FAZER LOGIN鳴神山地の此岸町へと赴くことが決まった私は、直ちに出発の準備に入りました。
持ってゆく巫女装束は全てクリーニングに出し、新品の白足袋と草履をおろして、洋服に関しても一足早く初陣を飾り生還した同期の八雲ちゃんから助言を貰い、動きやすさを重視しつつも、現地の同年代に違和感なく溶け込めるような衣類を揃えました。 スマートフォン越しに八雲ちゃんと話しながら、世間一般の自分と同年代の女の子たちが、どのような格好をしているのか知った時には大いに驚きました。冬でもミニスカートやショートパンツを履いて足を露出させ、派手なデザインのタイツや膝上丈のニーハイソックス、更にはそれより丈の長いサイハイソックスなどを履いて自らの脚線美を強調、周囲に見せつけるのが流行りだと言うのですから。 御陵本家にも、教育課程でお世話になった御堂本家にもそのような女性は居ませんでした。清さんも薫さんも基本的には和服で、洋服の時も極力無地のものを選んで肌の露出も控えめにしていましたから。 それを八雲ちゃんに言うと、八雲ちゃんは笑いながらこう言ったのでした。 ──あの二人みたいな規格外の別嬪さんは基本的に、何を着せても似合ってしまうからね。 兎にも角にも、八雲ちゃんのアドバイスの下、私は調査に必要と思われる物資を揃えていきました。一足先に初陣を飾り、生還した同期からのアドバイス。これほど、心強いものは正直なかったと思います。 そんな頼もしい同期の八雲ちゃんが、御陵本家へと顔を出したのは、依頼人の平坂さんと顔合わせをしてから三日後の正午過ぎ。出発の二日前のことでした。 「久しぶり、奏」 「八雲……ちゃん……一体、どうして急に……?」 部屋に入ってきた八雲ちゃんを見て、私は驚きのあまり言葉を失いました。任務を遂行したとはいえ、八雲ちゃんは負傷していました。調査任務の終盤、【敷島】との戦闘に巻き込まれ、右の太ももと脇腹に銃弾を一発ずつ受けたと聞いています。 「あはっ……同じ釜の飯を食べて、八年も一緒に清治さまのしごきに耐えた。そんな苦楽を共にした唯一の同期がいよいよ初陣だって言うのに、病院のベッドで呑気に寝ている訳にもいかないでしょ?」 私の勉強机に軽く身をもたせかけながら、八雲ちゃんはそう言ってにこりと笑います。白いキャミソールに、青みがかったデニムのショートパンツ。すらりと伸びた細い足には純白のニーハイソックスを履き、腰まで伸ばした艶やかな黒髪をポニーテールにしていました。 同性すらも虜にしてしまう程の可愛らしさ。嫉妬や羨望すら、抱かせることを許さない。裏御三家が、美男美女の家系なのは薄々分かっていましたが、彼女もまた例に漏れず見目麗しい顔立ちと、ややスレンダー気味な絶妙なる肉体美の持ち主でした。 まだ、撃たれた傷は完治していないのでしょう。右の太ももには靴下越しに、白い包帯が丁寧に巻かれているのが見えます。ということは、脇腹の傷も……平静を装ってはいますが、その実かなり無理をしているんじゃないかと心配になってしまいます。 事実、首から提げたロザリオをそっと握りしめ、八雲ちゃんは何度か深呼吸を繰り返していました。額には薄らと汗が浮かんでおり、懸命に痛みを堪えているであろうことが窺い知れます。 「……夢見で、無理矢理治そうとしたんだけどね。それをやったら最悪死ぬと、清治さまに叱られたの。普通に治せるなら、それに越したことはないって」 夢見とて、決して万能ではない。自らが想像したもの・事象を具現化・具象化するには、それ相応の代償を伴う。教育課程で、口酸っぱく言われてきたことです。 深傷を負い、痛みに耐える八雲ちゃんの姿は、それを如実に物語っていました。如何に強大な夢見鳥とて、必ずしも無敵ではないのです。 「奏……貴方に伝えなければ、いけないことがあるの」 何時になく真剣な面持ちで、八雲ちゃんは私へと視線を向けます。教育課程の時でさえ、私を励まそう、鼓舞しようと努めて笑顔を見せていた八雲ちゃんが、このような表情を見せるのはたいへん珍しいことです。 「────」 ロザリオを握りしめたまま、八雲ちゃんは目を閉じて深呼吸を繰り返します。それは一族に奉仕する巫女でありながら、清治さんの意向で前世にキリスト教を学ばされた彼女の癖のようなものでした。 「──良い? よく聞いて、奏。鳴神山地の調査に貴方を送り込むのは……御門本家の仕組んだ罠よ」 やがて意を決したように、口を開いた八雲ちゃん。その口から飛び出したのは正に青天の霹靂。驚愕の事実に他なりませんでした。 「御門家にも当然、私や清治さまのような夢見鳥が二名いるわ。珠緒《たまお》さんと、操《みさお》さん。何方も清さんと同世代の巫女。だけど今、御門本家の実権を握っているのは、彼女たちの父君なの」 それは、本来あってはならないことだと、八雲ちゃんは言います。夢見鳥が存命中は、本家を仕切るのは夢見鳥であり、それ以外の者が仕切ることは許されない。 だと言うのに、御門本家の当主代理は珠緒さんと操さんが成長した今も尚、彼女たちに当主の座を譲ろうとしないのだそうです。 「彼はね、権力欲の塊なの。今の腐敗した日本政界を象徴する内閣総理大臣・因幡のように。一日でも長く、当主代理をしていたい。だからあれこれ理由をつけて、今も当主代理の座に居座っている」 そんな彼が、何故私を陥れようとするのでしょう。 「一言で言えば──気に食わないのよ。裏御三家の血を引いていないのに夢見の素質を持ち、周囲からちやほやされる貴方のことが。だから彼は、貴方にさっさと死んで欲しいと思っているの」 私の心の中を読み取ったか、八雲ちゃんはそう言って細い眉を顰めつつ、大きく溜め息を吐きます。 「何とも馬鹿馬鹿しい理由だけれど、本人は至って大真面目だからタチが悪い。鳴神山地は過去に何度も巫女が送り込まれ、何れも殉職している危険な場所。殉職した巫女たちの遺髪も遺品も、残念ながら回収出来ずに終わっているわ。そこに新米巫女の貴方を送り込むなんて、本来なら絶対あり得ないことよ」 「……腐っている……そんな、馬鹿な話って……」 「ええ、そうね。今の御門本家は腐っている。彼には近いうちに然るべき報いは受けてもらうけれど、それより何より問題なのは、貴方を鳴神山地という金剛さんたちが社務所へと戻ってきたのは、私が入浴と着替えを済ませ、談話室で休憩中の和さんにちょうど声を掛けようとしたタイミングでした。「──奏さま。只今、鳴神山より戻りました」 眉一つ動かさず、淡々と帰還を告げた金剛さん、それから鈴木さん……ですが二人とも心做しか表情が暗く、全身から噎せ返る様な血の匂いと硝煙の香りを漂わせています。 鳴神山で彼らが戦闘に巻き込まれたのは、素人の私から見ても一目瞭然でした。特に金剛さんは大量の返り血を浴びており、疲労の色が濃いように見受けられます。「……やはり、特務機関【敷島】ですか」 私が尋ねると、金剛さんは小さく頷きながら、「えぇ……何とか追撃を振り切って、此処まで戻ってくることが出来ました。紙一重、でしたがね……」 そこで──ふと、私は違和感を覚えました。 周防さんの姿が、何処にも見当たらないのです。 彼は金剛さんたちと共に、鳴神山へと赴きました。金剛さんたちが何とか無事に戻ったのであれば、彼もこの場に居なければ可笑しい筈。 それとなく目線で訊いてみるも、金剛さんたちは嫌そうな顔をして目を逸らします。まるで、彼のことを話題に挙げて欲しくないと言わんばかりに。「────」 途轍もなく、嫌な予感がしました。風呂から出て間もないというのに身体が震え、冷や汗が背筋を伝います。 私の予想が正しければ、恐らく周防さんは── ──その時、私の思考を遮るように談話室の扉が開き、和さんがそこから顔を出しました。「……和、か」「し、小隊長殿……?」 夥しい程の返り血に塗れた金剛さんと鈴木さんを見て、和さんは表情を強ばらせます。「そ、その血……何処かお怪我を……?」「……いや、大したことはない。私に構うな」 少し煩わしそうに和さんの手を振り払うと、金剛さんは大きな溜息混じりに談話室へと入り、適当な椅子へとやや乱暴に腰掛けました。「…………」「小隊長殿……? 一体、何が……」 そこまで言いかけた和さんでしたが、直ぐに周防さんが見当たらないことに気が付いたようでした。「……周防君は? 周防君は何処にいるんですか?」 声や身を小さく震わせながら、和さんは金剛さんと鈴木さんの顔を交互に見やりつつ問いを発します。何となく事情を察することが出来てしまった私は、それを見て何とも居た
私と和さんが、星降山から下山してから程なくして、鳴神山へと赴いていた金剛さんから、"現在帰投中"との連絡がありました。 戻るまで凡そ一時間程掛かるとのことでしたので、金剛さんたちが帰ってくるまでの空き時間に入浴を済ませてしまおうと思った私は、休憩中の和さんに声を掛けてから浴室へと向かいました。 後ろ髪を結わえていた和紙を取り、何時ものように緋袴を壁際のハンガーにかけて、白の小袖はクリーニングに出してもらう為に畳んでおき、襦袢は洗濯ネットに入れ、和装下着と共に洗濯籠へ……替えの巫女装束とバスタオルを用意して脱衣所の棚へと置くと、私は浴室へと足を踏み入れました。 蛇口を捻り、シャワーヘッドから噴き出した冷水が徐々にお湯へと変わってゆくのを指先で確認すると、私は頭から身体、髪の毛一本一本や手の指先や爪先に至るまで、お湯とシャンプー、それからボディーソープでくまなく身を清めます。 髪や身体を清め終えたら、洗面器にお湯を張り、そこに中性洗剤を入れて、今日一日中履いていた白足袋を浸けます。足袋を長持ちさせるには、二、三分ほどこうして浸した後に自分の手で揉み洗いすると良いと、清さんや御陵本家が管理するお社に務める巫女さんが言っていました。ですので私も、何時も入浴時にその日履いていた足袋を自分で洗うことにしていました。 そうして足袋も洗い終え、もう一度シャワーで髪や身体を軽く清めた私は、背中まで伸ばした後ろ髪が湯に浸らないようヘアゴムで一つに纏め、浴槽にゆっくりと身を浸しながら、浴室の天井を見つめて、ほっと一つ溜め息を吐きました。 脳裏を次々と、無数の言葉が駆け抜けてゆきます。巫女長さんや禰宜の鬼塚さん、依頼人にして宮司の平坂さん等と交わした何気ない日常会話から、鈴木さんと金剛さんから告げられた、特務機関【敷島】が神社関係者を背乗りしているという情報。 それから──天津甕星が、私との意思の疎通を試みる中で紡いだ、呪詛にも似た言葉の数々。 ──"我が成すべきは、只一つ。憂世を絶ち、天地を絶つ"。 ──"この世は辛く、残酷。人という種が存在する故。故に遍く生命を祓い浄め、人という獣が創りし全てをなかったことにする。それこそが我が悲願、我が誓い。この願いは、誓いは……何者にも邪魔立てさせぬ"。 ──"あぁ……憎い。憎くて憎くて、仕方がない"。
少女の先導の下、香々星之宮へと立ち入ると、大きな正五芒星がぼうっと、紫色の光を放ちながら宙に……ちょうど私の目線と同じくらいの高さに浮かび上がりました。 その中央より、腰から下のない黒い人影のようなものが音もなく姿を現し、此方へとゆっくりと顔を向けてきます。「…………!」「──迂闊に銃を向けては駄目です、和さん……! 此方に敵意があると、相手に認識されかねません……!」 即座に小銃を相手に向けて臨戦態勢に入る和さんを素早く制しつつ、私もまたソレへと顔を向け、胸に手を当てながら丁寧に一礼しました。「────」 人影がそのまま実体を得たかのような姿のその相手は、尚も警戒を解かない和さんには目もくれず、ただじっと私のことを観察してきます。 ソレは全体的に華奢な体躯で、腰まで伸びた長い黒髪、慎ましやかな胸の膨らみ、そしてくっきりとした腰のくびれなどが確認出来ます。下半身は正五芒星に呑まれており、残念ながら目視で確認することは出来ません。 或いは、元から下半身などない可能性も……ですが、眼前に現れたソレは、華奢なその体躯から私と同年代くらいの少女ではないかと思われました。 断定を避けたのには、理由があります。ソレの顔には、鼻らしき微かな突起はあっても鼻の穴は見当たらず、口に至ってはそもそも存在すらしていなかったため、外見的な年齢を推測するのが困難だったためです。 虚ろな切れ長の目……白目の部分が一切存在しない真っ黒な双眸のみが、ソレの顔に明確に存在している唯一のパーツでした。 刹那── 影法師の額と胸の中央に、正五芒星が音もなく浮かび上がります。ソレは天津甕星の分身体──上空にて渦を巻く暗雲の中に潜む影とは別に、私と意思疎通をするために生み出された、云わばもう一つの影とでも言うべき存在でした。 初日の夜──金剛さんと香々星之宮を訪れた際、天津甕星は眷属となった少女たちを通して私という存在を認めたこと、香々星之宮まで導いたことを告げた後、暗雲の中に潜む影を用いて、言葉で直接私に立ち入りを赦す旨を伝えてきました。 ですが、神との安直な意思疎通は障りを齎し、対象の心身を蝕みます。私があの時、側頭部を鈍器で勢い良く殴られたような激しい頭痛に見舞われ、目や鼻から大量に
しかしながら、私たちのやるべきことは変わりません。悲観してばかりいたら、それこそ生きて帰ることなど出来ないでしょう。 私は星を司る神・天津甕星と接触を試みるため、和さんを連れて星降山へ……金剛さんたちは車で鳴神山の旧軍施設へと、日没後それぞれ出発しました。 旧軍施設が幾つも残されている鳴神山……神隠しが頻発しているそこで、特務機関【敷島】は何かしているに違いない。それこそが神隠しの正体であり、"高天原計画"の儀式であると私と金剛さんは考えていました。 そのため、金剛さんは私に対し、周防さんや鈴木さんと共に、星降山の調査と鳴神香々星奇譚の読み込みで多忙な私の代わりに、鳴神山の旧軍施設とその周辺を探ってこようと思うが如何、と提案してきたのでした。 甚だ危険な役目ではありますが、どうやら金剛さん的には、私には天津甕星との接触、それから彼の神格の正体を突き止めることに注力して欲しいようで、私は決して無理をしないと約束させた上で、彼の行動を容認する他ありませんでした。 星降山への入口までの道中、和さんは【敷島】の手の者に尾行されていないか、何度も何度も入念に後ろを警戒していました。少しでも足音のような物音が聞こえると、手にした小銃を躊躇なく、背後の暗闇へと向け、誰何する……それを繰り返しました。 護衛任務はこれで二度目だという和さん……まだまだ動きがぎこちなく、金剛さんが纏っているような、余裕綽々、泰然自若といった雰囲気は、残念ながら未だ持ち合わせていないようでした。 物音や周囲の暗闇に対して過度に警戒するその様は、見ていて少し不安になります。こんな時、金剛さんなら……と変に比較してしまうのは、私が彼に安心感を覚えてしまったが故なのでしょう。 和さんと共に、徒歩で香々星神社を出発してから凡そ二十分が経過した頃──天津甕星を祀る神域・香々星之宮へと通ずる、星降山の入り口が私たちの前にその姿を現しました。 薄暗い木々が周囲を覆い尽くし、鬱蒼とした山林を形成している中にポツンと、まるでそこだけ空間が丸ごと抉り取られたかのように入り口は開かれており、巨大な鳥居が存在をこれでもかと誇示する様は、見る者を容赦なく萎縮させます。 「うわ……何というか……雰囲気あるわね、ここ……」 和さんがごくりと、息を呑む音が耳に届きます。彼女はただただ、雰囲気に
私たちが此岸町に現地入りしてから、早くも四日が経過しようとしています。 私は何時ものように夜明け前に起きてシャワーを浴び、姿見の前で和装下着を身につけて白足袋を履き、素早く襦袢、白の小袖、緋袴の順で素早く巫女装束に着替え、後ろ髪を和紙で一つに結わえた後、居室兼寝室へと向かい、まだ自力で巫女装束に着替えられない和さんの着付けを手伝います。その間に周防さんは国旗掲揚へ、金剛さんと鈴木さんは朝食の用意と昼食の下準備を始めます。 私は日没後に星降山へと赴いては、星神・天津甕星との接触を試みたり、下山後も鳴神香々星奇譚をじっくりと読み込み、気になった箇所に付箋をしては、調査ノートに該当箇所を箇条書きにして纏めるという作業を深夜二時まで行っていましたので、やや寝不足気味ではありますが、行動に何ら支障はありません。 御堂本家当主にして現人神・清治さんの下で八雲ちゃんと一緒に教育プログラムを受けた際、一緒に徹夜して提出レポートを仕上げたことが何度かありますので、脳や身体が慣れてしまったのかもしれません。尤も、徹夜という行為は決して褒められたものではありませんが……。 午前六時半頃に談話室に集合し、金剛さんと鈴木さんが作ってくれた朝食を摂ります。その際に、昨夜社務所内で起こった怪奇現象について和さんや周防さんが話すのは最早定番と化していました。 今朝は珍しく、金剛さんも参戦……とびきり意地悪そうな笑みを湛えつつ、彼は部下三人に対し言いました。 「──良いか、お前ら。怪異の話をしているとな……その怪異が近くまで寄ってくるぞ」 「……え?」 その言葉に和さんは青ざめ、周防さんは言葉を失い、鈴木さんはポカンとしていました。三者三様の驚き方は、見ていてとても面白かったです。 朝食後は各々歯磨きをし、朝拝まで敷地内とその周辺を皆で掃除します。ここまでの行動パターンが、すっかり香々星神社での朝の日常となっていました。 現状、私たちを取り巻く環境に、大きな変化は見られません。子供世代、若者世代が概ね友好的なのに対し、大人世代が冷ややかな反応を示すのも変わりません。 何か一つ、変わったことがあるとするならば── 「──おはよう御座います、巫女さま。今日も変わらず、お美しい」 朝の散歩中と思しき氏子総代の一人である老婦人が、愛想笑い
同時刻── 御陵 奏が嘗て教育プログラムを受けた、御堂本家。その屋敷内にある当主の執務室を訪れる、一人の見目麗しい巫女の姿があった。 「──失礼します、ご当主さま」 「ほぅ……誰かと思えば、叢雲《むらくも》じゃないか」 執務室の扉を開けて入ってきた巫女に背を向けたまま、御堂本家当主・御堂 清治はふっと笑みを零す。それにつられるかのように、叢雲と呼ばれた巫女の少女も、整った小さな口許に薄らと冷たい笑みを浮かべた。 裏御三家が誇る夢見鳥が一柱・御堂 叢雲。それが少女の名前だった。否……声も見た目も、そして立ち居振る舞いも、完璧に少女のそれであるが、実際は清と同年代の少年──即ち男であった。 線の細さ、そして見た目と声の清らかさを武器とすべく、転生する度に去勢手術を受けており、表向きは清たちと同じく女である。彼が男であることを知る者は、夢見鳥たちと彼の両親を除けば誰一人として存在しない。 夢見鳥としての実力は本物であり、総合的な強さでは、一族の最高傑作と謳われる清に次ぐとの評価を得ている。それ故に、"現人神の懐刀"と呼ばれ、内外から畏怖されていた。 「珍しいな。お前が自分から、私の元を訪れようとは」 「えぇ、まぁ。恐れながら、ご当主さまに具申したきことが御座いまして、ね」 「ほぅ……では、聞かせてもらおうか」 叢雲の方へ、清治はゆっくりと向き直る。翡翠色の瞳の奥底に、仄暗い焔が灯っているのが見えた。 普通の人間なら萎縮してしまうであろう、清治の全身から放たれる圧倒的なプレッシャーを受けても尚、叢雲は平然としている。寧ろ、余裕綽々たる態度であった。 「──ご当主さま。今こそ正しく、機を見るに敏。裏御三家内に不和をもたらす元凶・御門本家……その当主代理をこの世から抹殺するべきかと存じます」 「ふむ……続きを聞こう」 「はっ──特務機関【敷島】との争いは現状、我々裏御三家が優位に立っております。八雲が熊襲で暴れ回り、彼の地に展開していた【敷島】の精鋭を蹴散らしたことが大きいでしょう。我らは今、勢いに乗っております」 しかしながら──"月に叢雲、花に風"と言われるように、良いことにはとかく邪魔が入りやすく、長続きしないものである。熊襲での敗北を受け、【敷島】が反撃の狼煙を上げるのは時間の問題であるし、何より御