しかも、もし家族にこのことが知られたら、自分は一体どんな顔をすればいいのか。何しろ、今の自分の婚約者は緒莉なのだから。一方、紗雪は電話を切ったあと、ネットでますます炎上していく世論を見て、もはや手の打ちようがなかった。仕方なく、彼女は自分がすでに結婚していることを公表することにした。京弥の後ろ姿と横顔が少し写った写真に加え、二人の結婚式のカバー写真も添えて、文案を整えた上で、二川グループのタグを付けて投稿した。一通りの準備を終えたとき、ようやく紗雪は一息つくことができた。何しろ、今は世間の注目が自分に集中していて、ほんの些細な動きひとつでさえ、大衆の視線が一気に集まってしまう。どんな小さな変化も見逃されない。だからこそ、彼女も慎重に行動せざるを得なかった。京弥の存在を明かすのも、やむを得ずの判断だった。そうでもしない限り、世間の誰も彼女の言葉を信じないだろうと分かっていたからだ。そして。紗雪がその投稿をしてから、まもなくしてネットはほぼ機能停止状態になった。【二川家の次女には、実は夫がいたらしい!】そんな話題で、コメントやリポストが一気に増えた。これで、辰琉を誘惑していたという噂話は完全に崩れ去ったことになるのでは?同時に、ネットの人々の関心は紗雪の夫の容姿へと移っていった。【え、うそでしょ?みんな見て、この写真の横顔だけでもうこんなにイケメンだよ?】【他のことはともかく、あの高くて整った鼻筋は整形でもなかなか無理でしょ】【二川グループのパーティーに行ったことないの?あそこでは、あの旦那さんの正面の顔が出てたんだよ!もう信じられないくらいの美形だった!】そんなコメントを見て、ようやく人々は「紗雪が嘘をついていなかった」ことに気づいた。本当に結婚していたんだ。そう思うと、ネット上には驚きの声が広がった。あれほど騒がれていた数々のゴシップも、振り返ればまったく根拠のないものでしかなかった。【結局、全部デマだったんだ......】その事実を知った瞬間、多くの人々が騙されたという感覚に襲われた。だって、みんな本気で信じていたのだから。紗雪が間違ったことをしたと、本気で思っていたのだから。そして、一部ではすでに反省の声が上がり始めていた。【やっぱり、ネットの情報
今後また何か問題が起これば、紗雪が再び情けをかけて自分を置いてくれる保証なんて、どこにもない。伊澄は深く息を吸い込んだ。考えれば考えるほど、不快感が増していく。最初に京弥と知り合ったのは自分なのに、どうしてこんな惨めな立場に落ちぶれてしまったのか。すべては紗雪のせいだ。彼女が現れなければ、こんなことにはならなかった。けれど今は、京弥が彼女をかばっている以上、強く出ることもできない。京弥兄があの女にあそこまで優しくしているのを思い出すたび、胸の奥が嫉妬で煮えたぎる。けれど現実では、小さな部屋に閉じ込められたまま、外に出ることも許されていない。京弥と紗雪がいつ出かけるかを待つしかない。そうすれば、ようやく部屋の外に出られる。伊澄は深く息を吸い、心の中で自分に言い聞かせた。耐えるんだ、今は耐えるしかない。恥を忍んででも、ここに残る。兄さんが来てくれれば、状況はきっと変わるから。......翌日。紗雪は、ネット上の世論がますます過熱しているのを見て、焦りを覚えていた。母から与えられた時間はもうあまり残っていない。このままずるずると引き延ばしていては、収拾がつかなくなるかもしれない。それにしても、ここまで炎上するなんて......すべての発端は、あの日、辰琉が突然気が狂ったことだった。もしあの件がなければ、こんなことにはならなかったはずだ。苛立ちを抑えきれず、紗雪は辰琉にメッセージを送った。「もうこれ以上、連絡してこないで。私とも一切関係を持たないで」メッセージを見た辰琉は、目を丸くした。「紗雪、どうしたんだい、突然......?」「どうしたって?」紗雪は冷笑を漏らす。「ネットを見てみれば?よくもまあ、そんなこと言えるわね」訳が分からないまま、辰琉はネットを開いてみた。そして、紗雪が自分を誘惑した、などという投稿を目にした。「......誰がこんなの投稿を」最初は事態を飲み込めず、何が起こっているのか理解できなかった。だが紗雪は冷たく笑って言った。「それを私に聞くわけ?」「これ、あなたが一番知ってるべきことなんじゃない?私に聞いてくるなんて、可笑しいすぎるでしょ」辰琉はさらに混乱した。「俺が?」「しらばっくれてるつもり?」
「本当にそんなことを言ったのか?」伊吹は妹の話を聞いて、ひどく怒りを覚えた。自分と京弥の関係があるにもかかわらず、紗雪は妹をまったく眼中に置いていないというのか。このままでは、自分と京弥のこれまでの関係もすべて水の泡になってしまうかもしれない。その可能性を思うだけで、胸が締め付けられるような苦しさを感じた。彼の考えは、妹と同じだった。紗雪は後から現れた存在に過ぎない。京弥が何年もの友情をないがしろにするはずがない。最終的には、紗雪ではなく自分たちを選ぶはずだ。それに、女なんて服と同じようなもの。兄弟こそが手足。その理屈を、京弥が理解できないはずがない。そう自分に言い聞かせながら、伊吹は妹に問いかけた。「それで、京弥の反応はどうだった?」伊澄は少し考え込んだ。だが、正直なところ兄にどう答えたらいいか分からなかった。というのも、彼女は京弥からも特別な態度を受けたわけではなかったからだ。彼女の言いよどむ様子を見て、伊吹は信じられないという顔をした。苛立ったようにさらに問いただす。「なんで黙るんだ?もしかして......京弥は紗雪の味方をしてるのか?」だが、伊澄は兄の問いに正面から答えることを避けた。ただひとことだけ、こう言った。「時間があるなら、自分の目で見てよ。私が言っても、お兄ちゃんは理解できないから」伊吹は眉をひそめ、妹の様子にどこか引っかかりを感じた。「今忙しい。すぐには帰れない」「じゃあ、いつなら来れるの?」伊澄は、もうこれ以上待つのが嫌になっていた。自分は兄ほど京弥にとって重要な存在ではないのかもしれない。そう思うと、兄に来て直接向き合ってほしかった。もうこれ以上、紗雪の勝ち誇った顔を見るのは我慢ならなかった。妹の言葉を聞きながら、伊吹も自分の都合を考えていた。確かに今、国外の仕事や家庭の事情で身動きが取れない状態だった。年老いた両親もいて、会社もすべて自分に頼っている。妹はというと、あまりに奔放すぎて会社を任せられるような状態ではない。だから、自分が出国するには、万全な準備が必要だった。「分かった。時間ができたら前もって電話するよ。今は......あの紗雪と正面からぶつかるな。おとなしくしてろ」その言葉を聞いて、伊澄
紗雪と知り合ってまだ数年しか経っていない。京弥が選ぶのは、どう考えても兄との関係の方だ。そう考えると、伊澄の気分はどんどん晴れやかになっていった。彼女はそのまま兄に電話をかけた。ずっと京弥の電話に出なかった伊吹だったが、妹からの電話にはすぐに出た。もしこの様子を京弥が見ていたら、間違いなく怒りで気が狂いそうになっていただろう。あれほど連絡がつかなかったのに、妹の電話には即座に応じた。これはもう陰謀としか思えなかった。明らかに、この兄妹が意図的にやっていることだ。だが、今のところ京弥はそのことをまったく知らない。この兄妹が何を企んでいるのかも、彼にはわかっていなかった。もし可能なら、京弥は紗雪と二人きりの平穏な生活を望んでいた。他の誰にも邪魔されずに。一方、伊吹は最初、妹の電話に出るつもりはなかった。だが、彼女が鳴り城に一人でいることを考えると、もし万が一のことがあった場合、自分は言い逃れできない。実家の人間は、妹が勝手に帰国したことすらまだ知らないのだ。そうした様々な要素を考慮した末に、伊吹はやむを得ず、妹の電話に応じた。「どうした?伊澄?何かあったのか?」だが、伊澄は兄の口調にどこか苛立ちがあるのを感じ取ってしまった。今日受けた屈辱を思い出し、気分が沈み、兄に対しての口調も自然と刺々しくなる。「なにそれ?私にもううんざりなの?」伊吹は、わがままな妹に眉をひそめながら言った。「そんなこと言ってないだろ。お前が電話してきたんだ。何か用があるなら早く言え」彼はもう一日中仕事で疲れていた。妹のわがままに付き合う余裕なんてなかった。ここ最近、京弥から何度も電話がかかってきていたが、彼は一切出ていなかった。正直なところ、内心では少し怯えていた。あの男の性格はよく知っている。何もなければ、あんなにしつこく連絡してくるはずがない。妹が何か面倒を起こしたんじゃないか。そう思うと、伊吹はイライラして仕方なかった。もしそうなら、自分が迷惑を被ることになるのは目に見えていた。京弥のあの顔を思い浮かべただけで、正直なところ、彼の心にも恐れが走る。この数年であの男の実力は目に見えて上がっているし、簡単に敵に回せるような相手じゃない。伊澄は兄との関係が良好とは
紗雪はまだ少し不安げだった。京弥が返事をする前に、彼女は勝手に言い出した。「やっぱりいいよ。自分でなんとかする」京弥は何か言おうとしたが、紗雪がまだ完全に自分を信じ切っていないことに気づき、言葉を飲み込んだ。大丈夫だ。時間が経てば、きっと自分のことを理解してもらえる。ゆっくりでいい。今の京弥には、十分な忍耐力があった。何より、以前に比べて紗雪は大きく変わっていた。今は心を開いて、こんな話までしてくれるようになったのだ。もし昔だったら、きっとこの話を彼にすることすらなかったはず。それを思うと、京弥は嬉しくてたまらなかった。自然と口元の笑みがこぼれてしまう。京弥はもう一度口を開いた。「何かあったら、すぐに俺に言ってくれ。君のためなら、いつでもどこでも助けに行くから。俺は、ずっと君の味方だよ」その言葉に、紗雪の胸の奥がじんわりと温かくなった。「うん。必要なときは、遠慮なく頼るから。もう変に気を使ったりしない」あの日の出来事をきっかけに、紗雪は京弥が本当に自分に対して誠実だということを実感していた。そして伊澄のことも、もうすっかり吹っ切れていた。もともと彼女と京弥の間に感情はなかったし、自分がそれを気にする必要なんてなかったのだ。自分が正妻なのに、変に悩んでいたら逆に愛人のような態度じゃないか。今の紗雪は、心の中でしっかりと割り切れていた。広い心を持つことは、自分自身への優しさでもあるのだと。そう思った彼女は、腕に力を込めて京弥をぎゅっと抱きしめた。京弥はそんな紗雪の積極的な態度に、胸が熱くなった。彼もまた、しっかりと彼女を抱き返す。ふたりは寄り添い、心を通わせながら、静かで穏やかな時間に包まれていた。だが、一方で。伊澄のいる部屋では、まったく違う空気が漂っていた。部屋に入るや否や、彼女の表情は一変し、声を押し殺してバスルームで物を荒々しく投げ始めた。今の彼女は、この家で尻尾を巻いて大人しくしていなければならなかった。以前のように傲慢に振る舞うことは許されない。紗雪との間にあれだけの約束を交わした以上、彼女の前に軽々しく顔を出すこともできない。今は大人しくしておくしかない。でなければ、あの紗雪、本気で自分を追い出しかねない。伊澄は唇を噛
「さあ?前世で徳を積んだとか?」ふたりは顔を見合わせて微笑んだ。昨日きちんと話し合ってからというもの、ふたりの間にあった隔たりはぐっと少なくなったと、京弥は感じていた。今の紗雪は、彼に会っても避けるどころか、むしろ自分から近づいてきてくれる。そのことを思い出すだけで、京弥の心は嬉しさでいっぱいになった。彼のさっちゃんを、もう二度と手放すわけにはいかない。「そうだ、さっき俺が玄関にいた時、君たち何を話してたの?」さっき伊澄が言ったことを思い出すと、京弥は今すぐにでも彼女を追い出してしまいたい気持ちになった。ただ、なぜか伊吹とはいまだに連絡がつかないのが不思議だった。こんなに時間が経っても、まるで妹の存在をすっかり忘れているみたいだった。伊吹、まったく、どれだけ能天気なんだか。京弥はため息をついた。彼とは連絡が取れない以上、無理に伊澄を帰らせるわけにもいかない。長年の縁もあるし、無下にはできなかった。紗雪は、さっきの会話を思い出すと、どうしても母親のことで受けた傷も一緒に蘇ってきた。本当はあの話をちゃんと京弥に話そうと、気持ちも整理していたのに、伊澄の登場で空気が一変してしまい、うまく切り出せなくなっていた。少し間を置いてから、彼女は意を決して京弥にすべてを話した。「つまり......三日以内にネット上の噂を否定しなければ、母親に職を奪われるってこと?」紗雪は無言で頷いた。それが答えだった。「うん。もう終わったと思ってたのに。パーティーも済んだし、これで一区切りだと。まさか誰かがまた蒸し返してくるなんて思ってなかった」紗雪は額に手を当ててため息をついた。正直、今はどうすればいいのかわからなかった。そんな彼女を見て、京弥は何か助けになりたいと思った。「大丈夫。パーティーの時みたいに、俺たちが一緒にいることをちゃんと公表すればいいんだ。君が既婚者だって周りに知らしめれば、どんなに騒ぎ立てても、もう君に泥をかけようなんてできないはずだ」紗雪は、その言葉を聞いて考え直した。たしかに一理ある。京弥はさらに言葉を続けた。「他の問題については、俺に任せておいて。必ずなんとかするから」紗雪は驚いたように京弥を見つめた。なぜだかわからないけど、彼が以前とは何か違うように思えた。