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不倫夫を捨てて世界を離出します
不倫夫を捨てて世界を離出します
Author: 莉里

第1話

Author: 莉里
「システム――私は所有者ナンバー12138の娘です。この世界からの離脱を申請します」

真冬の夜、暖炉の炎がぱちぱちと音を立て、白い壁に揺れる影を残す。

伊賀崎千春(いがさき ちはる)は、窓の外で降り積もる雪を見つめながら、首元のシルバーのネックレスを静かに外し、小さく呟いた。

しばらくすると、静まり返った寝室に無機質な機械音が響いた。

「申請を受理しました。処理を開始します。15日後、あなたを本世界から離脱させます」

その声が消えた瞬間、手のひらに乗せていたはずのネックレスが、跡形もなく消えていることに、千春は気づいた。

そのとき、テレビではちょうど伊賀崎透真(いがさき とうま)のインタビューが始まっている。

「今回発表された新作ジュエリーシリーズ『スプリング・ラブ』ですが、この名前には特別な意味があるのでしょうか?」

司会者の問いに、メインゲストの透真は柔らかく微笑む。その眼差しには、惜しみない愛情が宿っている。

「『スプリング』はすなわち『春』。妻の名前から取っています。このシリーズには、『一生彼女だけを愛し続ける』という想いを込めました」

あまりにも自然な惚気に、司会者は思わず頬を緩める。

「お二人は初恋同士で、大学卒業後、すぐにご結婚されたそうですね。結婚4周年を迎えようとした今も変わらず仲睦まじいご夫婦ですが、その秘訣は何でしょう?」

「秘訣ですか……強いて言うなら、何でも妻を優先することですね。連絡は必ずすぐ返しますし、毎日何かしら喜んでもらえることを考えるようにしています」

その答えに、会場から羨望のため息と歓声が一斉に上がる。

「ああ、神様、こんなに一途な旦那さん、私にもください!」

「伊賀崎さんみたいな男って本当に珍しい!私も伊賀崎さんの心を攫ってしまいたいわ!」

いつまでも鳴り止まない歓声を聞きながら、透真は穏やかに笑って言った。「すみません。私の心は、いつだって千春だけのものです」

割れんばかりの拍手が会場を包み込み、インタビューは終了した。

透真の姿が消えるのを見届けると、千春は静かにテレビの電源を切り、自嘲するように口元を歪めた。

――「私の心は、いつだって千春だけのものです」って?

昔は、そうだったかもしれない。

二人は幼なじみとして育ち、15歳で恋人になり、22歳で結婚した。

制服を着ていた頃から付き合い始め、タキシードとウェディングドレスをまとって結ばれた二人を、誰もが理想の夫婦だと羨んだ。

透真はSNSで千春の写真ばかり投稿し、異性とも距離を置いていた。

結婚式当日から3日3晩、街のあちこちで花火を打ち上げ、世界中に「愛する女性を妻に迎えた」と、誇らしげに宣言した。

千春が腎不全を患ったときには、迷うことなく自分の腎臓を提供し、「君がいないなら、俺も生きる意味なんてない」と言った。

付き合ってから7年間、結婚してから4年間、彼は告白の日に誓った言葉を裏切らなかった。

けれど、人は変わる。

千春の父、笹原和夫(ささはら かずお)がそうだったように。透真もまた、例外ではなかった。

和夫は27歳のとき、母の笹原佳代子(ささはら かよこ)を裏切った。秘書と関係を持ち、その結果、佳代子はすべてに絶望してこの世界から離脱することを選んだ。

そして26歳の透真もまた、千春を裏切った。親友の妹を人知れず囲い、彼女の存在を千春に隠し続けていたのだ。

20年以上の時を経て、同じ悲劇が繰り返された。

だから今度は――千春は母と同じ道を選んだ。

彼が裏切るなら、自分はこの世界から姿を消す。

ふと、寂しくなった首元に触れる。その感触に、母が旅立つ前に残した言葉が蘇った。

「千春、私はこの世界の人間じゃないの。任務を果たすためにここへ来ただけ。そして、その任務はもう終わったの。

お父さんは私を裏切った。だから私は家へ帰るわ。

このネックレスをあなたに託すね。もし、この世界で生きるのが苦しくなったら――システムに呼びかけて。そうすれば、あなたもこの世界を離れて、私のところへ来られるから」

――この世界を、永遠に去る。

それこそが、今の千春の願いだった。

彼女は静かに笑うと、結婚指輪を外し、そのまま暖炉の炎の中へ放り投げる。

扉を閉めたその瞬間、ガチャリと玄関が開く音がした。

冷たい雪をまとった透真が、真っ赤なバラの花束を抱えて帰ってくる。

「千春、ごめん。今日は会議が長引いて、帰りが遅くなった」

そう言って微笑みながら、いつものように花束を差し出した。

バラは毎日のように贈られていた。けれど今日の花だけは、香りがやけに強い。何かを隠そうとしているかのように。

千春は花束をテーブルへ置く。その瞬間、透真の体から濃い香水の匂いが漂ってきた。

――そうか。あの女の香りをごまかすためだったのか。

胸を締めつける痛みを押し込みながら顔を上げると、透真のシャツの襟元から、薄く赤いキスマークがのぞいていた。

もう涙は、とっくに枯れてしまった。だから今回は、一目見ただけで視線を逸らし、静かに言う。

「大丈夫よ。これからは何時に帰ってきてもいいし、帰ってこなくても構わない。私のことは気にしなくていいから」

彼もまだ知らない。

この世界で彼女に残された時間が――あと15日しかないことを。

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