เข้าสู่ระบบ翌日から、アルリックは毎日欠かさずルミエルの部屋を訪れるようになった。
執務を終えた夕刻、廊下に規則正しい足音が響いてくると、ルミエルは決まってソファから立ち上がり、扉へと視線を向けた。期待と緊張で、心臓が一つ、大きく跳ねる。扉が開き、あの金髪の男が入ってくる。それだけのことが、今のルミエルには嬉しくてたまらなかった。
アルリックが小さな机を二つ並べ、紙とインク、そして万年筆を用意する。それがいつの間にか、二人だけの静かな習慣になっていた。
最初の授業は、ひどく不格好なものだった。
アルリックの大きな手が、ルミエルの白く細い手の上に重なり、万年筆を持つ指先をそっと導く。紙の上で直線を引く。曲げる。止める。たったそれだけのことが、今まで教育を拒まれてきたルミエルにはひどく難しかった。力の入れ加減がわからず、線は小刻みに震え、文字の形は歪んでいく。インクが滲み、真っ白な紙が無残に汚れた。
「力を抜いて。もっと軽く、羽を持つように持て」
アルリックが静かに言い、ルミエルの指先にそっと触れる。大きな手の確かな温もりが、緊張で冷え切っていた指にじわりと伝わってきた。ルミエルは一度深く息を吐き、万年筆を握り直した。
一日、また一日と過ぎていくうちに、不器用だった線が少しずつ整い始めた。
横棒が引けるようになり、縦棒が引けるようになり、その組み合わせから「文字」という形が生まれていく。初めて一文字をきちんと書けた日、ルミエルは万年筆を持ったまま、石のように固まった。紙の上に、確かな意味を持つ形が刻まれている。それが自分の手で生み出されたものだという事実が、熱を持って胸の奥に沁みていった。
(……書けた。僕も、言葉を綴れるんだ)
隣を覗き込んだアルリックが、「よくできた」と短く、けれど深く響く声で言ってくれた。褒め言葉は不器用で、飾り気など微塵もない。だからこそ、その言葉は真実味を持ってルミエルの心に真っ直ぐ落ちた。
覚えた文字が増えていくにつれ、アルリックは名前の書き方を教えてくれた。
最初に教わった名前は――「ルーク」だった。
綴りを教わり、何度も何度も紙の上で練習して、ようやくその名前が形を成したとき。ルミエルは万年筆を置き、じっとその文字を見つめた。滑らかな曲線と直線が組み合わさった、美しい王子の名。
それは眩しいほどに嬉しかったけれど、同時に、耐え難いほど悲しかった。
(……これは、僕の名前じゃない)
ルークの身代わりとして、ここへ来た。アルリックは目の前にいる自分を、ルークだと信じ疑っていない。だから最初に書くべき名前がこれになるのは、あまりに当然のことだ。けれど、その綴りを眺めていると、胸の奥に冷たい氷が広がるような感覚に陥る。ルミエルは視線を落としたまま、震える吐息を小さく漏らした。
(一度でいいから……偽りの名ではなく、僕の本当の名前を、貴方に呼んでほしい)
文字の授業が終わると、アルリックの手は静かにルミエルをベッドへと導いていく。
大きな手が夜着の裾を滑らせ、露わになった肌を辿る。燭台の炎が妖しく揺れる中、温かな唇が首筋に、鎖骨に、胸の先端へと降りていった。触れられるたびに、身体の芯から甘い熱が膨らんでくる。アルリックがルミエルを優しく仰向けに押し倒し、迷いのない動きで入り込んでくる。その充足感が身体の中心を満たし、ルミエルは無意識に背中を反らせた。
「……っ、ん……ぁ、あ……」
唇の隙間から、堪えきれない音が零れる。拒もうとしても、アルリックが突き上げるたびに甘い喘ぎがこぼれ落ちてしまう。大きな手がルミエルの細い腰をしっかりと捉え、熱い塊が奥を何度も押し広げていく。快感が波のように押し寄せ、思考が真っ白に溶けていく。アルリックの低い吐息が耳元にかかり、ルミエルの身体がぞくりと激しく震えた。
指を深く絡め、手を握り合い、共に頂へと昇り詰める。その後はいつも、力が抜けてアルリックの広い胸板に額を預けたまま、吸い込まれるように眠りについた。
朝になれば、アルリックは再び王としての執務へと向かう。
「ゆっくり休め」
そう言って頭を優しく撫で、部屋を出ていく彼の逞しい背中を、ルミエルはいつも布団の中から切ない心地で見送った。
◇◇◇
日中はいつも、静寂の中で一人過ごした。
食事を運ぶ使用人が短時間訪れる以外、この広い部屋を訪れる者はいない。窓から見える中庭では庭師が規則正しく立ち働き、遠くからは兵士たちの訓練の掛け声が風に乗って聞こえてくる。この巨大な城の中で、ルミエルだけが何もない、静止した時間の中に置かれていた。
その余りある時間を、ルミエルは全て文字の練習に注ぎ込んだ。
アルリックが置いていった紙に、覚えたての文字を何度も、何度も書き続ける。指が疲れ果てれば少し休み、また万年筆を握った。
綴れる文字が増えるたび、胸の奥にある感情が激しく揺れ動いた。
アルリックは毎日会いに来てくれる。文字を教えてくれる。声のない不完全な自分に、驚くほど根気よく向き合ってくれた。その慈しみが、じわりじわりとルミエルの空っぽだった胸を満たしていく。だが、それと同時に別の「棘」が大きく育ちつつあった。
それは、重く苦しい罪悪感だった。
アルリックは、自分をルークだと思っている。隣国の誇り高き王子として、正式な番いとして迎えたのだと信じている。だが実際には、自分は名もなき身代わりに過ぎない。
(……アルリック様は、何も知らないんだ)
万年筆を紙の上に置いたまま、ルミエルは動けなくなった。
文字の練習を重ねれば重ねるほど、アルリックへの思いが深くなればなるほど、真実を告げていないことの重みが鉛のように増していく。毎晩、指を絡めて深いところまで触れ合っているのに、自分は何一つ真実を差し出していない。
文字の読み書きがある程度できるようになると、アルリックは短い手紙を書いてくれるようになった。
執務室から戻る前に、使用人が小さく折られた紙を届けてくる。開くと、そこには几帳面な筆致で簡潔な言葉が綴られていた。
『今日は少し遅くなる』
『外は冷える。暖かくして待っていろ』
『今夜の食事は一緒に摂ろう』
内容は些細な事務連絡に近いものだった。けれどルミエルはその紙を、宝物のように毎日丁寧に畳んで、机の引き出しの奥に大切にしまった。
いつしか、その返事を書くことがルミエルの唯一の救いとなり、日課となった。
たどたどしい、子供のような文字で、心からの言葉を綴る。
『遅くまでお疲れ様です』
『お待ちしています』
『今日は、新しい文字を三つ覚えました』
アルリックが部屋を訪れると、ルミエルはその紙をそっと差し出す。受け取ったアルリックがその文字を黙って読み、短く満足そうに頷く。それだけのやり取りが、ルミエルにとっては何物にも代えがたい「対話」になっていった。
声がなくても、言葉を交わすことができる。
その喜びの裏側で、罪悪感は猛毒のようにじわじわと身体を蝕んでいった。
ルミエルとして、見てほしかった。
ただの替え玉ではなく、ルミエルという名を持つ、一人の人間として彼と向き合いたい。この感情に気づいてから、それまで漠然としていた想いが、鮮明な輪郭を持ち始めた。
◇◇◇
ある夕暮れ時、ルミエルは窓の外の景色を眺めながら、ひどく静謐な絶望の中にいた。
中庭の木々が風にさざめき、傾いた陽光が葉の隙間から斜めに差し込んでいる。それは、息を呑むほどに美しい景色だった。あの冷たい塔の中では、錆びた鉄格子の向こうに切り取られた断片としてしか見られなかった世界が、今は窓を開け放てば、すぐそこに広がっている。
なのに、胸が引き裂かれるように痛かった。
(……僕は、アルリック様が好きだ)
廊下に足音が聞こえるだけで、心臓が千切れそうなほど跳ねる。琥珀色の瞳と視線が合うだけで、全身が熱く昂る。部屋を出ていく彼の背を見送るたび、行かないでほしいと、喉の奥まで声が迫る。
生まれて初めて抱いたこの感情に名前をつけるとしたら、それは「恋」以外の何物でもなかった。
けれど、その恋心に気づいた瞬間、ルミエルの中で何かが決然と固まった。
(……伝えなければ。このままではいられない)
自分が身代わりとして嫁いできたことを。本当の名前は「ルミエル」だということを。王妃に「食い殺される生贄にはお前が相応しい」と嘲笑われ、どうせ消える命だからと差し出されたことを。そして――二十歳の誕生日を迎えた瞬間、この命が尽きてしまうという残酷な真実を。
好きな人に、偽りの名で呼ばれ続けるのはもう嫌だ。
好きな人に、何も告げぬまま消えていきたくない。
どうせ死ぬ運命なら、せめて自分が「ルミエル」という人間であったことだけは、彼に知ってもらいたい。ルークの影としてではなく、ルミエルとして、この命の最期を迎えたい。
(手紙を、書こう)
今の自分には、全てを伝える語彙はないかもしれない。けれど、知っている限りの言葉を尽くして、アルリックに真実を差し出したい。
気づくと、視界が涙で滲んでいた。
声は出ない。嗚咽も漏れない。ただ、目から静かに溢れた涙が、頬を濡らし、畳んだ紙の上に小さな染みを作っていく。
不意に廊下から、聞き慣れた足音が近づいてきた。
ルミエルは慌てて手の甲で目元を拭った。立ち上がろうとしたが、膝に力が入らず、ソファに深く座り直す。鏡で練習した通り、精一杯の笑顔をその顔に張り付けた。
扉が開き、アルリックが入ってくる。金の髪が燭台の光を弾き、琥珀色の鋭い瞳が真っ直ぐにルミエルを捉えた。彼はいつも通りの、凛とした表情を崩さない。ルミエルは引き攣る口角を必死に維持したまま、小さく頷いて彼を迎えた。
だが、アルリックの足がぴたりと止まった。
彼は何も言わず、射抜くような視線でルミエルの顔をじっと観察した。沈黙が重く部屋に沈殿し、アルリックの視線が、ルミエルの頬のわずかな湿りを辿る。
「……泣いていたのか?」
低く、地を這うような声だった。
(――気づかれた)
ルミエルは激しく動揺し、慌てて首を横に振った。
アルリックは迷いのない足取りでソファの前まで歩み寄り、その場にしゃがみ込んだ。ルミエルと視線の高さを合わせると、大きな手がそっと目尻に触れた。
「涙の跡がある」
厚い指先が、拭いきれなかった濡れた跡を、壊れ物に触れるように辿る。
「……寂しかったか?」
もう一度、今度はひどく優しく問いかけてきた。
ルミエルの喉の奥が、ぎゅっと締め付けられるように熱くなった。溢れそうになる本当の言葉を飲み込み、ただ、小さく頷くことしかできなかった。
アルリックの逞しい腕がルミエルの背に回り、そのまま静かに引き寄せられる。
硬い胸板に頬が押し当てられ、彼の低く規則正しい、力強い鼓動が耳の奥に響く。大きな手が、震える背中をゆっくりとなだめるように撫でた。
ルミエルはきつく目を閉じ、アルリックの軍服の布地を、指先が白くなるまでぎゅっと握りしめた。
燭台の炎が微かに揺れ、壁には重なり合う二人の影が長く、静かに伸びていた。
(お願い……神様。もう少しだけ、このままでいさせて……)
あれから、一ヶ月の月日が流れた。 寝室の石造りの暖炉には赤々と火が灯り、夕暮れの訪れが早い季節の到来を告げている。パチリ、と薪が爆ぜる規則正しい音が静寂を刻み、橙色の炎が揺らめくたびに、天蓋の白い布には長く、不規則な影が這い回る。窓の外は藍色の闇に呑まれ、遠くで冬を予感させる風が木々を激しく鳴らしていた。乾燥した空気に、薪の煙の芳しさが微かに混じり、部屋の中に親密な温度を溜めている。 ルミエルは革張りのソファに深く身体を沈め、膝の上に一冊の本を開いていた。 それはアルリックから直接、手ほどきを受けた文字で綴られた物語だ。以前は一頁を読み進めるのにも酷く時間を要していたが、今では指先で追う視線も滑らかになり、文字の羅列はもはや未知の記号ではなく、意味を宿した生きた言葉としてルミエルの中に溶け込んでいる。 視線は物語を追いながらも、喉の奥では、ずっと別のことを反芻していた。(今日こそ……伝えられる気がする) 重厚な扉が開く音がし、アルリックが姿を現した。 一日の政務を終えた彼の貌には僅かな疲労が滲み、上着の襟元が少しだけ乱れている。卓上の燭台が放つ明かりが彼の金髪を眩く照らし、左頬に刻まれた傷跡が深い影を落とした。 けれど、その琥珀色の瞳がルミエルを捉えた瞬間、張り詰めていた肩の力がふっと抜けるのを、ルミエルは見逃さなかった。 本を閉じ、吸い寄せられるように彼のもとへと歩み寄る。ルミエルが背伸びをしてその唇
謁見の間には、透き通った朝の光が斜めに差し込んでいた。 石造りの高い天井まで届く縦長の窓から、白い光の帯が幾筋も床に伸び、石畳の冷たさを微かに和らげている。壁際に置かれた燭台の炎が、外から吹き込むわずかな風に揺れ、灰色の壁に生き物のような影を落としていた。 アルリックが重厚な彫刻の施された上座にどっしりと腰を下ろし、そのすぐ隣にはルミエルが静かに控えていた。 向かい側に座るのは、エルテア王国の新国王オーヴィン・ヴァランと、その傍らに寄り添う王妃。今日この場に臨むまで、ルミエルは幾度も心の準備を重ねてきた。かつて自分を塔に閉じ込め、呪いの名の下に蔑んできた「エルテア」という国の名は、今なお胸の奥底に小さな、けれど鋭い緊張の礫を投げ込んでくる。 ふと視線を向けた新王妃は、ひどく華奢で、儚げな印象を纏う人だった。 細い肩に淡い藤色のドレスが柔らかく落ち、膝の上で重ねられた白い指先が、時折不安げに微かな震えを見せている。年齢はルミエルよりも随分と上のはずだが、その顔立ちは驚くほど整っており、伏せられた長い睫毛の影が頬に美しい陰影を作っていた。丁寧に結い上げられた柔らかな茶色の髪には派手な装飾はなく、その控えめな佇まいにこそ、高潔な品格が宿っているように思えた。 身構えていたルミエルの強張りが、彼女の放つ穏やかな空気感に触れて、雪解けのように少しずつほぐれていくのを感じる。 一通りの儀礼的な挨拶が交わされ、アルリックとオーヴィンは、両国の近況について言葉を交わし始めた。 国境の安定、交易に関する新たな取り決め、周辺
目が覚めた瞬間、ルミエルは指先一つ動かすことができなかった。 瞼の裏側には、暴力的なほど鮮やかな白光が満ちている。天蓋の白い布を透かして差し込む朝の陽光が、寝室の隅々までをやわらかな輝きで満たし、浮かび上がる埃の粒さえも金色の砂のように輝かせていた。 遠くから微かに届く鳥のさえずり、窓の外で若葉が風に戦ぐカサカサという乾いた音。そして、暖炉の隅で灰になった薪の、微かな焦げたような香りが鼻腔をくすぐる。 眠りに沈んでいた五感が、痺れが解けるように一つずつ、ゆっくりと覚醒していく。その緩慢な時間の流れの中で、ルミエルは自らの胸の内に問いかけた。(……ああ。僕、生きてる。本当に、朝を迎えたんだ) 今日は、ルミエルの二十歳の誕生日だった。 この世に生を受けてからずっと、死の期限だと信じ込まされてきた「呪い」の日。暗い塔の中で、砂時計の砂が落ちるのを眺めるようにして待ち続けていた終焉の日が、今、これほどまでに穏やかな朝としてそこにあった。 呪いなど存在しなかったと、あの男の口から真実を知った後も、この朝を迎えるまでは拭いきれない恐怖が胸の隅に澱のように沈んでいたのだ。夜中にふと目を覚ますたび、ルミエルは暗闇の中で自らの胸に細い手を当て、ドク、ドクと刻まれる脈動を確かめては、安堵と不安の狭間で再び瞳を閉じる夜を幾度も繰り返してきた。 ――けれど、約束の朝は来た。 左胸の奥で、心臓が確かに、力強く時を刻んでいる。
「――ここは、あとは儂がおさめるから。行ってくれ」 老いた国王の震える言葉に、アルリックは短く一度だけ頷いた。そして、迷いのない所作でルミエルの細い手を取った。(……温かい) ルミエルの指先を包み込むアルリックの手のひらは、夜の冷気にさらされていたはずなのに、驚くほど熱を帯びていた。その確かな質量に、ルミエルは胸の奥がじんわりと疼くのを感じる。「では、任せた。我々は国に戻る」 アルリックはそれだけ言い捨てると、無造作に踵を返した。ルミエルはその大きな手に引かれるまま、一歩を踏み出す。 背後で国王が何かを言いかけた気配がしたが、アルリックは一度も振り返ることなく、前だけを見据えて歩き続けた。 遠ざかっていく王妃の狂おしい泣き声、ヨハンの醜い怒鳴り声。それらが夜の静寂に吸い込まれ、代わりに二人を包んだのは、研ぎ澄まされた冷たい夜気だった。規則正しく石畳を叩く足音だけが、耳の奥に心地よく響く。 隣を歩くアルリックの気配を感じながら、ルミエルは肺の奥まで冷たい空気を吸い込み、長く吐き出した。(僕は……最初から、呪われてなんていなかったんだ) その事実は、羽毛のように軽くルミエルの心を撫でた。けれど同時に、腹の奥にはズンとした重たい塊が居座っている。
馬が止まったのは、城下の外れにひっそりと佇む、小さな石造りの家の前だった。 王妃エレーヌはすでに馬を捨て、吸い込まれるように家の中へと滑り込んでいた。ガウンの裾が闇に引き込まれていくのと入れ替わりに、「呪いが……呪いが……」という、乾いた木の葉が擦れるような呟きだけが夜の底に沈んでいく。 アルリックがルミエルを軽々と抱きかかえて馬を下り、迷いのない歩調でその後を追った。 室内は薄暗く、埃の舞う空気の中に一本の蝋燭が細い火を灯していた。 簡素な寝台の上で、中年の男が跳ね起きるようにして上半身を揺らしている。王妃に激しく肩を揺さぶられ、男の寝ぼけた顔には、恐怖と混乱が混じり合った歪な表情が浮かんでいた。 その光景をルミエルは、アルリックの腕から解放されながら眺めた。(あの人が僕に呪いをかけた……人?)「助けて。ねえ、あなたしかいないのよ……!」 王妃が男の胸にしがみつき、声を上げて泣き崩れた。乱れた髪が涙で顔に張り付き、かつての気高く冷酷な面影は、見る影もなく崩れ去っている。「……なんだ、何があったんだ、エレーヌ」 男が王妃の肩を抱き寄せ、眠たげな目を細めた。だが、その視線が背後に立つアルリックを捉えた瞬間、男の表情は瞬時
廊下は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。 深夜の城は、昼間の喧騒が嘘のように暗い。石壁に点々と掲げられた燭台の火だけが、頼りなく通路を照らしている。炎が揺れるたびに、長く伸びた二人の影が壁の上で不気味に蠢いていた。 アルリックはルミエルの細い手を引き、迷いのない足取りで進む。硬い石床に響く足音は二人分。ルミエルはまだ足腰に力が入りきらず、アルリックの広い背中を追うのが精一杯だった。 歩くたびに、番の証が刻まれた首の後ろがじんと熱を持つ。それはアルリックとの絆を証明する確かな体温であり、今のルミエルを支える唯一の拠り所でもあった。 廊下の突き当たりに、王妃エレーヌの寝室があった。 アルリックが扉の前に立ち、その大きな拳で二度、静寂を破るように叩いた。 コン、コン。 乾いた音が響くが、中からの返事はない。アルリックは眉一つ動かさず、今度は少し強く扉を叩いた。それでも応答はなく、彼は躊躇なく扉の取っ手に手をかけた。 鍵はかかっていなかった。重厚な扉が、ゆっくりと内側へ開いていく。 その瞬間、ルミエルは思わず目を背けた。 寝室の中央に鎮座する大きなベッドの上で、王妃エレーヌが若い騎士と絡み合っていた。衣服は無造作に床へ脱ぎ捨てられ、月明かりと燭台の淡い光が、剥き出しになった白い肌を艶かしく照らし出している。
月明かりが窓から差し込み、ルミエルの横顔を淡く照らしていた。 規則正しい呼吸で胸が静かに上下している。疲れ果てて眠り込んだ身体は、アルリックの腕の中で小さく丸まっていて、触れれば壊れてしまいそうな儚さがあった。アルリックはゆっくりと身を起こし、愛しさに胸を締めつけられながら、ルミエルの顔を覗き込んだ。 ふと、その目尻に、乾いた涙のあとが残っているのに気づいた。
何度、書き直しただろうか。 机に広げた紙の上には、たどたどしい文字が並んでいた。アルリックに文字を教わってからというもの、ルミエルは彼が不在の時間を惜しむようにして、羽ペンの動かし方を身体に叩き込んできた。不揃いで頼りない字の形は、砂漠に刻まれた足跡のようにどこか心許ない。けれど、そこに込められた決意だけは、鋭利な刃物のように光を放っていた。 兄の身代わりとして、呪いを受けたまま嫁いできたこと。本当の名前はルミエルであること。卑しい愛人の子として生を受け、陽の光さえ届かない冷たい塔の中に閉じ込められて育ったこと。そして――二十歳の誕生日を迎えるまえに、この身体を蝕む呪いによって命が尽きる
繋がったまま、ルミエルは息をすることさえ忘れていた。 アルリックの重みが上から覆い被さり、腰を深く打ちつけられるたびに、身体が大きく揺れる。くちゅ、くちゅ、と結合部から溢れる水音が、静まり返った部屋に卑猥なほど鮮明に響いた。愛液が二人の間で混じり合い、アルリックが動くたびに、その音は粘り気を帯びて大きくなっていく。「ぁ……ん、っ……ぁあ……」 声が止まらなかった。唇の隙間から甘い音が零れ、天蓋の奥へと吸い込まれていく。アルリックの腰が打ち込まれるたび、肌と肌が激しくぶつかり合い、乾いた音と濡れた音が重なって耳に届く。奥を執拗に抉られるたびに、全身の神経が熱い一点に集まっていく感覚があ
「ルーク」 低い声と共に肩を優しく揺さぶられ、ルミエルは重い瞼をゆっくりと持ち上げた。 意識が浮上すると同時に感じたのは、全身を包み込む心地よいだるさだった。昨夜の熱狂の残滓が、まだ身体の奥底に澱のように溜まっている。視界を上げれば、見慣れない天蓋の絹が朝の光を透かして白く輝いていた。(――眩しい) 窓の隙間から差し込む一条の光が、寝室を清冽な朝の色で満たしている。(……朝だ。本当の、朝なんだ) 慌てて身体を起こそうとした瞬間、掛けていた羽毛の布団がするりと滑り落ちた。その時、ルミエルは部屋の中に漂う異様な気配に気づき、息を止めた。(……え?) 寝室の隅には、仰々しい正装に身