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1-11.補陀落渡海(3/3)

last update Huling Na-update: 2025-07-16 18:00:07

「おー懐かしい、四宮浩太郎の「辻沢ノート」。これは辻沢調査の基本文献だよ。あたしも学生のころ熟読したもんだ。それじゃあ、この赤字は」

 さらに黒縁めがねを引き上げて、

「たしかに、鞠野フスキの字だよ」

「マリノフスキ?」

「文化人類学者で偉大なエスノグラファーのブロニスワフ・マリノフスキーからとった鞠野先生のあだ名でね。みんな鞠野フスキって呼んでたんだよね」

 その口ぶりは先生というより同級生の男子のことを話しているようだった。鞠野教頭先生は生徒に慕われる教師だったらしい。

「じゃあ、これって何のことか分かる?」

 ミユキ母さんはホロのページを行ったり来たりしながら、

「そうだね、これなんかあのことなんじゃないかと思うよ」

 と言ったのは、

「鬼子は船であの世に渡る」

 という書き込みだった。

「あのこととは?」

「補陀落渡海(ふだらくとかい)のこと」

 補陀落渡海というのは中世ころの風習で、死を決した行者が少しばかりの水と食料を用意して小舟で海に乗り出し海の向こうにある浄土、補陀落に向かうことをいう。小舟は縄でつなげて沖まで曳航され、縄を切られた後は櫂も帆も付いていないため波に任せるまま漂流する。その時、行者は小舟に設えられた小館に入りその出入り口は木の板で蓋をして釘で打ち付けて出れなくされている。命が惜しくなって泳いで戻って来れないようにだ。

「それってまるで」

「即身成仏だよね。それでも行者の多くは喜んで小舟に乗り込んだそうだよ」

 行き着くか分からない目的地に向かい、波に翻弄され幾日も幾日も空腹に耐えて、暗闇の中で行者さんはどんなことを考えていただろうか。その孤絶を思うと胸が締め付けられる思いがした。

「ここで言ってる鬼子って行者さんのことなのかな」

 修験道姿の鬼をイメージして聞くと、

「この書き込みだけじゃ、わからないけど」

 とミユキ母さんが言い終わらないうちに邪魔が入った。

〈♪ゴリゴリーン お客様です〉

「来た
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