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46話. 懐妊(たいき)

作者: 6jay
last update 公開日: 2026-11-08 21:01:56

医乃が手を引くと、一夜、彼女の手のひらの下に在った手の甲が、明け方の空気に晒された。

凝り着いた肌に紫根の色が淡く移り、彼女の手が覆うていた分だけ、紅かった。

彼女は褥(しとね)の脇より退き、敷居の方へと平伏した。

敷居の向こうの爪先が一寸ほど内へ越えて、止まった。

「あら」

澄んだ声であった。

「主上がご不例と承りましたゆえ菊の茶を淹れて参りましたが、女医が先にございましたか」

褥の上で衾が揺らぎ、眼を開いた煌仁の視線が敷居の中宮と平伏した女医を越え、おのが手の甲で止まった。

その手を衾の内へと引き入れつつ、彼が身を起こした。

「中宮、早いお出ましじゃな」

「母上が、主上にお上げのものは毒味からお経よ、と仰せでした。本日は毒味の掌侍の手を経て参って

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    医乃が手を引くと、一夜、彼女の手のひらの下に在った手の甲が、明け方の空気に晒された。凝り着いた肌に紫根の色が淡く移り、彼女の手が覆うていた分だけ、紅かった。彼女は褥(しとね)の脇より退き、敷居の方へと平伏した。敷居の向こうの爪先が一寸ほど内へ越えて、止まった。「あら」澄んだ声であった。「主上がご不例と承りましたゆえ菊の茶を淹れて参りましたが、女医が先にございましたか」褥の上で衾が揺らぎ、眼を開いた煌仁の視線が敷居の中宮と平伏した女医を越え、おのが手の甲で止まった。その手を衾の内へと引き入れつつ、彼が身を起こした。「中宮、早いお出ましじゃな」「母上が、主上にお上げのものは毒味からお経よ、と仰せでした。本日は毒味の掌侍の手を経て参ってございまする」花が眼で合図すると、弓(ゆみ)が膝で寄って盆を褥の脇に下ろした。その脇に軽やかに座しつつも、花は敷居の方へひと度も首を向けなかった。「一夜じゅう、お熱が高うあられたとか。薬師寮(やくしのつかさ)もお退けになったと伺い及びました」「女医が、おった」「さようにござりまするか。女医が、おられましたか」花がおのが手にて茶を注ぎ、両の手で上げると、煌仁は茶碗を受け取ったが、唇に当てずに盆へ戻した。「ただ今、煎じ薬を干したところじゃ。苦きが舌に残っておって、茶の味が分からぬ」花の口元に懸かった笑みは、乱れなかった。ただ、その眼が、衾の上に置かれた手の甲の紅みに、長く留まった。「ならば、わらわは退がりまする。

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    医乃が口元に耳をさらに近づけてみても、小珠からは息がゆき交うのみで、次の言葉は出なかった。袖口を掴んでいた指がほどけ、瞼がふたたび下りた。再び取った首筋には、先刻よりも確かに指先を押し上げる脈があった。眠りに落ちたのであった。顔を上げれば、広縁の上の煌仁が彼女を見ていた。何も問わぬ顔で、ただ彼女の口が開くのを待つ眼であった。医乃はその眼に短く頭を垂れ、薦ごと小珠を担架に移せと言いつけた。日の落つる頃、女医所の検屍の間の板の上でふたたび眼を開いた小珠に、蓮が温めた重湯を匙で含ませた。戸の外は、堀川が残していった下人がふたり、守っていた。「夜ごとに灰を運んでおりました」小珠は夜着の襟を顎の下まで引き上げ、震えていた。「別堂(べつどう)の裏の焚き口より出る灰を、桶に入れて池の水口(みなくち)に流しておりました。灰より、鉄の生臭が立っておりました。半年ほど経ちましたら、歯茎より血が出て、歯が揺らぎ……」「水銀、煉丹という言葉は、どこで聞いた」「別堂の戸の隙より……。灰を運び出せと申された御方が、今宵は煉丹がまだ足らぬ、水銀が未だ澄まぬと、独り言を仰せでした。わたくしは、それが何のことやら知りもせなんだ」「その御方は、誰じゃ」小珠の唇が、白く閉ざされた。瞳が戸の方へひとたび彷徨い、そのまま夜着の内へ逃げ込んだ。それ以上は問わず、医乃は小珠の爪の下より掻き出した灰色の澱を、銭ひとつに擦りつけた。黄なる銅の光が、擦られた箇所だけ、銀のごとく白く照った。蓮が口を大きく開いた。&

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    庭に満ちて平伏した女房たちの間から、悲鳴が破れた。「め、眼を……!」「骸が眼を開いた!」「物の怪じゃ、物の怪!」女房ひとりが後ずさって尻餅を突く間も、医乃は小珠の顔より眼を離さなかった。開いた二つの瞳は、何も見ぬまま、虚空に懸かっていた。女房が鏡を捧げて駆け出てくると、医乃は鏡を受け、小珠の鼻の下に近く寄せた。庭が、息をひそめた。磨き上げた銅の鏡の真ん中に、爪ほどの霧が結び、そして消えた。また、結んだ。「息をしておりまする」医乃は鏡を持ち上げ、広縁の上へ示した。「息は未だ、この身を去ってございませぬ」皇太后が膝の上の手を袖の内に納めた。南原 道玄の口の端に懸かった笑みが、初めて片側だけに残った。「御厨子所(みずしどころ)へ人を遣わしてくださりませ。甘草と緑豆をひと掴みずつ、水二杯を一杯に濃く煎じまするよう。それと、生温い塩水をひと鉢」煌仁が首を巡らすこともせずに伏見へ合図をすると、老蔵人は腰を押さえたまま回廊の方へ駆け出した。濡らした無名で小珠の顔を拭ってやると、白粉(おしろい)の落ちた跡の下から、熱の差したごとき紅(あか)い頬が現れた。唇を拭うと、無名の端に青き色が移った。蓼藍(たであい)の染料であった。誰かが生きた顔の上に、死者の顔の色を塗り置いていたのである。開いた口の内の舌は、ひからびて裂け、鼻を近づけると、口の内より甘ったるく生臭い草の匂いが昇った。「曼陀羅華(まん

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