เข้าสู่ระบบ何度、書き直しただろうか。
机に広げた紙の上には、たどたどしい文字が並んでいた。アルリックに文字を教わってからというもの、ルミエルは彼が不在の時間を惜しむようにして、羽ペンの動かし方を身体に叩き込んできた。不揃いで頼りない字の形は、砂漠に刻まれた足跡のようにどこか心許ない。けれど、そこに込められた決意だけは、鋭利な刃物のように光を放っていた。
兄の身代わりとして、呪いを受けたまま嫁いできたこと。本当の名前はルミエルであること。卑しい愛人の子として生を受け、陽の光さえ届かない冷たい塔の中に閉じ込められて育ったこと。そして――二十歳の誕生日を迎えるまえに、この身体を蝕む呪いによって命が尽きること。
喉に張り付いて決して言葉にならなかった真実を、ルミエルはインクの染みに託してすべて綴った。
折り畳んだ紙を両手で包み込むように持ち、ルミエルは深く、肺の奥まで冷たい空気を吸い込んだ。胸の奥が軋むような心地がして、指先に力が込もる。声を持たず、字の読み書きもできない人間を、アルリックは「ルーク」として受け入れてくれた。野蛮なアルファたちがオメガをただの道具として喰らうこの世界で、彼はルミエルを温かな腕で抱きしめ、一人の人間として慈しんでくれたのだ。
彼がくれたのは、凍てついた心を溶かすような情愛だった。
(……それなのに、僕がずっと黙っているなんて、できない。この安らぎを、嘘の上で貪り続けることはできない)
視線を紙に落とし、ルミエルは白く震える唇を強く引き結んだ。どんな反応をされようとも、たとえこの場で切り捨てられたとしても受け入れよう。そう、まえから覚悟は決めていた。
執務を終えたアルリックが寝室に入ってきたのは、陽が完全に地平線の向こうへと落ち、夜の静寂が世界を支配したあとのことだった。
扉を開け、ルミエルの姿を認めた瞬間、アルリックの鋭い目元がふっと和らいだ。鎧を脱ぎ捨てた彼が歩み寄ってくる足音が、静まり返った部屋にやけに大きく響く。
ルミエルは震える手で、大切に持っていた手紙を差し出した。アルリックは不思議そうに首を傾げながらそれを受け取り、ソファに腰を落ち着けて紙を広げた。
ルミエルはソファから少し離れた場所に立ち、両手を前で重ねたまま、視線を床の一点に落とした。紙を繰るカサリという乾いた衣擦れの音だけが、部屋の空気を震わせている。暖炉の炎がパチパチと爆ぜるたびに、壁に映る影が生き物のように不気味に伸び縮みした。
紙を折る音が聞こえてきた瞬間、ルミエルはビクッと肩を小さくすくめた。
頭の上から降り注いでくるはずの、激しい怒声を待った。騙したのかと、冷酷な目で射抜かれるのだろう。身代わりなどという愚弄を許さぬと、その大きな手で突き放されるのだろう。そう身構えて、ルミエルはぎゅっと目を閉じた。
だが、待てども待てども、何の声も降ってこなかった。
静寂があまりに長く続くので、恐る恐る顔を上げると、アルリックがまっすぐにルミエルを見つめていた。その眉間には深い皺が刻まれ、唇はきつく閉じられている。けれど、そこにあるのは予想していた怒りではなかった。ただ悲しみと、やるせなさと呼ぶほかない何かが、鋭い琥珀色の瞳の奥に、澱のように深く滲んでいた。
(怒って……ない、の……?)
アルリックが音もなく立ち上がり、ゆっくりとルミエルの前に歩み寄ってきた。
逃げ出すこともできず立ち尽くすルミエルの頬に、大きな手のひらがそっと添えられる。温かく、すべてを包み込むようなその感触に、こらえていた胸の奥が震えた。アルリックの唇がわずかに開き、静かで重みのある声が落ちた。
「ルミエル」
(……僕の名前を、呼んでくれた)
生まれて初めて、自分の本当の名前を、誰かに、それも最愛の人に呼ばれた。
その一言だけで、心の中に築いていた防壁が音を立てて崩れ去った。視界が急速に歪み、瞼が焼けるように熱くなる。ルミエルは小さく頷き、頬に触れているアルリックの手を、細い両手で包み込むようにして強く握りしめた。
自分の名を呼んでもらうことが、これほどまでに魂を揺さぶり、救いになるとは知らなかった。
堪えきれなくなった涙が頬を伝い、アルリックの指先を濡らしていく。唇の端を持ち上げようとしたが、上手くいかずに歪んだ笑みになってしまった。
(……嬉しい)
アルリックは何も言わず、親指でそっと涙を拭った。そしてルミエルの頭を引き寄せ、広い胸の中に包み込むように額を押し当ててくれた。彼の衣類からは、洗いたての石鹸の香りと、雨上がりの森を思わせる落ち着いた木の香りが漂ってくる。その奥から聞こえる規則正しい心臓の音が、ルミエルの鼓動と共鳴するように響いた。
「呪いとか術とかいうものは、俺はあまり信じない質だ」
低い声が頭上から、身体を震わせるように響く。
「だが、お前がこれほど苦しみ、声を出せずにいる事実を目の当たりにすれば、信じるよりほかにないのだろう。ルミエル、俺を信じろ」
アルリックの腕に一段と力が込められ、ルミエルの身体がより深く、彼の熱に溶けるほど引き寄せられた。
「二十歳でお前を死なせるつもりはない。そんな馬鹿げた運命に、お前を渡したりはしない。術師に直に会えば解除できる可能性があるのなら、地の果てまででも追い詰めてやる。急ぎ、お前を連れて、術師が誰か聞きに行こう。……俺が、必ず守ってやる」
(――え?)
死なせるつもりはないという力強い言葉に、ルミエルは耳を疑った。運命を受け入れ、ただ死を待つだけだった日々が、彼の言葉によって一変していく。
胸の中で、冷たく固まっていた何かが静かにほどけていった。ルミエルはアルリックの腕からそっと身を離し、机に戻って紙と万年筆を手に取った。震える手で、胸の内を文字に託す。
――怒ってないのですか?
受け取ったアルリックは、それを一読してから、ふっと柔らかく表情を崩した。
「怒ってない。何を怒るというんだ。……ああ、身代わりだと黙っていたからか?」
彼は少しだけ視線を泳がせ、慈しむような口調で続けた。
「その件について、お前を責めるつもりは毛頭ない。お前を道具として差し向けた連中には、相応の報いを受けてもらうが……結果としてお前が俺の妻になったことを、俺は天に感謝している。良かったと、心から思っているんだ」
そう言って、アルリックはこれまで見たことのない、春の陽だまりのような笑みを浮かべた。その眼差しがあまりに眩しくて、ルミエルは顔を赤らめて目を伏せた。
「愛してる、ルミエル。お前がルークであろうとルミエルであろうと、俺が求めるのはお前だけだ」
ルミエルの心臓が跳ね、全身に熱い血液が駆け巡った。顔が燃えるように熱くなり、安堵と喜びで再び視界が滲む。
アルリックがルミエルの細い手を取り、ベッドへと優しく誘った。横たわるルミエルの寝衣に彼の手がかけられ、器用な指先が一つ、また一つと紐を解いていく。するりと肩から布が滑り落ちると、夜の冷気が肌を撫でたが、不思議と寒さは感じなかった。暖炉の炎が揺れるたびに、ルミエルの白い肌は橙色に照らされ、深い影を纏って官能的に浮かび上がる。
(見つめられてる……)
羞恥心が全身を駆け巡り、思わず腕で身を隠そうとすると、アルリックに手首を穏やかに制された。そのまま彼が仰向けに横たわり、ルミエルを見上げながら、悪戯っぽく微笑む。
「今夜は、ルミエルが上だ。お前の好きなようにしてくれ」
それは、外で誰も寄せつけない覇王が見せる顔とは、まるで正反対の顔だった。自分を全うに預け、愛をねだる一人の男の顔。
(この表情を知っているのは、世界中で僕だけなんだ……)
胸の奥が熱く、甘く締めつけられた。ルミエルは意を決して、膝でベッドに乗り、アルリックの腰をまたぐように跨った。自分の裸身がこれほどあからさまに晒されている状況に、心臓が破裂しそうなほど打ち鳴らされる。恐る恐るアルリックの腹に手を置くと、鋼のように鍛えられた筋肉の硬さが掌を通じて伝わってきた。指の腹でゆっくりと、彼の身体を愛しむように撫で下ろすと、アルリックの腹筋がぴくりと収縮し、彼の呼吸が一段と深くなるのがわかった。
(もっと、アルリック様に触れたい。本当の僕を、全部受け入れてほしい……)
腰に手を滑らせ、熱く、硬く反り返っている彼の存在に触れると、アルリックの喉の奥から切羽詰まったような低い吐息が漏れた。指先でそっと形をなぞれば、先端から透明な雫が滲み出している。ルミエルは唇を湿らせ、吸い寄せられるように顔を近づけた。
舌先でその先端を、愛を確かめるように舐めとる。アルリックの腰がわずかに浮き、彼の手に力がこもった。
「ルミエル……っ、お前はなんて……」
掠れた声で名を呼ばれるたび、ルミエルの腹の奥がじりじりと疼いた。ルミエルはゆっくりと唇を開き、彼の熱を口に含んだ。舌を這わせれば、彼の命の脈動がダイレクトに伝わってくる。アルリックの手がルミエルの銀髪に差し込まれ、ただ優しく、宝物を扱うように撫でた。その慈愛に満ちた仕草が、かえってルミエルの情欲を煽った。
唾液が口の端から零れ、顎を伝ってシーツへと落ちる。恥ずかしさで意識が遠のきそうになるのに、自分が動くたびに、あのアルリックが呼吸を乱し、翻弄されている。その事実が、たまらなく誇らしかった。
(僕のせいで、アルリック様がこんなに……。ああ、嬉しい……)
隆起したアルリックの腹が大きく上下し、シーツを握る彼の指先に力が込もる。口の中で脈打つ熱が一段と高まり、先端から溢れるものが舌に触れた。
「んっ……ん」
鼻にかかった、自分でも聞いたことのないような甘い吐息が漏れてしまう。アルリックがルミエルの肩を優しく引き上げ、自分の上に座るよう促した。腰の上に跨る体勢になると、熱く硬い質量が、入口を執拗に突き上げてくる。
「自分で入れてみろ、ルミエル。俺の中のすべてをお前にやる」
囁かれた言葉の熱量に、顔が一気に沸騰した。けれど、アルリックの琥珀色の瞳は、濁りのない愛情を湛えて自分を真っ直ぐに見つめている。ルミエルは逃げることも、目を逸らすこともできず、おそるおそる自らの腰を落とした。
先端が入口を押し広げ、一歩、また一歩と中に入り込んでくる。自らの重みで、彼を飲み込んでいく。どの深さまで受け入れるかを、心臓の音を聴きながら自分で決めていく。その背徳的で濃密な感覚が、ルミエルの意識を白く塗りつぶしていった。膝から力が抜け、ずるりとそのまま、彼のすべてを最奥まで受け入れてしまう。
「あっ……あ、んんぅ!」
最奥まで隙間なく埋め尽くされた圧倒的な充足感に、ルミエルは背中を大きく反らせた。アルリックの腰骨が自分の腰に当たり、これ以上深くには入れないという事実を身体が知る。それでも内壁はひくひくと震え、さらなる深淵を求めて彼をきつく締めつけた。
(深い……。アルリック様が、僕の中に全部いる……)
アルリックの手がルミエルの腰をしっかりと掴み、上下に動くよう促した。腰を持ち上げ、また落とす。繋がったまま動くたび、内壁が彼の形を執拗に掠め、ぬるりとした卑猥な音が夜の静寂を侵食していった。
「んっ……んぅ、んっ……」
繰り返すたびに快感の火花は激しく散り、ルミエルの腰の動きは本能に導かれるように速まっていく。アルリックが仰向けのまま、腰を突き出すようにしてリズムを補助してくれる。ルミエルは彼の腹に両手をつき、必死に彼を求めて腰を揺らした。
「可愛いけど……これ以上は、俺が持たないな」
掠れた、けれど熱情の籠もった声とともに、アルリックの両手がルミエルの脇を掴んで引き倒した。瞬きする間に体勢が入れ替わり、ルミエルの背中は沈み込むようなシーツへと押し付けられた。アルリックが覆いかぶさり、月明かりを背にした彼の鋭い瞳が、逃がさないと言わんばかりに真上から見下ろしている。
「力を抜いて、俺だけを見ていろ」
囁きに、ルミエルは切なげに目を潤ませて頷いた。アルリックの手が太腿の内側を割り込み、さらに深く、脚を大きく広げさせる。無防備に晒された秘所に、熱い先端が再び押し当てられた。
「あっ……あ、んぅ……」
アルリックが腰を深く叩き込み始めると、擦られるたびに甘い閃光が脳裏を駆け抜けた。堪えようとしても、唇の隙間からは愛を乞うような嬌声が溢れ出す。
「んっ……ふ、ぁ……っ!」
奥の一点を執拗に、かつ愛惜を込めて突かれた瞬間、視界が白く弾けるほどの快感が走った。腰が大きく浮き、ルミエルは無意識にアルリックの腰に脚を絡め、もっと深くと彼を誘い込んだ。
(頭が、溶けてしまいそう……アルリック様……っ!)
アルリックが速度を上げ、情熱的に腰を打ち付けた。深く、確実に最奥を突き上げる衝撃に、ルミエルの意識は混濁し、もはや自分のものではなくなっていく。繋がった場所から溢れ出す水音が部屋に響き、シーツをぐっしょりと濡らしていく。
「ああっ……! んんっ……あ、ぁあ!」
「そうだ、もっと俺を感じろ、ルミエル……っ」
アルリックの声も余裕を失い、荒い呼吸がルミエルの肌を焼く。両手を強く握りしめられ、十本の指が複雑に絡み合う。ルミエルの手を頭の上に固定したまま、アルリックは最後の一滴まで注ぎ込むかのように、奥を激しく突き上げた。
身体の中心に熱いマグマのような何かが急速に溜まり、ルミエルの全身は歓喜の悲鳴を上げた。
「ああっ……っ!」
全身が激しく痙攣した。内壁がアルリックを逃がさぬよう強く収縮し、絶頂の波が幾度も押し寄せる。視界が真っ白に飛び、息が止まるほどの快感の中で、ルミエルはアルリックの手を壊れるほどきつく握り返した。
「ああ……中が、お前が、俺を放さない……っ」
アルリックが呻き、凄絶なほど色っぽい表情で眉を寄せた。額の汗がルミエルの頬に落ち、二人の境界が曖昧になっていく。
(……好き)
絶頂の余韻が冷める間もなく、アルリックは最後のひと突きを深く、重く沈めた。
熱い奔流が腹の奥深くに注ぎ込まれる。脈打つたびに、ドクンドクンと彼の一部が自分の中に満ちていく。アルリックは荒い息を吐きながら、ルミエルの指を砕かんばかりに握りしめ、その首筋に顔を埋めた。二人の鼓動は、どちらがどちらのものか分からぬほど、重なり合って高鳴っていた。
やがてアルリックは、ゆっくりとルミエルの隣に身体を横たえた。汗でしっとりと湿った彼の胸板に頬を寄せると、そこからは先ほどまでの激動が嘘のような、静かで力強い鼓動が聞こえてきた。
暖炉の炎が次第に小さくなり、寝室に落ちる影がより深く、濃くなっていく。
「ルミエル。俺がお前を、必ず光の当たる場所へ連れ戻す」
耳元で囁かれ、ルミエルは幸せな重みに浸りながら小さく頷いた。温かな彼の腕が背中に回り、銀色の髪に指が差し込まれて、ゆっくりと梳かれていく。
それは、身代わりとして死を待つだけだった少年が、初めて手にした本物の「安らぎ」だった。たとえこの命に期限があろうとも、この腕の中にある限り、もう何も怖くない。ルミエルは彼の腕の中で、深い眠りへと落ちていった。
あれから、一ヶ月の月日が流れた。 寝室の石造りの暖炉には赤々と火が灯り、夕暮れの訪れが早い季節の到来を告げている。パチリ、と薪が爆ぜる規則正しい音が静寂を刻み、橙色の炎が揺らめくたびに、天蓋の白い布には長く、不規則な影が這い回る。窓の外は藍色の闇に呑まれ、遠くで冬を予感させる風が木々を激しく鳴らしていた。乾燥した空気に、薪の煙の芳しさが微かに混じり、部屋の中に親密な温度を溜めている。 ルミエルは革張りのソファに深く身体を沈め、膝の上に一冊の本を開いていた。 それはアルリックから直接、手ほどきを受けた文字で綴られた物語だ。以前は一頁を読み進めるのにも酷く時間を要していたが、今では指先で追う視線も滑らかになり、文字の羅列はもはや未知の記号ではなく、意味を宿した生きた言葉としてルミエルの中に溶け込んでいる。 視線は物語を追いながらも、喉の奥では、ずっと別のことを反芻していた。(今日こそ……伝えられる気がする) 重厚な扉が開く音がし、アルリックが姿を現した。 一日の政務を終えた彼の貌には僅かな疲労が滲み、上着の襟元が少しだけ乱れている。卓上の燭台が放つ明かりが彼の金髪を眩く照らし、左頬に刻まれた傷跡が深い影を落とした。 けれど、その琥珀色の瞳がルミエルを捉えた瞬間、張り詰めていた肩の力がふっと抜けるのを、ルミエルは見逃さなかった。 本を閉じ、吸い寄せられるように彼のもとへと歩み寄る。ルミエルが背伸びをしてその唇
謁見の間には、透き通った朝の光が斜めに差し込んでいた。 石造りの高い天井まで届く縦長の窓から、白い光の帯が幾筋も床に伸び、石畳の冷たさを微かに和らげている。壁際に置かれた燭台の炎が、外から吹き込むわずかな風に揺れ、灰色の壁に生き物のような影を落としていた。 アルリックが重厚な彫刻の施された上座にどっしりと腰を下ろし、そのすぐ隣にはルミエルが静かに控えていた。 向かい側に座るのは、エルテア王国の新国王オーヴィン・ヴァランと、その傍らに寄り添う王妃。今日この場に臨むまで、ルミエルは幾度も心の準備を重ねてきた。かつて自分を塔に閉じ込め、呪いの名の下に蔑んできた「エルテア」という国の名は、今なお胸の奥底に小さな、けれど鋭い緊張の礫を投げ込んでくる。 ふと視線を向けた新王妃は、ひどく華奢で、儚げな印象を纏う人だった。 細い肩に淡い藤色のドレスが柔らかく落ち、膝の上で重ねられた白い指先が、時折不安げに微かな震えを見せている。年齢はルミエルよりも随分と上のはずだが、その顔立ちは驚くほど整っており、伏せられた長い睫毛の影が頬に美しい陰影を作っていた。丁寧に結い上げられた柔らかな茶色の髪には派手な装飾はなく、その控えめな佇まいにこそ、高潔な品格が宿っているように思えた。 身構えていたルミエルの強張りが、彼女の放つ穏やかな空気感に触れて、雪解けのように少しずつほぐれていくのを感じる。 一通りの儀礼的な挨拶が交わされ、アルリックとオーヴィンは、両国の近況について言葉を交わし始めた。 国境の安定、交易に関する新たな取り決め、周辺
目が覚めた瞬間、ルミエルは指先一つ動かすことができなかった。 瞼の裏側には、暴力的なほど鮮やかな白光が満ちている。天蓋の白い布を透かして差し込む朝の陽光が、寝室の隅々までをやわらかな輝きで満たし、浮かび上がる埃の粒さえも金色の砂のように輝かせていた。 遠くから微かに届く鳥のさえずり、窓の外で若葉が風に戦ぐカサカサという乾いた音。そして、暖炉の隅で灰になった薪の、微かな焦げたような香りが鼻腔をくすぐる。 眠りに沈んでいた五感が、痺れが解けるように一つずつ、ゆっくりと覚醒していく。その緩慢な時間の流れの中で、ルミエルは自らの胸の内に問いかけた。(……ああ。僕、生きてる。本当に、朝を迎えたんだ) 今日は、ルミエルの二十歳の誕生日だった。 この世に生を受けてからずっと、死の期限だと信じ込まされてきた「呪い」の日。暗い塔の中で、砂時計の砂が落ちるのを眺めるようにして待ち続けていた終焉の日が、今、これほどまでに穏やかな朝としてそこにあった。 呪いなど存在しなかったと、あの男の口から真実を知った後も、この朝を迎えるまでは拭いきれない恐怖が胸の隅に澱のように沈んでいたのだ。夜中にふと目を覚ますたび、ルミエルは暗闇の中で自らの胸に細い手を当て、ドク、ドクと刻まれる脈動を確かめては、安堵と不安の狭間で再び瞳を閉じる夜を幾度も繰り返してきた。 ――けれど、約束の朝は来た。 左胸の奥で、心臓が確かに、力強く時を刻んでいる。
「――ここは、あとは儂がおさめるから。行ってくれ」 老いた国王の震える言葉に、アルリックは短く一度だけ頷いた。そして、迷いのない所作でルミエルの細い手を取った。(……温かい) ルミエルの指先を包み込むアルリックの手のひらは、夜の冷気にさらされていたはずなのに、驚くほど熱を帯びていた。その確かな質量に、ルミエルは胸の奥がじんわりと疼くのを感じる。「では、任せた。我々は国に戻る」 アルリックはそれだけ言い捨てると、無造作に踵を返した。ルミエルはその大きな手に引かれるまま、一歩を踏み出す。 背後で国王が何かを言いかけた気配がしたが、アルリックは一度も振り返ることなく、前だけを見据えて歩き続けた。 遠ざかっていく王妃の狂おしい泣き声、ヨハンの醜い怒鳴り声。それらが夜の静寂に吸い込まれ、代わりに二人を包んだのは、研ぎ澄まされた冷たい夜気だった。規則正しく石畳を叩く足音だけが、耳の奥に心地よく響く。 隣を歩くアルリックの気配を感じながら、ルミエルは肺の奥まで冷たい空気を吸い込み、長く吐き出した。(僕は……最初から、呪われてなんていなかったんだ) その事実は、羽毛のように軽くルミエルの心を撫でた。けれど同時に、腹の奥にはズンとした重たい塊が居座っている。
馬が止まったのは、城下の外れにひっそりと佇む、小さな石造りの家の前だった。 王妃エレーヌはすでに馬を捨て、吸い込まれるように家の中へと滑り込んでいた。ガウンの裾が闇に引き込まれていくのと入れ替わりに、「呪いが……呪いが……」という、乾いた木の葉が擦れるような呟きだけが夜の底に沈んでいく。 アルリックがルミエルを軽々と抱きかかえて馬を下り、迷いのない歩調でその後を追った。 室内は薄暗く、埃の舞う空気の中に一本の蝋燭が細い火を灯していた。 簡素な寝台の上で、中年の男が跳ね起きるようにして上半身を揺らしている。王妃に激しく肩を揺さぶられ、男の寝ぼけた顔には、恐怖と混乱が混じり合った歪な表情が浮かんでいた。 その光景をルミエルは、アルリックの腕から解放されながら眺めた。(あの人が僕に呪いをかけた……人?)「助けて。ねえ、あなたしかいないのよ……!」 王妃が男の胸にしがみつき、声を上げて泣き崩れた。乱れた髪が涙で顔に張り付き、かつての気高く冷酷な面影は、見る影もなく崩れ去っている。「……なんだ、何があったんだ、エレーヌ」 男が王妃の肩を抱き寄せ、眠たげな目を細めた。だが、その視線が背後に立つアルリックを捉えた瞬間、男の表情は瞬時
廊下は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。 深夜の城は、昼間の喧騒が嘘のように暗い。石壁に点々と掲げられた燭台の火だけが、頼りなく通路を照らしている。炎が揺れるたびに、長く伸びた二人の影が壁の上で不気味に蠢いていた。 アルリックはルミエルの細い手を引き、迷いのない足取りで進む。硬い石床に響く足音は二人分。ルミエルはまだ足腰に力が入りきらず、アルリックの広い背中を追うのが精一杯だった。 歩くたびに、番の証が刻まれた首の後ろがじんと熱を持つ。それはアルリックとの絆を証明する確かな体温であり、今のルミエルを支える唯一の拠り所でもあった。 廊下の突き当たりに、王妃エレーヌの寝室があった。 アルリックが扉の前に立ち、その大きな拳で二度、静寂を破るように叩いた。 コン、コン。 乾いた音が響くが、中からの返事はない。アルリックは眉一つ動かさず、今度は少し強く扉を叩いた。それでも応答はなく、彼は躊躇なく扉の取っ手に手をかけた。 鍵はかかっていなかった。重厚な扉が、ゆっくりと内側へ開いていく。 その瞬間、ルミエルは思わず目を背けた。 寝室の中央に鎮座する大きなベッドの上で、王妃エレーヌが若い騎士と絡み合っていた。衣服は無造作に床へ脱ぎ捨てられ、月明かりと燭台の淡い光が、剥き出しになった白い肌を艶かしく照らし出している。
月明かりが窓から差し込み、ルミエルの横顔を淡く照らしていた。 規則正しい呼吸で胸が静かに上下している。疲れ果てて眠り込んだ身体は、アルリックの腕の中で小さく丸まっていて、触れれば壊れてしまいそうな儚さがあった。アルリックはゆっくりと身を起こし、愛しさに胸を締めつけられながら、ルミエルの顔を覗き込んだ。 ふと、その目尻に、乾いた涙のあとが残っているのに気づいた。
繋がったまま、ルミエルは息をすることさえ忘れていた。 アルリックの重みが上から覆い被さり、腰を深く打ちつけられるたびに、身体が大きく揺れる。くちゅ、くちゅ、と結合部から溢れる水音が、静まり返った部屋に卑猥なほど鮮明に響いた。愛液が二人の間で混じり合い、アルリックが動くたびに、その音は粘り気を帯びて大きくなっていく。「ぁ……ん、っ……ぁあ……」 声が止まらなかった。唇の隙間から甘い音が零れ、天蓋の奥へと吸い込まれていく。アルリックの腰が打ち込まれるたび、肌と肌が激しくぶつかり合い、乾いた音と濡れた音が重なって耳に届く。奥を執拗に抉られるたびに、全身の神経が熱い一点に集まっていく感覚があ
翌日から、アルリックは毎日欠かさずルミエルの部屋を訪れるようになった。 執務を終えた夕刻、廊下に規則正しい足音が響いてくると、ルミエルは決まってソファから立ち上がり、扉へと視線を向けた。期待と緊張で、心臓が一つ、大きく跳ねる。扉が開き、あの金髪の男が入ってくる。それだけのことが、今のルミエルには嬉しくてたまらなかった。 アルリックが小さな机を二つ並べ、紙とインク、そして万年筆を用
「ルーク」 低い声と共に肩を優しく揺さぶられ、ルミエルは重い瞼をゆっくりと持ち上げた。 意識が浮上すると同時に感じたのは、全身を包み込む心地よいだるさだった。昨夜の熱狂の残滓が、まだ身体の奥底に澱のように溜まっている。視界を上げれば、見慣れない天蓋の絹が朝の光を透かして白く輝いていた。(――眩しい) 窓の隙間から差し込む一条の光が、寝室を清冽な朝の色で満たしている。(……朝だ。本当の、朝なんだ) 慌てて身体を起こそうとした瞬間、掛けていた羽毛の布団がするりと滑り落ちた。その時、ルミエルは部屋の中に漂う異様な気配に気づき、息を止めた。(……え?) 寝室の隅には、仰々しい正装に身