INICIAR SESIÓN「──お兄さま。依頼人の平坂《ひらさか》さまをお連れしました」
部屋の外──扉の向こう側から、鈴を転がすような清さんの声が耳に届きます。 遂にこの時が来た……依頼人との、顔合わせの時が。依頼人を不安にさせぬよう、私は緊張で強ばっている表情筋を懸命に動かし、努めて穏やかな笑顔を浮かべるよう心掛けます。担当者が不安そうにしていたら、ただでさえ不安な依頼する側も余計に不安を募らせてしまいますから。 「……大丈夫です。いけます、宗一さま」 小声で私がそう言うと、宗一さんは険しい表情のまま小さく、けれどもはっきりと頷きました。 「──ご苦労、清。入れ」 宗一さんが許可を出したのと同時、執務室の扉が重々しい動きでゆっくりと開かれ……清さんに連れられて、スーツ姿の一人の男性が、緊張した面持ちで入ってきました。 年齢は五、六十歳前後……良く言えば優しそうな、悪く言えば気の弱そうな方でした。整えられた白髪、汚れ一つない眼鏡、顔に程よく刻まれた皺。背筋もピンとしていて、先刻の因幡とは大違いです。 二人が入室した直後、扉がやや乱暴にバタンと閉められます。見ると、清さんと依頼人を護衛するかのように、【彼岸】の隊員さんと思しき三十代半ばの男性が、彼女たちの背後に佇んでいました。 何故でしょう──彼とは不思議と、初めて会った気がしません。昔、何処かでお会いしたような……そんな気がしてなりませんでした。 「──どうぞ、こちらに座って」 宗一さんは笑顔で依頼人と固く握手をすると、ホテルマン顔負けの優雅な所作で、依頼人を来客用のソファーに座るよう促します。 「──奏。それから、清……こっちに来なさい」 「はい、宗一さま」 テーブルを挟み、依頼人の対面のソファーに腰掛けた宗一さん……その隣に遠慮がちに腰を下ろす私を見て、依頼人はわずかに表情を曇らせました。 「まさか……この小さな女の子が? 私の頼みを引き受けて下さるという巫女さんなのですか?」 「はい。仰る通りです、平坂さん」 宗一さんは小さく首肯すると、依頼人に私のことを紹介しました。 「──紹介します。御陵本家所属の巫女、御陵 奏。昨年末に十五になったばかりとまだまだ幼いですが、御堂本家の当主・清治の下で鍛錬を積み、教育課程で場数も相応にこなしてきた一族きっての有望株です。必ずや、平坂さんのご期待に応えてくれることでしょう」 続けて宗一さんは私に対し、依頼人のことを紹介します。 「奏──こちらが依頼人の、平坂 守《まもる》さん。鳴神《なるかみ》山地の此岸《しがん》町から遥々お見えになられた、地元の神社で宮司をしていらっしゃる方だ」 ──鳴神山地。確か、"高天原計画"の中でも特に大規模なプロジェクトが推し進められた場所です。関東と東北の境界近くにあり、歴史的にもその後、二、三度のトイレ休憩を挟み、私たちは鳴神山地の東端に位置する、海と山とに面した町……此岸町の香々星神社《かがせじんじゃ》に到着しました。 香々星神社は、依頼人の平坂さんが宮司をしていらっしゃる神社で、此岸町の中で二番目に大きな神社とのことです。御祭神は言わずもがな星を司る神・天津甕星。香々星とは天津甕星の個としての名前だと、平坂さんからそう伺っています。 日本書紀に於ける天津甕星は、"香々背男《カガセオ》"の名を持つ男神なのですが、鳴神山地では男神とは扱っていないようで、明らかに当て字であろう背の字を本来の星に戻し、名を呼ぶ際は"香々星《カガセ》"さまと呼称しているのだとか。「────」 ワゴンから降り立つと、私は風に靡く自身の長い黒髪を右手で抑えながら、溜め息混じりに空を仰ぎ見ます。轟く雷鳴、慟哭する強風。渦を巻く巨大な暗雲が町全体の上空を覆い尽くし、遠目に見える雄大なる太平洋の水面には白波が立っているのが確認出来ます。「……陰鬱って言葉が良く似合うわね、この町」 私に倣って空を見上げながら、和さんが何処か不安そうな様子でそう呟きます。周防さんや鈴木さんも似たような感想を抱いたのでしょう。依頼人の平坂さんがいる前で、ある意味失礼極まりない彼女の発言を、二人とも特に咎めようとはしませんでした。 左手首にはめた腕時計を、私はちらりと見やります。午後五時十五分……まだ、日の入り前です。にも関わらず、香々星神社は既に宵の口かと錯覚する程に暗く、周囲の光源と言えば精々、社務所内の電気の明かりか、雲の隙間より漏れ出る雷の煌めきくらいのものでした。「────」 ふと……獣の唸り声が耳に届き、私は空を見上げることを止めて、声の聞こえた駐車場の出入り口へと流れるように視線を向けました。 そこに居たのは──山椒魚《サンショウウオ》を彷彿とさせる四足歩行の異形。黒みがかった身体のあちこちから人間の顔や手足を生やし、血を思わせる真っ赤な体液を滴らせながら、私たちの様子を窺っています。 彼の異形はまつろわぬ神々の下級神格。上位神格ほどの強い力を持たぬが故、常に飢えた状態で更なる力を欲して彷徨い歩く哀れなる子。秋津に殺されたお友だちと、ほぼほぼ同じ存在です。 何か一つ、お友だちとの相違点が
「──では、粗方《あらかた》自己紹介も終わったことですし……今一度、調査対象である鳴神山地について概要や仔細を共有しましょうか。ねぇ……奏さま?」 金剛さんの一声で、和やかな雰囲気だった車内は一瞬にしてしん、と静まり返りました。車窓から望む景色も、目的地である鳴神山地が近付くにつれて、心做しかじわじわと薄暗くなってきているような……そんな気がします。 「そう、ですね……では、何から話しましょう?」 「……ふむ。我々には生憎、まつろわぬ神々を認識する術がありませんので……そうですな、歴史的視点と神話的視点から、鳴神山地がどのような場所なのか。それを、奏さまの口からお話頂ければと。鈴木二曹は兎も角、貴方をサンドイッチしている二人は、彼の地が如何に忌々しい場所なのか……それをまだ、理解していないようなので」 「分かりました。では、そのようにしましょう」 私はすうっと大きく深呼吸を一つすると、皆さんが聞き取りやすいように、努めてはきはきと喋ることを心掛けながら口を開きます。 「鳴神山地は嘗て、大和朝廷と蝦夷《えみし》とが相争う最前線に位置していました。蝦夷は大和朝廷に屈服しなかった現地民のことで、言語や文化も大和朝廷とは異なっていたと考えられています。中央集権を目指す大和朝廷にとっては正しく、自らに従わぬ異民族、言葉の通じぬ蛮族と言っても過言ではなかったでしょう」 「あー、聞いたことある。以前ドラマの主人公に抜擢されていたアテルイだっけ。あれも確か、蝦夷よね?」 和さんが食いつくのを見て、周防さんが人の説明を遮るなと聞こえよがしに彼女に苦言を呈します。ですが、興味を持って頂ける方が、話半分で聞き流されるよりもずっとずっと有り難いことです。 和さんの問いに対し、私は笑顔で頷きながら、 「はい。彼もまた、蝦夷の中の一部族を率いる長で、近年までは歴史上の悪役として有名でした。今は、アテルイ復権運動などで再評価が進んでいますが、反対に大和朝廷を悪逆非道な侵略者とする見方が生じてきたのは、少々行き過ぎているような気もします」 「ん、一部族? 蝦夷って、一つの民族じゃないの?」 「はい、難しいところですね……あくまで、大和朝廷側が敵対する現地民を蝦夷と呼称していただけですから。蝦夷側が統一されたアイデンティティや独自の民族意識を持っていたかどうか
ブラックホークで米軍の横田基地へと直行した私たちは、そこで依頼人の平坂さんと合流し、平坂さん先導の元、鳴神山地の東端──星降山の麓にある此岸町へと続く道を車で進み始めました。 平坂さんの愛車の後に、付かず離れずの車間距離を維持しながら五人乗りのワゴン車が続く。用意されたワゴン車が黒色でなかったことを、天に感謝するべきでしょうか。若し用意されていたのが、横田基地まで乗ってきたブラックホークと同じ、真っ黒なワゴン車だったら……平坂さんの愛車が白色のクラウンなこともあり、変に目立ってしまった可能性がありますから。 車窓から望む景色──それが急激に変化し始めたことを確認すると、それまで黙々と運転に集中していた運転手の金剛さんが、護衛の方々に挟まれる形で後部座席に座っている私に声を掛けてきました。 「……首都圏を抜けました、奏さま。この辺りで一度、今回の調査任務の趣旨……及び任務の詳細を今一度、皆で共有しておこうと思うのですが、如何でしょう?」 「そう、ですね。それでは──」 「待って下さい、小隊長。まずはお互い自己紹介からした方が良いのではないでしょうか。小隊長は兎も角、私たちは奏ちゃんのことを良く知りませんし。どんな人と一緒に仕事をするのか知っておいた方が、奏ちゃんも安心出来るのではないでしょうか」 横田基地を発った時からずっと私の隣に座っている、セミロングの黒髪が特徴的な若い女性の方が、何故か私を大事そうに抱きしめながら金剛さんに異を唱えます。 「えっと……その……私は、どうすれば……」 「……何方でも構いませんよ。和《なごみ》の言う通り、私と奏さまは面識がありますが──他は初対面です。奏さまも正直なところ、不安なのではないでしょうか」 途方に暮れていると苦笑混じりに、金剛さんが助け舟を出してくれました。 「えっと……では、私から……」 私の両隣に座る二人が、興味津々といった様子で一斉に私の顔を見てきます。二人とも、私よりは歳上で金剛さんより歳下の若い人たちです。 首から提げた勾玉……ミコトから貰った御守りをそっと握りしめ、緊張で浅くなりそうな呼吸を整えると、私は努めて笑顔を維持しながら自分のことを紹介しました。 「……今回、鳴神山地周辺の調査任務を担当することになりました、巫女の御陵 奏と申します。若輩者ゆえ、皆さまにご迷惑を何度
血溜まりの中で力なく横たわる二人の少女……軽く手首を掴んでそれぞれの脈の有無を確認し、完全に事切れたのを確認すると、青年は──否、特務機関【敷島】の実働部隊の一つを率いる稀代の怪物・秋津 日向は淡々と部下たちに労いの言葉を掛ける。 「──阿呆を殺すのにも流石に、諸君もそろそろ慣れてきたとは思うが。強いストレスを感じた者は、遠慮なく名乗り出ると良い」 手を挙げる者は、誰一人としていない。皆、秋津に絶対の忠誠を誓い……そして、秋津の主君である"御上"こと神代 大和を信仰している。彼らなら、腐敗した日本国を在るべき形に戻してくれる、そのためならどれほど手を汚そうとも構わない。そんな、狂気とも言える忠義の心が表情から垣間見えた。 鳴神山にある旧軍施設に立ち入った者を失神させて星降山へと拉致・拘束……場合によっては殺害し、社に祀られているソレに捕食させる。鳴神山地に眠るまつろわぬ神々の上位神格……それを現世へと顕現させるために、彼らは幾度となくそれを実行に移してきた。 捕食させた数、殺した数は最早覚えていない。兎に角一人でも多く捕食させ、ソレが在りし日の力を取り戻すことに手を貸す……それに尽力しなければ。彼らはそれしか、考えていなかった。 犠牲者の多くは好奇心から、或いは自らの行動を動画などに挙げて自己顕示欲を満たしたいという、頭の足りない若者たち。腐敗せし日本国を形成するモノ。秋津たちからすれば彼らは塵以下の存在である。生かす価値も、生かしておく理由もない。 「──各々、持ち場に戻れ。供物の末路は、この私が見届けておく。諸君らは少しでも疲れを癒し、そして再び日常へと溶け込むのだ。良いな?」 「はっ──お疲れ様です」 秋津に敬礼をすると一人、また一人と闇に溶け込むように姿を消してゆく。数分もしないうちに、社の敷地内に残っているのは秋津と、事切れた少女二人のみとなった。 「────」 ナイフでズタズタに切り裂かれた少女たちの遺体は見るも無惨で、遺体の傍らには切除された舌や切断された手の指などが散らばっている。顔を狙わなかったのは、部下たちのせめてもの慈悲だろうか。それとも加虐心を増幅させるために敢えて顔は狙わなかったのか。 「…………」 どちらでも構わない、自分には何ら関係のないことだと考えるのを止めると、秋津は徐ろ
鳴神山地──星降山。 空には暗雲が渦を巻き、時折閃く雷光が荘厳なる造りの社を照らす。昼間でさえ、本能的に死を連想してしまうその場所に、時刻が真夜中であるにも関わらず、中学生……或いは高校生くらいに見える、二人の少女の姿があった。 二人とも気を失っており、両の手首は後ろ手の状態で手錠により、両の足首は革製の丈夫なベルトによって念入りに拘束され、自力で立ち上がることが出来ぬようにされている。そんな状態で少女たちは丁度、社の目の前に横たえられていた。 何度目かの雷鳴が轟き、少女の一人が目を覚ます。 「ううっ……うぅん……」 寝惚けた様子で呑気な声を上げた彼女であったが、直ぐに自らの手足が拘束されていることに気付き、目に見えて慌て始める。 「えっ……? ええっ……!? 何、これ……?」 ポニーテールにした長い黒髪を振り乱しながら、困惑を隠せぬ様子で少女が取り乱していると、その声で目が覚めたか、気を失っていたもう一人の少女も呻き声を発した。 「うーん……えっ? 何これ……どうなってるの……?」 「その、声……葵《あおい》……? ねぇ、葵なの……?」 「……真由《まゆ》、ちゃん? 真由ちゃんだよね?」 互いに、自分の傍に居るのが親友だと気付き安堵したのも束の間、同時にそれだけでは自分たちの身に起きている異変が何ら改善されないことを認めたようで、少女たちは程なくして戸惑いと怯えから大きな声を出し、狂ったように身を捩る。 「い、いや……いやぁ……! 助けて、葵! 私、手足を縛られて動けないの!」 「無理だよ……! 私だって、両手両足を縛られてるし……そもそも、自分の身に何が起こっているのか、さっぱり分かんないんだから……!」 「そもそも……此処は何処なのよ! 私たち、鳴神山の旧軍施設跡地に肝試しに来た筈でしょ!? こんな場所、探索した時にはなかったのに……!」 「そんなの、知らないよ! 旧軍施設跡地の中を探索していたら、突然目の前に黒い影が──」 黒い影──そう、黒い影だ。それに頭を強く殴打されて以降の記憶が一切ない。黒い影が目の前に現れると同時、相手が何かを振りかぶり、激しい痛みと共に視界が暗転したのを少女たちは思い出した。 「黒い、影……あれって、人間なの……?」 「……分かんないよ。ほんとに、一瞬しか見えなかっ
時は少々遡る── 日本国内某所──荘厳なる和洋折衷の大豪邸、そのある一室。士官服を纏った若い男が、机の上に並べられた写真をじっと見つめながら煙草を吹かしていた。 男の傍らには、黒いビジネススーツをぴったりと着こなした若い女性秘書が分厚い書物を携えて佇んでおり、強ばった表情で男の顔色をちらちらと窺っている。 よく見るとベージュ色のストッキングに包まれた細い脚は、まるで生まれたての仔鹿が如く震えている。部屋の中が寒い訳ではない。部屋の中は弱冷房……ほんの少しだけ涼しいと思える、程よい塩梅となっていた。 では何故、震えが止まらないのか。彼女はその答えを既に持っていた。自らの仕える主君が……彼があまりにも恐ろしい存在だから、恐怖で震えが止まらないのだと。 そう──彼女が仕える主君は、青年将校の姿をした何者か。人であって人でない、そんな歪な存在だった。 「────」 怯える秘書には目もくれず、男は優雅に煙草を嗜みながら、写真の一枚一枚に目を通してゆく。 ふと、何者かの視線を感じ、女性秘書は一際大きく身を震わせた。この部屋には今、自分と主君の二人しか存在していない。主君は写真に目を向けており、自分には一瞥すらしていない。 では、この視線の主は誰だと言うのか。女性秘書は恐る恐る、視線を感じる場所へと目を動かした。 そこにあったのは、一枚の姿見だった。しかしながら、何かが可笑しい。 違和感の正体に気づいた時……女性秘書は戦慄した。 部屋の片隅に置かれたその姿見……男は全くと言って良い程そちらへは顔を向けていないのだが、何と姿見の中に映し出された彼はしっかりと、姿見の方へと顔を向けていたのである。 感情の籠っていない虚ろな目──それが、自分を入念に観察していると気付き、まだ二十代半ばの若々しさに溢れる可愛らしい容姿を持つその女性秘書は、思わず悲鳴を上げそうになるのを懸命に堪える。瞬きをしてもう一度姿見を確認してみると、彼は姿見には顔を向けておらず、粛々と写真の一枚一枚に目を通していた。 ──今見たものは気の所為だ、タチの悪い幻覚だ。 心の中で何度も自分自身にそう言い聞かせ、何時でも主君からの要望に応えられるよう気を落ち着かせながら、彼女は姿見から目を逸らし、主君の動きを注視した。 写真に写っているのは全て、現内閣を