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ワンダーパヒューム
ワンダーパヒューム
Author: 羽馬タケル

・プロローグ

last update Last Updated: 2025-06-15 18:15:26

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──この匂い、凄く落ち着く。

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「……ちょっと、勘弁してよ」

リモコンを握りしめたまま、瑞穂はため息をつくと、額に浮き出た汗を左手でおもむろに拭った。

引っ越し当初以来、ルームメイトのごとく瑞穂と共にこの部屋で生活を共にしてきた、エアコン。

しかし、寿命が来たのか、エアコンは電車の走行音のような物々しい音を立てながら、カビ臭い吐息を排出するのみであった。

まだ5月だというのに、NHKの集金みたく望まれていない、季節外れの真夏日到来。

汗まみれになりながら、就労。

カーディガンを着て出社した自分を激しく呪いながら帰宅し、心身共にリフレッシュとばかりに、スーパーで買った「ざるラーメン」をエアコンの効いた部屋で食べ、缶ビールを一杯。

発汗作用のある入浴剤を入れたお風呂でデトックスを行い、アイスで涼を得て就寝。

そんな、ささやかな野望を抱いていた瑞穂であったが、目の前で展開されている「エアコンの故障」という現実は、瑞穂のその野望を粉微塵にまで破壊した。

帰りの電車で見た、スマートフォンの天気予報によると、このふざけた真夏日はまだ3日も続くらしい。

──となると、何も手を打たなかったら丸三日間。

ずっと、ビニールハウスみたいに蒸し暑いこの環境で、寝起きし続けなけりゃいけない訳?

「……あり得ない」

舌打ちをしながら、瑞穂はエアコンの電源を切ると、収納スペースとなっているクローゼットから扇風機を取り出し、カバーとなっているゴミ袋を力任せに引きちぎった。

そして、続く形でコンセントを挿し込み、扇風機のスイッチを押すと、生ぬるい温風を顔面に浴びながら、瑞穂は一人沈思する。

繰り返すけど、まだ5月だ。

この休みにリフレッシュ、とばかりにGWに旅行に出かけたものだから、貯金も心もと無い。

言うまでもなく、夏のボーナスはまだ先だから、エアコンを買い換えるという選択肢は極力取りたくない。

──となると、修理か。

瑞穂はテレビの横に置かれているカラーボックスからクリアファイルを取り出すと、そこに入れてあるエアコンの説明書を探した。

エアコンの説明書は、程なくして見つかった。

が、説明書と同封していた保証書の期限は、やはりというか、三年前に切れていた。

「引っ越ししてから、ずっと使ってたしな……」

説明書からエアコンに瑞穂は視線をやると、立ち上がり、クリアファイルをカラーボックスへと戻した。

そして、ソファーに置いたバッグからスマートフォンを取り出すと、瑞穂は扇風機の真向かいへと戻ってくる。

スマートフォンの液晶画面を立ち上げ、検索サイトに

「エアコン 格安 修理」

と、瑞穂は入力すると、表示された幾つかのサイトの詳細を、それとなくといった感じで順に確認していった。

しかし、「高額な追加請求をする業者が近年増加しております」という文言にひるんだ瑞穂は、スマートフォンの画面表示を消すと、扇風機から発せられる温風を、しばらくの間、何をするともなく浴び続けた。

「電器屋に行くしかないか」

瑞穂は、ポツリと呟いた。

修理にせよ、買い換えるにせよ、その後のアフターサービスを考えれば、やはり家電量販店だ。

ネットで、素性の分からぬ適当な業者に修理を依頼して、高額な修理費を請求されるだけならまだしも、女独り身のこの部屋で変な事をされたら、悔やんでも悔やみきれない。

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──こういうのは、目先の金額で決めるんじゃなく、やっぱり名前のしっかりしたトコロに頼むべきだよね。

瑞穂は立ち上がると、汗まみれの衣服を洗濯機へと投げ入れ、部屋着であるTシャツとジャージにそそくさと着替えた。

そして、手首に巻いたヘアゴムで髪の毛を束ねると、台所に行き、買ってきた「ざるラーメン」の調理に取り掛かる。

「ダメだ、暑い……」

しかし、立ち上る湯気に気を削がれた瑞穂は、一度コンロの火を止めると、先程クローゼットから引っ張り出した扇風機を、今度は台所まで移動させた。

「明日の朝、シャワー浴びなきゃいけないかな……」

扇風機の温風を浴びながら瑞穂は呟くと、「ざるラーメン」の麺を煮えたぎった雪平鍋へと放り込む。

二分程、麺を熱湯の中で泳がせると、瑞穂は麺をざるにこし、冷水と氷でもって、麺にまとわりつくぬめりを丹念に取り除いていく。

続けて付属のゴマだれを器に入れ、製パン会社のキャンペーンでもらった皿に、先程冷水でしめた麺を盛ると、瑞穂はその二つをしかめ面でTV前のリビングテーブルへ持っていった。

冷蔵庫から、室温とは対照的に冷えきった缶ビールもリビングテーブルへと持っていくと、瑞穂は先程台所に移動させた扇風機を今度はTV前に移動させる。

「……いただきます」

扇風機の送風ボタンを押しながら瑞穂は独りごちると、TVのリモコンを手に取り、スイッチを入れる。

適当にチャンネルを変え、特に目を引く番組が無いと判断した瑞穂は、DVDレコーダーに録画された芸人のトーク番組を眺めたまま、缶ビールを一息に飲み干した。

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