Home / 恋愛 / ワンダーパヒューム / ・Chapter(3) 古田電器の古田です。

Share

・Chapter(3) 古田電器の古田です。

last update Last Updated: 2025-06-18 20:07:37

電器屋は瑞穂らが思っていた以上早く、マンションへとやって来た。

道にさほど迷わなかったのか、瑞穂がマンションに帰宅するとほぼ同時に、和田マネージャーのスマートフォンに、「もう、近くまで来ている」という電話があったのだ。

「角に、ガソリンスタンドがあっただろ?

そこを右に曲がったら、一階に美容院が入ってるマンションがあるから……」

淀みない口調で電器屋をナビゲートする和田マネージャーのその様は、瑞穂に改めて胸の高鳴りを覚えさせた。

「失礼します」

11時前、和田マネージャーに連れ添われる形でやって来た電器屋は、アコースティックベースのような低い声で言った。

良く言えば、クール。

悪く言えば、どこか無愛想。

それが、電器屋に対して、瑞穂が最初に抱いた第一印象であった。

汗を防ぐ為なのか、頭に巻かれたタオル。

タレ目、ところどころに見られる無精髭。

全身から発せられる、男の匂い。

黒いTシャツの上に水色の作業着と、いわゆる「ガテン系」と呼ばれる風貌に身を包んだ電器屋は、壁の上部に備え付けられたエアコンに目をやった後、おもむろに懐へと手を入れた。

「古田電器の古田と言います。よろしくお願いします」

先程の低い声色を保ったまま、電器屋は告げると、取り出した名刺を両手で瑞穂に対して差し出す。

「よろしくお願いします。

スミマセン、急にご無理を言いまして」

瑞穂は名刺を受け取ると、型通りの言葉を電器屋である古田に対して返した。

「コイツ、高畑さんとタメなんだ。同い年。

トシが一緒だから、エアコンに限らず家電で何か困った事があったら、今後相談してみたらいいんじゃない?」

その時、瑞穂と古田のやり取りを見ていた和田マネージャーが、仲人のように親身といった様子で、二人に対して言う。

「そうですね。

じゃあ、また何か困った事があれば、古田さんに相談させてもらいますね」

その和田マネージャーの言葉に瑞穂は、取り敢えず、といった感じの愛想笑いを浮かばせながら、返答をした。

「じゃ、早速ですが、ちょっとエアコンの方を見させてもらいますね」

一方、古田は「我関せず」とばかりに、エアコンに対して一直線に向かうと、真下に養生シートを敷き、自身の任務であるエアコンの点検へと取り掛かる。

·

「あっ、こりゃダメだな……」

エアコンの内部と、分解したベランダの室外機の中身を見た古田は、首をかしげながら部屋へと戻ってきた。

「何がダメなんだ?」

扇風機の真向かいで、瑞穂と二人、送風を浴びていた和田マネージャーは立ち上がると、古田に歩み寄る。

「いや、コンプレッサーがほぼ壊れかけてるんですよ。

あと、高畑さん。

確か水漏れしてる、って言ってましたよね?

水漏れ自体は、ドレンホースの詰まりが原因なんですけど、その水漏れでプリント基板もやられちゃってます。

こりゃ、ちょっと簡単に直せるレベルじゃないですね」

「何とかならないのか?」

和田マネージャーは、重ねて古田に訊く。

「出来ない事はないですけど、部品交換とか修理の費用を考えると、買い換えた方が安いですよ。

もっとも、このエアコンに愛着があって、金はいくらでも出すから直してくれ、って言うのなら、俺も最善を尽くしますが」

「そうか……」

古田の言葉に、和田マネージャーは自分の事のように肩を落とし、うなだれた。

そして、くるりと瑞穂に向き直ると、「ゴメン」という言葉と共に立てた右手を顔の前に添える。

「いえ、こちらこそ」

瑞穂は立ち上がると、しみじみといった様子で、壁に備え付けられているエアコンに目をやった。

「ここに引っ越してから、夏冬ずっと使ってましたからね。

あっという間に、寿命が来たんですね。

こんなに早くに壊れたのは残念ですけど、取り敢えずこのエアコンには『お疲れ様』って、言ってあげたいです。

古田さん、和田マネージャー。

今日はご足労いただき、ありがとうございます」

「いや、こっちも暇だったしね」

和田マネージャーは微笑すると、瑞穂に続く形でエアコンへと目をやる。

「じゃあさ、高畑さん。

修理がダメなら、エアコンを買い換える、って話になると思うんだけど、どうする?

古田電器で、買い換える?

それとも、自分でエアコン本体だけを格安で買って、カツアキに……。

じゃない、古田電器に取り付けてもらう?

多分、普通に家電量販店でエアコンを買って取り付けるよりは、安くなると思うけど」

「いくらくらいに、なるんですかね……」

瑞穂は、エアコンの真下にいる古田と、和田マネージャーを順繰りに見た後、おそるおそるといった感じで切り出した。

「うーん、ワット数にもよりますね」

ここで、電器屋である古田が瑞穂の問いかけを引き取ると、腕組みをしながら続ける。

「設置費にしても、4.0kwを超えたら値段がはね上がるんですよ。

高畑さん、このリビングのエアコンを買い換えるんですよね?

この部屋自体は8畳だから、この部屋だけ冷やすのなら、そんなに高くはならないと思うんですけど、見たトコロ隣の寝室も一緒に冷やしていた、っぽいし……。

あの、高畑さん。

逆に訊きますけど、大体いくらくらいならご用意出来ますか?」

·

「えっ?」

古田の反問に、瑞穂は虚を突かれた格好となり、すぐさま返答する事が出来なかった。

「いくらくらいなら、ご用意出来ますかね?」

古田は、再び同じ質問を繰り返す。

「金額を言ってもらえれば、僕の方も出来うる限り、対応させてもらいますから。

なんてったって、和田さんが勤めている会社の女子社員ですからね。

儲け度外視で動かなきゃ、後で和田さんに何を言われるか分かりませんよ」

「おい、カツアキ。人を鬼みたいに言うな。

高畑さんが聞いたら、誤解するだろが」

ここで、古田の悪態を受け流す事が出来なかった和田マネージャーが、苦笑交じりで突っ込みを入れる。

「実際、鬼だったじゃないですか」

古田は肩をすくめると、同じく苦笑を浮かばせながら、言葉を続けた。

「俺が高校の野球部に入った頃、キャプテンの和田さんをはじめ、三年全員がヤクザに見えて仕方がなかったですよ。

何かミスしたら、速攻でケツバットでしたし、和田さんにしても今みたいに気軽に話し掛けられる雰囲気でもなかったですしね」

「それは、謝るって前も言ったじゃねえかよ。

あの時は俺も若かったし、いい意味でも悪い意味でも殺気立ってたんだよ」

古田の述懐に、和田マネージャーは頭をかくと、所在なさげに立っている瑞穂に再び目をやる。

「ゴメン、高畑さん。

話を戻すけど、いくらくらいなら用意出来そう?

カツアキも、こう言ってるんだ。

思い切って、ふざけた金額を言ってみてもいいと思うよ。

もし、持ち合わせがそんな無い、ってのなら、俺が立て替えてやってもいいからさ」

「優しいー」

親身になって語る、和田マネージャーの言葉に、古田が口笛交じりで突っ込みを入れる。

「茶化すなよ、バカ」

和田マネージャーは古田をたしなめると、再び瑞穂に向き直った。

「えーと、ですね……」

瑞穂は視線を右上にやって沈思を重ねた後、吐いた語句を確認するように、ゆっくりと言葉を述べていった。

「貯金はある事はあるんですけど、突発的な事があった時の為に、少しは残しておきたいんですよね。

それと、来月の末には友達の結婚式がありますし……。

今時、ジューンブライドかよ、って、友達みんなで笑ってたんですけど、中学の時から仲良くしている友達なんで、出ない訳にはいきませんし、額もそれなりに包まなくちゃいけないんですね。

ですから、買い換えとなると、サイアクでも8万以下……。

無理を承知で言いますけど、それくらいに抑えたいんです。

あっ、無理でしたら、エアコンの件はボーナスまで我慢しますから」

「8万か……」

瑞穂の言葉を聞き負えた古田は、腕組みをすると、天を仰いだまま、しばらく動かなくなった。

·

「いけそうなのか?」

焦れてきたのか、和田マネージャーが瑞穂に代わって、銅像のように固まったまま動かなくなっている古田に尋ねる。

「まぁ、出来ない事はないんですけどね……」

古田は天を仰ぐのをやめ、和田マネージャーに視線をやると、眉根を寄せながら答える。

「ウチに、型遅れの在庫が何台かありますし、その金額ならまぁいけます。

ただ、設置費とかエアコンの処分代とか、そんなのを入れると、ちょっと足が出るかな、って思ったんですよ。

さすがに、あまり負けすぎると、オフクロにうるさく言われそうでね……」

「足が出る分、お前が立て替えてやれよ」

和田マネージャーが、即座に突っ込みを入れる。

「ほら、またそんな事を言う」

古田は、すぐさま応酬した。

「負けてやってくれよ、タダとは言わないからさ」

和田マネージャーは古田に歩み寄ると、口元に手をあて、何かを古田に耳打ちした。

「……ったく、そうやって、すぐ人を困らせるんだから」

和田マネージャーからの耳打ちを聞いた古田は、かぶりを振るが、その顔には笑みがこぼれていた。

「高畑さん」

そして、和田マネージャーの後ろで事の成り行きをうかがっている瑞穂に古田は目をやると、笑顔を保ったまま切り出した。

「取り敢えず、8万で何とかしてみます。

設置費もエアコン本体も、全部込みでね。

在庫に関しては、家に帰って調べた後、また連絡させてもらいますね。

ところで、メーカーとか、何か希望はありますかね?

型遅れではあるんですけど、出来る限り高畑さんの期待に応えようとは思いますので」

「あっ、ご連絡をいただいてからでいいです……」

瑞穂は、ぎこちない笑みを浮かばせながら、古田に対して返答をした。

「分かりました」

古田は頷くと、くるりと踵を返し「じゃあ、ちょっとバラした室外機、また組み立てときますね」と、網戸を開け、再びベランダへと出ていく。

「和田マネージャー、一体古田さんに何を言ったんですか?

何か、古田さんを脅迫するような事でも言ったとか」

瑞穂は和田マネージャーに歩み寄ると、難色をしめしていた古田の様子が一変した理由が気になり、問いただしてみた。

「秘密。男同士の話」

しかし、その瑞穂の問い掛けに、和田マネージャーは左目をつむりながら煙に巻くと、ベランダで作業を行っている古田を、興味津々といった様子でしぱらくの間眺めていた。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • ワンダーパヒューム   ・Chapter(65) ワンダーパヒューム

    「……高畑さん」長いキスを終え、唇を離すと、古田は眉尻を下げながら瑞穂に言った。「何?」「現実に引き戻すようで、申し訳ないんですけど……」幸せいっぱいの表情を浮かばせている瑞穂とは対照的に、古田は困った表情を浮かばせていた。「あの……、エアコンどうします?」「は、はい?」突拍子のない古田の発言に瑞穂は真顔となると、吃音交じりに返答した。「いや、このエアコン。結構、派手に壊してますからね。こういう風に、故意に壊したとなると、保証が効かないんですよ。それに、チラッと見た感じなんですけど、ガスも漏れてるっぽいですし、もしかしたら買い換えた方がいいかもですね」「いやいやいや、ちょっと待って!」瑞穂は我に返ると、電器屋として目の前に立ちはだかっている古田に向かって、一気呵成に言葉を吐いていった。「古田さん、そりゃないでしょ!確かにアタシ、古田さんを呼び出す名目でこのエアコンを金づちで壊しましたよ。けど、それって古田さんがハッキリしない態度を取ったから、こっちがキレた結果ですし、そんな簡単に買い換えるとか言わないでくださいよ!付き合った記念にタダで修理してあげるとか、また倉庫に眠ってる型遅れの在庫をタダでプレゼントとするとか、どうにかならないんですか!」「うーん、それは……」古田は首をひねると「つーか、ドロボウとか言ってましたけど、エアコンを壊したの、やっぱり高畑さんだったんですね」と、口角を上げた。「いや、そんなのはどうでもいいから、エアコン何とかしてよ!」「どうにかねぇ……」古田は瑞穂から離れると、ジュラルミンボックスから電卓を取り出す。そして、概算をはじき出した古田は「あちゃあ……」と、頭をかいた。「いや、あちゃあって何?何でそんな、ブルース・リーみたいになってんの!」「ウチの在庫、処分してなければなぁ……」「いや、付き合った記念で! 付き合った記念で、何とかしてくださいよ!」諦めきれない瑞穂は、電卓片手に苦笑いを浮かばせたままでいる古田の傍らで、懇願を続ける。·「分かりました」古田は電卓をジュラルミンボックスに戻すと、申し訳なさそうな表情で瑞穂に切り出した。「とりあえず、高畑さんはネットか家電量販店でエアコンを最安値で買ってください。そうしたら、設置工事は俺が無料請け負いますから。ってか、今はそ

  • ワンダーパヒューム   ・Chapter(64) お久しぶりです②

    「さっきも言いましたけど、あの時の高畑さんの気持ちは、心から有り難かったです。あの高畑さんの言葉で、親父もどこか満足げな表情で死んでいきましたから。けど、その高畑さんの気遣いに、申し訳ないなと思ったのも事実なんです。なんて言うんですかね。なんか、死んでいく親父をダシにして、高畑さんの気持ちを捕まえようとしてるような気がしたんですよ。高畑さんに限らず、ああいう場に誰かを連れていけば、何かしら気を使ったり配慮したりするモンですしね。ましてや、高畑さんは和田さんにフラれた直後だった。その失恋直後につけこむ形で、俺の恋人役を演じさせたのも、何か卑怯な気がしてきました。あくまで仮の話ですけど、あの病院に関するくだりで高畑さんが俺に心惹かれたとしても、それって冷静じゃない状態ですからね。もっとも、高畑さんに見舞いに来てくれ、って頼んだ時は、そんな事は全く考えてなかったんですが。で、年が明けて、親父が亡くなった後かな。なんかね……。親父が死ぬまでは、店とかその後の事とか、あれこれ色々考えて生きてきたんですけど、いざ親父が死ぬと、そういうのを考える事に疲れてきたんですね。もう、何もかも色んな事を考える事から解放されたかった、って思ってきたんです。もちろん、何も考えなかった訳じゃありません。店の廃業の為、それなりに動きましたし、親父の葬儀で親戚知人に連絡しまくりましたし、オフクロの事でも色々ありましたから、結構動きましたしね。けど、それ以外は何も考えたくなかった。もう、いっさいがっさい『考える』って事自体から解放されたくなったんですよ。親父の死をキッカケとしてね。で、気付いたら、高畑さんやマイさんのLINEをブロックしていました。しがらみをリセット、って感じでね。まぁ、最初に言った通り、確かに高畑さんとは距離を置こうとは思っていました。けど、こんなに早くブロックする気はなかった。自分の気持ちにちゃんとした整理がついてから、高畑さんとはブロックという形で距離を置こうと思ったんですね。けど、親父の死後、どこか俺の心は疲れていたみたいで、今、ブロックしなきゃ高畑さんへの未練を断ち切れない、って強迫観念に駆られている自分がいたんです。で、高畑さんをブロックしたというか……」ここで紡ぐ言葉を見失ったのか、古田はバッテリーの切れた携帯オーディ

  • ワンダーパヒューム   ・Chapter(63) お久しぶりです①

    「……ホント、久しぶりですね」あの理由なきLINEのブロックは、やはり悪印象を与えていたのか、瑞穂は「久しぶり」という単語に独特のアクセントをつける事で、皮肉めいた口調を強調した。「失礼します」しかし古田は取り合わず、自身が設置したエアコンに向かって真っ直ぐに歩を進めていく。自分は「家電を修理しに来た電器屋」で、瑞穂は「その依頼主」という関係性を突きつけるかのように。「これですか」エアコンの真下で古田は歩を止めると、振り返り、瑞穂に目を向ける。「そうですよ」「いや、ちょっと……」故障と報告を受けたエアコンと瑞穂を順繰りに見ると、古田は声を上げて笑った。エアコンのフロントパネルに大きく入ったヒビは、どう見ても故障ではなく人為的にもたらされたヒビであったからだ。「ひどい故障でしょう」失笑が止まらない古田の背中に向かって、瑞穂はドヤ顔を浮かばせる。「あの……、もしかして」古田は笑うのをこらえると、エアコンを指差ししながら尋ねた。「コレ、もしかして自分でやりました?」「そんな訳ないでしょ!」図星であったのか、瑞穂は強弁する事で古田の問い掛けを一蹴した。「なんか、朝、起きたら、急にエアコンにヒビが入ってたんですよ!すごい、故障じゃないですか!だから、古田さんを呼んで早く修理してもらおうと思って!」「普通に使ってたら、こんな風にヒビが入る事はまずないんですけどね」古田は瑞穂が述べた「設定」に乗ると、ヒビが入ったエアコンのフロントパネルを慎重に開ける。「あっ、こりゃ」フロントパネルを開けると、古田のその顔は電器屋のモノとなった。そして、再び振り返り瑞穂に目をやると「中の基板も、まるで金づちで殴ったみたいに割れてますね」と述べ、ふぅと一息ついた。·「修理、出来そうですか?」「うーん」エアコンを見据えたまま、古田は頭をかいた。「どこまで、金づちで殴ったかは分かりませんが、部品交換だけで終われば御の字って感じですかね。けど、また派手に殴りましたね」「だから、アタシが殴ったんじゃないってば!」瑞穂は再び強弁し、古田の疑念を払拭しようと試みた。「ってか、仮に金づちで殴ったとしたら、それアタシじゃなく多分ドロボウですよ!ドロボウが、アタシの寝ている時に勝手に家に入ってきて、エアコンを金づちで殴ってどっか行ったんですよ

  • ワンダーパヒューム   ・Chapter(62) my life②

    夜分の不意の電話に、古田は首をかしげた。そして、手に取ったスマートフォンで時刻を確認してみる。9時を過ぎた辺りであった。火急の用件でもない限り、固定電話に電話を掛けるにはためらう時間帯である。それに親族や友人といった知人なら、固定電話ではなく自分のスマートフォンに直接電話を入れてくるハズだ。何より、今年の初めに電器屋を廃業させてから、固定電話に電話を掛けてくる人間はほぼ皆無であり、久方ぶりに着信を告げる固定電話に、古田は訝しげな思いを抱きながら受話器を取った。「もしもし」セールスや詐欺に関連する電話の可能性もある為、古田は名前を名乗らない。しかし、電話はセールスや詐欺の類いではなかった。「……古田電器さんですか?」電話の向こうにいる人間は、たどたどしい口調で古田に尋ねてきた。「そう、ですけど」電器屋を廃業している今、そう答えるのもどうかと思ったが、結局古田は応じた。「あの、こんな時間なんですけど、ちょっとお願いしたい事がありまして……」電話の向こうの相手は、逡巡の末に出した結論といった様子で、話すスピードを徐々に上げながら言葉を述べ始めた。聞くトコロによると、昨年古田電器を通して買った家電が故障したらしい。で、保証書にゴム印で押印されていた購入店情報から古田電器の電話番号を知り、こうして電話を掛けてきているといった次第であった。「つまり、修理って事ですよね?」古田の言葉に、電話の向こうから「そうです」という言葉が返ってきた。「修理か」古田は言葉を濁すと、天を仰いだ。そして、数秒程思案したのち「分かりました。じゃあ、メーカーに連絡してそちらに来てもらうよう手配しておきます」と、返答した。「いえ、簡単な故障みたいなんで、まずは古田電器さんに見て欲しいんですよ」電話の向こうの人間は古田の答えに納得せず、食い下がってきた。「ウチにですか?」古田は眉を寄せる。電話の相手には申し訳ない話だが、今週は朝から晩まで古田の身体は電気工事でほぼ埋まっており、修理に出向くとなれば今日明日はとてもじゃないが行けない。それ故、修理に行けそうな日は、工事が昼過ぎで終わる土曜日の夕方くらいしか無く、自分が修理に行くとなれば、迅速な対応が出来かねる事を納得してもらうしかなかった。「あの、土曜の夕方まで修理を待ってもらう事になるんですけ

  • ワンダーパヒューム   ・Chapter(61) my life①

    心身ともに凍らせるような厳しい寒さが、2月の間とめどなく続いた。冬将軍はその猛威を遺憾なく発揮し、雪によって街が真っ白に染まるのも、一度や二度ではなかった。その凍えるような寒さの中、古田は懸命に働く事で、日々を過ごしていった。働く事で、自身の心に深くこびりついている「何か」を、まるで取り除こうとするかのように。母親の奈津子は、父親の四十九日が終わると同時にすぐに荷物をまとめ、名古屋にいる伯父の家に引っ越した。父親の闘病中、運悪く伯父も脳梗塞で倒れ、命に別状はなかったものの手足に障害が残り、介護が必要となったのだ。「お父さんが亡くなったらさ、お母さん。名古屋の伯父さんの面倒を見てあげたいと思うんだけど、いい?」昨年の父親の病院見舞いの帰り、それとなく息子の古田に切り出す、母の奈津子。古田は頷くと、「俺の事は大丈夫。一人であの家を守っていくよ」と付け添え、心配する母親を気丈に送り出した。母親を名古屋に送り出した事で、家は古田一人となった。店の廃業によって在庫を処分し、両親二人もいなくなった事で、かつて古田家が住んでいた家屋は、実際のスペース以上に広いと古田に思わせた。淡雪のように、徐々に募《つの》ってくる寂しさを少しでも紛らわせる為、古田はセイヤなど現場で知り合った人間や、野球部時代の親友などを何人か家に呼び、飲み会を開いた。が、彼らが帰った後に残るのは「独り」である、という事を改めて実感させる寂寥《せきりょう》であり、古田が抱え込んだ孤独感は、消える事なくどんどんと増幅していった。やがて、3月を迎えた。冬将軍は長雨と共に去っていき、ようやく春の陽気が垣間見えるようになった。ポカポカとした陽気故か、街を歩く人々のその表情に、笑顔がこぼれているように見える。しかし古田の心は、未だ春の陽気とは程遠いモノであった。ピースが一つ足りないジグソーパズルを、常に心に抱えながら毎日を生きているような喪失感が、常に古田の中に去来していたのだ。そんな折、古田のスマートフォンにLINEを通じて、メッセージが入った。『和田です。ようやく落ち着いたので、今年最後のスノボにでも行きませんか?行けそうな人は連絡お願いします!』古田は『今回は遠慮しておきます』とだけ返信し、その後和田からのLINEを一切見ようとはしなかった。4月に入ると、和田から再び

  • ワンダーパヒューム   ・Chapter(60) 古田の場合②

    店を後にし、「スナックに行って、何曲か歌ってくるわ」と陽気に述べるセイヤと別れると、古田はその足で駅に向かい、電車で地元の福徳長へと帰った。乗車時間、10数分。数駅を経て電車を降り、改札をくぐって駅を出ると、真冬の寒風がナイフのように古田の身体を切り刻んだ。古田は着ていたダウンジャケットのパーカーを被る事で寒さに抗うと、肩をすくめながら自宅へと歩を向ける。冬が始まる前、「今年は暖冬」という予測を、古田はテレビのニュースで聞いていた。が、掌を返すようにやって来た最強寒波は、借金取りのように日本国内に滞在し続け、その結果心まで凍えそうな寒さを、古田を含む国民にもたらしていた。──もう、2月も中頃だ。この寒さを乗り切れば、春がもうすぐやって来る。自らが吐く、白い息を見つめながら、古田は歩を進めていく。酔いざましと、寒さをしのぐ為に自販機で缶コーヒーを一本買うと、古田はシャッターの閉まった店舗脇にある、自宅の玄関をくぐった。「ただいま」0時前という時間の為、小声で古田は述べると、後ろ手で玄関のドアを閉める。すると、母親の奈津子はまだ起きていたのか、居間の電灯が煌々とついていた。「まだ、寝てなかったのかよ」古田は苦笑交じりに居間へ通じる引き戸を開けると、中にいる奈津子に言葉をかける。「うん、もう少しだけやろうかな、と思って」奈津子は振り返ると、手を止めた荷造りを再び始めた。「明日、俺、仕事ないから手伝う、つったじゃん。母さん一人で、そんな頑張らなくてもいいんだよ」古田は肩をすくめると、荷造りの終わった段ボールを、既に在庫を処分し終え、がらんどうとなった店舗スペースへと持っていく。「キリのいいトコロで、やめるから」「分かった」奈津子の言葉に古田は頷くと、ダウンジャケットのポケットに入れたままとなっていた缶コーヒーを開け、一口飲んだ。「……ところでさ、カツアキ」二つ目の段ボールを、古田が店舗スペースに持っていこうとした時、奈津子が独り言のようにポツリと切り出す。「んっ?」「アンタ、一人で本当に大丈夫?」奈津子は再び作業の手を止めると、立っている古田を見上げ、尋ねてきた。·「俺の事は大丈夫、って言ったじゃん」酔いが回り、気も大きくなっているのか、古田は気丈に答えると、脱いだダウンジャケットをカーテンレールへと掛けた。「

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status