LOGIN延浩の声には、抑えきれない焦りが滲んでいた。「愛している......君がいないと、僕は生きていけない!」「愛?」深雪は冷ややかに笑った。その声には、痛烈な嘲りが込められている。「愛なんて、重すぎます」「深雪......」延浩はなおも言葉を重ねようとしたが、深雪はすでに立ち上がり、ドアへ向かっていた。「大介?」振り返ることもなく、冷たく告げた。大介は延浩の前に立ち、静かに手を差し出した。「こちらへどうぞ」延浩は、決然と背を向ける深雪の後ろ姿を見つめ、胸を締めつけられるような痛みと絶望に包まれた。「......深雪......」彼女の名をかすかに呟きながら、重い足取りでオフィスを後にした。窓辺に立つ深雪は、去っていく延浩の背中を見送り、再び涙をこぼした。唇を強く噛みしめ、嗚咽を必死に押し殺した。それでも、胸の奥に広がる痛みだけは、どうしても抑えきれなかった。延浩を見送った大介が戻ってくると、深雪が窓際で静かに涙を流しているのが目に入った。「......大丈夫ですか?」慎重に、心配そうに声をかけた。深雪は振り返らず、淡々と答えた。「大丈夫だわ」涙を拭い、彼女はゆっくりと向き直った。「今、各部門の責任者に連絡して。十分後、緊急会議を開くと伝えて」「承知しました」大介は一礼し、オフィスを出ていった。深雪はデスクに戻り、腰を下ろした。感情を押し殺し、無理やり冷静さを取り戻しながら、仕事に意識を集中させた。十分後、南商事の緊急会議が招集された。深雪は会議室に座り、表情は厳しく、眼差しは鋭い。「本日、皆さんをお集めしたのは、重要な決定を伝えるためです」冷えた声が、室内に響いた。「本日をもって、南商事は下瀬産業とのすべての提携を、全面的に解消します」「えっ?」「どういうことですか?」「下瀬産業は、当社最大のパートナーではありませんか!」会議室は一瞬でざわめいた。各部門の責任者たちが、戸惑いと疑念を隠せず声を上げた。深雪は彼らを見渡し、静かに言った。「理由は単純です。下瀬産業の責任者は、私を欺いたのです」「欺いた?」「何か誤解があるのでは?」「下瀬産業の社長は、これまで当社にとても協力的でしたが......」なおも食
夜も更けた頃になって、深雪はようやくホテルへ戻った。しかし、その夜、彼女は一睡もできなかった。ベッドの上で膝を抱え、虚ろな目で窓の外を見つめていた。頭の中では、延浩と過ごした日々の断片が、何度も何度も再生されていた。どうして、彼は私を騙したの?その答えは、いくら考えても見つからなかった。翌朝。深雪は、赤く腫れた目をしたまま、会社へ向かった。オフィスに足を踏み入れた彼女から、かつての輝きは失われていた。顔色は悪く、全身から疲労が滲み出ている。大介は松原商事を離れて以降、深雪に強い敬意を抱き、彼女の誘いを受けてこのまま残っていた。莫大な報酬を受け取ったこともあり、今では完全に彼女に敬服している。その大介が深雪の様子を見て、思わず息をのんだ。「......どうされたんですか?」声には、隠しきれない心配が滲んでいた。深雪は答えず、ただ淡々と言った。「大丈夫よ」そう言ってデスクに向かい、無言で書類に目を通し始めた。オフィス全体に、重苦しい空気が広がっていた。一方、延浩は深雪を直接訪ねることをためらいながらも、どうしても会いたいという思いを抑えられず、南商事の休憩室で一夜を明かしていた。深雪が出社したと聞いた瞬間、延浩は立ち上がり、休憩室を飛び出した。彼は深雪のオフィスの前に立ち、深く息を吸ってから、ドアをノックした。「どうぞ」中から聞こえた声は、冷たく、距離を感じさせるものだった。延浩は扉を開けた。深雪はデスクに座り、書類から目を離さなかった。人を寄せつけない、冷え切った空気。「深雪......」延浩は彼女の前に立ち、静かに呼びかけた。声には不安と後悔が滲んでいる。深雪は顔を上げ、延浩を見た。その視線には、情も温度もなかった。「何かご用でしょうか?」言葉遣いは丁寧だが、完全に他人行儀だった。その一言が、延浩の胸を鋭く突き刺した。「......まだ怒っているのはわかっている。でも、どうか話を」「話すことは、もうありません」深雪は静かに、しかしはっきりと遮った。「あなたは身分を隠し、私の気持ちを欺きました。それが事実でしょう?」「僕は......」延浩は言葉を探したが、続けられなかった。深雪の目にあるのは、深い失望と痛
延浩は追いかけて外へ飛び出したが、深雪の車が夜の闇の中へ消えていくのを、ただ呆然と見送ることしかできなかった。部屋へ戻った延浩は、力なくソファに腰を落とした。心は乱れ、何一つ考えがまとまらない。彼はスマホを取り出し、何度も何度も深雪に電話をかけたが、呼び出し音が虚しく響くだけで、応答はなかった。メッセージも数え切れないほど送った。だが、返事は一通も返ってこない。今回は、本当に怒らせてしまった。深雪はそう簡単に自分を許すはずがないと延浩ははっきりとわかっていた。脳裏に浮かんだのは、下瀬社長の顔だった。すべてのきっかけは、あの一通のメッセージ。あれがなければ、深雪に正体が知られることはなかった。延浩は強く歯を食いしばり、下瀬社長に電話をかけた。「......よくもやってくれたな!」突然の怒声に、下瀬社長は息をのんだ。何が起きたのかわからず、慌てて問い返した。「......どうかされたんですか?」「どうしたもこうしたもあるか!」延浩は怒鳴りつけた。「君が送ったあのメッセージ、深雪が見たんだ!」その言葉を聞いた瞬間、下瀬社長は血の気が引いた。「そ、そんな......若旦那、私は......わざとでは......深雪さんが目にするなんて、思いもしなくて......」「今さら言い訳しても無駄だぞ!」延浩は荒々しく遮った。「あの一通のせいで、深雪は僕と別れたんだ!」「別れた?」下瀬社長は思わず声を上げた。「そんなに深刻なことに?」「見ればわかるだろう!」延浩は低く唸るように言った。「今すぐ動け。何が何でも、深雪を探し出せ!」「はい! 若旦那、すぐに探します」下瀬社長は慌てて応じた。電話を切っても、延浩の胸のざわめきは収まらない。彼は立ち上がり、部屋を飛び出し、車を走らせた。目的地もなく、ただ街を彷徨っていた。深雪の会社にも、彼女の自宅にも、そして、二人で訪れたことのある場所すべて。それでも、彼女の姿は見つからなかった。胸の奥が、どんどん重く沈んでいった。もう、どこを探せばいいのかもわからない。そのとき、ふと一つの名前が頭をよぎった。寧々。延浩は最後の望みを胸に、車を墓地へと走らせた。墓地は夜の静寂に包まれていた
夜になり、二人は部屋へ戻った。深雪がシャワーを終えて出てくると、延浩は床まで届く大きな窓の前に立ち、電話をしていた。彼女は声をかけず、そっと近づいた。延浩は彼女の気配に気づいていないようで、そのまま低い声で話し続けている。数歩の距離まで近づいたところで、深雪は足を止めた。断片的に聞こえてくる会話はどうやら下瀬産業に関する内容のようだった。深雪の胸が、ずしりと沈んだ。延浩は通話を切り、振り返った。背後に立つ深雪を見た瞬間、彼の顔に驚きが走った。「......いつから、そこに?」その声はわずかなぎこちなさを帯びていた。深雪は答えず、ただ黙って彼を見つめた。その複雑な視線に、延浩は落ち着きを失い、彼女のそばへ歩み寄った。「僕は......」「説明はいらないわ」深雪は静かに、しかしきっぱりと遮った。「さっき、あなたのスマホのメッセージを見たの」延浩の顔色が、一瞬で青ざめた。あのメッセージを見られていた。深雪は噛みしめるように問いかけた。「下瀬社長は、どうしてあなたを『若旦那』と呼ぶの?」空気が凍りついたように、部屋が静まり返った。延浩の笑みはそのまま固まり、優しかった瞳に、かすかな動揺が走った。沈黙は、認めと同じだった。深雪は彼を見つめ、失望と痛みをにじませた。「答えて。どうして、下瀬社長はあなたを若旦那と呼ぶの?」声は震え、知らず知らずのうちに強くなっていた。「説明するから......」延浩が言いかける。「聞きたくない!」深雪の声は鋭く、切り裂くようだった。「欲しいのは言い訳じゃない。私は......真実が知りたいの!」彼女は、欺かれることに耐えられなかった。それが、最も信じていた相手からであれば、なおさらだ。延浩は深雪を見つめ、苦悩と葛藤に満ちた表情を浮かべt。もう、隠し通せないと悟ったのだ。「......申し訳ない」彼はうつむき、低い声で言った。「僕は......下瀬産業の後継者なんだ」その言葉は、雷のように深雪を打った。彼女の身体が大きく揺れ、数歩よろめいて壁にもたれかかった。それでも、ようやく立っている状態だった。「......何、言ってるの......?」信じられないというように、震える声で尋
ふと、目の前にいるこの人が、少しだけ以前よりも遠い存在になったような気がした。昼食のあと、延浩は午後に温泉へ行こうと提案した。深雪は断らなかった。頭を冷やし、考えを整理する時間が、どうしても必要だった。温泉は白い湯気に包まれ、やわらかな熱気が空気に満ちている。深雪は縁にもたれ、目を閉じ、湯の温もりを静かに味わった。隣に腰を下ろした延浩が、そっと彼女の手を握った。「どうした?なんだか元気がないように見えるけど」その声には、変わらぬ優しさと気遣いがあった。深雪は目を開け、延浩を見た。複雑な眼差しで、唇をわずかに動かした。問いかけたいことは山ほどある。でも、どう切り出せばいいのかわからなかった。結局、彼女は沈黙を選んだ。今の穏やかな時間を壊したくなかったし、何より、自分の異変を彼に悟られたくなかった。まだ、確かめる時間が必要だった。「何でもないわ。ちょっと疲れてるだけ」深雪は淡く微笑み、落ち着いた声で言った。「温泉に浸かれば、よくなると思う」延浩は疑う様子もなく、やさしくうなずいた。「それなら、ゆっくり休もう」語りかける声は、相変わらず穏やかで思いやりに満ちている。深雪は再び目を閉じた。一度芽生えた疑念は静かに根を張り、やがて大きく育っていく。光を遮り、進むべき道を見失わせるほどに。自分と延浩の間に、目に見えない亀裂が生じ始めていることを深雪は感じていた。「下瀬産業が最近、城東で進めている新規プロジェクト、かなり規模が大きいみたいね」何気ない口調を装いながら、深雪は彼の顔から目を離さず、わずかな表情の変化も見逃すまいとした。延浩は急須を手にしたまま、一瞬だけ動きを止め、視線を上げる。そして、優しい笑みを浮かべた。「そうなの?僕はあまり詳しくないな。下瀬産業のことは、ほとんど関わっていないから」口調は自然で、表情も穏やか。まるで本当に、何も知らないかのようだった。「そう?」深雪は語尾をわずかに上げ、ほとんど気づかれない程度の探りを入れた。「てっきり、下瀬産業の下瀬社長と親しいのかと思って。この前のパーティーで、ずいぶん話が弾んでいたでしょう?」延浩はお茶を注ぎ、深雪に差し出してから、ゆっくりと口を開いた。「ビジネスの場では、誰と
深雪の鼓動が、突然激しく跳ね上がった。下瀬社長?下瀬産業の、あの下瀬社長?なぜ下瀬社長が延浩にメッセージを?しかも、さきほど延浩が電話をしていた様子からすると、どうやら下瀬産業絡みの話だったようにも見える。不安と、そして言葉にできないほど微かな期待を胸に、深雪はその未読メッセージを開いた。文面は驚くほど短かった。たった一行。だが、その数文字は、雷のように深雪を打ち据え、彼女をその場に凍りつかせた。「若旦那、ご指示どおり、すべて手配しております」若旦那?その三二文字は、稲妻のように深雪の脳裏を貫いた。ぼんやりとしていた疑念が、一瞬で、くっきりとした輪郭を帯びた。若旦那。下瀬社長が、延浩を若旦那と呼んでいる?これまでの記憶が、一気によみがえた。下瀬産業との数々の提携。不自然なほど順調に進んだ案件。松原商事のプロジェクトに、度を越した支援。そして何より、延浩が一度でも、自分と一緒に下瀬産業関連の場に表立って姿を見せなかったこと。散らばっていた無数の断片が、見えない一本の糸に引き寄せられ、つながっていく。そして指し示したのは、深雪が到底信じたくなかった事実。延浩は......自分の本当の身分を隠していた。頭の中が真っ白になり、手にしていたスマホが、指先から滑り落ちそうになった。深雪はゆっくりと顔を上げた。少し離れた場所で、花を眺めている延浩を見た。陽光が彼の横顔を縁取り、整った輪郭を際立たせていた。唇には、いつもと変わらぬ優しい笑み。完璧で、あまりにも、現実感のない姿。自分は彼のことをよく知っていると思っていた。二人の間には、隠し事などないと疑いもしなかった。それなのに、彼はこれほど重要なことを、胸の奥にしまい込んでいた。衝撃、疑念、戸惑い。さまざまな感情が一気に押し寄せ、深雪の心は激しく波立つようになった。それでも彼女は、必死に動揺を押し殺した。何事もなかったかのように振る舞うことにしたために。スマホを元の場所へ戻し、深く息を吸うった。表情を整え、平静を装ったまま、延浩のもとへ歩いていった。「何を見ているの?」深雪は彼の隣に立ち、穏やかな声で聞いた。まるで、先ほどの出来事など、何一つなかったかのように。延浩
「お前があらゆる手段を使って、寧々を産んだんだろ?寧々を健康に産んでやれなかったのも、お前のせいだろ?それなのに、なぜ俺を責める?」静雄は顔を背けたものの、その目には相変わらず冷たい光が宿っていた。そして、深雪に向けたその眼差しには、どこか侮蔑めいた色が差していた。「まさか忘れたわけじゃないよな?あの子を産むために、お前が恥知らずにも、俺をはめたことを!そんなに子どもが好きか?いいだろう、もう一人作ってやるさ」そう言いながら、静雄は一歩前に出て、深雪の顎を掴むと、いきなりキスをしてきた。気持ち悪い!吐き気がするほどに気持ち悪い!深雪は、こんなにも嫌悪感を抱くなん
深雪は冷たく笑った。以前は夫婦だったから気にしなかったが、今はもう別れようとしている。だから深雪は、きちんと清算しなければならない。静雄は驚き、この女がまったく知らない人のように感じた。かつて彼女は従順だったのに、今はまるで別人のようだ。彼女が投げた書類を受け取り、じっくり見て顔色が変わった。「ありえない!お前、金のためなら何でもするか?まさか書類を偽造したとは」立ち上がった静雄は、深雪に近づいて手を伸ばし、彼女の首を掴んだ。静雄の殺気を感じた深雪は嘲笑した。「松原グループの法務部の業務能力、私よりあなたのほうがよく知ってるはずよ。書類が本物か偽物か、聞けばわか
彼は本当に知らなかったのだ。もし早く知っていたら、深雪をここに残して苦しませるようなことはしなかっただろう。深雪はティッシュを取り、涙を拭いながら嗚咽混じりに言った。「知ってる?私の寧々、とてもいい子なの。彼女はまさに神様がくれた贈り物よ。でも、私のせいで、あの子は傷つけられて、不幸になってしまったの。寧々はね、死ぬ間際まで私の手を握って、私のことを心配してたのよ!松原のクソ野郎!寧々が病気だと知ってるのに、わざと放置して病状を悪化させた。早く手を打つこともできたのに、彼は見て見ぬふりをしたよ!そんな奴は寧々の父親どころか、人間失格よ!」深雪は話すうちに、目に激
深雪は体の傷の痛みなど、胸の苦しみに比べれば取るに足らないものだ。延浩がポケットから震えるスマホを取り出すと、「ずっと鳴っていた」と彼女に手渡した。着信表示の名前を見て、深雪は冷たく口元を歪めた。彼女は電話を切り、投げ捨てた。必要な時にいなかった男が、今更何の意味がある?静雄は切られた電話を見て、顔色が恐ろしいほど暗くなった。この女はいつもつけあがるのが分かっていない。その時、秘書の東山大介(ひがしやま だいすけ)が資料を持って入ってきた。彼は静雄を見つめながら少し躊躇ったが、それでも自分の調査結果をテーブルに置いた「社長、全て調査しました。死亡証明書、火葬