供を産んで、母に抱かせてやりたい。「……もちろん、俺だって子供は欲しい。紅に産んでもらえるなんて、すごく嬉しい」腕の力が強まって、ギュっと横から抱きしめられる。……紅も神楽の方を向きながら、もう一つ言わなくてはいけないことを伝えようと口を開いた。「私と結婚すると、病気の母がついてきます。……それから、冷たい冷酷な父親も
「お金目当てだって認めるの?……なんて人なのかしら」紅の前に進み出る加弥乃。その表情に、隠さない嫌悪がありありと浮かんでいる。「神楽さんと結婚したら、それは当然ついてくるものです。いくら欲しい……?と聞かれたので、その人生で手にするであろうすべての稼ぎ……つまり、一生ついていくという意味ですわ」にこやかに言いきった紅を、神楽が頬を染めて見下ろしていることに、本人は気づかない。「逆に加弥乃さんは?どうして神楽さんとの政略結婚を承諾したんですか?」「そんなの、決まってるでしょ?……鳳凰総合病院の娘として、今後の病院経営を円滑に進めるために、」「それより、神楽さんの外見に惹かれたんでしょう?」ずばり言い切る紅に、加弥乃は一瞬言葉をなくした。「でも……外見だけの男ですよ?私の前に2度も契約結婚をして、その妻たちをいいように利用した、筋金入りのワルですから」「ずいぶんな言い方をするじゃないか。血がつながってはいないが、私は一応神楽の父親なんだが?」院長に目を向けると、すぐそばに座っている母親の口元が緩んでいることに気付いた。……神楽をけなす私の言葉に笑った……?「父親にしては、神楽さんを利用しようとしてるみたいですけど」臆することなく言い返す紅に、眉間のシワをさらに深く刻んで、院長は隣にいる母親の肩に手を乗せた。「それなら産みの母親だって同じだぞ?私が提案した政略結婚を、彼女は反対するどころかどんどんやれとけしかけて来た」「それは、神楽さんのためだと思ったからです。きっと」……ここからは想像でしかない。鳳凰総合病院と合併したら、その院長にするとでも聞いたのではないだろうか。そう口にした紅の考えを、院長は視線を外すことで答えた。「ここに来て、院長と再婚したことだって、ある意味神楽さんのためだったと思います」「それは……私が利用されたと言いたいのか?」「いえ、愛情があったから再婚したのだと思いますけど……」一旦言葉を切ってみると、院長は険しい表情で妻を見た。神楽の母親は余裕の笑顔を返している。「これは……1本取られたんじゃないですか?二階堂院長」鳳院長は笑いながら立ち上がり、紅の肩にポンっと手を置いて、居場所をなくした娘を連れ、帰って行った。「……鳳凰総合病院を逃がした!これがどれほどの損失か、神楽先生……わかってますか?」「正直
「……それって、もしかして」「もしかして?」「いや……俺を、誰にも奪われたくないとか、仲を認めてもらいたいとか……」視線を外しながらそう言って、最後に撫でてもらいたいワンコのような目で紅を見つめる神楽。……そういうわけじゃなくて、という紅の言葉に、見えない耳が垂れてしまったのがわかる。「ただ……神楽さんを親の自由にされたくないと思うんです。これまでだって世界を勝手に変えられて、今になってまた、この先の人生を決められるなんて許せないです」口元を引き締めて言う紅の顔は怒っている。それを見て、逆に口元をほころばせ、神楽は彼女の頭を優しく撫でた。2人はまだ、この先に大きな罠が仕掛けてあるとは思わずに、二階堂邸へと向かった。「……ん?来客か?」車を停める前から異変に気付く。広いガレージに車を停めようとして、そこに見覚えのない車が先に停まっていた。先に来ているとしたら誰なのか考えたらしい神楽。……まさか、という思いにたどり着いたのか、何も言わずに紅を見る。考えていることは何となく分かった。けれどもし、その通りだったとして、私が一緒に行くことを伝えなかったのは、逆に良策だと思った。少しトラブるだろうが、一気に解決できるかもしれない。もちろん、すべては神楽次第だけど。「神楽さぁん……お待ちしてましたぁ」玄関のドアが開く音を聞きつけたらしい、いつかの若い女性が飛び出してきて、神楽に抱きついた。凰総合病院の令嬢、鳳加弥乃。……やはりそういうことか。まさかと思ったことが現実になりそうだ。紅はドンピシャで読みが当たり、つい笑ってしまった。その瞬間、加弥乃と目が合ってしまったのはまずかったかもしれない。「……あなた、いつかのおばさんじゃない?!」甲高い加弥乃の声を聞きつけ、神楽の母親が姿を見せた。私を見てもあまり驚かないようだけど……?「神楽さん、お父さまと鳳院長がお待ちよ」後のことは自分で説明しなさい、とでもいう態度……。「わかりました」神楽は腕を絡ませる加弥乃の手をほどき、紅の背中に手を当ててリビングへと向かう。「……待って。その女はいったい誰なの?この前も現れたわよね?!」「皆の前で説明するから」落ち着いて言う神楽に反論できず、加弥乃は声高に何やらまくし立てた。「いったい何ごとだい?……加弥乃の声は甲高くて耳が痛い」「ご
「不法……侵入ですか?」またも神楽がいない時にやって来た母親。初めて顔を合わせてから、1週間ほどたったある日のことだ。「えぇ。うちの顧問弁護士が、あなたがこの家から退去しないなら方法があるって言ってるのよ」「……そうなんですか?」自分は神楽の承諾……というよりお願いされてここにいる。この家は賃貸ではないわけで、もちろん家主は神楽。それでも出ていかないことが罪になるとしたら。「不退去罪、ってことですかね?」「……え?住居侵入罪よ、不法侵入!」「それは承諾を得ずに勝手に入ったときの罪ですね。出て行ってほしいのに出ていかない罪は、不退去罪です」冷静に返す紅に、つい納得したように頷いてしまう母親……すぐにブンブンと首を横に振る。「そんなの知ってるわよ!」「だったらいいんですけど、この状況で私を訴えられると言った顧問弁護士?……よかった今度、連れてきてください」グッと詰まる母親に、今度は要求される前にお茶を出した。そしてランチに食べようと思って作った焼きうどんを、半分ずつプレートに分ける。「……あなたね?!うちの弁護士をバカにするつもり?言っておきますけど、二階堂総合病院の内科には、警察官僚の患者がいるの。それがどういうことかわかるわよね?」「……えっと、高血圧とか糖尿病とか、生活習慣病のかかりつけってことですか?」「……そっちじゃないわよっ!院長がひと言頼めば、私が訴えたあなたのことに、きちんと対応してくれるってこと!」「あぁ、そういうことですか」「弁護士だって、法律の網目を抜けるような、まさかって罪に問えるアイディアを出してくるんだから!」「そうなんですか……二階堂総合病院を敵に回したら怖いですね」紅はうなずきながら、焼きうどんと梅のおむすび、そしてたくあんを乗せたプレートを持ってリビングのテーブルに運んだ。「もしも本当に罪になるということで、警察にしょっぴかれて弁護士さんに呼び出されたら、その時は出ていきますのでご安心ください」どうぞ……と笑顔ですすめる紅を見て、母親は恐ろしい生き物を見るような目で彼女を見つめる。「焼きうどんはやっぱり出汁醤油が美味しいですよね!」「そ、そうね」毒気を抜かれた母親は、1本ずつ焼きうどんを食べ始めた。「あなた、私のこと怖くないの?」うどんとおむすびを食べ終え、プレートを片付ける紅に問い
「でもここは神楽さんのお宅なので、私は出ていきません」とっさにそう言ってしまった自分を、なんというか素直だと思った……「なんですって……?神楽の母である私が、出ていけと言ってるのよ?あなた、それを無視するの?」「私は神楽さんとここで話す約束をしているんです。……突然やって来たのはお母さまの方ですよね?」「……私に出ていけと言いたいの?」怒りすぎて血の気が引いてしまったのか、神楽の母青い顔でじっと紅を睨んだ。そんな母親に対し、紅は空気を和らげようと笑顔を作るが……「まぁ……私がこんなに怒っているのに、バカにしたように笑うのね?」「いえ、バカにしてないし出ていけとも言ってません。神楽さんのお母さまですから、一緒に夕飯くらい食べる気持ちはありますよ……?」やり取りを聞いて、神楽が声を押し殺して笑っている。ピシャリと母親に腕を叩かれ、やっと間に入る気になったらしい。「紅はこういう女性なんだよ。正直っていうかなんていうか。別に怒らせようとしてるわけじゃない。まぁ、俺もカッとしたことあるから母さんの気持ちはわかるけど」唇を震わせ、紅を睨みつける母に、神楽の声は届かないようだ。「いいわ、今日のところは失礼しますっ!」手にしていた紙袋をそこにドスンっと置き、じっと紅を睨みながらドアに向かう。なんと言って見送ったらいいか迷ったので、とりあえず頭を下げるだけにしておく。神楽も何も言うつもりはないようだ。「わかってるだろうけど……」ドアノブに手をかけたところで振り向き、母親は並んで立つ2人を見据える。「神楽は何としても鳳凰総合病院の加弥乃さんと結婚してもらうわよ?」神楽は呆れたように肩を落とし、ため息をついた。「……勘弁してくれ。俺も子供じゃないんだ」「お父さまがおっしゃってましたから!」姿勢を正し、笑顔まで作って言った言葉に、さすがの私たちも顔を見合わせる。「自分の意にそぐわない行動を取り続けるなら、医者を続けられると思うな、と……」笑顔になったのを、紅は見逃さなかった。……母親に対して強い怒りが湧き上がるのを感じる。私たちを黙らせたとでも思ったのだろうか。勝ち誇った笑顔を残し、母親は玄関の向こうに消えた。……何も言わなかったのは、状況がわからないからだ。紅は眉間にシワを寄せた怖い顔で、神楽の腕を引っ張ってリビングへと戻った。「
「答えなさい。……誰だと聞いているんです!」薄いグレーの地に大輪の花が描かれている夏物の着物を着た女性。紅に厳しい目を向け、ピシャリと言った。「私は片桐紅と申します。……失礼ですが?」聞き返すのは当然だろう。少々年配に見えるが、神楽のことだ……過去の女性に年上が含まれていてもおかしくない。「……あなたごときに名乗る気になれないわね」呆れたような表情で顔を少し傾け、値踏みをするように、目線だけで紅を上から下まで眺める女性。さすがの紅もカチンとした。栗色の髪を綺麗に結い上げ、きちんとメイクしているところを見ると……高級クラブのママに見えなくもない。けれど尋ねても名前も言わないのだから、どんな立場の女性なのかわからないし……ここは無視して料理の続きをすることにした。女性はそんな紅を厳しい目で見ながらも、特別咎めることなくソファに腰を下ろした。「……アイスコーヒーでも淹れてくださらない?」延々と無視する紅に、さすがに声を上げた女性。「はい」頼まれれば、淹れてあげないことはない。細長いグラスにアイスコーヒーを注ぎ、ミルクとシロップ、ストローを添えて持っていく。「あなた神楽の、何なの?」テーブルに出す間に、扇子で自らを仰ぎながらのんびり聞かれた。「神楽先生の専属クラークをしております」「クラーク……?」「病棟クラークです。医師の事務作業全般を担当したり、入院患者さんに各種手続きやご案内をするするスタッフのことです」スラスラ説明したのが気に入らないようだ。「私が聞いてるのはそういうことじゃないってわからない?……神楽とどういう関係なんだって聞いてるの!」「わかってましたが、聞かれないのにペラペラ喋るのもどうかと思いまして」「ふん!自宅で料理してて、仕事仲間とか、見え透いた嘘は言わないでよ?」とっさに、この人は院長の姉か何かで、二階堂総合病院の関係者なのかと思った。「正直に申し上げて、今は……」今は、私たちの関係をどう言葉にすればいいのか……迷ってしまった。「プロポーズをしたいと言われています。……いえ、されましたね。確か」「はっ……?!プロポーズしたっていうの?!……神楽があなたに?」「ちゃんと結婚しようと、言われました」よほどショックを受けたのか、姿勢を崩して後ろにのけぞってしまった。紅はとっさに倒れないよう支え
「英語は大丈夫だけど……」『じゃあ歌ってみる?ラバークラブMiAってガールズバーなんだけど』「うん。期間は?」『まずは一晩、2回ステージ。バラードを歌ってほしいみたいよ』亮子はクラブやBARの起ち上げやプロデュースをする仕事をしている。その関係で、こういうバイトの情報が早い。亮子が関わった店なら大丈夫だろう……その日の夕方、紹介された店に行ってみた。「亮子さんに聞いてます!まずは一曲、聞かせてもらえますか?」面接は歌のみ。難なく合格をもらった。手渡された衣装はシルバーグレーのシンプルなドレス。ヘアメイクはプロが入ってやってくれた。呼ばれるまで待機するよう言われ、若い女の子た
先に部屋を出た紅は、冷蔵庫を開け、冷えたミネラルウォーターをグラスに注ぐ。飲みきって息をつく紅の後ろに、部屋から出てきた神楽が近づいた。こういう時は……どんな態度を取ったらいいか。「あの、神楽さんも飲みますか?ミネラルウォーター……」「いや、いらない」肩からふわりと薄いショールがかけられた。「夜は少し冷えるからね」グラスをシンクに置いた紅の唇を、親指でひと撫でしてから手を取った神楽。……キスを拒んだのに、機嫌を損ねなかった?いや、面白くはないはず。寝室で見せた獣のような目を思い出し、紅はそっと笑った。「悪いな、遅くなった」「いいよ!神楽が最後に現れるのはいつものことだ
「契約期間は1年。親への挨拶はしなくていい。新築した家が都内にあるから引っ越してきてくれ。契約結婚にかかわるすべての経費はこちらで持つ」車の中で行われた話はとてもスムーズで、簡潔だった。「仕事関係者や交友関係に君を紹介することはない。ただ、結婚した事実だけが欲しい。婚姻届は出し、同居することで、実態を伴った結婚だったと後になって周りが認めればいい」「……わかりました。私も両親とは距離を置いていますので、挨拶などの心配はいりません。ひとりっ子ですし」「それは助かる。……あの料亭で働けるということは、それなりに信用のおける人物だと理解しているが、一応身分証を見せてくれるか」求められるま
「今夜の料理も美味いな」「本当ですか?嬉し……」「玉ねぎが入ってなきゃね。言わなかったっけ?俺、玉ねぎが苦手だって」ピリっと張りつめる空気……とても仲良し夫婦の夕食風景には見えない。射抜くように向けられた視線から逃れたくて、反射的に下を向いた。ガラスのダイニングテーブルは透明で……夫が足を組み替えたのが見える。「そうでしたね。……ごめんなさい」「いやいいよ。普通の男なら満足する味だ。……普通の男ならね?」頬杖をついて私に向ける視線は……確実に不愉快だと伝えている。「明日は必ず……満足していただけるように頑張ります。私、料理は得意なので、今度こそ」リベンジを誓う私を見つめ返







