ちょっと!何なの、この写真……。
莉緒がSNSにアップしていた写真は、アングルが完璧だった。
多くの人がひしめくコートの中でも、一目で中心にいる拓哉の姿がはっきりと分かる。
すらりと伸びた手足、鍛え上げられた身体。そして、シュートを決める瞬間の真剣な眼差し。いつ見ても、本当にかっこいい。
私はずっと知っていた。拓哉はかっこいい。でも、これほどの一瞬を、しかも人混みの中でブレずに捉えるのは至難の業だ。
ちゃんと彼の動きを追い、彼の魅力を理解している人でなければ、こんな写真は撮れない。
ぼんやりとその写真を見つめていると、画面の下部に拓哉のコメントが表示された。
【悪くないじゃん。この写真もらうわ。でも、次撮るなら、もっと俺が最高にかっこいいやつにしてくれよな!】
……え?今、シャワー中じゃなかったっけ?拓哉の声が浴室から聞こえていたはずなのに。
私の疑問符が頭をよぎった、そのわずか3秒後。
今度は山下莉緒から、新しい返信が追加された。
【はいはい。感謝しなさいよね?拓哉くんのためなら、いつでもベストショット撮ってあげるから♡】
さらに数秒後──拓哉からの返信が続く。
【へいへい、わかってるって。感謝してるよ。てか、お前が撮ると俺ってば本当にイケメンだな(笑)】
拓哉と山下さんの間に、私には決して立ち入れない、甘くて親密な空気が流れているように感じられた。
まるで二人の世界が、この画面の中に完璧に構築されているようだ。
私はその画面を数秒間、無言で見つめた。
スマホを握りしめる手が、小刻みに震えているのがわかる。
心臓が鉛のように重く、胃の奥から込み上げてくる吐き気に、喉がひりついた。そして、震える指先で、私はそっと画面を閉じた。
SNS上の拓哉は、私の知る彼の顔と、あまりにもかけ離れていた。
***
しばらくして、浴室からシャワーの止まる音が聞こえた。
やがて、拓哉がリビングに姿を現す。
濡れた髪を片手で拭きながら、もう片方の手でスマホをいじり、楽しげに口元を綻ばせている。
明らかに誰かとチャットしているのが見て取れて、私の胸には冷たいものが広がった。
最近、拓哉はスマホを見たり、誰かとやりとりする時間が増えた気がする。
以前は決して持ち込まなかったお風呂にまでスマホを持ち込むようになっただけでなく、夜中まで誰かとやり取りしているらしき音が聞こえてくることもあった。
私は、眉をひそめたくなるのを必死に堪える。
「……っ」
私の前に来ると、拓哉は慌てたようにスマホをポケットに滑り込ませた。
「なあ、寧々。明日のお花見、クラスの皆と一緒に行こうよ。バスケ部のやつらもたくさん行くらしいぞ」
本当は、私たちは日曜日に二人きりでお花見に行く予定だった。
明日の土曜日は私がバイトだから、拓哉がわざわざ日曜日に合わせてくれたはずだ。なのに、それが急に変更になり、しかも大勢で行くことになってしまった。
私の心に、また小さな不信感が芽生える。
「お花見は、他に誰が来るの?」
私が尋ねると、拓哉はなんでもない様子であっけらかんと答える。
「チアの子たちもいるよ。あの子たちが企画したんだって」
チアの子たち……。ということは、あの山下莉緒もお花見に行くのだろうか。
今日の午後にバスケコートで見た、拓哉と山下さんの光景が脳裏に鮮明に蘇った。
山下さんの、拓哉を見つめる熱い視線。彼女たちの周りを巡る、甘い空気。
怒りというよりも、ただひたすらに、彼には私に誠実でいてほしいと願う。
そのわずかな希望を込めて、私は拓哉に尋ねた。
「ねえ。最近、拓哉と山下さんが仲良いって噂を聞いたんだけど?」
拓哉は一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの屈託のない笑顔を張り付けた。まるで、何事もなかったかのように。
「それ、他の人が勝手に言ってるだけだよ。俺が一番好きなのは寧々だけだって!俺たち、大学を卒業したら結婚するんだから、分かるだろ?」
私は黙って、彼の顔を見つめた。その言葉を信じたい気持ちと、今日のあの光景が脳裏で激しくせめぎ合う。
拓哉を信じたい。でも、信じられない。その狭間で、私の心は深く沈んでいく。
拓哉はそんな私の様子には気づかないのか、さらに続ける。
「みんな寧々が俺の彼女だって知ってるし。まったく、誰がそんな変な噂流したんだよ!」
私は、逸らしたかった目を拓哉の目に戻し、精一杯平静を装って言った。
「明日、バイトなんだ。友達に頼まれて、単発のバイトが入っちゃって、断れなくて」
拓哉は少し不満そうな顔をしたものの、すぐに笑顔を作った。
「そっか。残念。じゃあ、明後日にまた一緒に行こう」
私は彼の言葉に、曖昧に微笑むことしかできなかった。
「……明後日のことは、またそのときに考えるね」
***
土曜日。
私が単発バイトの合間に休憩していると、また山下莉緒の新しいSNS投稿を見てしまった。
【今日は大好きな彼とお花見♡ 最高でした!】
添えられていたのは、満開の桜の下で、拓哉と山下さんが顔を寄せ合ってピースをしている写真。拓哉の腕は、確かに彼女の肩に回されていた。
こんなふうに堂々と言うなんて……もう、隠すつもりもないの?
予感はしていた。だからこそ、想像していたほど、怒りは湧かなかった。むしろ、どこか納得している自分がいた。
それなのに、どうして私はこんなにも彼女の投稿を気にしているんだろう。
土曜日の夜。私は、疲れた身体を引きずるようにして帰宅した。アパートの明かりが見える角を曲がる前に、私は大きく深呼吸をして乱れた気持ちを整える。今日はちゃんと、拓哉と話をしよう。そう、朝からずっと決めていたのだ。もう、これ以上曖昧な関係を続けるのは無理だったから。……しかし、その直前、家の前から聞こえた声に、私の足は縫い付けられたように止まった。「早く帰れよ、莉緒。寧々に見られたらまたややこしくなる」それは、拓哉の声だった。その声には、苛立ちと焦りのようなものが滲んでいる。その後すぐに、震えるような山下莉緒の声が続いた。「ごめんね、拓哉くん……あの投稿はすぐに消すから、怒らないで?無視もしないで……お願い」「分かったから。ただし、次はもうないからな」拓哉のどこか諦めたような、突き放すような口調。なぜか、私の胸に詰まっていたものが、少しだけ和らいだような気がした……けれど──。「ねえ、拓哉くん。もう、私にはチャンスはないの?」山下さんの懇願にも似たその言葉に、さっき少しだけ落ち着いた心が、また音を立てて激しく揺らいだ。全身に、冷たいものが駆け巡る。それからしばらく沈黙が続く。どれほどの時間が経ったのだろう。張り詰めた空気の中、やがて拓哉が口を開いた。「悪いけど、俺は寧々と婚約してるんだ……」その言葉を遮るように、莉緒がすぐさま言葉を紡ぐ。「そんな婚約なんて、破棄しちゃえばいいじゃない。……さっきキスしたとき、あなただって気持ちよさそうにしてたでしょ?」……キス?えっ、拓哉がキス!?言葉の意味を理解する間もなく、次に拓哉の怒った声が飛び込んできた。「ねえ、拓哉くん」「ちょっ!おい、莉緒、離せって……んっ!」山下さんが拓哉の腕を、半ば強引に引っ張った……と思ったら。そのあとに聞こえてきたのは、聞くに耐えない、けれど誰でもすぐにわかるような音だった。何が起きているのか、聞くだけでもう分かってしまう。私の脳裏に、嫌悪と絶望が同時に押し寄せた。足元がぐらつき、立っているのがやっとだった。ここで引き返すべきか、それとも勇気を振り絞って、この裏切りを問いただすべきか。どちらの選択も、私にはあまりにも重すぎた。足は、地面に張り付いたように動かない。……どれだけ時間が経ったんだろう。山下さんの甘い吐息が聞こえたとき、ようやく私の
ちょっと!何なの、この写真……。莉緒がSNSにアップしていた写真は、アングルが完璧だった。多くの人がひしめくコートの中でも、一目で中心にいる拓哉の姿がはっきりと分かる。すらりと伸びた手足、鍛え上げられた身体。そして、シュートを決める瞬間の真剣な眼差し。いつ見ても、本当にかっこいい。私はずっと知っていた。拓哉はかっこいい。でも、これほどの一瞬を、しかも人混みの中でブレずに捉えるのは至難の業だ。ちゃんと彼の動きを追い、彼の魅力を理解している人でなければ、こんな写真は撮れない。ぼんやりとその写真を見つめていると、画面の下部に拓哉のコメントが表示された。【悪くないじゃん。この写真もらうわ。でも、次撮るなら、もっと俺が最高にかっこいいやつにしてくれよな!】……え?今、シャワー中じゃなかったっけ?拓哉の声が浴室から聞こえていたはずなのに。私の疑問符が頭をよぎった、そのわずか3秒後。今度は山下莉緒から、新しい返信が追加された。【はいはい。感謝しなさいよね?拓哉くんのためなら、いつでもベストショット撮ってあげるから♡】さらに数秒後──拓哉からの返信が続く。【へいへい、わかってるって。感謝してるよ。てか、お前が撮ると俺ってば本当にイケメンだな(笑)】拓哉と山下さんの間に、私には決して立ち入れない、甘くて親密な空気が流れているように感じられた。まるで二人の世界が、この画面の中に完璧に構築されているようだ。私はその画面を数秒間、無言で見つめた。スマホを握りしめる手が、小刻みに震えているのがわかる。心臓が鉛のように重く、胃の奥から込み上げてくる吐き気に、喉がひりついた。そして、震える指先で、私はそっと画面を閉じた。SNS上の拓哉は、私の知る彼の顔と、あまりにもかけ離れていた。***しばらくして、浴室からシャワーの止まる音が聞こえた。やがて、拓哉がリビングに姿を現す。濡れた髪を片手で拭きながら、もう片方の手でスマホをいじり、楽しげに口元を綻ばせている。明らかに誰かとチャットしているのが見て取れて、私の胸には冷たいものが広がった。最近、拓哉はスマホを見たり、誰かとやりとりする時間が増えた気がする。以前は決して持ち込まなかったお風呂にまでスマホを持ち込むようになっただけでなく、夜中まで誰かとやり取りしているらしき音が聞こえてくることもあった。
カフェに向かう道すがら、頭の中はひどく混乱していた。あれこれ考えているようで、実は何も思考できていない。ただ漠然とした不安だけが、私の心を支配していた。気を紛らわせるようにスマホを取り出すと、ニュースの通知が目に飛び込んできた。【今注目のイケメンモデル・神崎律が本日、海外での活動を終え羽田空港に凱旋。長時間のフライトにも関わらず、駆けつけたファンへ神対応で魅了した。】画面に表示された律の写真は、ガッチリと帽子とマスクで顔を隠していたが、それでも彼の独特のオーラは隠しきれていない。瞬く間にファンに囲まれている様子が写し出されていた。現代社会にプライバシーなんてないんだな……と、ぼんやりため息が出た。律か……懐かしいな。そんなことを考えていると、少しだけ胸のざわつきが収まるのを感じた。カフェに着き、いつものようにレモンティーを注文する。氷が溶けていくカラン、という音が妙に耳につく。グラスの中でレモンがゆっくりと沈んでいくのを眺めながら、私はぼんやりと今日の出来事を反芻していた。思考が中断されたのは、入口のドアに取り付けられたベルがカラン、と鳴ったときだった。──拓哉だ。運動後の熱気を帯びた彼の体から放たれる、いつもの陽気な雰囲気が、今日はなぜかひどく冷たく感じられた。以前なら、こうやって練習後の意気揚々とした拓哉に会うと、それだけで顔が赤くなり、心臓がドキドキしたものだ。けれど今は、胸の奥が冷え切っているような感覚しかなかった。拓哉は私の向かいの席に座ると、目の前のレモン水をゴクゴクと一気に半分飲み干す。グラスをテーブルに置き、満足そうに息を吐き出した。「やっぱり運動後の冷たいレモン水って、疲れた体にしみるよな。ほんと最高だよ」私が何も返せないでいると、拓哉はわずかに首を傾げて続けた。「今度はさ、レモン水にちょっと炭酸入れてみるのもいいかもよ?寧々も試してみなよ」炭酸……か。彼の言葉に、私の脳裏に過去の記憶が蘇る。私は曖昧に頷き、「うん、わかった」とだけ答えた。──でも、拓哉は昔言っていたはずだ。『運動後は炭酸なんていらない、シンプルな冷たいレモン水が一番だ』って。いつもこのカフェに来ると、私たちは軽く挨拶してから、二人揃って一気にレモン水を飲み干していた。なのに、ここ最近――先月くらいからだろ
彼氏がおかしいと初めて感じたのは、彼を迎えにバスケコートへ行ったときだった。金曜の午後。私、一条寧々はゼミがあった。そして、私の婚約者――佐伯拓哉はバスケ部の定期練習がある日だ。私と拓哉は高校時代からの同級生で、その頃からずっと付き合っている。同じ大学に進学するのと同時に彼と始めた同棲は、この春でもう丸2年になる。拓哉の練習が終わったら校門前のカフェで待ち合わせをして、一緒に帰るのがいつものルーティンだった。『大学を卒業したら、結婚しよう』拓哉とそう約束した私は、毎週金曜日のこの流れを欠かしたことは一度もなかった。この幸せが、これからもずっと続くと思っていたのに……。***今日はゼミが30分早く終わったので、私はそのままバスケコートへ向かった。肌寒さの残る春風が、私の頬をそっと撫でていく。夕暮れに染まり始めた空の下、バスケコートの周りには練習を見守る学生たちが大勢集まり、活気に満ちていた。私は人波の一番外側に立ち、時折、人混みの間から拓哉の姿を探した。「拓哉、どこだろう……」探し求めた彼の姿を見つけた途端、胸の奥がきゅっと締めつけられるような甘い痛みを感じた。彼のしなやかな動き、真剣な眼差し。やっぱり、拓哉はどこから見てもかっこいい。しばらく彼を見つめていると、私のすぐ前にいた二人の女子が、甲高い声で話し始めた。「拓哉くん、今日もかっこいいねー!」左の背の低い子が夢見心地な声で言うと、右の茶髪の子が興奮気味に頷いた。「うんうん!さっきのスリーポイント、ジャンプしたとき胸筋見えたのやばかった!」彼女たちは確か、いつも拓哉を追いかけている熱烈なファンだったはずだ。すると、左の子が斜め前を指さし、さらに声を弾ませた。「莉緒ちゃん、今日もめっちゃ可愛い~」右の茶髪の子もすぐさま同意する。「ほんとほんと。拓哉くんと並んでるとマジでお似合い!バスケ部のキャプテンとチア部のリーダーとか、漫画みたいだよね!」彼女たちの視線の先にいたのは、山下莉緒。山下さんは透き通るような白い肌に、肩まで伸ばした黒髪がよく似合う、清楚な雰囲気の女の子だ。私や拓哉と同じ学年で、時々キャンパスでも見かける顔だった。チア部の衣装に身を包んだ彼女は他の部員たちと一緒に、コートの端