【この男、二川家の次女の財産が目当てなんじゃないの?】【違う違う、私に言わせれば、あの男は顔だけのヒモ男って感じよ。いかにも色男風情ってやつ】【ヒモなんてどうせ大したことないよ。どこに行っても女に頼って生きてるようなもんだし】紗雪はネットのコメントを読めば読むほど、怒りで体が震えてしまいそうだった。最後までスクロールしていくうちに、もうコメントを一つ一つ開いて確認する気力さえ失っていた。それを見た京弥は、紗雪の様子に心を痛めながら、そっと彼女を腕の中に引き寄せた。「もういいだろ?ネットの連中のことなんて気にするなって、何度も言ってる。俺は全く気にしてない。だから君も気にする必要はないんだ」「俺たちは、俺たちでちゃんと生きていけばそれでいいんだ」京弥のその一言に、紗雪も「確かに......」と心の中で思った。けれど、それでもネットの評価を無視することができなかった。彼女は京弥の笑顔を見つめながら、最後には唇をかみしめて、何も言わなかった。もしこの立場が自分だったら、自分もきっと気にするだろう。でも京弥は、そんな素振りを微塵も見せない。おそらく、自分に余計な負担をかけないようにしているんだろう。紗雪は、彼にそういう「言い訳」を心の中でつけた。けれど、京弥が何も言わないからといって、彼女がこの件を見て見ぬふりをするわけにはいかなかった。この騒動は、自分のせいで起きたものだ。元を辿れば、最初に辰琉の件があったから、ネットの人間たちも京弥に注目するようになったのだ。そう思うと、紗雪の胸の中にますます罪悪感が募っていった。彼はこんなにも自分に優しくしてくれているのに、以前の自分はなぜ彼を遠ざけてしまったのか。そんなことを思い返すたびに、自責の念が胸を締めつけた。過去の自分が、どうしてもっと早く京弥の「優しさ」に気づけなかったのかと、嫌悪感さえ湧いてくる。もし、もっと早く彼の思いに気づけていたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。そう考えた瞬間、紗雪の京弥を見る目には、自然と深い後悔の色が滲んだ。言葉を交わすときにも、自然と声が柔らかくなっていた。その小さな変化を、京弥もすぐに察した。「さっちゃん、本当に大丈夫だよ。ネットのことは、いちいち気にしてたら向こうの思うツボ
こうして悩んでいるより、早めに休んで、明日に備えておいた方がいい。紗雪がそう考えを巡らせていたところで、京弥はその流れに乗じて彼女を押し倒した。二人はぴったりと寄り添い、話すたびにお互いの吐息が肌をかすめる。唇を交わすたび、紗雪は自分の体温がどんどん上がっていくのをはっきりと感じていた。京弥の呼吸もまた、乱れがちだ。寄り添う二人の間には、甘く熱を帯びた空気がどんどん濃くなっていく。空の月も、恥ずかしさに隠れてしまったほどだった。そしてその夜は、間違いなく甘くて幸せな夢に包まれた。翌朝。二人が目を覚ますと、顔を見合わせて微笑んだ。昨夜の出来事が、まだ互いに鮮明に残っているようだった。珍しく紗雪は少し恥ずかしそうに、パッと布団を跳ねのけて京弥に向かって言った。「ぜんぶ京弥さんのせいよ。もうこんな時間......」京弥は紗雪の手を取り、その甲に優しくキスを落とす。「仕方ないよ。さっちゃんがあまりにもセクシーなんだから」もともと端正すぎる顔立ちの男がこんなことを平然と言うものだから、紗雪はますます耐えられなくなった。彼女はわざと何かを手に取りながら、視線を逸らして言った。「もう、口ばっかり......」スマホを開いて、ネットの最新情報を確認する。最初はなんとなく目を通していただけだったが、画面の内容を見た瞬間、紗雪は固まった。その場で思考が止まり、何を考えればいいのかわからなくなっていた。「どうした?そんな顔して......」京弥が紗雪に近づきながら尋ねる。紗雪はまだ少し呆然としたまま、スマホを差し出して京弥に見せた。「昨日見てたコメント、全部......消えてるの」そして、口調を変えて憤りを込めて言った。「京弥さんに対してひどい罵倒になってる......」だが京弥はまるで気にしていない様子で、長い指でスマホの画面をスライドさせながら、軽く言った。「ただの嫉妬だろ。俺は他人の評価なんて気にしないよ」「でも、私は気になる」紗雪は彼の言葉をさえぎるようにして、真剣な表情で言った。彼女のまなざしと向き合った京弥は、思わず胸がきゅっとなった。男は少し咳払いをして、冗談めかして笑いながら言った。「もしかして俺のこと、心配してくれてる?」今回は紗雪は否
京弥の表情は、最初はどこか気の抜けたようなものだった。だが、スマホの画面に映る内容を目にした瞬間、その表情が一変した。おかしい。匠には、すでにこの件の火消しを命じていたはずだ。それなのに、どうしてまだネット上でこの話題が続いている?むしろ、火に油を注いでさらにヒートアップしているではないか。京弥の黒い瞳が鋭く光る。匠、一体どういう仕事の仕方をしている。その場で拳をぎゅっと握り締めた。やはり、日頃の給料の引き締めが甘かったか。こんなに気が緩むようでは話にならない。隣でスマホを覗いていた紗雪は、だんだんと不審げな眼差しを浮かべ始める。「どういうこと?私があれだけ説明したのに、なんでまだ京弥さんの正体を疑う人がいるの?」京弥はあくまで何気ないふりをし、軽く肩をすくめて答える。「まあ、ネット民なんてそんなもんさ。勝手に妄想するのが得意だから」紗雪はコメント欄をスクロールしながら、徐々に眉間にしわを寄せていく。そして、あるコメントに目を留めたとき、突然動きを止めた。赤い唇がわずかに開き、ぽつりとつぶやく。「......この人、なんだか見覚えがない?」彼女はスクリーンをじっと見つめ、ひとつひとつコメントを読み上げていく。「うん、顔だけじゃない。全体の雰囲気も、どこか見覚えある気がする」「他はともかく、あの男の正体は絶対に普通じゃないと思う」「なにを憶測してるんだか。紗雪の生まれが特別だってことは誰でも知ってるだろ?そんな彼女が、適当な男と付き合うわけがないじゃん」このコメントが表示されると、他のユーザーたちも次々と賛同の意見を書き込んでいた。紗雪もそのコメントに目を向け、次第に目線を京弥へと移す。困惑したように彼を見つめた。「なんでみんな、あなたの身元を疑ってるの?」そして間髪入れずに、少し冗談めかした口調で言った。「まさか本当に、私に何か隠してる?」その言葉に、京弥の瞳がわずかに揺らぐ。とくに、紗雪の真っ直ぐで誠実な眼差しを受けた瞬間、何故か罪悪感に襲われた。だが、彼もわかっていた。このタイミングで中途半端に説明すれば、逆に話がこじれるだけだ。彼女の疑念が膨らみ、関係にもひびが入るかもしれない。だったら、最初から彼女の中でその「疑い」という芽
【見たって言うなら、写真を出してみろよ。ネットに上がってるあの男と同一人物かどうか、はっきりさせようじゃないか】このコメントを見た人たちは、誰もが言葉を失った。そうだ。じゃあ、なんで紗雪は最初に説明しなかった?なんで数日も経ってから?紗雪は一通りの説明を終えると、スマホを置いた。それ以降、ネットの状況がひっくり返ったことは、まだ彼女の目に入っていない。今の彼女にとって最優先なのは、ストップ安状態に陥った二川の株価を立て直すことだった。株価が回復しなければ、美月は彼女を許してくれない。会長の座も、今やいつ足元をすくわれてもおかしくない状態だ。このまま放置すれば、会長の椅子の上には、まるで刃が吊るされているようなものだ。紗雪は心を決めて、仕事に全力を注ぎ込み、ネット上の世論には一切目を向けなくなった。すでに世論はひっくり返っている。あとは、まともな判断力を持つネットユーザーなら、自ずと真実に気づいてくれるはずだ。だが。京弥だけは、常にネットの動向を注視していた。世論の流れが変わったとき、彼の表情もまた変わった。「井上、この騒ぎを煽ってたアカウントたちを調べてくれ」京弥の命に、匠はすぐさまスマホを取り出し、SNSの流れを確認した。「了解です。確かに、意図的に煽ってた連中が何人かいます。必ず突き止めてみせます」「ああ。それと、今のこの話題の熱を鎮めるように」「承知しました」匠は深くうなずくと、その場を離れ、即座に対応に入った。長年京弥の傍に仕えてきた彼にとって、この程度の空気を読むのは朝飯前だった。やるべきは、ただ煽っていた人物の身元を特定するだけではない。関係アカウントをすべて凍結させ、ネット上から消し去ることだ。今は情報社会とはいえ、誰でも好き勝手にデマを流せるわけではない。発言には責任が伴うべきだ。キーボードを握っているからといって、好き勝手に誹謗中傷して、責任を逃れられる時代ではないのだから。20分も経たないうちに、匠が戻ってきた。「社長、調べがつきました」京弥の視線が匠に向けられた。次の言葉を待つ。匠はノートパソコンを彼の前に差し出す。「こちらをご覧ください。このアカウント群、すべて二川緒莉の指示によるものです」「紗雪の姉、二川緒
しかも、もし家族にこのことが知られたら、自分は一体どんな顔をすればいいのか。何しろ、今の自分の婚約者は緒莉なのだから。一方、紗雪は電話を切ったあと、ネットでますます炎上していく世論を見て、もはや手の打ちようがなかった。仕方なく、彼女は自分がすでに結婚していることを公表することにした。京弥の後ろ姿と横顔が少し写った写真に加え、二人の結婚式のカバー写真も添えて、文案を整えた上で、二川グループのタグを付けて投稿した。一通りの準備を終えたとき、ようやく紗雪は一息つくことができた。何しろ、今は世間の注目が自分に集中していて、ほんの些細な動きひとつでさえ、大衆の視線が一気に集まってしまう。どんな小さな変化も見逃されない。だからこそ、彼女も慎重に行動せざるを得なかった。京弥の存在を明かすのも、やむを得ずの判断だった。そうでもしない限り、世間の誰も彼女の言葉を信じないだろうと分かっていたからだ。そして。紗雪がその投稿をしてから、まもなくしてネットはほぼ機能停止状態になった。【二川家の次女には、実は夫がいたらしい!】そんな話題で、コメントやリポストが一気に増えた。これで、辰琉を誘惑していたという噂話は完全に崩れ去ったことになるのでは?同時に、ネットの人々の関心は紗雪の夫の容姿へと移っていった。【え、うそでしょ?みんな見て、この写真の横顔だけでもうこんなにイケメンだよ?】【他のことはともかく、あの高くて整った鼻筋は整形でもなかなか無理でしょ】【二川グループのパーティーに行ったことないの?あそこでは、あの旦那さんの正面の顔が出てたんだよ!もう信じられないくらいの美形だった!】そんなコメントを見て、ようやく人々は「紗雪が嘘をついていなかった」ことに気づいた。本当に結婚していたんだ。そう思うと、ネット上には驚きの声が広がった。あれほど騒がれていた数々のゴシップも、振り返ればまったく根拠のないものでしかなかった。【結局、全部デマだったんだ......】その事実を知った瞬間、多くの人々が騙されたという感覚に襲われた。だって、みんな本気で信じていたのだから。紗雪が間違ったことをしたと、本気で思っていたのだから。そして、一部ではすでに反省の声が上がり始めていた。【やっぱり、ネットの情報
今後また何か問題が起これば、紗雪が再び情けをかけて自分を置いてくれる保証なんて、どこにもない。伊澄は深く息を吸い込んだ。考えれば考えるほど、不快感が増していく。最初に京弥と知り合ったのは自分なのに、どうしてこんな惨めな立場に落ちぶれてしまったのか。すべては紗雪のせいだ。彼女が現れなければ、こんなことにはならなかった。けれど今は、京弥が彼女をかばっている以上、強く出ることもできない。京弥兄があの女にあそこまで優しくしているのを思い出すたび、胸の奥が嫉妬で煮えたぎる。けれど現実では、小さな部屋に閉じ込められたまま、外に出ることも許されていない。京弥と紗雪がいつ出かけるかを待つしかない。そうすれば、ようやく部屋の外に出られる。伊澄は深く息を吸い、心の中で自分に言い聞かせた。耐えるんだ、今は耐えるしかない。恥を忍んででも、ここに残る。兄さんが来てくれれば、状況はきっと変わるから。......翌日。紗雪は、ネット上の世論がますます過熱しているのを見て、焦りを覚えていた。母から与えられた時間はもうあまり残っていない。このままずるずると引き延ばしていては、収拾がつかなくなるかもしれない。それにしても、ここまで炎上するなんて......すべての発端は、あの日、辰琉が突然気が狂ったことだった。もしあの件がなければ、こんなことにはならなかったはずだ。苛立ちを抑えきれず、紗雪は辰琉にメッセージを送った。「もうこれ以上、連絡してこないで。私とも一切関係を持たないで」メッセージを見た辰琉は、目を丸くした。「紗雪、どうしたんだい、突然......?」「どうしたって?」紗雪は冷笑を漏らす。「ネットを見てみれば?よくもまあ、そんなこと言えるわね」訳が分からないまま、辰琉はネットを開いてみた。そして、紗雪が自分を誘惑した、などという投稿を目にした。「......誰がこんなの投稿を」最初は事態を飲み込めず、何が起こっているのか理解できなかった。だが紗雪は冷たく笑って言った。「それを私に聞くわけ?」「これ、あなたが一番知ってるべきことなんじゃない?私に聞いてくるなんて、可笑しいすぎるでしょ」辰琉はさらに混乱した。「俺が?」「しらばっくれてるつもり?」