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3.紅の目的

Author: 桜立風
last update publish date: 2026-06-08 15:06:32

先に部屋を出た紅は、冷蔵庫を開け、冷えたミネラルウォーターをグラスに注ぐ。

飲みきって息をつく紅の後ろに、部屋から出てきた神楽が近づいた。

こういう時は……どんな態度を取ったらいいか。

「あの、神楽さんも飲みますか?ミネラルウォーター……」

「いや、いらない」

肩からふわりと薄いショールがかけられた。

「夜は少し冷えるからね」

グラスをシンクに置いた紅の唇を、親指でひと撫でしてから手を取った神楽。

……キスを拒んだのに、機嫌を損ねなかった?

いや、面白くはないはず。

寝室で見せた獣のような目を思い出し、紅はそっと笑った。

「悪いな、遅くなった」

「いいよ!神楽が最後に現れるのはいつものことだ」

連れて行かれたのは、カジュアルなイタリアンバルながら、そこはかとなくラグジュアリーな雰囲気を漂わせる飲食店。集まっていたのは、神楽の友人だという3人の男性だ。

……紅の目に、そのうちの1人、三田洋平《みたようへい》の顔が焼き付いた。

「……で?すごい美人なんですけど」

「……妻。結婚したんだ」

「は?また……」

言いかけた1人の口を、隣に座った男がふさぐ。

別にいいのに。

全部知ってるんだから。

それより、三田洋平がこちらを見る視線が気になる……

「はじめまして、三田洋平と言います。神楽とは高校時代からの付き合いで、他の2人は大学の同期なんだ」

「……あ、よろしくお願いします」

「全員医者なんだけど、俺はちっちゃい会社経営してます」

三田洋平の言葉に盛り上がる2人の友人。神楽は笑顔を浮かべ、やり取りする友人たちを眺めた。

それは、紅に向けるものとはまったく違う笑顔。

……わざと名乗らなかったことは、三田には気づかれていないようだ。

紅も神楽を見習い、いかにも心を開いた笑顔を見せた。

テーブルの下で手を握る神楽に、そっと視線を向けながら。

「……連れて行かれたのは仲間内の飲み会か」

「うん。大学の同期って人が2人。……あと、三田洋平がいたわ」

「え、それヤバいじゃん?!」

高校時代の親友、小池亮子《こいけりょうこ》が遊びに来て、3ヶ月前の出来事を話した。

「大丈夫よ。わざと名乗らなかったし、その後神楽の様子に変化はないし」

「さすが紅!鉄の心臓だわね」

それにしても……と、亮子は改めて身を乗り出した。

「顔はもちろん背も高いし、見た目は200点満点よね。……惚れないの?一緒に暮らしてさ」

「神楽に?……アハハ!惚れない」

あと3ヶ月ほどで終了する契約結婚。最近は、外科医として忙しい日々を送る神楽の行動パターンを読めるようになった。結果、鬼の居ぬ間……という時間を予想できるようになって、亮子に遊びに来てもらえるようになったのだ。

「見た目が良くても意地悪よ?嬉々として契約妻をいびって喜んでる」

「好きだからイジメちゃうって、そういうんじゃなくて?」

「そんなの、迷惑でしかない」

亮子は手土産のケーキを箱から直接取ってかぶりつく。……紅も同じく。

理由は、洗い物を出したくないから。

「でも……気を引きたくてイジメてるって、あるかもしれないわよね」

心のなかで、紅は笑顔になる。

神楽は才能と運を持つ男なのだ。

この広い世の中で、私に出会ってしまったのだから。

「ところで、まだ思い出さないの?」

「……全然」

「そんなとこにだけ、頭の良さを発揮しないなんてね?」

思い出さないのは想定内。

私が高校時代の後輩だなんて知るより、自分で見つけた契約妻だと思ってくれた方が気を抜くだろうから好都合だ。

亮子と2つめのケーキを食べようとした時、紅の携帯が着信を知らせた。

「……ヤバい。神楽だ」

彼からの着信音だけは、賑やかなロックミュージックに設定してある。

それ以外はシンプルな着信メロディ。なぜなら、神楽に聞かれても困らないように。

「はい、神楽さん……」

着信を繋げながら目をやると、状況を察知した亮子が、手にしたケーキを食べながら箱を片付けビニール袋に入れていた。

『今日は早く帰れそうだ。どこかで食事でもしようか』

「本当ですか?……楽しみに待ってます」

『おしゃれして待ってて』

着信が切れ、携帯を耳にしたまま亮子を見上げた。

「鬼が帰ってくるみたいね?それじゃ私は帰るとしますか」

「うん、ごめんね。予想より早い帰宅で……」

「いいわよ。それより私を見たら思い出しちゃうかも!さっさと帰らなくちゃ」

亮子はいくつか窓を明け放ち、玄関へ向かう。

……甘いケーキの香りを消すためだとすぐにわかった。自分と同じ発想なのが何となく嬉しい。

「あの神楽相手に契約妻なんて……結局惚れちゃって、身も心もボロボロになったりしないでよ?」

靴を履きながら、紅を振り返る亮子。

「……やだ、私が?」

亮子は私を買いかぶっている。

あの頃と同じ、真面目で素直で純粋な片桐紅はもういないのだ。

「神楽との偽装結婚で私が狙うのは、あいつの本気の愛よ?」

「でしょ?だから心配なの」

「本気の愛に、本気の愛を返すと思う?」

金と権力を持っている男なんて、大嫌いだ。

才能と運、そしてたぐいまれなる美貌まで持っている完全無欠の二階堂神楽みたいな男、信じるはずがない。

私の目的は、本当の愛を知って、無残に打ち砕かれる悲しみと絶望を……彼に教えてやること。

そのためなら、彼が望む貞淑な妻を演じるなんて、苦でもなんでもない。

亮子を見送り、紅はクローゼットの扉を開いた。

……さて今回は、どんな服を着て神楽を翻弄してやろうかしら。

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