LOGINその時になれば、京弥も紗雪と手を組んで、加津也に対抗するはずだ。少し仕向けてやれば、自分が動く必要すらない。京弥ひとりいれば、十分に加津也を抑えられる。伊吹の自信に満ちた様子を見て、初芽の心にも少し喜びが芽生えた。本当に彼は頼りになるのかもしれない。だったら、自分は何を心配しているのだろう。流れに任せるしかない。二人はもう少し一緒に過ごした後、鳴り城の住処に戻った。初芽はスタジオに戻ると、すぐに加津也に電話をかけた。その頃、彼は二川グループの件で忙しくしており、このところ休む暇もほとんどなく、必死に働いていた。電話の着信を見て、加津也の胸は一気に高鳴った。初芽が出張から戻ったのだろうか。急いで応答すると、受話器の向こうから彼女の柔らかな声が届いた。「加津也、帰ってきたよ。一応知らせておくね。もう心配しないで」その声を聞くと、加津也の胸の中の喜びはさらに膨らんでいった。「そうか、いつ戻ったんだ?」初芽は適当に時間を作って答え、それ以上は深く問われなかった。これ以上問い詰めるのは無礼だと、彼も分かっていた。「分かった。仕事が片付いたらそっちに行くよ」今回は初芽も拒まなかった。何度も断れば、不審に思われるのは当然だ。今の彼女には、まだ加津也に紗雪を相手取って動いてもらう必要がある。だから、この駒を手放すわけにはいかない。紗雪が完全に倒れるまでは、安心などできないのだ。あの女がこれまであんなに傲慢でいられたのも、二川グループが後ろ盾にあったから。もし本当に会社が崩れたら、彼女はもう二度と威張れないだろう。その時、初芽は紗雪がすでに目を覚ましていることを知らなかった。だから今は、加津也がこの機会に二川グループをさらに追い詰めてくれると思っていた。そうすれば、仮に紗雪が意識を取り戻しても、もうどうにもならない。何一つ変えられはしない。そう考えると、初芽の顔には自然と笑みが浮かんだ。職場の同僚たちも、今日の上司の機嫌がやけに良いことに気づいた。以前とは大違いで、皆の作業もいつもほど萎縮することなく進んでいく。上司の機嫌が良ければ、自分たちにとっても楽なのだ。しかし、初芽自身はそれに気づかず、オフィスの中で最新のプロジェクト契約書に目を通していた。
彼の大きな背中は、後ろから見るとどこか寂しげに映った。「出張から戻ったらちゃんと俺に言ってくれよ。早く会いたいんだ、初芽に」初芽は電話口で慌てて答えた。「うん、必ず知らせるから」加津也はそれで電話を切り、彼女に自分の体を大事にするよう念を押した。初芽を信じていたから、それ以上は言わなかった。しかも、この前のこともあって、初芽が確かに辛い思いをしていたことも知っていた。心のどこかで自分にも非があると思っていたから、無理に問い詰めたりはしなかったのだ。どうせ初芽が出張から戻ってきたときに聞けばいい。急ぐ必要はないし、先送りにしても問題はない。それに、今の心境は以前とは違っていた。初芽への後ろめたさもあって、本気で疑う気持ちはもう持っていない。多少の違和感はあっても、それは仕事や生活のストレスのせいだと片付けていた。初芽が戻ってからどうするか決めればいい。それが今の自分にできる唯一の判断だった。あとは、彼女の態度を見てから考えよう――加津也は心の中でため息をついた。もしも両親があんなに強硬な態度を取らなければ、自分だって初芽にこんな接し方はしなかっただろう。それでも彼が必死に頑張ってきたのは、父親に初芽を早く認めてもらいたかったからだ。最後には車を走らせて自宅に戻り、加津也は初芽の言葉を信じることにした。一方その頃、初芽は電話を切ると、すぐに伊吹に泣きついた。「心臓が止まるかと思った......もしバレたら、私たちどうなっちゃうの?」伊吹は彼女の腰に手を回し、軽くぽんぽんとあやすように叩いた。「大丈夫。全部俺の想定内だ」彼は余裕たっぷりの顔をしていて、加津也を恐れる気配などまるでなかった。その様子に、初芽も少しは落ち着いたものの、やはり不安は消えなかった。「ねえ......加津也、もう疑い始めてるんじゃ......?」「その可能性はないはずだ」伊吹は首を横に振った。「なにせ俺たち、かなり慎重にやってるだろ」初芽も小さくうなずいた。「それはそうなんだけど......伊吹は加津也って人を分かってない」「というと?」伊吹は不思議そうに初芽を見つめ、目の奥には少しからかう色が浮かんでいた。「普段はあんな言い方をしないのに......今日の加津也は
初芽は首をかしげた。この人、いったい何を聞いているんだろう。支離滅裂で、時間の無駄にしか思えない。だが伊吹は、軽率に動かないよう初芽に目で合図した。彼自身は加津也を恐れてはいなかった。ただ、初芽と彼の間に過去がある以上、今こうして一緒にいるところを拗らせれば、商売にも支障をきたすかもしれない。解決できない問題ではないが、余計な手間は極力避けたい。事を荒立てるのは得策ではない。伊吹はそう考えて、初芽の手を押さえ、余計なことを言わせまいとした。彼の好むのは、従順で扱いやすい女であって、こうして時間を浪費する相手ではない。加津也の声は、先ほどの探るような響きではなく、少し困惑気味だった。「そういえば、どうして家のパスワードが変わったんだ?」初芽の瞳がぱっと見開かれ、横にいる伊吹を振り返った。その瞳の奥には、明らかな動揺と不安。どう答えればいいの?声にならない問いを投げかける。今の彼女にとって、伊吹はまさに藁にもすがる存在。掴めるものなら、絶対に離したくなかった。伊吹は素早く答えを導き出し、ためらわず文字を打って彼女に示した。初芽の心は一瞬で落ち着きを取り戻した。そして、画面に映る文字をそのままなぞるように言った。「うちの?なんで勝手に来た?」一瞬、加津也は絶句した。人のせいにするのか?最初に非があったのは初芽の方だろうに。「この別荘、もともと俺が初芽に贈ったものだろ?俺が来るのは何が悪い?」呆れたように笑う彼の声には、さっきまでの軽い調子は消えていた。伊吹は初芽に、まずは落ち着いて相手を受け流すよう合図した。自分に自信を持っていれば、間違っているのは相手の方。初芽は、少し潤んだ声で言った。「そんなつもりじゃないの。加津也があの家をくれたのは、私に落ち着ける場所を与えたいって思ってのことでしょう?加津也のお父さんやお母さんに疎まれるのは、私だって望んでなかった。私、本当に加津也と一緒にいたいの。そのためにも頑張ってきたのよ」わざと間を置いたその言葉に、加津也は自然と、両親の前で彼女が肩身の狭い思いをしていた日のことを思い出した。確かに、この間ずっと初芽には苦労をかけてきた。だがパスワードを変えるなんて、結局は自分を警戒している証拠じゃな
相手はしばらく待たせてから、ようやく電話に出た。「もしもし?」初芽の声には、はっきりとした疲労の色が混じっていた。その瞬間、加津也はすぐに聞き取った。だが、あえて平静を装いながら尋ねた。「初芽、今どこにいるんだ?」「またスタジオに来たの?」初芽の声音には、明らかに苛立ちが滲んでいて、加津也からの電話が迷惑そうに聞こえた。頭が冴えていた分、今回は加津也もすぐに気づいた。「ダメなのか?」その言い方は笑みを含んでいて、普段と何も変わらない調子。裏の意図など、表面からはまったく分からなかった。一方の初芽は、さっきまでの出来事で気持ちが混乱したまま。横にいた伊吹は、焦り気味の彼女を見て、そっと肩を叩き、落ち着けと合図した。今のままでは、すぐにボロが出て不自然さが露呈してしまう。どんな状況でも冷静でいなければならない。それが伊吹が数々の経験から学んだこと。初芽もその意図を理解し、気持ちを落ち着けた。しかし、加津也は沈黙を保ったまま、彼女の返答を待ち続けた。初芽は一転して、笑みを含ませながら言った。「そういう意味じゃないの。嬉しいよ、加津也が来てくれるの」「じゃあ初芽は、今スタジオに?」加津也は自ら問いかけ、まるで彼女に答えの理由を与えるかのようだった。横で聞いていた伊吹は、違和感を覚えた。鋭い眼に、不穏な光がよぎる。この男、まるで言葉で誘導しているみたいだ。しかも、言葉を畳みかける調子が妙に引っかかる。警告を出そうとした瞬間、初芽はすでに言葉を口にしてしまっていた。「スタジオにいないわ。行ったって無駄」「ふうん。じゃあどこに行ったんだよ」加津也は気のない調子で聞き返す。初芽は眉を寄せた。「どこへ行こうとも、私の自由でしょ?」加津也は柔らかく笑った。「ごめんごめん。初芽に会いたくて、つい」その言葉に、初芽は思わず気恥ずかしくなった。ちらりと伊吹に視線を送ると、彼は大きな反応を見せず、ただ首をかしげるばかり。やはり何かがおかしい、といった顔つきだった。初芽には、加津也の真意がいまひとつ掴めなかった。けれど、伊吹の胸には不安が募っていた。長年、京弥の傍らで鍛えられた彼の直感は、時に驚くほど鋭い。初芽はそんな彼の表情を見て、
紗雪は背中に込められた力を感じて、京弥が失ってまた取り戻した不安から来ているのだと勘違いした。彼女はそっと京弥の手を軽く叩き、安心させるように示した。京弥の心の中には、少し可笑しさがこみ上げた。紗雪が何を思ってそうしているのか、彼にはよく分かっていた。けれど、本当のところは彼にしか分からない。彼の胸の奥に潜んでいる恐れが何なのかを。もし、いつか自分の正体が明るみに出てしまったら――そのとき紗雪にどう説明すればいいのか。......いっそ、近いうちにふさわしい機会を見つけて、正直に打ち明けたほうがいいのかもしれない。京弥は心の底で深くため息をついた。一方で、彼の胸に抱かれている紗雪は、その温もりに包まれて安らかに眠りについていた。だが今この瞬間、安心している者もいれば、不安と恐れに苛まれている者もいた。別の場所では。一日中忙しく動き回った加津也は、初芽を探しに来たが、仕事場には彼女の姿がなかった。胸の奥で小さな違和感が膨らむ。このところ、彼女はやけに自分を避けている気がするのだ。いや、避けているのではなく――むしろ「逃げている」。それを加津也はもうはっきりと感じ取っていた。どこへ探しに行っても、初芽は必ず何かしらの理由をつけて会おうとしない。お腹が痛いとか、食欲がないとか、あるいは生理中だとか。とくに「生理だ」と言われたとき、彼は看病しに行こうと申し出た。だが、彼女はきっぱり拒んだ。そのとき加津也は、彼女の声に妙な息遣いが混じっていることに気づいた。不審に思って尋ねても、初芽は「暖房が強すぎて暑い」とか、「ヨガをして疲れただけ」と言ってごまかした。加津也にはどうしても腑に落ちなかった。そもそも二川グループを相手取るよう仕向けたのは初芽自身だ。ようやく成果が見え始めたというのに、なぜ一緒に喜んでくれないのか。そう考えると、胸の奥が重苦しく沈んでいった。彼は直接、初芽の家へ向かった。玄関に立つと、パスコードを入力して中に入ろうとした。ところが、何度試しても「パスワードが正しくありません」の表示。思わず、その場で動きを止めた。ドアの表示を見つめたまま、足をどう動かせばいいのかも分からず、呆然と立ち尽くす。「......どういうことだ?」思わ
彼がこれ以上言葉を重ねれば、それは紗雪にとって障害になってしまう。「そっか。わかった」京弥は真剣な声で言った。「でも、何かあったら俺に言ってほしい。俺はいつだって紗雪の味方だから」紗雪はその心意を悟り、彼が何を伝えたいのかも理解した。胸の奥が温かくなり、笑みがより柔らかく深まる。「うん、わかってるよ」こんな良き夫がそばにいるだけで、彼女はもう十分に満たされていた。望むものは多くない。ただ、二人が長く寄り添っていければそれでいい。それ以上は本当に何もいらなかった。ただ......未来に何が待っているのかは、誰にも分からない。そう考えた瞬間、紗雪はふと京弥を見つめて口を開いた。「京弥も、これから先、どんなことがあっても私に隠し事はしないで」その言葉に、京弥は思わず動きを止めた。なぜ急にそんなことを言い出すのか、理解できない。まるで何か関係があるような口ぶりだ。「どうして急にそんなことを......?」彼は手に力を込め、必死に表情を取り繕いながら感情を隠した。だが、誰も知らない。実際には彼の心中に大きな動揺が走っていたことを。紗雪がこんなことを言うのは、何かを知っているからに違いない――どうして今、そんなことを......彼自身にも分からなかった。紗雪は目を細め、美しい瞳で京弥の緊張した様子を見つめる。心の奥に、小さな疑念の種が落ちた。「ただ思いついて言っただけよ」そう笑みを浮かべながらも、問いかける。「緊張しているの?」京弥もまた口元に笑みを浮かべ、内心そっと安堵の息を吐いた。「別に。ただ急にそんなこと言われたから少し不思議に思っただけさ。わかってるよ、紗雪。何かあれば必ず君に話すよ」だが彼は自分の正体を口にしなかった。紗雪の期待に満ちた眼差しを受け止めながらも、時期が早すぎると感じたのだ。賭ける勇気もなければ、打ち明けた後に紗雪がどうするのかも分からない。すべてが未知で、彼の心を不安で満たした。だからこそ、その秘密は胸の奥に押し込めたまま。どう話せばいいのか、答えが出せなかった。だが紗雪は、彼の言葉を聞いて嬉しく思った。二人が互いに誠実でいられるなら、それはこれから長く歩んでいける証になる。その約束があれば、心はず







