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第二話

last update Last Updated: 2025-01-30 08:28:04

 一月末。早くも三月にある卒業式に向けて、周囲の同級生達は当日はスーツにするか袴を着るか、どこの美容室を予約したかと浮かれていた。中には卒論の提出が間に合いそうもないと、図書館やコンピュータルームにまだ通い詰めている人もいたが、それはそれで平和な光景とも言える。

 少なくとも周りの皆の行動は、大学を出た後の進路がちゃんと決まっている前提なのだ。卒業旅行だって、就職や進学先が確定しているからこそ行ける。

 就職課の専用ボードを見上げながら、咲月は長く深い溜め息を吐く。学生向けの求人情報は、既に半数以上が来年度の卒業生向けの物に張り替えられて、この四月入社の案件は数えるほどしかない。まだ新卒なはずが、ここではすでに第二新卒扱いだ。就職課の窓口で相談したら、思い切り同情の目を向けられてしまった。

 ――職安とかに行った方が良さそうかな……

 通学用トートバッグの中には本屋で買い込んで来たばかりの求人情報誌が三冊入っている。就職課の窓口で渡された紙の束と合わせて、その重みがずっしりと肩へと食い込んでくる。

 規定の給料日は守られなかったが、一週間遅れでもちゃんと支払われたバイト代に一抹の望みをかけていた。中谷の言っていた「大丈夫」の言葉を素直に信じて、一昨日の夕方には久しぶりに入っていたシフトに合わせてバイトへ行く準備していた。

 と、アドレス登録はしていなかったが、見たことあるような無いような固定電話の番号がスマホの液晶に表示された。不審な表情を浮かべながらも、咲月は通話ボタンに触れる。

「……もしもし?」

「あ、泉川さん? お疲れ様、大槻です」

「ああ、店長。お疲れ様です」

 バイト先であるパテル東町店の店長からだ。どうりで見たことあると思ったら、本社からの直通番号だった。

「確か、今日ってシフト入ってたよね……?」

 「はい」と短く返事する咲月に、電話の向こうの大槻が言いにくそうに言葉を選んで話し始める。店長から電話が掛かって来たこの時点で、嫌な予感しかなかった。

「実はさ、火野川の店で食中毒が出ちゃってね、保健所の指示でしばらくは全店休業しなきゃならなくてさ。工場内の検査とかいろいろあって、製造も完全ストップすることになって」

「えっ、じゃあ、しばらくバイト無しですか? それって、いつまで……?」

「うん、そうだな……いつまでになるんだろうねぇ」

 大槻の後ろではまた別の電話の呼び出し音が聞こえてくる。急な休業に、五店舗ある直営店だけでなく、定期的にケーキ類を卸しているカフェなどからの問い合わせが殺到している状況だろうか。

 詳しい状況が分かったら、また改めて連絡するという大槻の言葉に、ただの学生バイトには「分かりました」と答えるくらいしかできない。

 そして、昨日の昼過ぎ、咲月の元には本社から内定取り消しの通知書が簡易書留で届けられた。それによると、取り消しの理由は業績悪化による企業倒産とのことだ。薄々感付いてはいたが、悪い予想が現実となってしまった。

 個人的に連絡を取り合った他のバイト仲間によれば、パテルが二十億の負債を抱えて破産宣告を受けたと、今日の朝刊の地方欄の片隅に掲載されていたらしい。売上金を銀行へ入れることが出来なかったのは、速攻で差し押さえられてしまうからだったのだ。

 そんな危なっかしい会社に社員で就職しようとしていたことに身震いする。入社して速攻で無職になる可能性だってあったはずで、これは職歴に余計な傷がつく前で良かったと前向きに考えるべきなのか……

 ――就職先と、バイト先を同時に失ってしまったなんて、親には何て説明したらいいんだろ……

 卒業後の進路は勿論だけど、当面の生活費を稼ぐアテまで無くなった。学生生活の残り二か月間は今まで通り仕送りはあるけれど、それ以降は自分で何とかする予定だった。勿論、親に正直に話せば継続して送って貰えるかもしれないが、実家には高二の妹、千鶴がいる。これから大学受験を控えている妹の塾代だってあるし、とっくに成人した姉まで甘え続ける訳にもいかない。

「あははっ。不幸を全部背負ってます、みたいな顔してるから、何があったのかと思ったら」

「……だって、また一から就職活動なんだよ。短期バイトも肉体労働ばっかりだし」

 学生同士ではまず入店できそうもない、いかにも高級なイタリアンレストランで、ピンクベージュの品の良いスーツ姿の叔母、泉川敦子が手を叩いて大袈裟に笑い飛ばしてくる。それには拗ねたように唇を突き出して、向かいの席から咲月が言い訳する。

 一旦帰宅した後、手持ちの中では一番落ち着いてみえるだろうネイビーの小花柄のワンピースへと着替えてきた。これは先月にクリスマスプレゼントとして敦子が買ってくれたものだったから、待ち合わせ場所で咲月が実際に着ている姿を見た瞬間、叔母は「ほら、やっぱり似合うじゃない」ととても嬉しそうにしていた。

 咲月が実家を出て一人暮らしさせて貰えているのは、この叔母の存在のおかげだ。定期的に敦子と連絡を取り合うという条件で、過保護な両親から家を出ることを許して貰えたのだから。すぐ近くに敦子が住んでいなかったら、地元の大学を受けろとの一点張りだったはずだ。

 父よりも八歳年下の妹である敦子は、弁護士として個人事務所を構えている。四十二歳で既婚歴はないが、一回り年下の彼氏がいるだけあって年齢よりも若々しく、華やかな女性だ。堅実を絵に描いたような真面目な兄とは真逆なタイプに見えるが、咲月の父も司法書士だし、頭が良いという点では似ている。残念ながら、咲月にはその辺りの要素は皆無だったけれど。――母曰く、妹の千鶴は父に似て成績は優秀らしい。

「業績悪化が分かってた上で内定を出して来たんだとしたら、タチの悪い会社よね。でも、入社までの期間を考えると、今訴えたところで――」

「ううん、訴えない訴えない」

「まあ、何か困ったことがあったらいつでも言いなさい。意地張って変なところでお金借りたりとかはしないのよ?」

「それは、分かってる……」

 こうやって毎月待ち合わせて、敦子と買い物や食事をしたりするのは嫌じゃない。叔母なんだけど、ちょっと歳の離れた姉のような感覚で、親には言い辛いことも相談できる。何よりも、敦子と一緒だとワンランク上の大人の世界が垣間見れて楽しい。

 魚介たっぷりのクリームパスタをフォークで絡めとって口へ入れ、咲月はその濃厚な旨味に頬を緩める。この店もきっと、予約しないと入れない系だ。そっと横目で見回してみても落ち着いた客ばかりで、咲月が普段行くファミレスとは客層が全く違う。

「あ、そうだわ。今度の金曜、バイトも入ってないなら、気晴らしに遊びに来なさいよ」

「何かあるの?」

「事務所の十五周年パーティーをするの。って言っても、客も少し招待するだけの、小規模なものだけどね。先月に一緒に行った店だから、夕飯を食べるつもりで来たらいいわ」

 十二月に敦子に連れて行って貰ったのは、カジュアルな雰囲気のフレンチレストラン。あの時「仕事関係の下見も兼ねてるのよ」と言っていたのは、そのパーティーのことを指していたのかと納得する。デザートに出て来たタルトがとても美味しくて、思い出すだけでもヨダレが出そうになる。

「ほら、うちの事務所は女の子ばかりでしょ? デザートメニューは多めにって頼んであるのよ」

「行く!」

 姪の扱いには慣れっこだと、咲月の即答には満足げに微笑んで返す敦子。

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