エンピマン。ライフハックの防衛術の授業で何回も耳にした名前。女子高生ばかりを狙うシリアルキラー。殺し、解体、穴埋め、全てをエンピ一本でやってのけるからその名が付けられたという。てか、シャベルで解体ってどういうこと?
「清州女学館の子って」 「多分、バラバラ」 背筋が寒くなった。 女性4人は途中のバス停で全員下りて、代わりにサラリーマン風の男の人が何人か乗ってきて車内の雰囲気が一変した。バスが出発してしばらく、近くに座ったおじさんが冬凪とあたしの事をジロジロ見てるのに気がついた。 「何、あのおじさん。エンピマンじゃないよね」(小声) と冬凪に言うと、 「違うと思うよ。あたしたち夏服着てるし、こっちでは今授業の時間だし」(小声) そうだった。てっきり夏休みの気分だった。異分子はあたしたちの方だった。 〈♪ゴリゴリーン 次は大曲大橋です。雄蛇ヶ池に降りてもスケキヨにならないよう、お気を付け下さい〉 またスケキヨ。このアナウンスって鞠野フスキの発案なの? バス停から橋のたもとまで歩いてバイパスを渡った。欄干が切れたところから池端に下りることができる坂道になっていた。 冬凪の後についてあたしもその砂利道に足を踏み入れる。池が近いというのにここは乾燥しているのか道ばたの雑草が白い埃を被っていた。敷かれた砂利の粒が大きいせいで足を取られて足首を挫きそうになる。でも、ここからの雄蛇ヶ池の眺めは素晴らしかった。エメラルドグリーンの水面にゆったりとした時間が流れていた。周囲を深い広葉樹林に囲まれていて風もなく静かそう。ただ、何かを探そうとすれば結構な広さがあって苦労しそう。 突然、前にここに来たことがあると思った。あたしはここに一度来たことがある。そんな気がしてきたのだった。デジャヴュだ。これまでも何度か経験はあるけれど、それは大概、夢で見たことを思い出したんだろうで済む程度だった。今回のは強烈だった。体が震えだした。右の薬指に激痛が走った。あたしは震える薬指を目に近づけてみた。 赤い糸が、それまで見えなかった赤い糸が薬指の根元にがっちりと結びつけてあって、そこから虚空に伸びて消えていた。いや蓑笠男たちを撃退した後、鞠野フスキのバモスくんでホテルに向った。「あの蓑笠の連中、何者だったの?」 冬凪は吹きさらしの風に負けないように大声で、「わからない。あたしもあんなの初めて見た」 そして、さらに大声になって、「鞠野先生は知ってますか?」 と尋ねたけれど、後部座席からでは鞠野フスキの答えはよく聞きとれなかった。「何て?」「知らないって」 しばらくして鞠野フスキが何か叫んだ。「何て?」「辻女に寄ろうって」 理由は何言ってるのか分からなかった。多分グシャグシャの髪型にボロボロの制服姿のあたしたちの格好が目立ちすぎだからだろう。そういえば街中に入ってから道行く人の視線が気になりだしていた。辻女の玄関に横づけにしたバモスくんを降りて校内へ入ると、鞠野フスキは校長室前の女子教員用更衣室で待っているように言った。言われた通りに待っていると、ノックの音がして扉の向こうから女性の声で、「入りますよ」 と言ってきた。「どうぞ」 冬凪が返すと、扉を開けて入った来たのは、上は青いタンクトップで下はホットパンツ姿のいかにもバスケ関係者という恰好をした中年の女性だった。その女性はあたしたちの格好を見て一瞬だけ驚いた表情を見せたけれど、すぐに興味津々といった表情に変わって、「鞠野教頭から頼まれてこれを持ってきました」 と辻女の夏服を渡してくれた。「「ありがとうございます」」 それを受け取るとき女性の顔をよく見ると、やっぱりそうだ。少し若いけど川田校長だった。「川田校長先生!」「はい? 私はここの教員でバスケ部顧問をしています川田です。でも校長ではありません」 そうか20年前は校長になってないのか。「教頭先生に聞きましたが、あなたたちは潜入捜査員だそうで」 としげしげと冬凪とあたしの顔を見比べて、「スケ番デカみたいな子が本当にいるなんて。お若いのに大変ね」 と言った後、「じゃあ、頑張ってくださいね。あ、制服は次来たときに返してくれればいいか
あたしが弱音を吐くと、「ダメって思わないの」 と冬凪がいつになく強い口調で言って、「もうちょっと我慢すれば助けが来るから」 そろそろ鞠野フスキが迎えに来ていいころだった。鞠野フスキって強いんだろうか? きっと強くないよな。バモスくんに轢いてもらえばなんとかなるかも。あー、この簔笠連中ってば、車と衝突しなかったんだった。ダメかー。そのうち首の一つがあたしの喉に巻き付いて来て絞め上げるものだから目の前が暗くなってきてしまった。あたし、このままあの世へ行くのかな。 その時だった。目の前で何かが煌めいたと同時に、あたしの体に食らいついていた生首のいくつかがボトボトと地面に落ちた。そしてその煌めきの残像のように薄汚れた別世界に亀裂が入って向こうの生き生きとした景色が目に飛び込んできた。そして次の一閃。今度は冬凪の体に纏わり付いた生首が落ちた。落ちた首が黒い煙となって消え、別世界が徐々に晴れ渡っていく。簔の中の生首の多くを失った簔笠たちは腹を空に四つん這いになって生首を潜望鏡のようにして逃げだした。そのまま直進してバイパスの向こうの欄干を越え雄蛇ヶ池に向かって次々にダイブしたのだった。 残されたのは髪はぐしゃぐしゃ制服は生首の涎と噛み跡でデロデロのボロボロな冬凪とあたし、それに二メートルは絶対に越える大男と小柄だけど筋肉でスポーツシャツがはち切れそうな武者髭の男だった。二人の手には銀色に光る細身の刃が握られている。「おそいよ。ユンボくんたち」 冬凪が文句を言うと、「うう」 大男のユンボくんが申し訳なさそうに唸った。そして冬凪に近づくと手を取って立たせた。それを見ていた武者髭の小ユンボくんがあたしに手を差し出して立たせてくれた。わけがわからないまま、「ありがとう」 お礼をする。どういうこと? 冬凪に説明を求めると、「二人にはずっとSP頼んでて」 と言ったのだった。ユンボくんたちも千福まゆまゆさんの導きでこっちに来ているのだというから頼もしすぎる。 そこにプップッピーピーという場違いな音が響いた。コアラ顔のバモスくんがこちらに向かって近づいてきていた。それからスローモーションの動画を見ているような
「雄蛇ヶ池で体調が悪くなって、ホテルに戻ることにした」「分かった。敵に襲撃されたんじゃなきゃ、それでいいよ」 敵の襲撃? そんなのがいるなら最初から言ってくれればいいのに。あたしが言葉を返さなかったことで察したらしく、「人柱を埋めた輩が反抗してくるはずだから」「それってどんな」「人の形してるけど見ればすぐヤバさが分かる」 明日の予定を伝えて電話を切り冬凪にスマフォを返す。「中止でいいみたい」「エリさん何か言ってなかった?」「うん。敵に気をつけろって」「敵ね。それって、ああいうヤツのことかな」 冬凪が指さしたバイパスの向こう側の歩道に、ボサボサの簔(みの)を着て破れた編み笠(あみがさ)を被った小柄な人が3人立っていた。それぞれが編み笠の破れの間から黄色く濁った目でこっちをじっと見つめている。どんよりと重苦しい空気が漂っているのはその人たちの周りだけかと思ったけれどそうではなかった。あたしたちの周囲のもの全てが無表情で味気なく、聞こえる音もずっと遠のいて感じた。まるで別世界にずれてしまったようなこの感覚は、鈴風と乗った辻バスで一度体験したものだった。あの時はあたしだけ成工女のギャルたちが見えていたけれども。「冬凪にもあれが見えるんだね」「うん」 あの時よりずっと心強かった。 その人たちはバイパスを通る車のことなどいっさい無視して道を真っ直ぐに渡ってこちらに近づいてきた。車のほうもスピードを緩めないけれど、別世界の存在だからなのかまったく衝突しないのだった。そして中の一人が中央分離帯を越えたあたりで、あたしはこいつらが相当ヤバいことに気がついた。簔の藁の間からいくつもの生首が覗いていて、その一つ一つが「ともがらがわざをまもらん」 と同じ事を呟いていたからだった。「冬凪。逃げたほうがよくない?」「逃げるっても後ろないから」 そう言えばこのバス停は大曲大橋の真ん中、つまり雄蛇ヶ池の真上にあるのだった。水面までおそらく十数メートル。落ちて生きていられるかわからない。「どうしよう?」「闘うしかなさそうだよ」
「今日の探索はやめにしてホテル帰って休もう」 冬凪があたしの頬の涙をハンドタオルでふきながら心配そうに言った。あたしは、突然放心状態になった場所から少し離れた木陰にしゃがんで心の整理を始めたばかりで何が起こったかすら気が回っていなかった。「大丈夫。ちょっと目眩がしただけだから」「全然ちょっとじゃなさげだったけども」「人柱、早く探し当てないと大変なことになりそうだから」 と言うと、冬凪は少しだけあたしの意見に耳を傾ける風に見えた。それでも冬凪は一度口にしたことは絶対に曲げない子だから、このままホテルに帰る事になるのは目に見えていた。「夏波は昨日こっちに来たばかりで、まだ体が慣れてなかったのかも。ごめんね。気をつけてあげなくて。あたしだって初めて来た時、ふわふわ感がなかなか抜けなかったもの。ま、明日もあるし、今日はゆっくり休も」 あれはふわふわ感とは違ったけれど、体がおかしくなる点で冬凪も同じだったよう。 さてと、帰ろうと立ち上がったらその場でなよって膝から崩れてしまった。「立てん」「あーね」 冬凪にすがってようやく立ち上がれたものの、これでは数歩進むのでさえ何分もかかりそうだった。「背負って帰れない事はないけど」 と冬凪は独りごとを言ったあと、ちょと考えて、「鞠野フスキにバモスくんで迎えに来てもらおう」 バッキバキのスマフォを取り出して電話を掛けた。「20分で来ていただけるんですね。大曲大橋のバス停にですか? 分かりました。よろしくお願いします」 冬凪は耳からスマフォを離すとぶすっとした表情で、「ここまで入ってきてくれればいいのに。鞠野フスキってば、あの砂利道はげんが悪いからバイパスまで出てきてってさ。なんなのかね。あの人時々ヘタレなこと言うんだよね」 冬凪に肩を貸してもらってもと来た砂利道をバス停に向かったけれど着くまでにさっきの倍以上かかった。バス停に着くと冬凪はあたしをベンチに座らせてくれて隣に座った。人心地ついてバイパス道を見ると、この時間帯は空いているせいかどの車もスピードを出して行き来していた。 冬凪がスマフォを取
エンピマン。ライフハックの防衛術の授業で何回も耳にした名前。女子高生ばかりを狙うシリアルキラー。殺し、解体、穴埋め、全てをエンピ一本でやってのけるからその名が付けられたという。てか、シャベルで解体ってどういうこと? 「清州女学館の子って」 「多分、バラバラ」 背筋が寒くなった。 女性4人は途中のバス停で全員下りて、代わりにサラリーマン風の男の人が何人か乗ってきて車内の雰囲気が一変した。バスが出発してしばらく、近くに座ったおじさんが冬凪とあたしの事をジロジロ見てるのに気がついた。 「何、あのおじさん。エンピマンじゃないよね」(小声) と冬凪に言うと、 「違うと思うよ。あたしたち夏服着てるし、こっちでは今授業の時間だし」(小声) そうだった。てっきり夏休みの気分だった。異分子はあたしたちの方だった。 〈♪ゴリゴリーン 次は大曲大橋です。雄蛇ヶ池に降りてもスケキヨにならないよう、お気を付け下さい〉 またスケキヨ。このアナウンスって鞠野フスキの発案なの? バス停から橋のたもとまで歩いてバイパスを渡った。欄干が切れたところから池端に下りることができる坂道になっていた。 冬凪の後についてあたしもその砂利道に足を踏み入れる。池が近いというのにここは乾燥しているのか道ばたの雑草が白い埃を被っていた。敷かれた砂利の粒が大きいせいで足を取られて足首を挫きそうになる。でも、ここからの雄蛇ヶ池の眺めは素晴らしかった。エメラルドグリーンの水面にゆったりとした時間が流れていた。周囲を深い広葉樹林に囲まれていて風もなく静かそう。ただ、何かを探そうとすれば結構な広さがあって苦労しそう。 突然、前にここに来たことがあると思った。あたしはここに一度来たことがある。そんな気がしてきたのだった。デジャヴュだ。これまでも何度か経験はあるけれど、それは大概、夢で見たことを思い出したんだろうで済む程度だった。今回のは強烈だった。体が震えだした。右の薬指に激痛が走った。あたしは震える薬指を目に近づけてみた。 赤い糸が、それまで見えなかった赤い糸が薬指の根元にがっちりと結びつけてあって、そこから虚空に伸びて消えていた。いや
N市行きの辻バスが駅前ロータリーに入ってきた。発車まで3分だつたのでヤオマン・カフェを急いで出る。この時間はバイパス経由でN市へ行く人は少ないのかバス停に並んでいるのは中年の女性が4人だけだった。みなさんお仲間らしくずっと喋っている。 「ゴリゴリカード渡しとくね。3000円入ってるから乗る時使って」 冬凪がくれたのは、辻川町長が自分の趣味で作ったプリペイドカードで、宮木野線沿線の8女子高の夏冬制服を着た女子高生がプリントしてあるシリーズ。あたしのは桃李女子高の冬服バージョンだった。それを見てたら「♪桃李もの言わざれど下自ずから蹊を成す」と何故か他校の校歌が口をついて出た。冬凪が不思議そうに見ているのに気づいて、 「あ、あとで払うね」 「それ、役場のエリさんが来庁記念にくれたやつだから」 じゃ、遠慮なく。 「大曲大橋まで」〈♪ゴリゴリーン〉 一番後ろの席はやめて、出口近くの二人席に並んで座った。あたしたちの前にいた女性たちは、前のほうに座って会話の続きをしている。バスが発車する時間まであたしたちより後に乗って来る人はいなくて女性たちの声だけが車内に響いていた。 バスはロータリーを出ると右折して、一旦宮木野神社に向かう。宮木野神社前のバス停から市街地を抜け前方に田んぼが広がる交差点で左折すると、そこからがバイパス通りだ。交通量が増えてバスのスピードも上がった。開け放たれた窓から稲くさい風が入ってきた。それでも前の座席の女性たちの話声はかき消されることなく聞くともなく聞こえてくる。 「また出たって」 こちら側に座る小柄な女性が話題を変えた。 「何が出たっての?」 応えたのは隣でずっと笑顔の女性だった。続けて大柄で赤い髪の女性が、 「あれでしょ。シャベル男」 一番遠くの席の派手な見た目の女性が、 「あたしも聞いた。先月いなくなった清州女学館の子が西山に埋められてて、見つかるようにわざわざ赤い取っ手のシャベルが刺してあったんだって」 ずっと笑顔の女性が、 「いやーね。いつになったら捕まるのかしら」 小柄な女性が、 「ここの警察