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2.りんごおじさん

Author: ゆちば
last update publish date: 2026-10-13 10:09:33

 マンションに向かう道中、痛いくらい首を持ち上げながら、りんごおじさんに尋ねる。会話がスムーズにできるよう、事前に考えてきた質問だった。

「りんごおじさんは、いつからここでレストランをしてるんですか? 外国にいたんじゃなかったんですか?」

「果物の『りんご』の発音じゃなくて、小鳥の『インコ』とか、ゲームの『ビンゴ』とかの発音なんですが……。まぁ、そのままにしておきましょうか」

 りんごおじさんは笑いながらごろごろとキャリーバッグを引き、その上にランドセルを乗せた。

 幼稚園の時、お母さんと選んだラベンダー色のランドセル。気が付けば、ついお母さんのことを考えてしまい、私の心はこっそりしゅんと元気をなくす。

 りんごおじさんは商店街の人たちとすれ違うたびに「こんにちは」、「姉の子なんです」と挨拶をするので、私も合わせてペコリと頭を下げた。

 りんごおじさんは商店街の人たちと仲が良いらしい。これまでご近所とさえもあまり付き合いがなかった私にとっては、新鮮な感じと不思議な感じがしてたまらない。私が知っていた人は、マンションの管理人さんと学校の友達くらいだった。

「僕がこの商店街に来たのは2年前です。ここは食べ物を司る神様に守られた御伽町おとぎまちといいまして、レストランを開くにはピッタリの素敵なところなんですよ」

 りんごおじさんは、八百屋のおばさんに手を振りながら教えてくれた。

「少し上がれば、世界遺産にもなっている神社やお寺。少し下がれば、桜のきれいな川や紅葉のきれいな自然公園。西と東には、若者の集まるショッピング街。その真ん中にちょこんとあるのがおとぎ商店街。のんびりしていて、いい所なんです」

「へぇ~。観光地だから、もっとガヤガヤしてるのかと思ってました」

 おとぎ商店街はりんごおじさんが言う通り、たしかにのんびりとした雰囲気だ。

 私が通って来た隣の筋の商店街は、もっと派手で賑やかで、若者がいっぱい歩いていた。けれど、ここにはゆっくり歩く子連れのお母さんや、散歩をしている老夫婦なんかが目につく。正直、商売がしやすそうな気はしなかった。

 私は余計なお世話とは思いつつ、「お客さんは来ているのかな。レストランの売り上げは大丈夫なのかな?」と、心配になってしまった。

 そしておとぎ商店街を抜けてしばらく歩くと、きれいなマンションの前に出た。各部屋はそれほど広くくなく、夫婦や一人暮らしの人が多く住んでいるのだと、りんごおじさんは言った。

「僕たちの家は304号室です。で、ここがましろさんの部屋ですよ」

 りんごおじさんに案内され、私はおずおずと部屋に入った。

 玄関近くの部屋には、私が前の家で使っていた勉強机やベッド、本棚、服の入った段ボール箱、お母さんの遺品なんかがぎゅうぎゅうに運び込まれていて、なんだか小さなジャングルみたいになっていた。

 自分の荷物は極力減らしてきたつもりだが、思わず「うっ」と、圧倒されてしまった。

「すみません。もっときれいに並べられたら良かったんですが……。荷ほどきはお手伝いしますよ! 収納グッズなんかも買い足しましょう!……」

「いっ、いいです。十分です! ありがとうございます」」

 すまなそうに謝るりんごおじさんに、私はコクコクと大きく頷き、お礼を言った。

 ただでさえ自分を引き取ってくれた親切なおじさんに、これ以上お金や時間を使わせることが、とても申し訳なかった。

「そうですか……。じゃあ、僕はひとまず戻りますね。何かあったらお店に電話してください」

 りんごおじさんは少し寂しそうに眉毛をハの字にしながら、「お昼ご飯はリビングのカウンターにありますからね」と言い残して出て行った。

「分かりましたよーっと」

 りんごおじさんを見送ると、私は自分の部屋のベッドに倒れこんだ。なんだかどっと疲れてしまったようで、体がベッドに沈み込んで動かない。まるで鉛玉のようだ。

「動かなきゃ……」

 口に出してみるが、どうにも気力が湧かなかった。

 荷物の片付けも、学校の準備も、やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、何もやりたくなかった。というか、お母さんがいなくなってからは、やりたいことなんて一つもなくなってしまった。

(遊びも、勉強も、ご飯も、全部全部やりたくない……。何も、楽しくない……)

 そんなことを考えているうちに、私のまぶたはゆっくりと重たくなっていった。

***

 気がつくと、窓の外はみかんみたいな夕焼け色に染まっていた。いつの間にか寝てしまっていたらしい。

 少し体が冷えていたので、キャリーバッグからクリーム色のカーディガンを引っ張り出す。お腹がきゅるると切ない音を立てる。りんごおじさんが作り置いてくれたご飯を見てみようと、私はそろそろとリビングに移動した。

「なっ、なにこれ!」

 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。床には取り込んだまま放ったらかしの洗濯物、ソファにはたくさんの料理の本、棚の引き出しは半開き、テーブルにはノートが何冊も積み重なっている。

「うわぁ。りんごおじさんって、見かけによらずだらしない人なのかな……」

 スマートで真面目で賢そうなおじさんだったのに意外である。残念イケメンってやつかなのだろうか。私は思わず顔をしかめてしまった。

 いろんな意味で、ここで生活できるか心配になってきた。

 私はあきれながら洗濯物の山を一生懸命に部屋の端っこに寄せ、ようやくカウンターテーブルにたどり着くことができた。

 

 カウンターテーブルとキッチンだけは物がスッキリと片付けられているので、ステータスが料理に全振りされているのだろうか? と、ゲームの画面をふんわりと思い浮かべた。かなり歪なステータスだ。

 そんなことを思いながらキョロキョロとしていると、カウンターテーブルの上にお皿の上にのったサンドイッチを見つけた。レタスとトマトの入ったハムサンドと、ゆでたまごとマヨネーズを混ぜた玉子サンドだ。

「美味しそう……」

 なのに、手が伸びない。食べたくない。

 最近は、ずっとそうだった。

 私はちゃんとした食事を摂る気になれず、ずっとお菓子を食べていたのだ。

「お茶だけもらお……」

 キッチンの食器棚からコップを借りると、冷蔵庫からお茶のボトルを取り出す。そして自分の荷物の中にあったクッキーの箱を持ってくると、ビリビリと破いて中身を出した。

 サクッ

 いい音がする。

 サクサクッ

 クッキーがおなかに入っていく。

 サクサクサクッ

 でも、味が分からない。食べてる感じがするだけ。

 チョコレートも、おせんべいも、プリンも、みんないっしょだった。

(でも、食べないと死んじゃうから。あれ……だけど、死んだらお母さんに会えるんじゃない?)

 ふと、そんな考えが頭に浮かび、クッキーを摘まむ手が止まってしまった。

「お母さん……。なんで私を置いていっちゃったの……?」

 その時、玄関のドアがガチャリと開いた。「休憩時間なので帰ってきましたよ~」と、のんびりした声が聞こえる。りんごおじさんが帰って来たのだ。

 私は慌ててクッキーを隠そうとしたが、間に合わなかった。

 部屋に入って来たりんごおじさんと目が合い、体が固まってしまう。おじさんの顔も青く固まっていた。

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